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僕たちの楽園

作者:
掲載日:2008/04/24

 空に浮かぶあの星。

 最後の楽園と呼ばれたクレア・エバ。

 あの星で戦争が起こった。


 大人たちが次々と消えていくこの街で

 俺たちは来年、十六になる。


 コミュニティの中では、大勢の子供たちが走りまわっていた。

 それを眺めながら、僕はなんとも味の薄い煙草をくわえていた。

 上方にはガラスの天井。その上に見えるのは冴え凍る暗い夜空。夜空は永遠に凍てついたまま宇宙をかき回している。僕たちの頭の上、数十メートル以上のところには、毒気に覆われた大気がある。

 永遠に子供たちの空間を覆って、飲み込もうとしている黒い穴。

 薄ぼんやりとそこに小さく浮かんでいる赤い天体、それは人間の最後の楽園と呼ばれた人工天体、クレア・エバだった。白い月と並んで、それはどこか幻想めいたものを感じさせる。

 僕は小さく息を吸い込んで、煙草の味を楽しんだ。

「まったく、間抜けたツラだな」

 真上から嘲笑的な声がかかった。

 ちょうど、この煙草を同室の友人にいくらで売りさばこうか考えている途中だったので、その声がかかった時にはいくぶん驚いた。

「なにって?」

「まぬけ面って言ったんだよ」

 後ろから潜んできたくせに、どこから僕のまぬけ面なんて見てたんだ、こいつはと思いながら僕は眉をしかめた。立ち上がって迎えるほどよそよそしいわけではない。

 彼は僕の隣に座ると、くわえていた煙草を無断で僕の口からぶんどった。そうして、さも当然そうにそれに火をつけた。付けたのは、火星で生産される、単純な仕組みの石のライターだった。

 僕は彼に向かって手を差し出した。

「一万ドニ、頂戴いたします」

 彼は眉をひそめた。

「法外だって、それ」

「クレッフェの口から法外? 無法者からそんな言葉がきけるなんて、思ってもみなかったな」

「俺は無法者じゃない。天下の公安部員様だぞ」

 もちろん彼は天下の公安部員様ではあったが、それは彼が望んでなったものではない。何か大きな大義のためになったわけでももちろんない。全ては与えられた仕事だ。

 かく言う僕も、お子様のお世話というこの聖職をそつなくこなしているのは、単にそれが生活保護と結びついているからというだけの、飯本位の考え方に過ぎなかった。この仕事を放棄したら、配給が受けられなくなってしまう。ここに存在すること自体を否定されてしまう。

 僕の言葉など無視するかたちで、彼はうまそうに煙草を吸った。僕は少しうらやましくなって、ポケットからもう一本出した。

「こいつらの世話は、いつまでなんだ?」

 彼が尋ねた。

 もし、話があるとしても、自室に帰ればいやでも顔を合わせるだろうに、彼は仕事が終わったあとになってここまで迎えに来たらしい。それはいい心がけだとは感じるが、いささかうっとおしくないわけでもない。

 うっとおしついでに、こっちも質問に質問で返すといううっとうしい裏わざを使って、僕は彼に尋ねた。

「なに? 何か用?」

「オッシュとナイが、明々後日、ユーリの基地に行く。だから、送迎会をやろうって」

「いつ?」

「今夜、就寝時間後に」

「今夜っ?」

 僕はかん高い声を上げた。何人かの同じ顔をした子供たちが、こちらをふり返った。

「どこで?」

 僕は声をひそめた。

 同じ仕事をいやいやこなしている同世代の人間も、眉をしかめながら無遠慮に僕を責める眼差しを送ってくる。

「オッシュの部屋。あいつ、配給所から食糧の簡易パック、うまい具合に大量にくすねてきやがったんだ。だから、食い放題だぜ」

「オッシュが盗んできたのか? よくもこの時期にそんなことができたな」

「これでも奴は気をきかせたんだぜ。オッシュとナイは、これからたらふく食える身分になるんだ。俺達もそれにあずかたっていいだろう?」

「それにしたって、今夜はないだろう? 僕は遅番で、こいつらを寝かし付けなくちゃなんないんだから」

「いいさ。来れる時に来いよ。遅番の公安部に見つからないようにな」

 彼はそれだけ言うと、さっさと立ち上がった。僕は眉をひそめた。

 彼は他人の都合というものを微塵にも考えてはいない顔で僕を見下ろすと、それから軽く手を振って去っていく。ありきたりの言葉で表せば、風のような男だ。もちろん肯定的な意味ではない。

 自分だけがひどく損をしている気持ちになって、これから迎える長い夜のことを思う。


 例に洩れず子供はぐずってなかなか眠らず、僕は結局、深夜になってからの宴会参加ということになった。

 もちろん酒は貴重で、みな戦場に送られるため、オッシュが盗んできたのは医療用の薄めたアルコール。すてきな香りが部屋いっぱいに広がってうんざりするような代物で、しかし、当然のことながら不評だ。やけになって、自分で飲んででき上がったとうのオッシュに勧められたが、僕ももちろん遠慮させてもらった。

 夜間は夜間で、公安部員が交代で見張りを行っている。だから、話声も心なしか小さめだ。

 顔見知りの同じコミュニティの同級生が六人。夕方にはもっと居たらしいのだが、それも深夜に近付くにつれて数が減ってしまったのだという。残っている食べ物も、いつも食べているような代用食ばかりとなってしまっていた。しかし、こうまでに大量に食べられる機会はなかなかない。僕は遠慮なくポケットの中に頂戴した。

 会話はほとんど戦争の状態と、これから皆が行くであろうユーリの基地のことに終始している。

「いいよなぁ。オッシュもナイも、これから食い放題だぜ。俺も早く、こんなガキばかりのコミュニティから出ていきたいよ」

 最年少のデュックスが、ククに煙草を分けてもらいながら言った。

「そうぼやくなよ、デュックス」

 低く穏やかな声でナイが言った。

「こっちは戦争をやりに行くんだ」

「そうだぞぉ、食べ物のことばっかり考えていられないんだぞぉ」

 オッッシュはすでにろれつが回らなくなっている。こうなると危険だ。なるべく目線を合わせないほうがいい。

 彼らは来週にはもうここにはいない。十五年も同じコミュニティで生活していた人間が離れていってしまうこと、それは自分たちの職業が決まって配置されたときよりも、もっと大きな穴だった。

 僕たちも来年十六になる。

 そうなればユーリの基地に入る。

 僕たちのいるこのコミュニティは、士官候補者が入るコミュニティだ。ここにいる全員が戦場には入らずに指揮官になる。オッシュもナイもデュックスもククも、そして僕やクレッフェも、いずれは。

 遺伝子で選別された、最高ランクの指揮官適性人間。それが僕たちだ。

 もっとも他のコミュニティの人間には会ったこともないから、彼らがどういう人間であるかなど知りようがない。

 ここから出ないで十五年間、戦争の現場に行きここから解放されることばかりを願って生活をする。そして、上から順番に消えていく。

「戦況は悪くはないそうだ。クレア・エバの人間も疲弊しているらしい。きっと、すぐに片がつく」

「どこからそんな情報を仕入れてきたんだ?」

「秘密」

 ナイは静かに笑ってみせた。

「秘密って、お前な」

 呆れたようにクレッフェが肩をすくめた。

 ナイは飄々としていながら、いつでも人に先んじている。確かに彼のような人間なら士官としては最高だろう。あるいはスパイにでもなれたかも知れない。

 それを聞いて、酔っ払って倒れ込んでいるオッシュが口を開いた。

「こいつはよぉ。宇宙空港に入ってくるチュウシンジョウホーをいっつもうつむいて聞いていやがってよぉ」

 彼はそれだけ言うと、またぱったりと眠り込んでしまった。隣にいたクレッフェがうっとおしそうにそれを避けた。

「何だって? チュウシンジョウホー?」

「通信情報」

 ナイが訂正した。

「衛星テラから宇宙空港へはいってくる電波情報を、受信して聞いてるんだ」

 クレッフェが、いつの間にそんなことができるようになったんだこいつは、という顔をして見せた。ナイなら本当にスパイになれる。

「受信って、どうやって?」

「コイルラジオを改造して。もっとも一番低周波の通信しか聞けないし、その通信も磁場の影響でひどく聞き取りづらい。戦況情報だって、通信衛星をはしごして電波が届くまでに時間がかかるから数分前のものだし、内容も簡単なものだけだよ」

「聞きたい、聞きたい」

 デュックスは煙草をくわえながら、はしゃいで言った。

 ナイは機械工の職をこなしている。だからこそできる技だろう。

 もちろん僕だって聞きたい。毎日、クラシックと子供向けの番組しかやっていないようなけちなラジオ放送など、もうここ数年聞いてはいなかったからだ。ラジオ自体も、僕の部屋の中にあるかどうか疑わしいくらいだ。

 ナイは期待のかかった要望を受けて、奥の自分の部屋から大きなコイルラジオを持ち出してきた。コードがいくつも絡まっていて、僕が昔持っていたものよりも一目ですごい代物だと分かるが、具体的にどこがすごいのか、そっちの方面の知識のない僕にはまったく分からない。

 電源を入れた途端にいきなり大きな機械音がして、僕たちは首をすくめた。しんとなった時間をかなり経て、確認するように耳をそばだてて、誰も来ないことを確認する。沈黙して辺りをうかがってしまったのが気恥ずかしくて、誰とはなしに目を合わせると、照れたようにお互いで笑った。

