いつもトイレ待機列が賑わうわけ 01
世の中の女子は例外なくトイレに並ぶという真理でもあるのだろうか。
(潜水艦の中だってそれは例外じゃないね)
そんな馬鹿げた事をカルラ二等水兵は列を目撃した瞬間にふと思った。
ここは潜水艦〈キルベルン〉にとって唯一無二のトイレ前である。
乗員六〇名のうち、一〇名近くが課員居住区内にあるトイレ前に行列を作っていたのだから笑えない。
朝ともなれば階級の別無く乗員が生理現象を訴えてトイレに並ぶわけである。
その上、女性の常として便秘を煩う水兵が多いのでその待ち時間は長い。その列に生理中の女性まで加わってトイレ待機列は今日も大盛況だった。
けれどもカルラ二等水兵というお調子者は、素直にその行列に並ぶ気にはならないのだ。
「うぃ~っすクラウっち!」
行列の中程に見知った同期の実習水兵を見つけたカルラは、世間話でもする風を装いながらいかにも自然な風に行列に割り込んでしまう。
「おはようカルラ。今日はこれから任務?」
「そうだぜー。クラウっちはこれで下番?」
潜水艦に限らず作戦行動中の艦の乗組員は午前・午後・深夜の各八時間毎に分かれて勤務に就く。
同期のクラウディア二等水兵は、今しがた夜間勤務を終えたところらしい。
「もうすぐそうだよ。けど、その前におトイレ我慢出来なくて」
太股をこすりつける様な仕草をして見せながらクラウディアが気恥ずかしそうに言った。下番、すなわち勤務明けまで我慢が出来ず〈キルベルン〉名物の朝のトイレ行列に加わったらしい。
「ねえ。昨日の夜、」
気持ちを少しでも紛らわすつもりか、クラウディアは口を開いて話題を振ってきた。
「ぷしゅーって圧搾空気音聞こえなかった?」
「聞こえた聞こえた」
「あれ魚雷発射管に圧搾空気を入れる音なんだよ。ぷしゅーって。何だかおマヌケな音だったよねぇ」
「へええええっ、そうなんだ知らなかった。はじめて聞いたぜ」
そんな返事をしながら、ちゃっかりカルラはトイレの行列に割り込むことに成功していた。
当然、すぐ後ろの遠洋実習要員の新米水兵は不満気な顔だったが、カルラは完全に無視することでそれをやり過ごす。
ところがカルラの悪行はそのまま無事に完遂する事は無かった。
「二等水兵のカルラちゃ~ん」
何処からともなく柔らかい声音の、けれども決して有無を言わせない語気を帯びたそれがトイレ行列に響きわたる。
カルラはその声の主に嫌な予感を覚えて振り返ると、そこには教育担当兵曹のフランソワの姿があった。
あわててカルラとクラウディア、そして周辺の水兵もまた直立不動の姿勢になる。
クラウディアはやや無理をしてその姿勢をとったためか、すぐにも前屈みの姿勢に戻ったけれど。
「しばらく観察していたのだけれど~、カルラちゃんは列に割り込みをしていたみたいね~?」
優しい垂れ目に甘ったるい口調とは裏腹に、フランソワの柳眉はつり上がって厳しい表情そのものだった。
「自分はクラウディア二等水兵と雑談をしていたのであります!」
カルラの言い訳に対し、
「そうなのクラウディアちゃん?」
「えっとその、はい!」
事実か問いただされたクラウディアは、お調子者のカルラを庇うべくそう答えた。すると、
「それじゃあクラウディアちゃんとカルラちゃんは、わざわざ列で雑談する必要ないわね~? せっかくなら食堂でゆっくり座ってお話するといいわ~」
トイレの背後にある課員食堂を指しながら、フランソワ兵曹は優しい顔に似つかわしくない意地悪を言った。
「そ、それは困ります。わたしもう漏れちゃう……」
「それじゃクラウディアちゃんは、トイレの列に並んでいたのね~?」
「そうでありますフランソワ兵曹殿、漏れそうでありますフランソワ兵曹殿っ」
フランソワは満面の笑みを浮かべて、前屈みにその身を揺すりながら悲鳴を上げたクラウディアとバツの悪そうな顔をしているカルラを見比べる。
「どうやらカルラちゃんにはお仕置きが必要みたいね~。バツとして上番するまで、直立不動で課員食堂に立っててもらおうかしら~」
「じ、自分も漏れそうであります! ごめんなさい兵曹殿ッ」
カルラは降参して待機列から外れた。
「あ、兵曹殿もおトイレだったのですか?」
「そうよ~。三日ぶりにお通じが来そうでぇ」
「なるほど……」
「出せる時に出しておくのは軍人の心得よ~」
「そ、そうですね」
「小さい方で列に並んでいる子は、とりあえずこのバケツに用を足しなさい~」
トイレ脇に用意されたブリキのバケツを持ち上げて、フランソワ兵曹が無慈悲な宣言をした。
女性にこの仕打ちは最低ではあるのだけれど、この潜水艦の乗員は女性ばかりで男性の視線を気にする必要が無いからフランソワも遠慮が無い。
しばしば朝の待機列が長蛇に及んだ際にはこういう命令が下されるのだ。
ただしこの命令はフランソワたち現場を任されている兵曹によって行われる。
勝手に用を足すために水兵がブリキのバケツを持ち出していたのでは規律も乱れるし、下手をすれば体罰のキッカケに繋がる。
「わ、わたし小さい方です使います!」
「あたしも小さい方なのでこっちでお願いします!」
もはやなりふり構っていられないクラウディアは前傾姿勢のまま勢いよく手を挙げてバケツを受け取り、カルラの方も二番手とばかりそれに続く。
「シャワー室でやってきなさい。ちゃんと飛び散らない様にするのよ~」
細かい指示がリアルである。
カルラはカーテンで仕切られたシャワー室にクラウディアが飛んでいくと、新たに出来た小用列の先頭に並ぶのだった。
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