二、うつくしい世界:蓮李の巻
「蓮李! これあげる!」
蓮李=大飛は生まれて初めて人間を貰った。
それが幼児なら狂喜乱舞して受け取ったかも知れないが、贈られたのは白衣の成人男性だった。歳の頃は三十代前半。少し前髪が後退している。のを、なんとか隠したいといった髪型をしている。
猿ぐつわをかまされ、並んだベッドの窓側に放られた男は、縛られた手足でもがきながら苦しげに唸っている。これは……いらない。
四階の一等客室で、今まさに荷ほどきをしようと適当な椅子に荷をおろしたばかりだった蓮李は、しばし中腰のまま呆然と白衣の男を見、ある可能性に気付いて弾かれように背筋を伸ばした。
「新手の嫌がらせだな!?」確信を持って弾劾する。
「この前谷に落とした事根に持ってんだろ! あれは事故だからな!? ちょっと爆風起こす位置間違えただけの……あっそれとも先月崖にめり込ませた時の⁉︎ あれも事故だからな‼︎ ちょっと酔って力の加減がつかめなくて……なのにお前、いつからそんなちっさい事根に持つようになったの!」
ベッドを回り込み、男に対峙するようにもすんと腰を下ろす。
「あとここ四階なんだから窓から入んのはよしなさい! 目立つから! 俺より目立つとかありえないから! あっそれも込みでの嫌がらせか!? ていうかなんでこの部屋がわかった⁉︎ さてはお前俺にGPSつけてんだろ、ああもう反抗期めんどくさい……」
「なんでもくそも。窓から蓮李が見えた。その人技研の関係者。それより大変。雨が降る」
きみ仁は窓際に立ち、ここではない遠くを見ながら顔の包帯に手を掛けた。
物静かな佇まいだが、どうにも彼は、いっときでも目が離せないものを見ている、ように蓮李には見える。包帯を解く手は焦っているようにも感じられる。よく見ればきみ仁の目の焦点は細かく揺れ、何かと交信しているようだ。彼は例えでも何でもなく、真性の電波である、と蓮李は確信している。
しかしここまで動揺しているようなのは珍しかった。
「きみ仁くん。会話をしよう。この世のものを見よう。
まず意味が分かんない。技研の人以外わかんない。超晴れてるし、雨なんか降りそうもないし、雨と技研が繋がらないし、多少の雨は別に大変な事じゃない。
……なに、何か急いでんの?」
今しがたきみ仁が飛び込んで来た窓に目を向ければ、その向こうで青い鳥が二羽、楽しげに羽ばたき、空の青に溶け去った。
陽光に、きみ仁のブロンズ色の髪が透き通って光った。
「女の子にビビられた。この顔じゃやばい」
早速会話が噛み合わなくて、蓮李はどっと漬物石に背中に乗られたような心地に襲われた。いきなり疲れる。
ダブルの寝室の中で、男が呻くのに合わせてあまりよくないスプリングがきしむ。「むぬぅん! ウン!」人間を硬い床には放らないのが、きみ仁だ。
「女の子ね。ナンパでもしたんか。そらその顔でナンパはやばいだろう。変態だと思われただろ」
「そういう歳じゃない」
「いやお前はそういう歳だろ、十分。大丈夫変態に見えるよ」
「小さい女の子だった」
蓮李の疲労は爆散した。
「えっお前普段ひとのことあんだけ言っといて誰ナンパしてんの!? しかし詳しく! 聞いてやろうじゃねーの! うわテンション上がるー!
いくつくらいだった?」
蓮李は居住まいを正し、きみ仁の方に身を乗り出す。
「六歳」
「ああ〜、あああ〜それはアレだねぇ〜、可愛いよねぇ〜、ちょっと生意気覚えてきてさ〜、おみくじアイス買ってどうせ当たんないとか言って、当たんないって言うと当たるって信じちゃってる、くらいの歳〜、そらナンパしたくもなるわぁわっかる〜。で、お名前は?」
よだれをすする。
「セリアちゃん」
「お名前か〜わ〜うぃ〜うぃー! でも白篭族っぽくはない! 移民の子かな。どんな子?」
「人種はレンと同じ」
「やったね早速共通点、お前より一歩リードしたなふふん。俺が声かけたら近所の兄ちゃんと思われて多分あんまり警戒されない。少なくともお前よりは! いいね、未来は薔薇色だ、おみくじアイス持ってってあげよう。売ってるかな。その子の住所は?」
きみ仁の手が止まった。「俺ら今何の話してる? ていうかお前今何しようとしてる?」
蓮李は鼻で笑い飛ばした。
「そんな些事。爪楊枝の先のとんがりくらいちっさい事だね! ナンパにおいて大切なのは相手の名前と住所だろ。連絡つかなきゃその後どうしようもないからね! 勿論当然聞けたよな? お前そのくらいの甲斐性はあるよなぁ!」
「や、うん……? 甲斐性は何の話か知らないけど。住所は三枝生命技術研究所」
言ってからきみ仁は青くなった。蓮李の目は輝いた。声が被る。
「俺今ペド相手に取り返しのつかない事言ったか?」
「三枝か〜、あいつの歪んだペド趣味はどこの支所でも変わんな」
蓮李が瞬いた。「……うん三枝?」
二人はまじまじとお互いを見つめ合った。きみ仁は危険物を眺める爆発物処理班員のような、警戒した顔をしていた。
男の呻きが響く。「むうぅうん!」
「きみ仁お前それ、本当に詳細話さなきゃない類の話なんじゃないの? その子は今どうしてるの。ていうかお前、技研に行ったの? ひとりで?」