 ナイは慣れた手つきで小さないくつものつまみをまわしている。パックケースに入ったスナックをかじりながら、僕は馬鹿のようにぼんやりとナイがチューニングするのを見ていた。

「今、通信が入っているかどうか分からないよ。何も通信してはいないかも知れない」

「それでもいいよ」

 はやるようにデュックスは言った。彼はコイルラジオにキスでもするように顔を近付けている。

「いつもはこの辺りなんだ。……誰も磁力が働くものは持ってないよな」

 ナイがそう問うと、皆がいっせいにポケットを探った。なにもないことを確認してうなづき合う。

 戦争についての情報。

 それは僕たちにとってとんでもなく危険で甘い歌のようなものだった。誰も知らない、でも宿命的に関わりあわなくてはならない。例えば、煙草を初めて吸ったときのような心地のいい高揚感。

 しかし、しばらく経っても、一向にラジオからは声が洩れてくることはなかった。

「この周波数は、あまり使われないんだ。低過ぎて、あるいは周波数を規制されている地上アンテナでも受信できてしまうから。情報通信が混み合っていてほかが使えない時くらいだ」

 言い訳めいた口調で、ナイは言った。

 明らかに落胆しているのはデュックスだ。彼は熱しやすいが冷めやすい。

「俺が触ってもいいか?」

 意外にも、頼んだのはクレッフェだった。

「周波数をいじっても?」

「いいよ。普通のラジオも聞けるし」

 ナイは穏やかにクレッフェに席を譲った。

 彼はバニラの棒をくわえながらラジオを受け取ると、そのつまみをいじりだした。

「壊すなよ」

 僕が皮肉って言うと、クレッフェはにやりと笑った。しかし、その手つきは驚くほど滑らかで、何度か試したことのあるような雰囲気だ、クレッフェこそ、どこでそんなことを覚えたんだ、と思う。

「でも戦況を知っても仕方ないな。もう三日で、嫌でも戦況ばかりを知らされることになるんだ」

 ナイが少しだけ寂しそうに言った。

「みんなと別れるのは、残念だな。同じ部署に配属されることを願うよ」

「同じところにいたら、生まれたときから一生一緒ってことじゃねぇか。そんな狭っ苦しい」

 ククが笑った。彼は純正の葉っぱをかじって、少しだけ目がとろんとしている。

 彼がこれらの葉をどこから仕入れているのか教えてはくれないが、ククから発信される煙草に代表される葉っぱのルートはかなり有名だ。ユニオンからの注意がないことのほうがおかしいと思うほど。

 しかし、普段は出さないような穏やかな声を出した。

「きっと、新しく知り合う人間がいるさ」

「そうだな」

「ナイはこれだけのものをつくることができるんだから、俺達の間だけで通じる惑星間通信の暗号通信も開発できるんじゃないか? そうしたら、私通信し放題だぜ。戦場だって何だって関係ない」

 無邪気にそう言って、彼は笑う。

 ナイはふっと笑って、それから真剣な顔になった。

「本当に戦争なんて起こっているのかなと思うときがあるんだ。特に昼間、クレア・エバが白んで見にくくなる時とかね。このユニットはあまりにも平和で後ろめたくなる。現実感がなくなるんだ」

「行ったこともない戦争のほうが、現実だと思うのか?」

「そう感じるだけ、という話だよ」

「人の本質は闘争、そう学校で習ったっけな」

 そうして、ククはひひひっと笑ってみせた。

 こいつはほとんど学校に来てはいなかった。そこを突っ込んで欲しいんだろうが、そうは誰も言わなかった。

「でも、俺達は喧嘩をしたってすぐにこうやってまた一緒になるじゃないか。この状態を俺達よりも大人が保てないなんて、おかしいとは思うけどな」

「闘争ってのはそれだけじゃない。生きていること、呼吸したり、心臓を動かしたり、食べ物を手に入れたり、僕たちは忘れているけれど、それだけで本来人間は必死なんだ。ククがここにいること自体が闘争の結果なのさ」

「俺はまた、馬鹿が多いからかと思ったよ。自分が大人で、尊重されるべきだと考えている馬鹿……」

 ククは話の途中でふり返った。

 僕も、デュックスも、ナイも。

「……ザザッ…………………………う……の型は…………してる…………いししろっ……よせっ……ザザッ…………」

 クレッフェが、くわえていたバニラ棒を得意気にクイッと持ち上げた。

 大きめのコイルラジオから、ささやくように声が洩れている。それも、あまり穏やかではない声が。

 眠ってしまったオッシュが、もう一度寝返りを打った。

 僕たちは声が聞こえたことに驚いて、しばらくの間沈黙していた。あまりにも緊張感に満ちた声を拾ってしまったという戸惑いも、僕にはかなりあった。何だかひどく危険な匂いがして、一瞬眩暈のような感覚がおそった。

「なんだなんだなんだぁっ!」

 遅れること四秒。一番最初に反応したのは、当初から興味を持っていたデュックスだった。彼は、さすが最年少という柔軟さで、この事象に順応していた。はうようにして、じりじりとラジオに近付く。

 クレッフェが少しだけ自慢気にバニラ棒を振りながら、慎重にラジオを五人の中心に置いた。

「何だか穏やかじゃないじゃないな」

 ナイは興味深そうにチューニングのメーターを見た。

「このラジオで受け取れるだけの、ぎりぎりの一番高いところだな。ユニオン中央通信と混線しそうなところだ」

 そんなのも聞けるのかこのラジオは……。平然と言っているナイが恐ろしくなってしまう。僕の通信まですべて傍受されていたりしないだろうが、極めて疑わしい。

「でもこの声……何だか緊急事態が起こったみたいだ」

「これは、いつの通信?」

「発信源が分からないから、なんとも言えないな。ユニオンならほとんど同時、クレア・エバなら、幾つかの衛星を通るから二分から五分前ってところかな」

 僕たちは音量を聞き取れる最低限のところまで下げて、皆で顔を寄せ合って聞いた。

 禁じられたことをやっているという後ろめたさと、初めてのことに対する興奮が、心地いいほどに胸に響いて、皆の顔を高揚させていた。

 クレッフェが唇に指をあてた。

 皆うなづいて、耳を寄せた。

「……ちたっ、落ちま…た……………………………けんだ、強化区域にはい………………ザザザッ……ニオンに連絡……つけ………………況を知らせてく………………………い……ザザッ……………十七地区のこ…………ザザッ………………ザッ……わりの隔壁をすべて封鎖しろっ。悟らせるな。通信統制をし……………………ザザザザザッ………の……が炎上しまし…………………………お…この生存は確認でき……ん…………………解した……ザザザッ……………づいた様子です。子供たちが集まって……した……指示を……ま……………………ザザッ…………………地区を切り離して、全員処分し………………………………ザザッ……」

「……何かヤバそう」

 デュックスが言った。

「通信統制だってよ」

「そんなのいつもやられてるじゃねぇか」

 ククが鼻を鳴らした。彼は、まだ葉っぱの影響から少し抜け切れていないようだ。

 僕はぼんやりと聞き流しながら、他のことを考えていた。気になったのは、子供たちが集まってきたというくだりだ。戦場に子供はいない。何かが炎上した、それはこの近くのことではないか?

 クレッフェも同じことを考えていたらしく、小さく呟いた。

「強化地区……同じ士官候補兵養成の近隣コミュニティだな。十七地区ってのは具体的にどこかは分からないけれど」

「十七じゃないかも知れない。百十七か、千五百十七か。どちらにせよ、何かが落ちたらしい」

 僕も小さく言った。クラッシックばかり流している電波とは正反対の、危急を要する内容。戦場からの通信とは違うけれど、ナイが言ったように、平隠を持て余しているこのコミュニティの中で、僕も少し後ろめたい気がしていたのかも知れない。それだけに、この内容を受け取って高揚している。

 どこか、今までにない現実感を含んでいる気持ち。

「もし、近隣コミュニティからだったら、電波はほとんど同時に受信しているはずだ。多分、今起こっている」

「でも、窓の外にはなにもないぜ。どこも光ってはいない」

「こっちではなくて、逆かも知れな……」

 ごぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉん……

 ナイの言葉をさえぎって、どこかで怪物が呻くような低い音がした。いや、しかし、断っておくが、僕は怪物なんて見たことはないし、ましてそれが呻く声などは聞いたことがない。

 それは思ったほど鋭くも大きくもなく、多分、僕が眠っていたら、寝ぼけた頭でクレッフェがベッドから落ちたと考えるだろう。

 近隣コミュニティだとはいえ、強化地区は一番近くても地平線の向こうだ。ここまでの間には幾つものコミュニティビルが立ち並んでいるし、古い建物も風化しながら景色を阻んでいる。残りは、ドームに覆われた他の街と、音を吸収しそうな砂の荒野だ。

 僕たちはまた肩をすくめて、全員で顔を見合わせた。

 通信が現実であると確信したからだ。

「………………測定でき…………ザザザッ……………………事態を把握……ている子供を…………して集めろ。全員かく……る。迅速に……て………………………………ザザッ…………」

