2100.5.11 ヨコハマバトル
耳にゴゴウという大気の音。空圧が顔を叩き、髪の毛を乱暴に掻きすくっていく。まだだ。まだまだ、まだ不足。もっとだ! 体の軸線をさらに傾け、抵抗を減らしスピードアップを目論む。地面がどんどん近づいてくる。そう――
俺は今、盛大に空を落下中なのだった。
対地角度が浅い。この速度で衝突したらただではすまない。ご主人のピンチにパムホも先ほどから「キュルキュルキュルキュル――!」という警告音を鼓膜に叩き続けていて、勝手に背のパラグライダーを緊急展開させようともがいている。まあ、それを指一本のパネルタッチで押しとどめているのが当の本人たる俺なんだが。
地面が目の前に迫り、平らではあるが亀裂の目立つ路面が、細かいところまでくっきり見えてくる。それが視界の後方へ激流のように消えて行き、速度の凄まじさを改めて物語る。いまなら手に持ってるだけで練馬大根を摩り下ろせるんだがな、とバカな感慨を抱いたところで勘が働く。あと1秒で限界だと。
同時に、どこからか、息をのむ気配も届いた。すまんな心配させて。0.5秒。俺はおもむろに指をパネルから離し、0.1秒、コントロールを開放したのだった。
とたん、破裂音とともにキャノピー展開! ラインが張り、同時にがくんっ、という抜けるような衝撃が両肩にかかった。体が180°ぶん回される。息がつまった。――さすがに無茶をしすぎたか?
と思った時には俺は、すでに安全な高度に身を漂わせていたのだった。手動に切り替える。ラインを手繰り、靴のエアをふかして――ヨコハマシティ――手ごろなビルディングの側面に軟着陸した。パラグライダー自動収納。ふっ、と吐息をもらし、とたん、足を滑らせ尻餅をつく。最後の最後でドヂッちまった。苦笑する。
後ろに舞い降りる気配がした。
「また負けた。全然かなわないな……」
振り仰ぐとまさに彼、ミコだった。うちのエース、トップアタッカーだ。いま彼はむき出しの膝頭に両手をつっぱり、キュートに、かがむ格好で俺を覗き込んできている。妖精のような、ひらひら、ふわふわなミニスカワンピの薄絹が太陽の光を淡く透かし、ここに二人だけだったからいいようなものの、無防備に裸のラインを見せていて、愛の天使とでも名付けたい魅惑の香気を空気中に発散させていたのだった。ミコ――いや、月読アキラ。くらっとくる美少女美少年。三日と開けず共に潜ってる気安いツレ。こいつが、俺の自慢の相棒なのだ。
俺は明るく肩をすくめた。
「こんなザマだけどな!」
「英雄のご愛嬌というものさ」
「命取りになったらシャレにならん」ハハハと笑いながら、差し出された手をとり立ち上がる。離してくれないのでそのまま好きにさせて、自分は西の方角に顔を向けた。
ここはヨコハマの南端ちかく。ステージの、底部付近。始点を北端としているから、あまりにもショートすぎて、底だというのに何も出てこない、がらんどうの街並みであった。
正面に見えるのはその街の青空で――構図的にちょうどフジサンが見えていた。
「いい天気だ」
「うん。ところで、もう決めたの?」
新人歓迎ステージをどこにするか、という懸案である。新人は世界としては一番新参のλ人。自身も、ダンジョンはほとんど素人だという触れ込みだった。
さぁ、どこが相応しいんだろう?
予定は一週間後。なのにまだ決めかねている。
「チームとしては、初の爬虫類人なんだよな……」
「ロイヤルストレートフラッシュの完成だ!」
「せっかくだがダメそうなら切る。いい人であることを祈るよ」
「むずかしいデショ、全日本会議のご紹介だから。めんどうは困るなぁ」
「いい天気だ」
「うん。――ところで、気づいてる?」無意識に、ぎゅっと握りしめてくる。
俺は軽く頷く。もちろんですとも。少しだけだけど、俺の方が先輩なんだぜ?
