章間(しょうあい):つづかないいま
傷めた足に歯を食いしばって窓を抜ける。と、そこは宿泊予定の部屋ではなかった。
「おーおかえりきみ仁! 今ちょーどシャンデリアつけたとこ!」
脚立に乗った蓮李が、天井付近から声を降らせてきた。
部屋は間違えていなかった。というかこの階に客室はここしかないので、当然だ。
きみ仁は足を傷めていなかったら、あまりの内装の違いと少女趣味と統一感のなさに、間違いなく膝から崩れていた。
怪我というのは、脱力したい時に脱力もさせてくれない。
部屋を出る前は日焼けしながらも白く涼やかだった壁が、今やデフォルメされた小動物と人面太陽が笑いあう(笑っている時点で動物も人面だ)よく晴れた花畑に変わっている。花もにこにこ人面だ。
木製だったはずのベッドフレームは優雅な曲線が花を象った白いアイアン製になり、ぺろっとしていて風通しの良さそうだったリネンはめいっぱいフリルのついたふっかふかの羽毛布団(基調はパステルピンク)に替えられ、きちっとひとつ鎮座していた白い枕の位置には、やたらカラフルにむらむら群れているスウィーツ型クッション群がある。いや、よく見るとクッションでなく、一つ一つがちゃんと羽枕だ。レースを何重にも重ねた天蓋のせいでパッと見ではわからなかった。
シンプルだった作り付けの家具はデコラティブなアンティーク調になり、色の基本は桜色かパステルピンクだ。
シャンデリアは荘厳な細工というよりは、ベビーベッドに吊り下げる赤ん坊のおもちゃのように、まろみのある単純な装飾で、きみ仁が生まれてこの方心臓の形だと思ったことのないハート型や涙の形だと思ったことのないティアドロップ型が多用されている。
カーペットは転んでも怪我をしないだろう毛足の長い赤とピンクのマルチドット柄になり、四角形だったベッドのサイドテーブルや机は全て円卓(猫脚クッションカバー付き)で揃えられている。棚には人間に都合良く原型を崩された、牙も爪も大自然には向かない野生動物のぬいぐるみがずらずら並んでいた。
ファンシーとメルヒェンとがありいぽっぷとロリータ趣味とバロック装飾と保育園が、ひとつの空間で牽制し合っている。
きみ仁が動けずにいると、左足(無事な方)におもちゃの汽車がぶつかって、抗議するように「ぽーっ」と鳴いた。下駄の歯の間に線路が走っている。
バジャアアアン、と、ミニチュア駅の隣で、駅舎よりも大きい駅員姿の猿のぬいぐるみがシンバルを鳴らした。
フィッフィッフィッフィッフィッフィッフィッ、と、アンゴレウスケナガウサギ駅員が笛を吹き、アシカ(もしくはオットセイ)駅員がオゥオゥ音を出しながら上下に首を振る。
くるるるる、とアシカ(もしくはオットセイ)駅員の鼻先に縫いとめられたカラフルなボールが回った。
(首を振りながら球回しなんて過剰サービス、ボールが縫いとめられてなかったら遠心力でふっとんで駅舎破壊して大惨事では、ていうか鼻にボール縫いとめられて回転の摩擦を永劫受け続ける時点で、あってはならない大惨事)と思ったところで、きみ仁の思考は現実に適応した。
言語が戻ってくる。そして初めて、今の状態を「呆れてものが言えない」だったと気づく。
「蓮李」
きみ仁は、雨の中で濡れなかった防塵マントを脱いだ。
蓮李はふぁあああCawaiiiiiiiiと叫んで仰け反って脚立ごと倒れた。蓮李の真上でシャンデリアはがしゃんとないてバラバラ揺れた。が一緒に落ちてくることもなく、無事だった。
防塵マントの内側には、セリアを匿っていた。
枯れた柳の枝のように、セリアはくったりと気絶している。
「レン、この子、冷え切ってる。あっためるからお湯入れヌン」
子どもを奪われた。突き飛ばされる形になって、背と頭を順番に窓枠に打つ。腫れた右足が鉄パイプで殴られたように痛んだ。線路の真上からひとに降られて、たぶん汽車は脱線した。体が反射で痛みを逃がそうと足をじたばたさせたがったが、片足を傷めてそう間がないと、健康なもう片方も自由には振り回せない。逃せない痛みと鬱憤が床でモチをついた尻にたまった。
きみ仁は、早速瘤ができ始めた頭の患部を押さえつけ、床から抗議しようとして、黙る。
蓮李はセリアを抱きしめて、痛みそうなくらい眉を寄せて目を伏せていた。彼は、小さく「ごめんね。ごめんなさい」と言って、踵を返すと小走りに別室に消えた。
硬いものに液体を落とす音が響く。
水を入れて、魔法で直接水なり容れ物なり温めて、湯を張っているんだろう。多分回復魔法もかけている。
きみ仁が近づくと、浄化能力で魔法が打ち消されるから、動かない方がいいかも知れない。蒸気が漂ってくる。浴室の扉は開けっ放しだ。
きみ仁は数秒その音を聞いて、水の響き方で、浴槽の存在を知った。