「……なんとかならないのか、この雑音」

 しばらくして、ククが言った。

「聞きづらくてならない」

「ラジオに触るなよ。もう一度、ここにあわせられる自信はないんだからな」* 先走っ てクレッフェが言った。

 ククは、偶然かよと毒づいて、しかし不満げな顔で黙った。

「……ザザザッ…………の……くは完全に封鎖、各ユニットも……べて…………ザッ…………りしました…………の……とこは、コックピット内には……せんでし…………うに捜索し……ろ…………………………ザザッ…………あ……ません。生存しており、逃亡のかの…………もあるザッ……………………」

 全員が顔を見合わせた。

 デュックスが確認を求めるように小さく言った。

「ロケットが墜落したのかな」

 クレッフェはすぐさま首を振った。

「だとしたら、生存者なんているはずがない。地上で統制のとれる航空機の類だ。あの音からして、多分中型位の。どのみちクソみたいな話だ」

「逃亡だって……。あるいは敵じゃないのか? 敵の戦犯じゃ……」

 ナイが言った。

「かも知れない」

 しかし、それっきり皆は黙ってしまって、現実感は宙をさまよったまま所在なくあるだけの存在になった。僕たちは黙った。ことの重大さが分かってきたからだ。

 通信統制を要するほどの、危急な内容の通信を傍受してしまった。きっとこれについての報道は一切なされないだろう。この事態を知っている子供については、多分隔離されて教育される。部屋で寝ているはずの僕たちが、この事態を知っていること自体がおかしなことなのだ

「ヤバいよ……」

 デュックスが小さく言った。

 僕も同じ気持ちだった。多分、ククもナイも、クレッフェも。

 僕たちは顔を寄せ合って、お互いに何かを確認するようにうなづいた。


 当然のことのように太陽は昇って、大地を照らして地面は明るかった。

 僕たちはそれぞれの仕事について、昨日と変わらない一日を過ごした。オッシュだけは二日酔いで気分が悪そうな顔をしているところを、朝、廊下ですれ違って見ていた。

 僕もクレッフェも、部屋を出るまで、昨日のことなどなかったように一言も話さなかった。ただ、朝食がまずいだとかククから煙草をくすねただとかいう話題でひとしきりお互いを笑いあって、それから戸口で別れた。

 同じ顔をして子供の面倒を見ている合間に、つけっ放しのテレビを見ていたが、今日も一日平隠であることを再確認させるような話題しか提供してはいなかった。

『クソみたいな話だ』

 クレッフェの言葉が浮かんでくる。

 まったくだ。クソみたいに平和だな。

 空は馬鹿みたいに青いし、星影は無駄に白いし、大地は嘘のように明るい。

 ガラスの向こうが妙に嘘臭く感じられて、僕はそれを仰ぐのをやめた。

 空の向こうで起こったと思われる事件は、果たして本当に起こったことなのだろうか。

 僕たちは毎日空を見上げる。それしか見るものなどないのだから。

 空に浮かぶあの星。

 最後の楽園と呼ばれたクレア・エバ。

 あの星では戦争が起こっている。

 まだ見たこともない戦争が。


 夕刻、部屋に戻ると、クレッフェはすでに部屋にいた。自称多忙な治安要員である彼にしては珍しいことだ。彼は電気もつけずにダイニングの机に座って、コーヒーを飲んでいた。

 窓の外がだんだんと暗くなる様は、この高層施設からはよく見える。それは僕の好きな時間帯でもあった。明かりをつけなければ、それは圧倒的な存在感で窓のスクリーン上で蠢く。毎夕演じられるものではあっても、飽きることはない。

 しかし、ドームの外の空気は毒の霧。美しさに魅せられてそれに手を伸ばせば、自滅することになる。

 部屋に踏み入った途端に彼の気配を感じて、僕はもう少しで声を上げそうになった。誰もいないとばかり思っていたからだ。

 目を見張って確認する。それから、詰めていた息を解放して言った。

「……んだ、いるならいるって言えよ」

「いる」

「遅い」

 僕は疲れきった顔で彼の向かいに座った。どれほどサボっていても、子供の世話には結局のところ体力がいる。

 クレッフェは珍しく気をきかせて、僕の分のコーヒーをついで持ってきた。本当に珍しいことだ。

 彼自身も疲れたような顔をしていた。

「ニュースでは何も言ってはいなかったな」

 彼が考えていそうなことに見当をつけて、僕は言った。

「あぁ」

 反応なし。

 それならばこれ以上声をかける必要もないので、僕は黙って席を立とうとした。

「……夜間の公安部員で、昨日の音を聞いた人間がいた」

 立ち上がりかけに言うな。中腰の変な格好で僕は止まった。

「なにって?」

「爆発音さ。公安部員でそれを聞いたと公言している人間がいたんだ。誰かがユニオンに問い合わせて、そいつは昼間にユニオンからの召集を受けて、まだ帰ってこない」

 僕はもう一度腰を下ろした。

「そりゃそうさ。通信管制を敷いてあることなんだから」

 さも当然のことを言ってみせた。彼だってきっとそんなことは分かっているだろうが、そこは気づかいというか礼儀というか、そんなものだ。

「それとも、クレッフェ。お前誰かに言ったのか?」

「言ってない。言えるわけがないだろう? 言えばどこで聞いたのか問いただされる。そうすればナイが罰を受けるんだから」

「……そんなに気にかかってるのか?」

 僕は聞いた。クレッフェは何ごとにも執着が薄い人間だと思っていた。僕にしてもそれほど何かを気にかけたり執着することなんてない。

 僕はぎこちない空間に抵抗して、立ち上がってテレビをつけた。クレッフェが気にいっていて、もうずっと替えることなく使っているアナログ回線のテレビだった。ときどき砂が走って、風のような音が入ってくる。それはまるで僕たちを幻惑するように小さくささやいていた。

 テレビは平和で仕方ない、つまらない光景を垂れ流していた。どこにそんなものがあるのか知れない、色鮮やかな木立やさざ波の音といった類だ。綺麗で『クソみたい』な風景が、心地よい音楽と共に流れている。こんな光景は見たことがない。このコミュニティのどこにそんなものがあるのか、僕は知らない。

「まったく平和的で、現実感を失うよ」

 クレッフェが横目で映像を見ながら吐くように言った。

「何?」

 僕は聞いた。彼はいつもよりだんぜん機嫌が悪い。今朝別れる時はそんなふうでもなかったのに、夕刻会えばこのざまだった。

 クレッフェは机の上に頬をつけ、ぶらぶらと足を揺らした。人より長い足が揺れて振り子時計のように時を刻む。彼はまるでそれが大層退屈なことであるかのように小さく言った。

「外の世界のことを考えたことは?」

「は?」

 夕刻、陽も落ちた。かすかなテレビの灯りの中で僕はふり返った。

「コミュニティの外のこととか、クレア・エバのこととか」

「そりゃあ考えるさ。戦争がどうなっているんだろうってね」

「そういうことじゃない。そういうことじゃないんだ」

 見かえすクレッフェの茶色い髪が、夕日の残りの光の粒を浴びてちりちりと揺れた。テレビの光は彼の瞳に現実の小さな光を灯す。

 彼は顔を上げる。まだ現実に見たこともない鳥が、画面の中で泳ぐ。

「……どうしたんだ?」

 テレビが小さくささやく。色を変え、形を変え、静かにしなやかに。

 風のざわめき、波の音、木の葉の間を通って地上に降り注ぐ光の絶え間ない干渉。現実感のない、宗教画のような幻惑的な色と形。この世にはない乾燥した美しさの群像。快いことをまるで始めから意図されているような魅惑的な音。

「消してくれ!」

 彼は叫んだ。

「テレビを消してくれ!」

 心地いいことを拒否するような険しい声で、彼はもう一度叫ぶ。

 僕は驚いて一瞬肩を震わせると、彼の言葉に従ってスイッチを切った。

 静かな時間がおとずれた。夕刻は過ぎ、夜が世界全体を支配しようとしていた。僕の知っている小さな世界全体を。

 しばらくクレッフェは黙ったまま窓の外に目を向けていた。テレビの柔らかな非現実よりもこの厳しさを受け入れるとでも言わんばかりの、それは極めて挑戦的な目だった。彼は息をひそめていた。

「……どうしたんだ、クレッフェ?」

 おずおずと僕は聞いた。

 彼が何をそんなに苛立っているのか、理解できなかった。この世界が僕たちのすべてであることなんて、そんなことは始めから知っていることだろう? 僕たちは十六になると戦争に行く。戦争で指揮をとり、そうして勝つんだ。

 クレッフェはやがて無言で立ち上がると、乱暴に僕の手をひっつかんだ。僕の手を引っぱって廊下に出る。

 廊下は電球がむきだしのまま照りつけて、リノリウムの床は温く柔らかく足を包む。現実が持つ生々しい感触。

「どこに行くんだよ」

 眉を寄せて僕は尋ねる。不機嫌なクレッフェの表情は崩れることがない。彼は答えなかった。

 僕も彼に従って口をつぐんだ。「どこへ行く」という僕の疑問だけが奇妙なかたちにねじれて、宙に浮いたままになっていた。

 まったく、本当に僕たちはどこへ行くんだ。


 地下には幾つかのシステムを管理する部屋がある。食糧を管理したり、仕事を割り振ったり、そんなこまごまとした、しかし組織を運営する上で決定的に必要なものを管理している。そのシステムがどこから来てどのように管理されているのか知らなかった。単に適性や統計からではなく確率的に割りふっているだけなのかも知れないが、どちらにせよ僕たちには関係はない。