「――ゲストがいらしたようだ、な」
「いい天気なのに」
「しょうがない。相手してやるか」
二人そろって北、天方向を振り仰いだのだった――
この俺と、そしてアキラ。
この二人が、そろってる。
その余裕が隙となった。
先ほどからパムホが察知してた北側から派手に接近してくるアンノンは、デコイであった。本体は――直観!――東側、瞬間的に振り返ってその目に映ったのは、さながら“漆黒の彗星”だった。虚を突くゴシック・アンド・ロリータ。黒い流れ星。ビルディングの陰から一瞬にして現れ、こっちの認識がおっつく前にエナジーブリットを射出してくる。優れた反射神経が今回は裏目に出た。アキラが躱したはいいが、陰になってた俺の靴にヒットする。電磁ブリット! 衝撃が走り足の神経と靴の機能が一瞬死ぬ。すぐに自動修復機能が働き出すが、その間俺は、本来のアクションがとれなくなってしまった。実際はこんなにのんびりと解説できるほど時間的余裕があったわけではない。この一発目とほぼ同時着弾といっていいくらいの二発目が、俺の首筋にヒットしてたのだった。
これが実弾だったら俺は死んでいる。クソッ――!
ヘマを自認しつつ叫ぶ。「――クララ!」
黒眼球に白瞳。黒の女、κ世界日本人。
アキラにタメを張る美少年美少女。彼女がこの俺を傷つけるはず絶対ない。恥ずかしくもその驕りが油断だった!
首筋に衝突したブリットは爆発レベルのスピードで化学反応を起こし、瞬間的に“お湯”に変わる。ウォータブリット。俺は恥の上塗り、びしょ濡れにされちまったのだ。
狙いは首筋のκパッチであることは明白。事実、手をやって確認すると、お湯できれいに洗い流されている。舌打ち、そして――思わずニヤリとなる。やってくれる。やってくれやがる。出現からの、落下しつつの刹那の一連の技。精密、高度な、まさに天才の技前であった。俺は視線で相手を追いかける。この俺に、こんなマネしてのけられる。世界広しと言えどもだ。アイツと、コイツくらいしか、いない――
そのコイツが柳眉を逆立てていた!
止める間もなく重力ダイブ――ビルディングの側面を跳ねるように追っかけ始める。走り出したそばから“ハンマー”を連射していて、さらにはその一発いっぱつに己の魔法力を乗せてたのだからたまらない。圧倒的破壊力。ビジネス街のビルディング群がボロクソに叩かれ、打ち抜かれていく。コンクリが粉煙をあげる。ガラス、照明器具、商用電子機器類が粉々にされ火花を散らし、ついには根っこを打ち砕かれた建造物が地響きと共に崩壊を始めていく。牙のような弾痕の、追いかけるその延長線上を逃げ切りながらクララが叫んだ。
「出しゃばるな下々民! 底辺の分際で烏滸がましいわ! 消えろ! アタシとショウの前からそっこく消えろ! 目障りだ×××!」たちまちトサカに血を上がらした清廉高潔のβ人、即言い返した。「愚か者! それ言うなら、よほどアンタの方が遙かな下々々々々々々々――」
指折り数えて正確に相手のこと表現しようとする。漫才かよ?
クララがこの隙を逃すはずなく反射的にツッコミを入れたのだった。「バーカ」ガンシュート! ちょうど軸線上に俺がいて、二度も食らうかよとアキラの回避方向に合わせて自分も横っ飛びする。方向横なのは、瞬時に後ろ(の俺)を考慮できた、さすがのアキラだった。ところが――
つまり、ブリットを回避した、それが策術だったのだ。それはアンカーだったんである。俺らは二人して、クララの機械式高速クライムを見上げ、見送ることとなり、ここでようやく気付くのだった。デコイが来ないことに。
陽動のデコイの正体は“飼い犬”のはず。そうじゃなきゃ流浪民たる彼女がここに来れるはずない。で、ならば今まで犬っころの奴、何をモタモタしてたのだろう?