きみ仁は首を振った。慌てて包帯を解く作業を再開する。
「これ以上真性に幼女の情報流すのは犯罪幇助だ」
「むぬぅん!」男が蠢く。
「誰が何の真性なのかは水に流してやるから詳細を話しなさい」
「断固拒否する!」
「ああああ思春期の青い正義感がうざい!」
「ぬぬぅんん‼︎ ぬっふ!」男がベッドの上で跳ねた。聞かれてはやばい話題なのかも知れない。
「白衣の人は頼むからちょっと大人しくしといてくれよ!」
「捕虜に乱暴はしないように! 言っとくけどその人のがセリアちゃんに詳しいから! セリアちゃんの情報は全部その人から聞い」きみ仁は更に青くなって口をつぐんだ。「しまったこれも間接的情報漏洩だ……」
蓮李は決然と男に跪いた。
「初めまして、蓮李=大飛と申します。セリアちゃんのお父様でいらっしゃいますか?」
「ぬぐー!」
「いやその人父親では……あっ取れた」
最後の数巻ぶん包帯がきみ仁の鎖骨にたわんで、顔が完全にあらわになった。男が息を呑んだ。
きみ仁の両頬は無残に腫れあがり、大判の湿布がほとんどを覆っている。湿布に覆いきれなかった患部が、目元にかけて、ラフレシアのように広がっている。鼻を覆っていた大きな絆創膏を剥がせば、その先端は赤く腫れている。南国のよく晴れた青空を落とし込んだ目だけは、痛みを感じさせないほどに穏やかだった。しかし頰の腫れに圧されてその目の元々の形はわからない。左右の耳に、針山のように飾られたピアスがより痛々しさを演出する。
「蓮李。雨が降る。その人の尋問は任せる」
蓮李はきみ仁から目をそらす。きみ仁は首元の数巻を巻き取る。
「ああ……ちょっとその顔晒さないで……俺の罪晒されてる気分になるから……知らなかったんだよ桃がぶつかったらそんなに顔がかぶれるなんて……変態とか言ってごめんなさい」
「あれは事故だった。蓮李のせいじゃない」
「それでもごめんなさい……。ていうか雨が降るんなら大人しくしてた方がいいんじゃないですか顔にしみるよ? 鼻の頭とか痛いから」
「湿布と絆創膏で顔が覆われてたら、包帯巻いてるのと変わらない。顔が覆われてたら、子供はやっぱり警戒する」
きみ仁は言い残して飛び出して行った。
「だから窓から出入りすんな!」
蓮李は慌てて窓に駆け寄ったが、説教対象は既に五軒は離れた屋根の上にいた。当たり前のように隣の屋根に飛び移る。
(急いでんな……俺の動体視力でもそろそろ見えん)
街の人々には、当然既に見えていないだろう。
蓮李は窓際のチェストに置き去られた包帯を見た。次に使う時のために、きっちり巻かれている。きみ仁は医療道具をぞんざいに扱わない。
(セリアちゃんが気になるならそっちを優先してくれて良かったのに。捕虜の捕縛なんて後で良かったのに……)
「えー……こんにちわ」
託された仕事をする事にする。男は蓮李の目を見て、突如顔色を変えると、呻くのを止めた。
「初めまして、セリアちゃんのお父様、じゃない人。ああ…そのままじゃ喋れないか。すみませんね。うちの若いの、ちょっと乱暴で」
微笑みながら、男に一歩歩み寄る。男は明らかに身じろぎし、何とか後退出来ないかと身を捩らせた。その努力もむなしく、蓮李の手が猿ぐつわにかかる。男はぶわりと冷や汗を吹き出し、静止した。
「ほんとはいい子なんです、彼。説得力が微塵もありませんが」
蓮李は覗き込むように、男と目線の位置を合わせた。
「ま、本当に親切にしたいなら、俺に委ねたらだめなんですよね。あいつぁーそこんとこわかってない。ガキにそんな事気取らせてたら、俺も大人として二流なんでしょうが。
ところで今、何が見えてます?」
ポケットから小さなナイフを取り出し、猿ぐつわに押し当てた。男が小刻みに震え始めたが、蓮李は気にせずゆっくりナイフを動かし始めた。しかし手元は見ない。男の目を見据える。
「場所を移しましょう。自分が寝泊まりする部屋でこういうのは、気分が悪い」
空間が剥がれる。
ストライプの瀟洒な壁紙があったところから赤くぬめった肉壁があらわれ、とくんと脈打った。猿ぐつわが落ちると同時に、ベッドが消えた。男が悲鳴をあげる。床には薄く液体が張っており、底はぶよぶよと軟らかく沈む。刺激臭が鼻を突いた。
「どこだ! どこなんだここは幻か⁉︎ なんの魔法を使った、脳に作用する魔法は違法だぞ!」
「うぇーあんたが法を語るのかよ! 三枝生命技術研究所が何やってるか、こっちが知らないとでも思ってんの⁉︎ あと別に幻でも脳に云々でもないから問題ない⭐︎
ここは蛇の腹の中。早めに出ないと人間は溶けるよ?」
男がひぃっと息を飲み、恐慌状態に陥って喚いた。
「すまなかった、許してくれ! 許してくれ俺は関係ない、あんたの製作には関わってない!」
蓮李はぐ、と眉根を寄せた。
「製作ね。そんな昔話はどうでも結構」
ひとつ深呼吸をする。
「俺は、俺の目的に合わせてくれた相棒に報いなきゃなりません。
色々ゲロってもらいましょうか。まずは桃。あんたらの研究所に届いたはずだ。浄化能力者の皮膚細胞がついた桃が」