 そんなシステム管理部の中にクレッフェは入っていった。

 こんなところに入ってもいいのか、などと聞くのは無粋なことだった。聞いたとしてもクレッフェが答えてくれないだろうということも分かっている。人はもちろんいない。どこかからモーターのような音が聞こえてくるだけで、静寂は痛いほどだった。

「見てみろよ」

 薄青い光の中で立ち止ると、声をひそめてクレッフェが言った。

 どんな機能なのか分からないいろいろな機械が本棚のように威圧的にそびえたっている、ふた続きの広大な部屋の中だった。壁のようになっている冷たい金属の陰から、次の間を覗くように促す。青白い光が、彼の不機嫌な顔をなおいっそう険しくして見せた。

 僕は壁に頬を寄せて、向こうを覗き見た。ダクトが並んだ部屋がそこにはある。薄暗い中に目を凝らすと、規格された機械ばかりのその部屋に異質なものがあることが見てとれた。クシャクシャとした布の大きな塊のようなものだった。

「……何?」

 僕は息ばかりの声で聞いた。

「人間だよ。大人の」

 つき返すようにそう答えて、クレッフェは避けるように顔をそらした。

「二人いる……というか、いた、だな。死んでる」

 僕はもう一度目を凝らした。確かに何か異質な匂いが鼻につく。その生々しい匂いが人間の血と体臭の混ざった匂いであることに気付いて、僕は行き場のない猛烈な吐き気に襲われた。理屈ではなく生理的に拒絶したくなる、そういうものがこの世界に存在していたのだということを始めて感じた。

 クレッフェはもう何度か見たのだろう、受けつけないのは僕と同じだが、僕よりは遥かに平常心を保っていた。

「もしかしたら、昨日の……例の人間じゃないかと思ってる」

「まさか、」

 僕は一笑に付すつもりでそうは言ったけれど、それでも笑うことができなかったのは、どこかでそういう可能性を拭い去ることができなかったからだと思う。

「外気に触れて生きていられるわけがない。それに、あの人間は大人だろ。ユニオンの人間にしろそうでないにしろ、大人はみんなユーリ・エバかクレア・エバにいるはずじゃないか」

「逃げてきたんじゃないのか。下級兵卒で戦場から。戦場に上る輸送定期便を使えば、戻ってこれないことはない」

「でも……死んでる」

「戦場で人間は争う。そんなこと、生まれた時からずっと言われていた。それが僕たちに与えられたことの全て。でもそれがどういうことだか考えもしなかった……。戦争ってのは人を殺すことなのか?」

 戦争は人を殺すこと。

 確かに、僕は知っていたような気がした。でも、そうだ、考えなかった。僕たちは士官候補で、戦場からはるかに離れた場所からただ指示をしていればいい。

 僕たちは戦術や戦略について、他のコミュニティにはない幾つかの知識を持っている。駒の動かし方、配置の仕方、戦争という行動によって得るものについて学んでいる。

「なぁ、」

 クレッフェは険しい顔つきで言った。

「子供が次々に戦場に動員されてるってことは……次々に人が死んでるってことじゃないのか?」

「……まさか……やめてくれよ」

 僕は答えた。

 楽園を取り戻すための戦争。人間は闘争する生き物だ。侵略し侵略されて取り戻す、それを行うために、窮屈な子供時代を超えて決定権を持つ戦場へ行く。このコミュニティでは、誰もが狭くて退屈なここを離れるために戦場へ行くことを願っている。平和であることを心苦しいとすら感じる。

 平隠を厭う。安全で心地いい空間にゆったりと連座しながら、それをつまらない現実だと感じる。

 不意に小さな物音がして、僕は肩を震わせた。衣ずれの音、そして低い呻き声。

 僕とクレッフェは顔をつき合わせた。そうして恐る恐る二人で壁の向こうをのぞき込んだ。恐れの気持ちと同時にあったのは、多分、ラジオで通信を盗み聞いてしまった時と同じ、少しの好奇心と何かが変化する時の期待感。

 僕たち二人は続きの部屋、自分たちよりも大きな物体が床に這い蹲って、もぞもぞと蠢いているのを見た。

「……動いてる」

 唖然としたようにクレッフェが言った。

「まだ、生きてるんじゃないのか……?」

 僕も恐る恐る覗きこむと、やがてぼうっとした闇の中で人の手のようなものがリノリウムを這っているのが見えた。それは脆くて柔らかくて、人の手をこんなにも生き物だと感じたのは始めてだった。

「……、」

 呟き。何か要求しているような弱い口調で、同じ言葉を何度も繰り返している。

 クレッフェは数回荒い呼吸を繰り返して、それからもう一度僕の手をつかんだ。

「行こう。見てみよう」

「やだよ。ほっとけばいいって」

「行こう」

 多分、物怖じしない大胆な性質の彼も怖かったのではないかと思う。有無を言わせない強引な態度で僕の手を引くと、そろそろとそれでも先導して人間に近付いていった。

 布の塊は近付いていく僕たちの足音を聞きつけたようだった。こちらに手を伸ばし、声を大きくする。

「……、……、」

「何?」

 クレッフェがいつにもない穏やかな声で尋ねた。あまりに気味が悪くて、懺悔すれば、僕はクレッフェを置いてでも逃げようと考えていた。できればそんなものに近付きたくはなかったのだけれど、彼は僕の手を引いたまま離さなかった。

 クレッフェは近付いていって、その人間に耳を寄せた。

「何って?」

「……痛い、痛いんだ」

 男はかすれた声で言った。僕は思わず足がすくんで、そこから動けなくなった。

 クレッフェは布の塊に近寄ると、それからそれをゆっくりと剥いでいった。こわごわした手元としかめた眉が、声には出ない彼の感情だった。僕に向けた背中が、奇妙に硬直していた。血の匂いと人の匂いがなおさら強くなる。

 やがて布の下に男のゆがんだ顔が出てきた時は、僕はもう少しで心臓を止めるところだった。僕の息は、もうとうの昔に止まったままだった。

 クレッフェは男の顔に顔自分のを近付けた。

「……痛い」

「どうしたらいい?」

「痛い……医者を」

 クレッフェは険しい顔で僕をふり返った。僕は首を振った。

「医者は呼べないよ」

「あ、」

 僕は小さく声を上げた。横たわっている存在に対する恐怖が心の中にはあったけれど、それでも震える手でポケットの中を探った。クレッフェがもう一度ふり返る。

「これ、……ククがくれた葉っぱは?」

 彼はそれを受け取ると、細かくちぎって男の口に含めた。僕はクレッフェに庇われるように背中にくっついた。彼の肩越しに男の顔が更にゆがむのが見える。

「これを噛んで。少しは気分が良くなるだろうから」

 男はもぞもぞと緩慢に口をゆがめると、すぐに力が抜けたようにため息をついて、そうしてうっすらと目を開けた。瞳は焦点があわないように虚ろではあるが、呻いていたばかりの声色は確かに変わった。苦しげな息がひゅうひゅうという風の音に混じった。

 クレッフェはその耳元に顔を寄せた。

「あんたは誰なんだ? どこからきたんだ?」

「……ジェファン」

 苦しげな息とともに、彼は言った。


 僕が部屋から出ると、待ち受けていたようにデュックスが近付いてきた。多分、本当に待ち受けていたんだろう。

 いやなところを見られたという不快感を、僕は遠慮なくあらわにした。そして、まともに顔を合わせることもなく、彼の前を通り過ぎようとした。逆に、デュックスはおもしろいところを発見したことで、ニヤニヤといやらしく笑んでいる。

「昨日の夜、どこに行ってた?」

 一番聞いてほしくないことをずばりと聞いてくる。

「有線で連絡いれたのに、クレッフェもお前も出なかった」

 夜中に僕の部屋に連絡をいれることができたということは、通信使の彼は遅番だったということだ。これからオフになるのだろう、余裕の笑みをもらしていた。

 僕は不快気に彼を一瞥すると、

「何の用だよ」

「そりゃないだろ。つれないな」

 ふざけた調子でそういうのも、機嫌がいい証拠。薬をやっているのかと目を見たけれど、至極まともそうな視線で見返されただけだった。

 僕は構わず歩き出した。ここで言い合いになるのは、他人のパスで侵入した僕に分が悪い。どんな倉庫にだって、入り口の手前には監視カメラが備えつけてある。この時間は、示し合わせて公安部員であるクレッフェがそれを見張っているはずだが、早めにその視界から出るにこしたことはない。

「何の用かって聞いてるんだよ」

 僕はくり返した。

「一昨日のあれ、ほら、ナイの部屋で聞いた、例の事件の続報」

 そう言ったデュックスの言葉に、僕は自分でも分かるほど動揺していた。自分が今やっているのは、まさにその事件の最重要参考人を手当てするための包帯を、繊維庫から確保することだったからだ。

「なに?」

「士官二名が戦場から脱走、大型輸送船を制圧してクレアを離れた。墜落したのはユニオン強化地区の第五十七地区。士官二名は発見されず、問題の強化コミュニティの子供は全員処分」

「処分ってなんだよ」

 繊維庫からかなり離れたところで、僕はデュックスをふり返った。

 やっと僕がふり返ったので、デュックスは満足そうに笑った。

「さあね。大型輸送船が落ちたんで、ドームが崩落して、コミュニティの全員が外の空気に触れちまったんだろう。それとも、通信統制を敷くようなことだから、知った人間は全員殺されちまったのかもな」

