二、うつくしい世界:彪の巻 2-い
彪の日常は悪く言えば退屈、良く言えば何もない。
この街になにもないんだから仕方ないのかもしれない。
昨日は仲間とつるんで義姉と喧嘩して両親が留守の仕事場を掃除して、
一昨日は仲間とつるんで義姉と喧嘩して両親が留守の仕事場を掃除した。
ナマモノで、毎日状態をチェックし適宜手入れされなければならない皮革の方が、まだ変化があった。
死んでるのに生きてる俺より充実してないか、お前ら、と問うたら、皮は殺されて剥がれた恨みの一つでもぶつけてくるだろうか。
もしかしたらその方が刺激的かも知れない。
多分彪は明日も、仲間とつるんで義姉と喧嘩して両親が留守の仕事場を掃除して、
明後日も仲間とつるんで義姉と喧嘩して両親が留守の仕事場を掃除して、
両親の帰還まで毎日をコピー&ペーストして、両親の帰還後は一部置換した「毎日」をやっぱりコピペして続けていくんだろう。
そう思って生きていたのに今日は大層なことになった。
「オル、はやく」とサラが急かす。
「かたじけない。何もかもお世話になってしまって。お家の設備も破壊してしまったのに」
「設備って浄化槽かぁ? いーよあんなもん。むしろ壊してくれてありがとさんってね。こっちこそ片付いてなくて悪い」
きみ仁は、リビングの、脱ぎ散らかされた服の山から発掘した、穴とシミだらけのソファに座っていた。
ソファの前に広げられた食事用の敷物には、蝿のたかった野菜片がしなびて放置してあった。片付けてればよかったなぁ、と思う。
バケツをきみ仁の足元に置くと、きみ仁は胸元から手ぬぐいを取り出し、氷を数個、するりと包んで患部に当てた。
「慣れてんなぁ。冒険者ってみんなそうなの?」
「経験やパーティ編成にもよりますが。うちは二人しかいませんから。応急処置くらいは各々出来ないと」
冷やせて安堵したのか、きみ仁の肩から、少しだけ硬さが抜けたように見えた。「ふぅん……」
「ねぇ、あんた急いでるってたけど、やっぱ技研に行くの? この街に来る冒険者はみんなそうだよ、技研に仕事頼まれて来てんだ」
サラは興味津々といったていで、きみ仁の隣に座って幹部を覗き込んでいる。
「俺ではなく相棒が、技研に用があって。俺が急いでるのは単に人探しです。セリアちゃんて5、6歳の女の子。ご存知ありませんか。技研の子らしいんですけれども」
セリア、と聞いた瞬間、サラの目が、きみ仁を冷やす氷みたいになった。
彪も息を呑む。
「………それ聞いて、あんたどうすんの」
わかりやすくサラの声が険を帯びる。ねぇちゃん、と彪がたしなめたが、うるさいよ、と一蹴された。
きみ仁は目を丸くして、「ご存知なんですか」とサラを見た。確認する口調だった。
サラがぐっと黙って、きみ仁を睨みつける。ああもう、と彪はため息をついた。サラは今にも噛みつきそうだ。
怪我人を更に怪我させて帰すのも悪いので、彪はとりあえず場を鎮めることにする。
「あんたさ、悪い事言わないからあの子には関わんなよ。人間の形してるけど、あれは技研の実験動物だからさ。なんか、逃げ出したんだって?」
「オル! なんてこと言うの、あの子は技研の被害者だ、きみ仁、あんたがあの子を技研に連れ戻そうってんならあたしがその足、砕いてやるからね!」
サラがきみ仁の襟首をつかみ、凄むように顔を近づけた。
きみ仁はなぜか照れたようにさっと目をそらして、「いえそういうつもりは、あの近いです」心なしか声が嬉しそうだ。
サラがなにこいつキモイと言葉にして(男心は繊細なんだからキモイはやめてやってくれ)突き飛ばすように襟を放した。彪としては「義姉がすまん」の定型文しか言えない。きっちり90度に頭を下げる。
「いえ、安心しました。良かった。そういう人もいるんですね。技研の歪みに、気付いてらっしゃる方が」
起き上がり小法師のように、彪は頭を上げた。
とん、と心臓が鳴る。
きみ仁の腫れた頬の奥の瞳は曇り方を知らない空みたいで、青く、果てしがない。
サラが怪訝な顔をした。
きみ仁の無残な顔からは、およそ表情というものが読み取れなかった。
「よければ教えていただけませんか。セリアちゃんは、どういう子なんです?」
何かが始まる。
そんな予感が彪の視界を埋める。
夢であって欲しいような、欲しくないような、複雑な気持がはしり出す足音がする。肋骨の真ん中で心臓がふわふわして、右に動くか左に動くか迷っていた。
とりあえず、明日はコピペじゃなく死んだ皮に昇格できるかも知れない。




