水兵さんは泳げない! 01
教育訓練中の新兵は朝が早い。
〇六〇〇時、娑婆風にいうならば午前六時に起床をすると外にある訓練場に集合し、一日が始まるのである。
最初の一週間は腕立て腹筋に背筋、走りこみの基礎体力づくりばかりを繰り返した。
二週目には手旗信号の練習がこれに加わり、三週目には水泳訓練が追加された。
海軍の水兵さんになったからといって新兵の全員が泳げるわけでもなく、中にはまったくのカナヅチという女子もいる。
こうした場合、班毎に分かれた新兵たちは泳げない同期の仲間のせいで連帯責任を負わされてしまうから、班同士で必死に泳げない子をサポートしなければならない。
四週目を終えて五週目がやってくる頃には、どうにかこうにかカナヅチだった新兵の子も水面に浮いてバタ足をするぐらいの事は出来る様になる。
そして事件は起きた。
翌朝に備品点検を控えた夜のことだった。
「ふえええぇ」
クラウディアは明日に備えて自分の官給品を整理していたところだったけれど、どれだけ探しても水泳訓練で使う水着がひとつ見つからないのだ。
「うそぉ、おかしいな、ちゃんとロッカーに仕舞ってあったはずなのに」
自分のロッカーの前で呆然とたたずんでしまうクラウディア。普段から少し抜けている部分があると教育を担当している助教たちには指摘されていたけれど、それでも自分の身の回りの整理整頓ぐらいは欠かさずしていた彼女である。
水泳訓練で着用する官品水着は二着ある。
一着は自分の二段ベッドのところにかけて干してあるから間違いない。
問題は替えのもう一着が見当たらない。
昨日使用してから確かに洗濯して、今朝にはたたんでロッカーに仕舞っていたはずだ。
それなのにない。
「どどどどうしよう」
「なにドモってるのクラウっち」
二段ベッドの自分の居場所である下段であぐらをかいていたカルラが、シケモクを吹かしながら声をかけてきた。
「どどどどうしよう、カルラ。水着がひとつなくなっちゃったの!」
悲壮感一杯の顔でクラウディアが言った。
「あんたのベッドにかかってるじゃん、スク水」
義務教育中の学校指定水着とそっくりな官品水着の事を、新米水兵たちはスク水と呼んでいた。
「もうひとつの替えの水着がないの~~っ」
「あなた、キルケ兵曹に殺されるわよ」
泣きべそをかいたクラウディアにとどめをさす様に、カルラの上が居場所のヴィルヘルミナが横槍を入れてきた。これでもかと言わんばかりに脅してくる。
「……わたしまだ死にたくないよ」
「諦めなさい。明日の備品点検は分隊士立会いだから、キルケ兵曹の顔をつぶしたら間違いなく死刑だわ」
分隊士というのは、教育隊の分隊を与っている海軍少尉殿の事だ。クラウディアたちの分隊は同期二〇数名の女子隊員。
普段の教育訓練はキルケたち助教の兵曹に任されているけれど、週に何度かは分隊士が立会いで備品点検を行ったり、遠泳訓練の時は分隊士が監督任務につく。
分隊士の前で自分の指揮下にある新米水兵がヘマをすれば、当然教育を任されているキルケ兵曹は赤っ恥をかいてしまうから、兵曹は間違いなく後で激昂するだろう。
「あたし、連帯責任負わされるの、やなんだけどー」
シケモクを灰皿代わりのバケツに放り込んだカルラは、しれっと連れない事を口にした。
「カルラが逃亡しようとした時、助けてあげたじゃない!?」
「けど、あれは失敗したしねー。あたしもしばらくおとなしくしておこうって決めたのさ」
要領のいいカルラは、たいへん厳しい教育訓練中もうまい具合に誰にもバレずサボりをする天才だ。座学の成績はいまひとつだったが、体力練成の訓練は及第点より上を常にキープしているのだった。
「カルラの裏切り者ー! どうしようヴィル……」
「まあ、困った事があったら何でも相談しなさいとフランソワ兵曹が言っていたわよね。兵曹殿に相談するのがいいんじゃないかしら。もしかしたら予備のスク水、持ってるかもしれないし?」
「あたしも、キルケ兵曹殿に報告するよりはマシかなって思うよ」
「う、うん」
ふたりの提案に力なくクラウディアが答えた。
★
「員数を付けてくるといいわよ~」
当直兵曹室のソファに座っていたフランソワ兵曹は、おごそかにそう告げた。
「どういう、事でしょうか?」
ソファの向かいに座ったクラウディアは、不安げに身を乗り出して質問する。
「数が足りないなら、どこかから持ってくれば解決するじゃない~?」
「た、確かにそうですけど、どこから持って来ればいいのでしょうか……」
「あなたたち新米水兵は二〇数人いるわよねぇ?」
「はい、二三名います……」
「部屋は八人ひと部屋よねぇ?」
「はい、全部で三部屋ありますね……」
搾り出す様にクラウディアがそう答えると「もうわかるわよねぇ?」という風にフランソワは微笑を浮かべて新兵の顔をのぞきこんだ。
「みんな同時期に海兵団に入営したんだから、みんな水着は持っているわよねぇ?」
「も、持っていますが、まさか?」
「そこから員数を付けてくるのよ~」
員数をつけるというのは、軍隊における隠語だ。
足りない物は他所から持って来るというのが軍隊の原則で、支給された官品を無くしてしまった場合、欠品を他の分隊や小隊から盗んで数あわせをするという意味である。
入営して四週間たった今では、クラウディアも当たり前の様に軍隊隠語を理解していた。
物干場は洗濯物を干しておく指定場所、煙缶は灰皿代わりのブリキバケツ、「ベルる」は妊娠する事。
けれども、まさか一見するとおおらかでいつも微笑をたたえてやまないフランソワの口から員数をつけてこいと命じられるとは、クラウディアも思わなかったのである。だから驚愕した。
軍隊では階級の数より飯の数が絶対だから、例え「フランソワ兵曹に員数つけてこいと言われました!」と分隊士に泣きついたとしても、新米将校にすぎない分隊士より軍隊暦がはるかに長いフランソワの命令が優先される。
フランソワに相談した段階で、クラウディアは員数をつけるより他に選択肢は残されていなかったのだ。
「一晩あるから、今夜のうちに何とかしなさいね~。じゃないとキルケちゃんに殺されるわよ~」
今はキルケ兵曹よりも平然と員数をつけろと命じたフランソワの方がよほど恐ろしいクラウディアだった。
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