 殺されちまったのかもな、と彼は平気な顔をして言った。自分も通信統制を敷かれた内容を知っているのに、まるで他人事のようだ。冗談を言っているつもりなのだろう。

「……名前は?」

 エレベータに乗り込みながら、僕は尋ねた。

「脱走兵の。発見されていないんだろう?」

「名前は分からない。俺達は知らなかったけれど、昨日の夜、電子爆弾が発動して各コミュニティの有線ネットワークが麻痺していたんだとさ。その間に、小型移動機を使ってどこかのコミュニティに入り込んだんじゃないかって。北の方では、ユニオンからの査察官が入り込んだコミュニティもあったらしい」

「たかが脱走兵に、そこまでするのか?」

「軍事機密を持ち逃げしたとかしないとか」

 僕たちはゆっくりとした速度で昇天する。すでに、僕の気にいっている夕刻の景色は展開を始めている。空の色がだんだんと濃くなり、日に焼けて朱鷺色に染まりかけている。

 僕は黙って、自分が空に上っているのを感じていた。これだけでも十分な高度に思えるのに、これを越えて空に向かって飛ぶというものはどういう心地なのだろうと考えていた。明日、ナイとオッシュはコミュニティを離れ、一生に一度になるかも知れないその心地を感じ取るのだろうか。

「それが噂なんだけど、」

 楽しげにそう言って、デュックスはポケットから煙草を取り出した。ククのところからくすねてきたのだろう、僕が吸っているのと同じ紙を使って巻いてあった。そして、僕が持っているのよりもずっと高級そうなライターで火をつけた。

「気が狂ってるらしい。エアガンを振り回して、コミュニティのドームを破壊して世界を救う、みたいなことを口走ってるんだとさ」

「世界を救う……」

「だから、危険人物としてかなり力を入れて捜索されてるらしい。戦争から逃げてきたのに、よく言うよ。救世主でも気取ってるのかもな。救う必要があるのは、自分の脳みその方だっていうのに」

 彼は侮蔑を込めて、もう一度鼻を鳴らした。

 吐かれた煙は、夕の空に朱い。それは、綺麗な雲のようでもある。

 僕は、昨日の夜に見つけた、ジェファンと名のる男のことを思い出した。

 汚い顔をゆがめてひどい怪我をしている彼は、しかし話す言葉は理知的だった。もちろん葉っぱの影響もあって明瞭さには欠けていたけれど、突然あんな場所で出会った僕たちに対しても、冷静に言葉を発していた。有線ネットワークを電子爆弾で麻痺させて、逃走の足跡を残さないようにしているところなど、とても狂人とは思えなかった。

 おもちゃの銃をかざして戦場から逃げてきた、狂人の名をもつ死にかけの救世主。戦場の人間ではなく、コミュニティで平和に退屈している人間を『救う』つもりなのか。

 僕は自分が持っているこの端切れの山が、重たくなったように感じた。

 クレッフェはどうしてか、ジェファンと名のるあの男にかなりの肩入れをしていた。彼を助けることが自分のやるべき全てのことのように、彼に対しては初めから信頼を露わにしている。その気持ちが、どういう仕組みでどこから出てくるのか、僕には分からない。

 戦場に行くのは決まっていることで、そこから逃げることは誰も考えない。きっとクレッフェだって考えてはいない。

 決まっていること……誰かが決めたこと。誰か、どこか僕たちが思いもよらないところの誰か。名前も知らない、見たこともない誰かがそう決めた。

 クレッフェは本当に、彼に会うために、今夜もまたあそこに行くのだろうか。

 僕の心の中は泡立っていた。

−−『戦争ってのは人を殺すことなのか?』

 戦術と戦略以外のものを見てきた狂人の、死にかけていた姿がまぶたに浮かんだ。

 ジェファンは何を救うんだろう。

 それが僕たちだとしたら、救って、それからどこに導くつもりなんだろう。

 現実の確かさの存在する最後の楽園に背を向けて、天国の福音でも告げ知らせるつもりなのだろうか。

 そんなのまともじゃない、と僕の理性が叫ぶ。

 小心さが足を震えさせる。心臓が警鐘を鳴らす。目の奥が痛んで、自然に眉が寄せられる。腰は引けて、腕は布きれの重みに押しつぶされそうになっている。

 それなのに。

 それなのに、どうして目に見えない僕の『感情』という力だけは、こんなにも高揚して、何かが変わることを期待しているんだろう。


 ジェファンはだんだんと熱を上げ、傷の痛みとは別に熱の苦痛に顔をしかめていた。

 オッシュがあの日大量に医務室からくすねてきた医療用のアルコールで、僕たちは見える範囲の彼の体を拭いて消毒した。彼の腹には大きなえぐった傷があってそこからの臭気は近寄り難いものがあったけれど、クレッフェは想像もつかないような忍耐強さで手当てを続けていて、その姿で彼を見直した。

「チックを……見たよ」

 ジェファンは大きな息の合間に言った。彼の声はいくぶんかれてはいたけれど、それでも昨日に比べればだいぶましに発音するようになっていた。

「何を見たって?」

「チック……ここまで一緒に来た奴さ。……死んでた」

 彼は自分の後ろに転がっている布の一塊を目で示した。鎮痛用の麻薬がまわった虚ろな目が、一瞬だけ正気に戻ったような気がした。

 僕もクレッフェもその塊には恐れを抱いていてまだ近付いたことがなかったので、それがどういう状態になっているのかは知らなかった。外から見ても、あまり真剣に目を合わせたくはない形状をしている。

 クレッフェは傷口を丁寧にぬぐってしまうまでの間、しばらく沈黙していた。

「……あんた、逃げてきたのか?」

「……そうだ」

 予想外に素早い反応を返される。荒い呼吸の間から絶え絶えに、しかし精一杯強がって声をしぼる。

「逃げて来たのさ、楽園でやってる……ゲームから。このまま死ぬのが嫌だったから」

「戦争を放棄して?」

 クレッフェの言葉に少しの侮蔑の響きがこもっていたのは否定できない。

 僕たちは戦争に行く。それは決まっていることだ。十六になれば全員の義務となる。誰かが例外的に免除されることでもないし、だからそれ以外のことをしている大人なんて知らない。誰かがそれ以外の方法でコミュニティからの自由を獲得するのを見たこともないし、例外がなければ嫉妬の気持ちも沸かない。それが僕たちの存在する理由、僕たちはそれ以外の方法を知らない。

 しかし、クレッフェの言葉に返すジェファンの言葉にも侮蔑の響きがこもっていた。口元には冷笑ともつかぬ笑みすら浮かべている。

「戦争……? そう、そうだよ、そう教えられた。お前たちは士官候補のエリートだって。だ、だけど……」

 そこでむせて、ジェファンは苦しげに身体を曲げた。

「クレアでやってるのは戦争なんかじゃない。楽園の住人の残虐心を満たす単なるゲーム。……こっちは一方的に殺られるだけ。二十才まで生きられる子供なんていない」

「何? 何を言ってる?」

 僕は顔を上げて聞いた。ゲーム? 戦争がゲームだって、そんなこと聞いたことがない。一方的に殺られるだけって、ナイはあの日確かに戦局は良いと言ってはいなかったか?

「クレア・エバで……何をやっているかということだよ」

 せき込みながら彼は言った。

「ユーリの基地で、子供はゲームのルールを徹底的にしこまれる。武器を持ったクレアの住人を殺さないで制圧する方法。捕まえたら、ユニオンホールで放すこと。エアガンの使い方。死んだ戦友の処理。戦争ってそういうものかと疑いもしない。……遺伝子をいじることで、極端に運動能力を失っているし、知能も抑えてあるんだ、狩り用の子供は。そうさ、俺達は。教育も制限されている。だから誰も疑うこともない。君たちもここから出ることなんて考えもしなかっただろう?」

「それは、毒の霧がドームの外には蔓延してるから……」

 僕の反論には力がなかったと思う。

 戦争に行くこと以外の目的でここから出る、そんなことができるなんて考えもしなかった。外ばかり見てはいたけれど、確かに誰も教えてはくれなかった。それに気がつくことを知らなかった。

「出たことがあるのか?」

「……」

「たった薄い囲い一枚のことなのに、確かめもしないのか?」

 ジェファンは眉をしかめて苦しげに笑った。

「壊してみろよ、このドームを。そうすれば気付く。自分たちが今まで世界のすべてだと思わされていたものが、本当は不当に小さなものだったってことに。……証拠に、俺はドームの外から来たんだから」

「そのせいで、毒の霧に侵されて熱が出てるんじゃないのか?」

「これは傷のせいさ。チックをかついで、旧式のモータープレインで一晩かかってここまで逃げてきたんだ。風をきって飛んできたけれど、この大地の空気は本当に綺麗で、コミュニティの灯りも天空の朱い星のようだ。かつての都市のビルの群れも、星明かりに荘厳な神殿のひとかけらのように輝いていた。……チックもきっと……見ただろう」

 話し疲れて息がきれ、絶え絶えの呼吸を繰り返すと、それから男は大きくため息をついた。

 ダクトの中を浄化された空気が流れる音が周期的に床に響いて、僕たちよりももっとずっと生きているものの吐く音のように聞こえた。まるで僕たちの方が、生きていることから疎外されたもののようだ。ひっそりと息をひそめてドームの中に蠢いている、意図のないものたち。

