舷門当番の日 01
キルン海軍基地を離れて三週間あまり。
海兵団の新米水兵を乗せた潜水艦〈キルベルン〉はまもなく荒海に面するブレストンという港町に寄港する事になっていた。
久々に陸に上陸出来るとあって艦内は活気付く。
けれどもそんな時に限って間が悪いのがクラウディア二等水兵である。
「な、何でわたしだけカルラやヴィルと同じ組で上陸出来ないの!?」
軍艦というのは寄港地に錨を下ろしたとしても、全員が上陸して艦内が無人になる様な事はしない。
必ず緊急事態に備えて半数の乗員が残り、残りの半数と交代して上陸許可を下されるのである。
カルラとヴィルヘルミナは運良く同じ上陸組に当り、運悪くクラウディアは居残り組に回された。
居残りだけではなく、待機任務中の舷門当番まで命ぜられたのである。
「しかもわたしだけ舷門で不寝番だよ!」
舷門というのは桟橋と接岸した艦に渡される橋の事である。その当番は舷門警衛の当直兵曹にこき使われて、不寝番にあたる事だ。
「しゃあない。クラウっちは不運だからなー。日頃の行いが悪いんだぜきっと」
「日頃の行いが悪いのはあなたでしょう、カルラ」
茶化したカルラをヴィルヘルミナが嗜めてくれたけれど、クラウディアの気持ちが晴れる事は無かった。
こうして、港町ブレストンの繁華街に水を得た魚のごとく飛び出していったカルラと、久々に恋人と会うために汽車に乗ったヴィルヘルミナを見送って、クラウディアは舷門警衛の不寝番に付くのであった。
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「はぁ、わたしもカルラたちと一緒の上陸組に入りたかった……」
舷門警衛の役割をありていに言ってしまえば、女だらけの潜水艦に不審人物が侵入しない様に見張る事だ。
ブレストンの港は海軍基地ではなく民間の港であるため、特に警衛任務は必要なのだ。その必要性はクラウディアも十分に理解しているけれど、だからといって自分がその当番に当るのは誰しも嫌というものだろう。
ゆえに、まんまるお月様の出た夜更けの空を見上げながら、自分の運の悪さを呪った。
ひとりで舷門前に設置された仮設の当番テントの折りたたみ椅子に腰掛けているのは、いかにも寂しい。
せめて艦内での勤務ならば、同期たちとおしゃべりをして時間を紛らわす事も出来るのに、それもかなわない。
「カルラの事だから、初任給でホストクラブに行ってるのかなぁ。ヴィルも今頃は汽車の中かな……わたしだけ絶対不運だ!」
腰にぶら下げている自動拳銃のホルダーをポンポンと叩いてクラウディアは言葉を漏らした。
クラウディアが訓練以外で拳銃を装備したのはこれがはじめてだ。
ベルトとホルスターで水兵服に固定したそれは、普段まったく体に馴染みがないものだから肩こりになりそうだった。
基地内の不寝番ならば庁舎を巡回するだけなので警棒一本を下げているだのみが、自動拳銃はその重みが違う。物理的にも任務の重要性もだ。
馴れないその重みに違和感を覚えながら、クラウディアは立ち上がった。
じっとしていると、どうにも気分が落ち着かないのである。
「しっかり不寝番をやってるか、クラウディア二等水兵」
不意に背後からそんな声がなげかけられた。振り返ると上下スウェット姿のキルケが、水筒を持って〈キルベルン〉の甲板に立っている姿が見えた。
「あ、はい!」
「眠そうな顔をしてるじゃないか、コーヒーを持ってきたぞ」
「ありがとうございますっ」
キルケは確かカルラたちと同じ上陸組だったはず。それでもどういうわけかキルケは艦内に残っていた。反対にフランソワはカルラたちと一緒に繁華街へ繰り出していたはずである。
水筒の蓋をあけてコーヒーを注ぐキルケを観察しながら、どうして兵曹が艦内に残ったのか想像してみた。
強面の外見に似合わず部下の面倒見がいい赤鬼兵曹は、きっと水兵たちが何か問題を起こしたときに真っ先に飛び出せる様に、上陸を控えたのだろう。
