2100.5.18 千葉県鴨川市太海
2100.5.18 am10:00 ゲートイン。
県道89号の熱いアスファルトに右手、指ぬきグローブの手の平でタッチした。すぐ掌底に軽いショックが来て、アンカーが路面に噛みついたことを感覚する。右腰のリールから、極細ケーブルをツー……と引き出しながら立ち上がり、俺は、同じく準備を整えたメンバーに号令をかけた。
「潜るぞ!」
とたん響くように六人の陽気な声が返ってくる。
「ラジャ」「ラジャッ」「ラジャ!」「ラジャでござる」「ラジャ<ハート>」「ラジャー!」
俺は幸福感めいたものに襲われ、一瞬にやけると、わざと挑発するような視線を浴びせ、ふいに出し抜くように走り出した。
だが、さすが、俺のチーム! 誰一人遅れることなくついてくる。心地よい満足感とともに前方に広がる天地に目を向けて――さぁ、皆と一緒にワン、ツー、スリー!
“テラス”を一斉に飛び出したのだった。
とたん、ぐんと来る地球重力だ。平衡感覚が酔ったように揺れる。即、順応する。全身が前方へと引っ張られ、自然に足が浮き、一蹴りでまるでマンガのような飛距離を稼いだ。あぁ――
この飛翔感! このスリル! 空のきらめき風の音! なんど経験しても堪えられない!
進行方向に一軒家が立ち塞がっていた。俺は靴の底をエアでフカし、屋根を滑るように、華麗なステップで飛び越える。たまらずチビッコのような歓声をあげてしまったのだった。まぁガキだけどさ。でも――
今やそんな声があちこちから聞こえる。おたけび! 笑い声とアオリの応酬!
いま一人が転げた。リーダーの責務として速度を落とす。あれは――白忍者、マーチだ。大事なさそうだ。そうと知れると、さっそくセーラー服のミラが可愛いヤジを浴びせた。「ピエロ~!」その言葉、誰かに、いやマーチを相手に言ってみたかったのだろう、それが叶って得意げな表情だ。そしてそれも追い抜きぎわの一瞬のことで、もう置き去りにしている。
ふだん口喧嘩ばっかしてる二人だったが、この瞬間だけは高揚感の方がまさり、マーチもすぐに相好を崩して立ち上がり、追いかけ始めたのだった。この俺も――!
イヤホンマイクが「ピー」音を発し、右リールのリミットが近いことを告げた。俺は走り続けながら左手グローブを腰の左リールに押し当てる。カシャッ! アンカーがセットされる。ツウッと手を持ち上げ、一瞬の着地タイミングで道路脇、コンクリの法面に打ち込んだ。同時に右リールを叩き、右アンカーをOFF。回収を開始する。これを何回か繰り返して、跳ね進んで、前進して――
そろそろいいだろう。皆も今かいまかと待ってるはず。
俺は風に負けないよう大きな声をあげたのだった。振り向きもせず、ただし絶対そこにいると強く確信しながらだ。「――行っけぇえ! ミコ!」
とたん、左側を流麗なままに追い抜いていく一つの白い影。
白銀の彗星、ミコ――アキラ!
彼だった。さすがエースアタッカー、目の前で、俺以上のトリックを決めてみせる。
高速の中、ゆるやかに前転しながらのフリーフォール!
ワンピースの衣装が薄く花のようにひらめく。さながら夢の中のような――
所作に無駄なく、アンカー回収とほぼ同時に背のキャノピー展開。ばん、という音に現実に戻される。パラグライダーは風をつかまえテンポよく一気に、そして華やかに上昇していく。おお!
見上げる形になり、おもわず視線が釘付けになった。足が止まる。うむ、見えそで見えない、透けそで透けない。あらためて感嘆する。あんな衣を着こなすのだからアキラはすごい――
なに考えてんだ。苦笑する。
とにかく凄いアキラが空圧を操り、みごと、俺の正面の空中に位置をホールドしたのだった。手を振ってくる。輝かんばかりの笑顔で俺の名を叫ぶ。
「ショウ!」
俺も笑顔で腕を振りかえしてやったのだった。うん、今日はぞんぶん楽しめよ!
アキラは今や自由な小鳥となって青空を舞い、続けとばかりに負けん気のマーチ以下がジャンプする。もう転けんなよ。そしてミラ、だいじょうぶか? おおよし、風をつかまえたぞ、そら行け! おう、ヨコヅナ! がんばれ信じろ。その装備は貴方の体重ていどじゃ切れやしない。そしてわが愛すべきエマよ。敬愛なるアネゴよ。神々をもひれ伏さす美の化身よ! 貴女にはなんでも譲歩する。掟にも目をつむりましょう。どうぞ好きになさって皆の目を楽しませてやってください、わぉ!
みんなの元気なさまをみとめて、俺は目を細めるのだった。
――俺? 俺はこのままロードさ。ベースマンのつらいとこ。
「でも、飛びたいでしょ? 代わりましょうか」
おだやかに最後のメンバーが声をかけてくる。レンジャー服を見上げる。今回の主役、トノだ。爬虫類の顔に、年相応の、余裕ある笑みを浮かべている。俺も首をふりふり笑顔で答えた。
「今日は初回。記念すべきあなたの歓迎ケイビングですから。地面での役割は俺に任せて、それよりトノ、貴方ですよ。何してんすか。さぁ、ここは一発、カッコよくデビューを決めてもらわんと!」
「しまった『ヤブヘビ』でしたね?」得意のジョークで二人して笑う。
「――ところで、気づいてます?」身をかがめて囁いてくる。
俺は軽く頷く。もちろんですとも。
「ここじゃこれでも経験豊かな先輩ですからね。でも、何度も指摘しますが、今回はあなたが主役」
トノは参ったとばかりにわざとらしく両手を上げ、微笑んだ。
「本当は地を這うほうが性にあってるんですが。栄えある“チーム・ニコリ”のメンバーとさせて頂いたのです。では、恥の一つもかいてきましょう!」
言い終わるや否や、かぎ爪の二本指でチャッと挨拶、後ろ向きのまま飄々、軽々と大空に舞い下る。なんという勇気。さっそく皆から驚きと、そして歓迎の声を浴びせられたのだった。
「デビュー大成功……」
まったく期待の新人だ。俺は腰に手をおき、今後を思って武者震いするのだった。




