『食人鬼の中身①』
僕は独りじゃない。
いつもいつも僕は一人の女性と一緒に生きている。
『狂人』となった僕はどう生きるのか、僕自身解らない。
人を食べた。
右腕を食べた。筋肉質で歯応えは十二分だった。食べ終えた頃には彼女の息はなかった。
—―――ああ、寂しいなぁ……。
君の表情に僕は何度癒されたか解らないというのに、最後に僕に見せる表情はなんでそんなに嬉しそうなんだい? 僕はこんなに寂しいのに。
君はまるで天寿を全うしたみたいに朗らかな表情を僕に向けていた。綺麗な死に顔。だからこそ僕の悲しみは大きく波紋を生んだ。
頼むよ。僕にまた笑顔を見せておくれよ。君の生きた笑顔を。
涙を流しても君は応えてくれない。いつものように頭を撫でて慰めてくれない。大丈夫だよ、と耳元で囁いてくれない。そんなに穏やかな表情で僕を視ないでおくれ。
僕は血塗れの掌で彼女の頬に触れた。ぺとりと微かな音。
赤黒い絵の具が白いキャンパスを穢す。確かな粘質をもって血は頬に伸びた。
まるで僕自身だ。彼女に纏わりつき、しっかりとした執着で彼女の身体に、心に自分の存在を示そうとする。
僕は彼女のように美しくない。
彼女のように、彼女のように、彼女のように……。
僕の感情はどんどんと泥沼を歩いていく。その歩行は止まることを必死に無視する。自分の行動がどれだけ愚かか、醜いか知った上で彼は自分の中の彼女だけを見続けていた。
そのためには、彼女を食べ切ることが必要不可欠だ。
現実の彼女を食べて、彼女自体の存在を消す。そして僕の中に宿る彼女は、食べることで更にその影を深く僕の中に落としていく。僕の中の彼女はじわじわと僕の中で実体を手に入れる。
やがて生まれたのはもう一人の彼女。
死んだはずの『阿久神明』その人だ。
彼女はいつものような笑顔で僕を見つめていた。困ったように、どこか寂しさを滲ませた笑顔で彼女は僕をじっと見つめていた。その眼差しはどこか、昔いた母親のそれと似ていた。
静かに僕は涙を流していた。
嗚咽が漏れ、涙が点々とコンクリートの地面を濡らし、僕の中の彼女を強く抱いた。
僕は夢中になって彼女の肉片を食べていた。気付いた時には彼女の大体は血で汚れた骨と肉の付いた頭部だけが残っていた。
彼女の頭部は残すことにした。僕は彼女の面影を忘れることはないけれど、彼女のこの表情だけは最後の最後でしか見ることができないものだ。なら、この表情を残す頭部は残すべきだ。
僕は頭部だけ残った不自然な彼女を胸に抱いた。
彼女の姿は未来永劫忘れることはない。忘れるはずがない。忘れたくても忘れられない。
だって彼女は僕の中に永遠に生きるのだから。
僕が彼女を生かし続ける。
僕が。彼女の全てで。
彼女の全てが。僕の全て。
僕なくして、彼女がいられないように。
彼女なくして、僕はいられない。
自然と僕は笑っていた。
ああ、こんなのB級スプラッタ映画じゃないか。胸に死体を抱いて、天に向かって笑うなんて。
――——僕はこの時をもって『狂人』になった。
人間に与えられた新しい可能性の原石。
この時を待っていた。
胸が熱い。死体は冷たいのに、僕はこんなに熱い。
心臓は不定期にざわつく、呼吸も荒く乱れている。眼は全開に見開かれていて零れ落ちてしまいそうなほどだ。僕は震える両手で彼女を更に強く抱きしめた。
舌なめずりをして、乾いた唇を潤す。興奮が隠し切れない。こんなに恥部を晒し続けることに僕は興奮している。露出狂の気もあるのかもしれない。
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと。
彼女のような女性のお肉を食べたい。貪りたい。しゃぶり尽したい。蹂躙を繰り返したい。
死体は地面に転がっていた。気付けば僕は両腕を広げて高笑いをしていた。
僕はこれから始めるぞ。人を食い散らかす。
自分の感情の赴くままに。
喰って、喰って、喰いまくる。
その時、僕は自分の高揚感だけで酔っていた。
だから気付かなかった。彼女が静かに僕の中で泣いていることに。
つづく