(風呂を用意できるほど、水に不自由しない……)
蛇口から水が出るように、蓮李に言わなければいけないと思っていた諸々が、思い出される。
(蛇口。蛇口? ポンプじゃない。ポンプを引く音がしない。ここが一等客室だから? 全室そうなのか? いや、三枝博士は近代文明のひと。彼の宿泊用に融資を受けた宿なら、おそらく全室……)
(ああ。そうだ)
(三枝生命技術研究所。この雨で外に出てるひとなんて少なかったけど)
きみ仁は窓枠に手をかけ、片足と腕で立って、窓を閉めた。今外は湿度100%とはいえ、元は乾いた土地だ。風呂からの蒸気で、多少湿気が部屋に満ちるくらいで丁度いい。セリアのことは街じゅうが知っているようだから、窓から目撃されて、通報されたらまずい。
引いたカーテンには、瀟洒な運河沿いの街並みに、この世の色という色を舞わせるように、花弁と風船がおどる風景が刺繍されていた。なにかの祭の風景画だろうか。街は建物がクリーム色を基調にしていて、印象が柔らかい。カーテンの素材は無駄に絹だ。
(風景? の、柄のように見えるけどこれは)
きみ仁はカーテンを凝視した。
(黄色系をたどると、光の魔法陣。青をたどると水の魔法陣。緑は風。運河の水面に、波紋に見せかけて、土。すべて攻撃の魔法陣。ただ…発動順によっては防衛にも補助にもなるんじゃないか? この陣を発動させて水を溢れさせて、風の陣は、この速度なら、水を拡散して細かい粒状にできる。この陣を同時に発動させれば、泥で壁を作ったうえに水で後ろから押せる。風船の紐は……風の魔法、というより、音の魔法、か? いやここまでくると音波で熱が発生する)
組み合わせ。
順列。
(魔法陣なら、俺がいてもシステマチックに発動する)
きみ仁はふと思い立って足元の線路を確認した。
線路は単純なひょうたん型をしている。
ように見えるが。
(壁の、人面動植物。口を閉じてるのと閉じてないのといる。口角が丸いのと尖って三角形のといる。あの角度。三角関数。線路の、分岐点や信号と、どれかの動物と、点で結べば。口角が丸いのは、放物線とすれば、二次関数で、ああ。やっぱり)
線路と、壁の絵と、一定の法則で点を決め、それらを結ぶと、空気中に魔法陣が浮かび上がる。
きみ仁は、無意識に人差し指を伸ばして、その陣の形をなぞった。
(問題はどうやって点と点を結ぶか。結んだものと、魔法粒子に伝えるか。そもそも結ぶのにかかる時間は、どうなんだ、計算に入れていいのか? や、でも、蓮李なら、こうして指を沿えるだけで、あるいは、伝えたことにできるんじゃないか?
陣そのものは単純。でも、構成される位置。いくつかの魔法陣が微妙に重なるところができる。すると、効果を重ねられたり、相殺させて新たな効果を生むこともできる)
論理積。
論理和。
排他的論理和。
きみ仁は足の痛みも忘れて、しばらく内装に見入った。
多重の天蓋レースも、一枚一枚は幾何学模様だが、重ね方によって魔法陣になる。
少し、心臓を絞られる心地がする。
(こういうの、俺には思いつけない……)
きみ仁にできるのは、出された問題を解くことだけだ。
(やっぱり。すごいな。蓮李は。魔法は。いいな。ものを生み出す。それに比べたら、浄化能力なんか、どこまでいっても失くすことしかできない……)
原則の幅が狭い。魔法と浄化能力では、千の黄金の腕と二本の赤ん坊の腕くらい違う。
(蓮李には、どうしたって追いつけない。魔法では横にも並べない)
心臓がきりきり絞られる。成長期でそこかしこ痛むから、多分肋骨もそうなだけだろう。
口惜しいとかかなしいとか失望とか、そういう感情じゃないはずだ。
シャンデリアは揺れ続けている。
生まれてこの方心臓の形だと思ったことのないハート型や、涙の形だと思ったことのないティアドロップ型が。
魔法陣をたどっていた指が、しずかに降りた。
(でも、パターンを覚えて応用することはできるはず。そこから、俺じゃない誰かが、もっといいものを。作ってくれることだってあるはず)
今のままだとその誰かは十中八九蓮李になるのが、なんか癪だ。
(健康な腕が二本もあったら、十分応用がきく。蓮李の横に並ぶくらい、ひとさまの役に立つ魔法使いにはなれなくとも、蓮李のサポートくらいならできるはずだ)
「きみひとー! たおるー!」
蓮李の呼ぶ声が聞こえた。
シャンデリアの心臓だと思ったことのないハート型と、涙だと思ったことのないティアドロップ型が、不安定にゆれて、ゆれながら、きらめいた。
きみ仁は線路の並びを崩さないように、慎重に踏み出した。
痛む足をひきずってタオルを運んだら、うわお前足どうしたのなんでちゃんと手当してないの今までなにやってたのばーか、これだからガキは、ばーか!! と理不尽に頭をはたかれた。