「昔、まだこのコミュニティにいた時、俺達の間で神様の話が流行ってた……。神様は、俺達を自分に似せたものとして創ったんだそうだ。似せてはいるけれど自分よりはるかに非力で馬鹿な物体を、人間と名づけて小さな箱庭に放し飼いにした……それだけのつまらない話だった」

 疲労に細くなった息で、彼は強迫観念にさらされているかのように、それでも話しつづけた。

「神様は彼らに自由意思を持たせた。つまり人間が、俺達が自由に考えて行動するように創った。にも関わらず、自分が人間にプログラムした欲望を制御するようにルールを課し、間違いを犯すと怒り狂って人を殺すんだ」

 薬のせいで朦朧として、最後の方は完全に独り言だった。彼は自分で自分を笑うように話していた。

「……神様も多分、ゲームをしていたんだろう。自分の征服欲を満たすゲームを。馬鹿な人間を笑って、相対的に自分が利口だと思いたかったのさ」

 僕もクレッフェも黙っていた。並んで彼の傍らに座り込んで、彼の呟きを聞いていた。

「……あんたは、何がしたかったんだ……?」

 不意にクレッフェが聞いた。

 ジェファンは安堵のため息のような声でささやいた。薬が効いてきたのか、だんだん息は深く長くなっていって、声色は穏やかになっていく。

「船を……」

 目を閉じて眠るように。

「あのモータープレインを……食糧管理庫に隠した……。あれでこのドームを壊すってチックが……。……世界は神様のものじゃない……君たちに伝えたいんだ……」


「もう、何も残ってはいないよ」

 ナイは苦く笑った。

 機械工の技術者というだけあって雑多だったナイとオッシュの部屋は、見事なほどに何もなくなっていた。来月からここはまた違う子供たちが使う。ナイとオッシュは明日、ユーリ・エバの基地に行くのだ。

「いざとなると、何だかためらわれる」

 穏やかなナイの声に、オッシュの方は血の気が多く返した。

「なんだ弱気になってるのかぁ? おまえなら大丈夫だって。バシバシやれる。戦争で勝つなんて簡単なことさ」

 クレッフェは笑えないようだった。ただ小さく相づちを打って、いつもの飄々とした表情を崩しただけだった。僕はといえばクレッフェほどの感情の制御もできない、はたから見れば不機嫌ともとれる顔でつっ立っていた。

 そんな僕に最大限の気づかいを見せて、ナイは残った煙草とあのラジオを餞別として僕にくれた。僕の方は何も返す言葉がなかったので、ただうなづいた。ありがとうとか頑張ってこいとか、とても言えるような感情が湧いてはこなかった。

「夕刻に発つよ」

 ナイが言った。僕とクレッフェはうなづいた。

 威勢のいい声で、オッシュが大きな声を出す。

「なんだよ湿っぽい。また会えるさ。あっちには食い物もたくさんあるし、なにより自由だ。こんなコミュニティよりよほどいいさ」

「そうだな、きっと会える」

 ナイも励まされてうなづく。

 僕もクレッフェも何も言えなかった。

 何が言える? 僕たちだって、まだ何も知らないんだ。世界が本当はどんなかたちをしているかということを。

 結局、僕たち二人ともけげんな顔をされながら、ありきたりの励ましの言葉をぽつりと吐いただけだった。


 飛行機雲は空を突き抜け、それだけは希望の光のように夕刻の光に映えた。雲はカノープスに先導され、人工天体クレア・エバの双子の衛星ユーリに吸い込まれる。

 僕たちは自分たちの部屋の窓からそれを見ていた。僕の隣に座ったクレッフェが、押し黙ったまま煙草の煙をゆくらしていた。

 このコミュニティのどこからでも見えるあの天体は、しかし、ここにいる人間はまだ誰も行ったことがない。僕はそれがどこなのか知らない。

 一体、あのシャトルは空を突き抜けて、どこへ行くんだろう。

 十六になった時、僕たちの何が変わるのだろう。


 夜が来る。いつもと変わらない夜が。

 ベッドルームの窓にも広大な夜のビジョンが映っていた。天上に流れているのは藍よりも濃く華やかな闇色。その中にぽっつりと浮かぶ、薄紫の双子の点。この星を周回している衛星が、ときどきひるがえって落ちてゆく。

 時間はしんしんと過ぎる。

 原初の時間は、この星の周回を基準にして決められた。それなのに今、この星の自転も公転も少しずつ遅れていることが分かっている。誰かが違うものを基準にして、この星の時間を計ったんだ。同じように見えて、時間はくるくると姿を変える。

 世界も姿を変える。僕のいたあの世界はあんなにもはっきりと存在していたのに、今ではその輪郭もつかめない。

 部屋のもう片方に置いてあるベッドで、クレッフェも起きていることを僕は知っていた。彼は組んだ腕に頭をのせたまま、ぴくりともせずに空に見入っていた。

「なぁ、」

 クレッフェは振り向きもしない。

「クレッフェが考えていること、分かるよ」

 人工天体が反射する光がとどいて、壊れたビルの壁が神聖なもののように光を帯びる。忘却と風化が彼らをのみこんではいても、もはや遺物となってしまったそれすら受け入れてしまう寛大な世界のあり方。

「外に行ってみたいと考えている、そうだろ?」

 彼は腕を持ち上げると、ベッドサイドのデスクに置いてあった煙草の箱を取った。いつもと変わらない退屈そうな緩慢な動作で。でも彼の目線だけは空を、衛星の軌道を追っているのが分かった。

 穏やかな赤い火が灯って、彼は煙草に火をつけた。一瞬だけ、この部屋は闇に浮かび上がる。紫灰色の煙が天の川のように流れて、天に向かって手を伸ばす。

 クレッフェは何も言わなかった。美味くもないであろう煙草の味を舌に乗せたままで、雲のない晴れの夜を見つめていた。

「戦争が本当に起こってはいないと考えている?」

 夜の水先案内はクレアの光。戦争が起こっているという楽園の光。色の薄いクレッフェの髪を柔らかに照らす。

「それなら、ナイとオッシュはどこに行ったって言うんだ?」

「楽園」

 彼は枯れ果てた声で、独白のように呟いた。

「……あの男の言うこと、信じてるのか?」

「信じていない?」

 煙が揺らぐ。

 僕の方をふり返ったクレッフェの目は、得意気な笑みをたたえていた。

 彼はもう決めている、そう悟った。そうだ、こいつは発想の飛躍においては常人離れした才能を持っていて、それだけに制御しづらい人間だったんだ。そうして同じ瞳で僕を誘う。決して断わらないことを知っている。

 あの男、ジェファンと名のったあの男、まだ出会ってから二日しか経ってはいないあの男。証拠なんてまったく無い、真偽のほども定かではない、今までの世界を覆すような発言をする預言者。

 汚染された空気が蔓延していて、ドームの外に出れば肌が灼け爛れて数時間で死に至る、それが僕たちが十五年間も教えられてきた真実じゃないか。砂しかない大地と風化した都市の跡が、それを物語っているじゃないか。

 それを疑う奴なんていない。利口に立ちまわっていれば、不自由ではあっても、ここはこの上なく安全で心地いい空間だろう? 皆と違うことをやろうなんて、自己顕示欲が強いだけのただの馬鹿だ。結局、変人と蔑まれて終わりなんだ。そうだろう?

 そうだろ……?

 ……僕は、そう信じている?

 闇の中、静かな呼吸が時を刻む。僕の呼吸が刻みたいのは、単なる時間なのか。

 この星には大人はいない。

 十六になれば、僕たちは戦争に行く。

 あの星、最後の楽園と呼ばれたクレア・エバに。

 部屋のこちらの端でため息をつくと、クレッフェはその様子がさもおもしろいように鼻で笑った。からかっている、挑発している、結局ついてくるのを分かっていて、先に立って待っている。

 白くて柔らかくて暖かなシーツから、僕は頭を起こした。せいいっぱい呆れた顔をしてみせたが、成功はしてはいなかったかも知れない。

 クレッフェは飄々とした笑みを浮かべて見せた。そうして、誘いの言葉と共に、煙草の苦い匂いの煙を静かに吐いた。

「オムツもとれたし、二本足で歩ける。行かない理由なんてないだろう?」


 色を失った空気に映える煙の間から、彼は僕を見ている。

 笑んだ睫毛に星の光がこぼれ落ちる。

 僕は不快気にため息をつく。

 それが単なるポーズだってことに、彼は気付いている。


「あぁ、もう……分かってる。一緒に行くよ」


 夜明けのアリアが始まる前に、僕たちは部屋を出た。

 いたずらを始める時のような罪悪感と、手放すことのできない猜疑心と、今までにないほどの高揚した心。まだ乾燥したままの好奇心が手を伸ばして、僕の背中を押した。

「デュックス達や、寝ているみんなを呼ぼうか」

 声をひそめて僕が聞くと、クレッフェは首を振った。

「信じやしないさ。それにユニオンに見つかったら厄介だ」

 相変わらず、地下階は薄暗い。それだけではない。昼に比べて、夜の間は電力を含むほとんどの活動が極端に減る。そのために、いつもの周期的なダクトの音や出どころ不明な雑音の塊が途絶えていた。耳がキーンとなるような未明の静寂がそこに佇んでいて、足音さえ刺すように響く。あがった息をつくことさえためらわれるほどの沈黙には、普段にはない薄気味悪さを感じる。

