海兵団へようこそ! 03
「あたしは脱走するよ」
夜になって二段ベッドに縮こまって少女たちは過ごしていたが、むくりと起き上がったカルラが突然そう宣言した。
「カルラ、あなた本気だったの?」
二段ベッドの上から顔をのぞかせてヴィルヘルミナが呆れた顔をする。
「こんな所にいてたまるかってんだ。逃げるなら今晩しかないじゃん? 明日になって入隊式を迎えてから脱走したら軍法会議だよ。そもそもあたしは借金取りから逃げるために一晩だけお世話になるつもりだったんだ。本気で水兵さんになるつもりなんてハナからなかったのさ……」
わしわしと短い髪をかきながらカルラが言った。
「あなた、これまでいったいどんな生活をしていたのよ……」
鼻をならしてヴィルヘルミナが呆れ返っていると、カルラがひそひそ声で口を開く。
「逃げるとして、どうやってこっから脱走しようか。クラウディア、何かいい案ある?」
出来れば寝たふりをしてやりすごそうと思っていたクラウディアだけれど、意地の悪い事にカルラが共犯者にしたてあげようとしてくる。
「え、わたしですか? ええっと。寝静まってからこっそり脱走するとか?」
「無理ね。基地に入るとき、営門の前に警衛の水兵が立っているのを見たでしょ? それに不寝番の見回りだってあるんじゃないかしら」
クラウディアの思いつきをヴィルヘルミナがあっさり否定した。
「じゃ、じゃあ仮病を使うのはどうかな……」
「基地の中に診療所があるわ。気分が悪いって言ったらそこに連れて行かれるでしょうし?」
「それなら、家に忘れ物をしたって言うのはどうかなッ」
必死でクラウディアが思案した事を口にすると、バツの悪そうな顔をしてカルラが返事する。
「あたし、男の家にころがりこんでたんだよね。家賃払う金がなかったもんでさ。私物はぜんぶ質屋に入れたから、忘れ物なんてないんだわ」
「まったく、あれもダメこれもダメ。自分が脱走するっていうのに、少しは自分で考える事は出来ないのかしら」
「しょうがねーだろ! あたしは高卒で学もないしいい方法が思いつかないんだよ」
「高卒なのはここにいる全員同じじゃないの。わたしたちを巻き込まないで欲しいわね」
ヴィルヘルミナは身も蓋もない口ぶりだ。
「なんだよぉ、つれないなあ。あたしら同期じゃん。助けてよヴイルヘルミナぁ」
悲鳴を上げるカルラにヴィルヘルミナはピシャリと言ってのけた。
「勘違いしないでちょうだい。わたしはあなたたちと違ってただの水兵じゃないの、二等水兵勤務士官候補生というやつよ」
「に、二等水兵勤務……なんだって?」
「二等水兵勤務士官候補生、よ。あなたたちと一緒に半年間の基礎教育訓練を受けてから、海軍兵学校に入校予定なの」
「ちっ、ヴィルっちはエリート候補生だったのか」
「海軍ってそんなルールがあったんですね……」
カルラとクラウディアが顔を見合わせる。
「今はただの候補生でしかないわ。半年間はあなたたちと同じ水兵よ。通常は」
海軍の慣わしで、将来士官になる人間も下士官兵になる人間も、最初の教育訓練は同じ釜の飯を食べて仲間意識を育成する事が伝統となっている。
クラウディアはてっきりヴィルヘルミナも水兵になるものとばかり思っていたけれど、どうやら違ったらしい。
そんな将来のエリート軍人を見やっていたクラウディアが、ふと思いついて声を上げる。
「あの、ひとつ方法があるんですがいいですか?」
「言ってみなさいよクラウディア」
「そのですね、入隊前に最後にケーキを食べたいと、言ってみたらどうかな?」
「ケーキをか?」
身を乗り出してカルラが聞いた。
「うん。基地には絶対ケーキなんて贅沢品はないだろうし、食べたいって言ったら外に連れて行ってくれると思うの」
「あの魔女を絵に描いた様な赤髪の兵曹が、ケーキのために外に連れて行ってくれると? 冗談でしょう」
「もしかしたら、です。もしかしたら外に連れて行ってもらえるなら、この方法しかないと思うんですよ」
