いつもトイレ待機列が賑わうわけ 02
それにしても、多少は減った待機列だっけれど、カルラがここに来た時から中の人間は入れ替わっていない。
「ふぅ、危機一髪だったよカルラ」
恍惚とした表情で出てきたクラウディアがカルラに話しかけていると、
「クラウディアちゃん、今中に入っている人が誰かわかるかしらぁ~?」
フランソワが待機列から離れてトイレのドア前までやって来た。
「い、いま中におられるのはローラ少尉殿です」
「ローラ少殿はおトイレに入ってどのぐらいの時間が経過したのかしらぁ~?」
おずおずと言われるままに答えたクラウディアに、満面の笑みを浮かべたフランソワが質問した。
「だ、だいた二〇分近くですかね……」
「二〇分!?」
それを端で聞いたカルラが素っ頓狂な声を上げた。
いくらお通じのよろしくない女子であっても、ここは艦内で唯一の共用トイレだ。
ひとりで長時間占拠して良いわけがない。
「少尉殿は何をやっているんだよ」
「知らなかったのカルラ? 少尉殿は毎朝トイレでお化粧をしているんだよ……」
小さな声でクラウディアがカルラに耳打ちした。
「なんて迷惑なやっちゃ。唯一無二のトイレ利用でマナー違反をするとは最低の人間だなっ」
自分の事は棚に上げて文句を垂れたカルラに、あちこちから小さな咳払いが聞こえてきた。
居たたまれなくなったカルラは逃げる様にシャワー室の簡易便所に飛び込む。
「あ、あたしもとりあえず用を足してくるわ。それじゃ!」
用を足してシャワー室から出てきたカルラが目撃したのは次の様なものだった。
まず、いつまでたっても開かずのトイレと化していたそこに向かって、微笑を浮かべたままのフランソワがコンコンとノックをした。
待機列に並んだ水兵たちもさすがに我慢の限界という具合で、皆は進展を期待して注目していた。
「入ってます!」
くぐもった少尉殿の声がトイレ内から聞こえてきた。
けれども微笑みの下士官はそれを無視する様に、もういち度優しくノックを繰り返す。
「入っているというのが聞こえないの?」
またもやくぐもった声がトイレ内から聞こえてくる。
さらに微笑み下士官はトイレをノックした。
「わたしはトイレを使用中です。急かすのはやめていただきたいわ」
まったく悪びれも無くそんな返事が戻ってきた次の瞬間、微笑みの下士官は柳眉を突然につり上げたかと思うと、トイレのドアを思い切り足蹴にした。
ドカンと一発いい音がしたかと思うと、すぐにも開かずのトイレだったそこから、先端に巻き癖のついた長い金髪の少尉殿が顔を出す。
「いったい誰なの、わたしのトイレを邪魔する人は!」
ローラ少尉は作りかけのメイク顔で怒った。
「ローラ少尉殿、自分であります~」
「フランソワ兵曹? どういう事ですか説明しなさいッ」
臆面も無く言ってのけたフランソワに食ってかかるローラ。
「わたしはまだ、おトイレに用事があるのです。淑女の朝のたしなみを邪魔しないでいただきたいわね」
「ローラ少尉殿。残念ながら自分は艦長にご報告しなければなりません~。少尉殿が淑女の朝のたしなみであるおトイレを独占し私物化している事を」
「おかしな事をおっしゃるわね、トイレの使用は階級の上下に関わらず全ての乗組員に認められた権利ですよ?」
使いかけのメイク道具を手に持ちながら、ローラは言い返した。
「しかし少尉殿は、おトイレでお化粧をされておいでのようですね~? おトイレは大乃至小便をするために使われるべき施設ですよね~」
年上のおっとりお姉さんという風貌のフランソワからあまりにも直接的なおトイレ表現が飛び出したものだから、ローラは顔をしかめ、その場の待機列にいた乗組員たちがぎょっとした顔をした。
「な、何の目的でトイレを使用してもそれは個人の勝手よ!」
「この際はっきりと申し上げましょうかローラ少尉殿。潜水艦〈キルベルン〉の艦内にあるトイレはここだけ、艦長を含む乗組員全員がここを共用するわけです。トイレに貴賤なし! 朝は特に待機列が出来るほど盛況になっている事をあなたはご存じなかったのですか? もしそれを理解していて尚ここで個人的理由である化粧に勤しんだという事ならば、それは下士官兵のお手本となるべき士官にあるまじき行為です。また、この用便行列の有様をまったく理解せずに化粧をしていたというのならば、やはりお手本たるべき士官として部下の把握が行き届いていなかったとみなさざるをえません。尚、この艦の先任兵曹は自分の海兵団同期であり、先任兵曹は艦長に対してあなたの今後について回るであろう考課表に意見具申出来る立場にあります」
微笑み兵曹は、いち度にこれだけの言葉をまくしたてた。
カルラとクラウディアは、その勢いに飲まれて呆然としてしまった。
そしてフランソワはいつも通りの緩い表情を取り戻して、最後にこう言い添える。
「ちなみに自分は、先任兵曹とはごく親しい間柄です~」
そこまで聞いたローラは、眉毛半分だけの顔を血の気の失せた青白いものにして逃げ出した。
カルラはこの瞬間に軍隊における格言が正しかったことを思い知った。
軍人は階級の数よりも飯の数がものをいうのだと。
海軍の竜骨とも言うべき下士官には、例え士官たる少尉であっても逆らえないのだ。
文句があるなら軍歴を重ね階級を上げて出直して来い。
「……ちなみにフランソワ兵曹殿は、海軍歴何年ですか?」
そんなカルラの質問に、微笑み下士官はこう答えた。
「それは軍機にかかわる禁則事項よ~」