 僕たちは足音をひそめ、あの部屋に入った。ジェファンが横たわっている、システム管理部の一室に。

 入った時、決して慣れることのない血の匂いが鼻についた。葉っぱの匂いと人の匂い、それにアルコールの残り香。それでも、クレッフェはためらうことなく部屋に足を踏み入れた。僕ももちろんそれに従った。

「ジェファン、」

 クレッフェは彼を呼んだ。

 彼はそばに置いておいた食べ物にも手をつけず、布にくるまっていた。いつだって一定の温度に保たれているコミュニティだから、寒いことはない。ただ、もっと清潔な布をまとわせることができればと思った。

「ジェファン、起きてくれ」

 僕たちは彼の傍らに静かにしゃがみこんだ。クレッフェが彼の肩を小さく揺すった。塞ぎかけている傷口を動かさないように、彼なりに気を使っていた。

「ジェファン」

 少しだけ力を込めて。

 ジェファンの首が揺さぶられて、うなづくように数回上下した。短い髪が擦れる音が耳にとどく。布がずれて、その胸元から剥がされる。

 彼のまぶたが、それでもぴくりともしないことで、なにごとかの変化がこの空間に起こったことが知れた。

 クレッフェは手を引っ込めた。

 熱に赤らんでいた顔が、そう言えば白いことに気付いた。昨日まで苦しげに唸っていたはずの唇からは、ひとかけらの音も洩れてはこない。呼吸の音、そうだ、この沈黙の空間にそれが消えていたんだ。

 僕は生温い唾をのみこんだ。生きているもののたてる音がした。

−−『闘争ってのはそれだけじゃない。生きていること、呼吸したり、心臓を動かしたり、食べ物を手に入れたり、僕たちは忘れているけれど、それだけで本来人間は必死なんだ。僕たちがここにいること自体が闘争の結果なのさ』

 不意に、ナイが言っていたことが思い出される。

 だとしたら、これは闘争から降りてしまった人間のカタチだ。いや、違う。『降ろされた』……

 彼は一体どこに行ってしまったのだろう。ここにこんな不格好な容物だけを残して。こんな消え方をした彼に、行くところなんてあるんだろうか。

 僕たちは十六になると戦争に行く。

 戦争に行って、その後、僕たちはどこに行くつもりだったのだろう。

 クレッフェが音もなく立ち上がった。

僕は彼を見あげた。

 彼は驚いてもいなかったし、泣いてもいなかった。放心してもいなかったし、眉を寄せてもいなかったし、かけらも心が乱された様子はなかった。ただ穏やかにジェファンから目をそらすと、僕の顔を見下ろした。

「行こう」

 まるで今まで僕が考えていたことを聞いていたかのように、静かに彼は言った。

 彼が考えていることが分かっていたので、僕はうなづいた。

 立ち上がって宣言をした彼の声を聞いているのは僕だけだったけれど、それは世界に対する高らかな宣戦布告だったと思う。まるで、この部屋に等間隔に並んでいる金属の壁が、彼の言葉をひざまずいて聞いているようだった。

 自分たちの戦場を、自分たちで選ぶ。

 横になっているジェファンに敬意を示して、僕は彼と彼の友人の身体に、丁寧に布をかけ直した。それから立ち上がって、クレッフェと並ぶ。乾いた唇を結んで、薄闇の中で互いの目を確認する。

 そして、僕たちは駆け出した。


 食糧管理庫の建物はコミュニティのビルに隣接していて、広大な敷地を有していた。管理庫には幾つかの入口があったが、そのすべてがこの時間には封鎖されている。辺りはしんと静まりかえっていて、黎明を息をひそめて待っていた。空気は生温く、ぴくりともしない。

 クレッフェは、オッシュから聞いたという配給所経由の侵入路をとって、やすやすと管理庫の建物に侵入してみせた。

「すごい」

 窓をくぐりながら僕が呟くと、彼は得意気に口の端を持ちあげた。

「……すごい……!」

 地面に足をつけてから、僕はもう一度言った。

 広大な建物の中には、簡易パックされた食べ物が、箱に詰められた状態で山のように積まれていた。夜明けを感じ取った空気が明らんで、薄明るくそれを浮かび上がらせる。僕の背丈の何倍もの山が、いくつも天井に向けて手を伸ばしている。

 その中に、オレンジに羽を塗ったモータープレインが乗り上げていた。箱の山に比べればそれは小さなものだったけれど、それでも僕が想像していたものよりは遥かに大きなものだった。鼻先を箱の山に擦りつけるような格好をして眠っていた。

 僕たちはそれに駆け寄った。足音が四方から響いて、耳をくすぐる。

「すごい……大きい……」

 僕が馬鹿みたいにそればかり繰り返した。優美な形状に曲がった骨組みに、鮮やかな橙に染めあげた厚編みの帆布が張ってある。乗降部分に血の跡のようなものが付いていたけれど、僕はそれを見ないことにした。

 クレッフェは中に乗りこんで、操縦桿を確認した。

「小型機ならシュミレーションで動かしたことがあるけれど、こいつは……できるかな」

「プロペラも曲がってる。機銃はついているみたいだけど、他は何にもない。これでどうしようって?」

「どうにかする」

 彼は降りてきてそう言った。

 僕たちは、山に乗り上げているそれを力任せに下ろし、空いている場所を選んで車輪を固定した。クレッフェがしばらく内部を検分して、それが簡単なモーター動力であることをつきとめた。

「できる。動かせる」

 僕はプロペラの歪みを直そうと奮闘したけれど、結局それは、プロペラの体裁を保つ程度にしかならなかった。

「どいてろ。プロペラを動かすぞ」

 しばらくすると、それはゆっくりと回り出した。風が起こる。ドームに覆われた僕たちが一度も感じたことのないほどの、大きな空気の動きが。

 それでも、それを心地いいと感じたのは最初の数秒で、しばらくするとものすごい音をたて始めた。管理庫中に爆音が響き渡り、空間がそれを増幅して耳が押しつぶされるほどだ。食糧管理庫の箱の山が、風圧で僕たちに道を開ける。倉庫の一番大きな扉が激しく揺すられて、窓という窓がヒステリックに非難の声をたてる。

 その頃には、管理庫の警報装置が外に響きわたっていた。しかし、警報装置がなくったって、皆が食糧管理庫でなにかが起こっていることを知っただろう。僕たちの耳は風圧が放つ声に支配されていて、警報の音は遠い遠い場所の音楽のように聞こえた。

 モータープレインの車輪を止めていた箱の山も、じりじりと動きだす。

「このままじゃ飛んでいく! 早く乗れ!」

 クレッフェが叫ぶ。

 僕は機体にしがみついて、必死でそれに足をかけた。

「本当に飛ぶのか?」

「飛ぶさ!」

 クレッフェは後ろの席に乗り込んで、確信的に言う。

 警報の音が一段と大きくなって、僕たちを追っていた。高揚感が罪悪感を包んで、僕はこれが空を飛ぶことを願う。

 多分、公安部員だろう。誰かがやってきて、外から食糧管理庫の鍵を外した。

 いくつもの大きな箱に抱きつかれたコンテナが落ちて、開きかけた扉にぶつかった。扉は風圧に負けて、緩慢な動作で外に倒れた。

 船は出口に向かって動き出した。床のおうとつにいちいち反応して、その度に振り落とされそうなほどに身体が上下した。速度はあがっていき、風のように倉庫を滑っていく。

 ぽっかりと口を開けた扉の向こうで、風から身を庇いながら唖然としている公安部員たちがいた。彼らの髪を、制服を、余すところなく風が洗っていた。

 扉の残骸を避けて外に出ると、コミュニティーの建物の窓という窓から、同じ顔をした子供たちがこちらを見下ろしていた。建物の間の狭い空間を走り抜けると、彼らの顔ひとつひとつに風がかかる。風を受けて、ひとりひとりが表情を変える。

 一番底から上を見あげれば、建物が両側に大きくそびえ立っていて、空は天上に紙のように薄っぺらく佇んでいた。千々に付いている建物の灯りの方が、よほど星のように見えた。

 風が目にしみて、涙が出てくる。周りの景色など、遠ざかるのが早くて、もう見ることができなくなっていた。

「飛べぇっ!」

 クレッフェが叫んだ。

 僕は、汗を握った手に力を込めた。


 お腹に力が入らなくなるような、そんな心地がして、僕が心の準備をするよりも早くそれは起こった。背中におしつけられていたような感覚が抜け、揺れがおさまる。空中回廊が頭をぶつけそうなほど近くなる。

 風の音の中にいても分かるほど、どっと歓声が起こった。干からびた空が突然拡張を始める。

 クレッフェが言葉になってはいない歓声を上げた。ふり返れば、両手を宙に放って振り回している。僕も何だか無性に叫び声を上げたくなった。恐怖と興奮がない混ぜになって、狂ったような息が喉の奥から吐き出される。

 大地が離れていく。

 夜明けを急ぐ空が近付いて、いくつもの窓の灯りをくぐり抜けて、僕たちは地面から遠ざかってゆく。歓声が両側から僕たちを押し上げる。


 不意に音が途切れて、あとは視界いっぱいの夜明けの空。東にはもう赤みがさしていて、光を放っていた人工天体は白んでいる。これはドームの中なんだということを忘れさせるほどの、圧倒的な空気の広がり。