その答はすぐに知れた。見上げる上、遙か先、ステージの位置エネルギーがマックス高いその場所で、視界横一線に、爆発の光が起こったのだ。寸瞬遅れて、腹に響く音響だ。企てていたのは――都市アバランチ! まさに、重力雪崩であった。
異世界。ダンジョン。
それだから、(開き直りの東京以外)ほとんどの都市の建築物は、根元を頑丈にしていた。というか、よほど地下都市の方が発達してるのが現状だった。たとえ異空間だとしても他人様に迷惑をおかけしないように、との日本的配慮だが、それにも限度があった。こんな傾斜角度で一列に大規模発破をかけられたら、総崩れである。崩れが崩れを生み、折り重なり、都市の雪崩となってしまうのだ。それが今、現実に襲いかかってきている。“公共電波”で高笑いのクララの声が耳に届いた。「おぉーーーほほほッ!」手の甲で口元を隠すイメージが容易に脳裏に浮かぶ。
「――ご自分が選んだこのステージを恨むがいい! もはや横、ゾーンアウトしか逃れるすべはないぞ?! 永遠なる迷い子! ソレがイヤなら裸で土下座させてやるから楽しみに――」
横に、登ってきたアキラが、並び立った。俺の靴を見ながら、
「どう?」
「あと10秒」「絶望的だね」「うん――」
だから、今回はしょうがない、縦に、緊急にワープアウトしよう、と続けるつもりだった。海面衝突。それくらいだったら、俺ら二人、今からでもギリ可能。だから――
制止の声が遅れた。負けてやる気など毛頭ないアキラが、暴発しちまったのだった。
気づいたときには、上を見上げ、すっと指さしていた。
「“逆戻し”……!」
β世界ナンバー2、次世代教皇たる、その人物による、大魔法の発動であった。
崩れてきた巨大容積の都市が、その瞬間から大反転。動画逆戻し的に、大規模回復していく――
俺は片手で顔を覆う。甘い――!
そしてもう片方の腕でアキラを支えたのだった。――軽い。
魔法使いは、その力の大きさに応じた精神力を、消費させられてしまう。今、大魔法発動の代償として、夢のような美少年は文字どおり、儚い眠り姫の人形と化してしまったのだ。ああ……。
ため息だ。バツとして、耳を甘噛みしてやる。身体を肩に担ぎながらつぶやいた。
「オマエの匂いのように、甘いよ……」
クララが、発破ラインのこちら側に移動してくれてたら、あるいは有効であったかもしれない。
そう思考すると同時に、そんなご都合はないと自分で否定する。そして、位置的に彼女側が有利なのは相変わらずで、彼女こそ俺ら二人相手に、一粒も油断なく、準備を怠るはずないことを、信仰のように確信してたのだった。
当りだった。すなわち、クララは用意万端、飽和攻撃に出たのだ。大回復後、当然のように再度の発破をしでかしてくれたのである。もう笑うしかない。
実際、俺の顔の筋肉が不遜につり上がるのを自覚している。
もう、ワープアウトの案は、頭から完全に消え去っていた。なぜって。
アキラが大魔法を使ったんだぜ。術者は皇子なんだ。ならば、その魔法はとうぜん、フツーに奏功してなくてはおかしい。だろう? そういうことさ。なお――
――足が、全回復していることを報告もうしあげる。ニヤリ。
その後のことはクドクドと述べ立てるまでもないだろう。当たり前の結果となったのだから。
俺は、アキラを担いだまま、ヨコハマ都市雪崩を正面突破したのである。ガツン、ゴゴンとランダムに、互いに弾けながら落下してくる大小の大物量に都度つどアンカーを打ち込み、こっちをクライムさせたのだ。それはそれは単調な繰り返し作業だったのさ、アハハハハハハッ!!! ――ほうら、できた。簡単だ!
俺は真っ青になった彼女の前に立つと、一言でもしゃべったら永遠に後悔させる、と優しく声をかけ、後ろを向かせたのだった。ちっと乱暴だったかもしれん。が、少々頭にきてた。ボヨン。年上の女のケツ蹴飛ばして、底の海へ強制フリーフォールさせたのだった。いや、ひどくないよ全然。“飼い犬”を一緒にくくりつけてやったんだから。むしろ大いに感謝してもらいたいくらいだ。
さて。
アキラをまさか置き去りにするわけいかない。その日は結局、底の、生き残りの中から選んだ、手ごろなホテルに宿泊したのだった。
そして、夢を得る。
翌朝。ようやく目を覚ましたアキラ姫に、俺はサイズを広くしたパムホを手渡した。
『僧は筆を執る。八つの玉、七つ文字。……ショウタ』
ポエムだね、とアキラが笑顔になる。そうだ、と俺は頷いた。
「今度の歓迎ケイビング、これで場所は決まったな」




