二、うつくしい世界:きみ仁の巻
日に日にひどくなっている成長痛を無視して、きみ仁は屋上を駆けた。
きみ仁は、雪駄を履いているにも関わらず足音をたてない。おかげで市民の睡眠に障る心配は皆無だった。
かれこれ二十分はそうして走っている。呼吸と動悸に乱れはない。相棒にはもはや人道を外れていると評される持久力だが、要は未だ成長途上で力に劣る分、攻撃回数でダメージを稼ごうとした結果の身のこなしであり、スタミナだった。
きみ仁の足元、白い日干し煉瓦で作られた箱型の家々に屋根はなく、屋上になっている。上から見下ろせば街の様子は大体つかめた。
燈籠町は、いくつものクサールから成っている。クサールは、民族間闘争の激しかったかつては、周囲になにも建ててはいけないものだったが、事情が変わったのだろう。移民がほとんどの政府側としては、白篭族のクサールは国内に点在するより、一箇所に集まっていた方が都合がいいのかも知れない。逆に言えば、それだけ寄せ集めても数の脅威になり得ない程度には、白篭族は減らされてしまっているのだ。
家々の屋上の隅には、溜まる砂を掃き落とす穴がビリヤード台のようにまばらに空いている。そこから通された管が、ぴかぴかしたタンクに繋がっていた。
金属でできたタンクは、朝日をきらっと照り返す。
セリアを探して路上に注意しつつふっとんでいたきみ仁は、その輝きに違和感を覚える。
(タンクが、家の経年劣化と見合わない……か? タンクが板金製だからそう見えるだけか、最近取り付けたものなのか。穴は元々砂を落とす為だけに使われていて、新たにタンクを取り付けたとか……?)
何にせよ、先日までいた暁市の近代的な木造建物とは、趣を異にする。
灯篭町は荒野に囲まれた高地の集落だ。地図上では暁市という街の一部だが、暁市中心部からはほど遠い。ボジションとしては原住民コロニーで、独自の門を持ち、独立した村として認められている。
屋上には、搭屋付きのものと、そうでないものがある。
搭屋のない屋上が砂埃を溜めているのに対し、搭屋付きの屋上は、概ね掃き清められていて走りやすい。さらに塔屋つきの屋上には、サボテンを植えたプランターや、小さな箱庭、蔦の絡んだ四阿、子供用のジャングルジムなど、様々なオブジェクトがあった。塔屋付きの家は、裕福で、屋上を有効活用する余裕があるのかも知れない。
そうした風景の中で、松本の宿は明らかに異質で目立ち、現在地を見失わずに済んでいる。
しばらく走り回るうち、きみ仁は、どの屋上にも必ずよく磨かれたガラス瓶が数か所に埋め込まれている事に気付いた。瓶は八角中で、中ほどまで透明な水が注がれている。おそらく明かり取りではないか、ときみ仁は推測した。瓶の水が太陽光を反射し、八角形の面が、その光を方々に四散させる。きみ仁が家から家へ飛び移る際にチカチカ主張して、星のように見える。
(もし明かり取りだとしたら、水は光をよく通させるために透明に保たれてるはず。泥の混じらない水を飲料以外に使う……水が豊富なのか)
そう思った時、ふとひっかかりを感じた。
(水は豊富……? 水源は……?)
燈籠町は、オアシス都市である曉市から馬で一日半、高地だが水道橋があるわけでもない。
普通、水は高地から低地に流れるため、高地である燈籠町では、水源から水道橋で水を引かなければならない。燈籠町の水源になり得るのは、浄化湖の灯湖か、暁市のオアシスだ。
そのうち、灯湖は浄化湖なので、透明できれいな水に満たされている。しかし移民戦争以降政府の管轄となり、一班には水の利用を禁止され、今は三枝生命技術研究所に研究用として解放されているのみ、と、技研に関する情報にはあった。当然燈籠町の水源にはできない。
では暁市から馬で一日半かけて水を持ってきているとして、それは有料なのか、無料なのか、どれくらいの量を持って来られて、どこで濾過し、貯蔵しているのだろう。
しかも抹元は言っていた。「十年前、技研ができる前より、排水設備が良くなっている」という旨のことを。
これはまずいのでは。
そう直感した。
すっ、と明らかにクサールとは建築様式の異なる技研を見る。
三枝生命技術研究所は、この街の新たなシンボルと抹元に紹介されただけあって、どこからでも見えるんじゃないかというくらい巨大な施設だった。街の北西の角で、市壁をぶち抜いて、白い塗装でいかにも清廉そうに建つ。建物は、みっつ。巨大な風船を台座に据えたような形の窓のない建物と、長方形にひた高く伸びる塔、竿石・上台・中台・芝台から成る墓のような面にずっしりした奥行きを与え、神殿と要塞の間みたいな威圧感を持つ病棟だ。
きみ仁のパーティが事前に得ている情報では、あそこで働く人間の大半は臨時雇用の地元住民で、純粋に技研本部から派遣され、研究所内で寝起きしている職員はたったの12名。
だというのに、施設はなんのために、あんなにも巨大なのだろう。
飲料用以外でも透明な水を使える、浄水に対して余裕がある――それは恵まれた環境である。
水源から遠い街での主な生活水は井戸水だが、井戸水の濾過具合は地域差が激しい。これまでの旅でも、濁った井戸水を飲料水とする集落は珍しくなかった。
松本から、飲料水が透明だとは聞いていたが、半信半疑だったのだ。蓮李は濁った水は飲めない。
(けれど、三枝生命技術研究所)
不安がさっと刷かれる。
所長の三枝充博は、魔法は生物による作用であるとの仮説を呈し、学会からの嘲笑を経て、地道な解析によりそれを証明した。今では、魔法粒子という微粒子型の生物と、生物に生来備わっている魔力との相互干渉が、魔法を起こすというのが定説だ。
以来、三枝生命技術研究所は、医療・製薬・遺伝子研究まで幅広く手掛け、その研究機材を作る開発部門と施設の補修・増設のための土木部門まで独自に有し、冒険者ギルドに素材採取の依頼を出す以外は、外部への発注は滅多にしない。いずれ素材採取の専門部署が増設されるだろうとも、冒険者に仕事を斡旋したい冒険者ギルドとの黒い取引で、そういった部門だけは絶対にできないとも噂される。金払いがいいので冒険者には人気のある企業だが、同業他社からは閉じた企業だと目の敵にされている。
そしておそらく、実際に技研と黒い取引がなされている組織は、ある。
(この街は、水をとられている可能性がある――技研に。俺達の行動いかんで、最悪デッドロックになるかも知れない。でも慎重に過ぎれば蓮李が焦れて強硬策に出かねない)
爪の先ほどの焦りに、集中が鈍った。
早くセリアちゃんを見つけ、蓮李と話し合わなくては。
そう思って、無意識に加速したのがまずかった。
次に飛び移る先をよく確認する前に、今通ってきた屋上から飛び出してしまった。
そうして視界の先に見えた景色は――――――
裸の豊満な美女が、寝ていた敷物から立ち上がって、大きく両腕を広げて背伸びをしているところだった。
屋上の端で踏み外した。