 ガラスのような薄いドームが、眼前に幕を張っている。この外に、本当に汚染された空気はないのだろうか。毒の霧の塊だと言われた紫灰色の雲が、横から起こる空の変化に色を変えている。外には、強く風が起こっているようだった。雲が細くたなびく。

 クレッフェが機体をゆっくりと傾けて、モータープレインはたどたどしく曲がった。エンジンのガタガタいう音が耳にとどき、風が頬をちぎる。巻き起こった歓声は、遥か下に沈んだまま手を伸ばせないでいる。

「機銃! ドームを破る!」

 機体はドーム上空に向かって昇っていた。クレッフェはまったくためらう様子もない。

 今になって、僕は少しばかりのおののきを感じていた。ジェファンが本当は単なる道化で、あるいはコミュニティ崩壊を企む敵側の人間で、このドームを壊してこの中の子供を全滅させようとしているのではないか。建物の窓から顔を出しているすべての顔が焼け爛れて息絶えていく姿が、この後に待っているのではないかという恐怖があった。

「どうした? 今さら怖がっているわけでもないだろう?」

 クレッフェが挑戦的に言った。

 この反応を引き出そうとしてわざと言っていることを知りながら、僕は結局、むきになって答えてしまう。

「そんなわけないさ!」

 高揚感は麻薬のようで、正直、もうどうなってもいいという投げやりな気持ちがあったことは否めない。どうなったっていい、ここまでやってしまったからには地上には戻れないんだから。

 僕を包んでいる機体に染みついた、小さな血の跡を見た。

「できるだけ大きな穴を開けろよ。弾切れまでばらまいてやれ!」

「分かってる!」

 機体を持ち上げる。空に向かって走ってゆく。壁が近付いてくる。僕たちが今まで出たことのない、いつから張っているのか分からない、分厚い壁が。

「来た……来た、来た来た」

クレッフェが狂ったように呟いていた。小さな飛行機がコミュニティの建物から飛び出して、あの壁に向かっていた。視界いっぱいを覆いつくすように身体を上げて、僕たちを威嚇していた。

 僕の呼吸が暴走を始める。喉が意味のない言葉を発する。叫んでいた、意味は分からないけれど。

 僕の指が、革命を期待して動いた。


 下から斜めに弾筋が上っていったのが見えた。

 ひびが入ると思っていたドームは、意外にも柔らかくその弾を受け取った。そうして、追いついていく僕たちの目の前で、外側に向かって緩慢に弾けた。

 そのドームは、ビニルのような柔らかなものだった。気圧の差で膨らましていたのだろう、内部の膨張した空気が弾け出して、亀裂からものすごい量の空気が外に向かって押し出される。まるで熟した無花果の実が割れるように、その亀裂は広がってゆく。

 僕たちは機体ごと押し出された。ドームから噴出された空気と一緒に、僕たちは外に飛び出した。

 オレンジの翼がしなって、それは僕たちが見たことのない本当の鳥のように見えた。コントロールを失って落ちていく時、それは操縦していないのに、自ら羽ばたくように翼を震わせていた。大きく空中に放り出されて、一瞬の暁の世界、それから地面に向かって落ちる。視界のすべてが空になる。

 クレッフェが立て直しをはかって、しっかりと操縦桿を握っていた。冷静な彼の行動には悪いけれど、僕はそんな状態ではなかった。混乱していた。腹の底がくすぐったいようなすっとした心地になって、落ちると感じた。死ぬと感じた。

 ドームの裂け目が開いていく。夜明けを迎える空に、まるで大きな花のつぼみが開くようだった。

 モーターエンジンが不規則にガガガガッと不気味な音をたてて、それから安堵の息を吹き返す。下からの力がかかって、そこでやっと自分がまだ飛んでいることに気付いた。

 風が遠くからなにか叫んでいる。四方八方の大地の涯から、誰かがなにかを叫んでいる。大地が声を上げるのを、僕は初めて聞いた。

 風が機体を扇ぐ度に、滑らかに回転しながらそれは上昇していく。くるくるくると踊るように回って、深く青い空に浮かんでいく。

「うぉぉぉっ! 生きてるぞぉぉぉぉっ!」

 クレッフェが叫んだ。

 気付いて、僕は恐る恐る深呼吸をした。

「……生きてる……生きてる……生きてる、生きてる生きてるまだ生きてる!」

 耳がぼうっとなる。何度も深呼吸して、頭がくらくらする。風が、僕のついた息を端からすべてどこかに翔ばしてゆく。ドームの中よりはるかに冷たい空気が、息の色を白く変える。

 汚染されてなんていなかった。ドームの外には風と砂と、僕たちが見たこともない広い世界が横たわっているだけだった。ジェファンの、外の世界から来たあの預言者の言っていた通り。

 僕は大声で笑い出す。


 空には道標がある、とぼんやりとした歓喜の中で僕は思った。

 人間は小さな場所に足を止めて、天を嫉妬の目で眺めている。

 これほど宇宙が広くても、それでもクレア・エバは『最後』の楽園と呼ばれる。そして、人はそこにあると信じて、幸せを開拓する。

 もし神様がいるのならば、多分、彼の最後の良心が星を造り、本当はもっと大きな世界があることを知らせているのだろう。

 善悪の知識を規制はしたけれど、それでも誰かが気付くことがあるかも知れない。神が死んでしまった辺境の地で、誰かが自由意思を発動させるかも知れない。

 それは道標。

 神様と呼ばれる誰かが残した。

 いつか出る、自分に似た形の聖人を導くために。


 ジェファン。

 空は青い。

 初めて見たよ。


「見ろよ! 下っ、コミュニティの建物!」

 クレッフェが突然、正気に戻ったように大きな声を出した。

 弾けたドームをかぶった建物の群れが崩れて、中にいた子供たちが次々と外に出てきた。明るんだ空に、コミュニティの窓からこぼれる灯りが最後の瞬きをこぼす。

 上から見ると、子供たちはそれほど混乱しているようには見えなかった。唖然としてすくんでいる人間もいたけれど、大部分は歓声を上げ、走りまわり、この現実に嬉々としている。ドームから砂の大地へ足を踏み出している子供もいる。

「同じ顔の人間が、まるでバラバラの方向に進んでいる……」

 僕が言った。

 クレッフェが操縦席から立ち上がって、笑った。

「いいじゃないか。違う方向に進めば、誰か天国を見つける奴が出るかも知れない。そういうもんさ」

 僕も笑んだ。

「そうかも知れない」

 そうして彼は、臆することもなく天空に漂う機体のへりに座って、ポケットから出した煙草に火をつけた。風が強くて、彼の安物のライターでは火が付けにくそうだったが、それでもなんとか煙を吐く。吐いたそばから、紫の煙は後方に流れて姿を消す。そんなに急いで消える必要もないのに、彼らは何を恐れているのだろう。

 クレッフェはうまそうにたばこの煙と一緒に外の空気を吸った。天空に身を乗り出して、顔にかかった髪を払った。

「本当に汚染された空気じゃなかった……。はは、今だから言うけど、外に出るのは少し怖かったんだ」

「僕もジェファンの言ったこと、疑ってた」

「こんな壊れた飛行機で、ほんとに飛べるとは思ってなかった」

「僕だって」

 そう言って二人で顔を合わせる。

 興奮から感覚を戻して、彼は饒舌になっていた。

 真下にあるものとは別に、砂漠の中に幾つかの他のコミュニティの建物を見つけることができた。風化した街の建物が、外に出た僕たちを歓迎するように手を振っている。

 風の音を聞いた。大地の端からこぼれてしまいそうなほどの広大な砂の容物を見た。コンピュータの小さな端子のひとつように地面にこびりついている建物を見下ろした。

「ジェファンはこれを見たんだ」

 改めて呟く。

「戦争も……本当は起こってはいないのかも知れない。僕たちは、楽園の住人のための単なる遊び道具なのかも知れない」

「いいさ」

 クレッフェはいつもの飄々とした表情でふり返った。僕に向かって得意気に言う。

「きっと、そいつらだって神様の遊び道具に過ぎないんだ。俺達はそれに気付いている、あいつらは気付いていない。自分の無知に気付かないのは最高のマヌケ、そうだろ?」

 僕はうなづいて、今度は白んだ双子の衛星を見あげた。空に向かって、今度は自分の手を伸ばす。

「クレッフェ、あの星に行って、ナイとオッシュを連れてこよう。それだけじゃない。コミュニティで育った全員を」

「あぁ」

 クレッフェも大きくうなづいた。



 それは唐突にやってきた。空が、大地が、いっきに膨らんだように見えた。

 世界が目覚める。

 砂の大地が、魔法にかかったようにいっせいにささやき始める。崩れた街がまたいつもの光を受ける。捨てられた卒塔婆のようだったそれが、洗礼を受けて蘇る。

 僕たちを乗せた船は、力を受けて鮮やかな橙に変わり、穏やかに鼻先をそれに向ける。

 振り仰いだ僕の目にも、輝きが灯る。


「夜明けだ……」

 クレッフェが目を細めて呟いた。

初心者です。

小説の基本(句読点の打ち方、改行のルール、文章の癖、投稿のタブー、など)がまったく分かりません。

そういったことについてもご意見いただければと思います。

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