「まあ飲めば少しは眠気を紛らわせるだろうぜ」
「いただきます」
ふたりで折りたたみ椅子に腰を下ろすと、クラウディアは両手でコップを持ってちびちびとすすった。
「どうだ、少しは海軍の生活には慣れたか?」
「はい、おかげさまで何とか。最初はついていくのもやっとでしたけど、座学はそれなりに楽しいし」
「おまえは座学だけはトップクラスに賢いからな。水兵になったのが驚きなぐらいだぜ」
「大学受験に失敗したんです……」
「そいつは運が悪かった。だがある意味運がいいともいえるぜ? 何しろお前はオレの指導のもと、一人前の水兵になる栄誉を受けられるんだからな!」
キルケは白い歯を見せて笑い返す。
「でもまだこれからやっていけるか自信は無いです」
「若いモンは素直でいいな。オレが新兵だった頃は、一日も早く海軍を辞めたくてしょうがなかったぜ。やれ体力練成、やれ艦艇勤務、オレが最初に乗り込んだ艦は退役まであと半年というとんでもねえボロ船で、こんなシケた艦しかないわが社の将来は真っ暗だと思ったもんだね」
わが社、というのは古参兵曹が好んで使う海軍を指す隠語の事だ。
「まぁわが社だからこそオレを拾ってくれたし、仕事にありつけたんだけどな」
首から下げたホイッスルを弄びながらキルケがそう言った。
「オレみたいな人間は娑婆に戻っても仕事なんてありはしねぇ。いい男でも見つけて専業主婦が出来るなら幸せ者だが、そうでもなければどこかの工場で部品製造の仕事にありつくか、似合いもしない事務員でもするしかない。オレは売店の売り子なんてガラでもないから、最悪は給食のおばちゃんてところか」
「兵曹殿なら体育教師なんてピッタリだと思うんですけど」
「馬鹿言うんじゃねえよ。オレは高卒の無学ちゃんだぞ? 今更奨学金をもらって大学に行くなんざ、まっぴらゴメンだ」
「もったいないなあ。似合ってると思うのに」
「そりゃ今のオレが助教で、お前たちの指導担当をしているからだろう。水兵の心得ならお前たちに教えられるが、ガキに喧嘩のやり方なんて教えたら、保護者に何言われるかわかったもんじゃないぞ」
キルケはひとしきりゲラゲラと笑った。
「お前は海軍に来なかったら、何になりたかったんだ」
「えっと、栄養士です。お料理が好きなので、大学で栄養学を勉強しようかなって」
「それじゃ教育期間が終わったら、給養員にでもなるか?」
給養員というのは、海軍におけるコックの事を言う。海軍の給養員を勤めた人間の中には有名レストランの料理人として抱えられた人間もいる。
「まあ任期は三年もあるんだ、それまでにじっくり今後のことを考えろ。水兵を続けるもよし、奨学金をもらって大学に行くもよし」
「はい、ありがとうございます」
「さて、今夜はこのまま無事に終わりそうだな。オレぁ寝るぜ」
立ち上がって折りたたみ椅子を仕舞うキルケ。
「わ、わざわざコーヒーありがとうございました!」
「おう」
ぎこちない敬礼をすると、キルケは笑って舷門を引き上げて行った。
ぼんやりと立ったままハッチの下に潜り込むキルケを見送ってから、しばらくしてクラウディアは折りたたみ椅子に腰を下ろす。
自分もまた任期を終える頃にはキルケの様な一人前の軍人になれるのだろうかと思う。あるいはその半分でもいいから立派に職務がこなせる様になれば、海軍生活にまた違った発見を出来るのかもしれない。
最初のうちは慣れない集団生活に気も滅入っていたけれど、実際今は当たり前の様に海兵団の同期たちと勤務に明け暮れる日常を過ごしている。
今では「海軍生活も悪くないな」なんて思うことがあるくらいだ。
クラウディアはすでに冷めてしまったコーヒーの残りをひといきにあおって、飲み干した。
少しだけ酸っぱく苦いそれは、自分が一人前に一歩近づいた様な気がして悪い味だとは思わなかった。