ヴィルヘルミナは馬鹿げていると言いたげな顔をしたけれど、クラウディアが言葉を続けるとカルラは真剣に考え始める。
「うーん」
「カルラはこの町に住んでたんだよね? そのままケーキを探しに出たところで、なんとか逃げる感じで」
「確かに町の繁華街はあたしの庭みたいなもんだけど」
「それならいけそうだね。カルラ、兵曹にお願いしてみたら? 最後の思い出にケーキが食べたいですって」
クラウディアは励ます様にそう言った。けれどクラウディアとしてはようやく見つけた海軍という就職先だから、例えカルラが捕まっても、アイデアはこいつから聞きましたと言わないでもらいたいのが本音である。
「まあ、悪くない案だとは思うけれど、このアイデアにはひとつ穴があるわね。駄目もとで言って仮に外に連れ出してくれたとしても、あの魔女みたいなキルケ兵曹が逃がしてくれるかしら。下手をしたらもうひとりの、フランソワ兵曹にはさまれて移動するんでしょう?」
「うーん、うーん」
「だから、あなたひとりで行っても失敗すると思うわよ?」
「だったらさ、あんたらも一緒に来てよ! 逃げるのはあたしだけ、ヴィルっちもケーキの食べ収め、したいだろ?」
「甘いものは嫌いじゃないけれど、はっきり言って迷惑よ。逃亡の片棒を担がされて、士官候補生としての経歴に傷をつけるのは嫌だわ」
「ケーキだぜケーキ。最後に食べようぜ。入営したらしばらく食べれないんだぜ!」
「ちょ、ちょっと声が大きいわよ。誰かに聞かれたらどうするのっ」
騒ぐカルラに、ヴィルヘルミナがあわてて抗議した。
「あっごめん」
三人はしばらく無言になってお互いの顔を見比べる。
そしてクスクスと笑い出す。
クラウディアが言った。
「なんか、あんまりケーキケーキって言ってたら、本当に食べたくなってきちゃった」
「んだろう? 実はあたしもなんだ。脱走とは別に今はケーキが食べたい」
ニヤリとするカルラ。
「どうしてくれるのよカルラ、あなたのせいでケーキ、わたしも食べたくなってしまったじゃない」
しぶしぶながら同意するヴィルヘルミナ。
「じゃあ食べればいいじゃん。ヴィルっちはこれから士官候補生としてみんなの見本になるんだぜ。シャバに思い残す事は無くしておいたほうがいいじゃん?」
「思い残した事なんて……。恋人の声を最後に聞いておきたいぐらいかしら」
少し考え込む様にして、それからヴィルヘルミナがポツリとそう言った。
「へえ。シャバに彼氏がいるのか、いい身分だねぇ。任期中ずっと待っててくれる彼氏がいるってのは。あたしなら待てないな、うん。浮気しちゃいそう」
「……あなたには関係がないことだわ。不安をあおらないでちょうだい」
不機嫌にヴィルヘルミナが答えると、カルラがいっそうニヤニヤした。
「じゃあさ、ケーキ食べに行くついでに、彼氏に電話してみたら? 入隊式がおわったら携帯電話も取り上げられるんだしさ」
「……ええ」
クラウディアが驚いて質問をする。
「もしかしてヴィルも脱走!?」
「まさか、こんなところで士官への道を棒に振るなんて嫌だわ。わたしは彼の声を最後に聞きたいだけよ。それに、癪だけど人数がいた方が兵曹たちの目を盗んで逃げやすいと思うもの」
「だよなぁ、三人いれば隙をついて逃げやすいさ。クラウディアもそう思うだろ?」
「わ、わたしは行かないよ!? やっと就職先が見つかって家族にも心配させないですむって思ったんだし!!」
それにあの兵曹は怖そうだし、とクラウディアは心の中で続けた。
「それじゃクラウディアが逃亡を計画してますって密告しちゃおっかな、あたし」
「そ、そんなー!?」
ひときわ大きく悲鳴をあげようとしたクラウディアの口を、カルラが手でふさぎ、ウィンクをひとつ飛ばした。
「だから、たのむよぅ。な?」
「もごもご……」
クラウディアは脅迫されて折れた。
本日投稿分はここまでです。
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