2100.5.18 パン
トノを誘って近くにあったコンビニに入った。陳列棚にナナメに足を掛け、散らばり転がった商品の山から傍若無人に食料を漁る。トノは、この略奪めいた行為に抵抗を覚えているようだったが、これは誰しもが通る道なのだ。慣れてもらうしかない。
「大丈夫ですよ……。食料、宿泊に関しては、アレが料金を立て替えてくれますから」
「“旅人のコイン”ですね? それは頭では承知してますが、なかなか……」
「エンジンの無断建立の、当然の権利金だと平気で主張するやからもいますけど。俺らは、やましいと感じる心は大切にしましょう。マジに、未定の将来に、代価に何かを支払うことになってしまうかもしれない。足を掬われないためにもね」
トノは簡潔に、
「仰るとおりです」と応じたのだった。
俺は向こう向きのまま微笑する。
青臭い意見にも耳を傾ける。さすが人生の先輩は、洞窟が深いものだった。
カップを見つけ、コーヒーを淹れ、差し出した。
窓の外、道を挟んで花壇の向こうに、マーチとミラの姿が見えた。傾斜世界の集落のその建物群を利用して、ケイバーとしての基礎訓練、パルクール(フリーランニング)を実践している。今、ミラが一つ下のブロック塀の側面に安易に飛び降りたところで――詰んでしまった。そこにいた三毛の仔猫に気を取られたのだろう。野良猫は逃げて、そして自分はどこにも行きようがない。戻るにも段差が高すぎる。降参して地面を這い上がろうにも、そうなったら手足も顔も、せっかくの衣装も泥だらけになってしまうだろう。さあ、どうする?
自然と笑み顔になりながら観戦してたのだが、次の瞬間、顔がこわばってしまった。
マーチが、とんでもないヘルプを入れてしまったからだ。
彼は、近所の倉庫から、食品――食パンのかたまり――を大量に運びだし、それを落としたのである。
白いパンの山は、泥壁にブロックのように積み重ねられ、ふわふわな構造物を形成する――
信じられん、目を疑う。
しかし現実にその上を、新ルート代わりに、ミラが、ためらいつつも足を踏み入れる。
マーチに伸ばした手を取られ、引きのサポートを受けながら、白いパンを土足で踏みつけて、歩行を開始する――
アイツら食べ物でなにやってんだ――!?!
しかも、よりによって、このシーンで、新人初参加の目の前で――やらかしやがった!
ガッ、と頭に血が上った。
チームのモラルを、怒声を、(流れによっちゃ拳骨を)ぶち込むため外に飛び出そうとした。とたん肩をつかまれ制止させられたのだった。
トノが首を振っている。その握力は、意外と強い――
「どうか冷静に。倉庫にあれしかなかったのでしょう。ならば、それを使う。こんな世界なんです。むしろあれが当然の行為なのだと、かえって我々の方が覚悟しなくては」
「納得がいかん! 聖なる食品だぞ?! 大切な命の糧だ! 金持ちにはわからんのだ!」
「どうか落ち着いて。確かに、がまんできない光景だとは思います。ですが――
かくいう私だって、子供のころ踏みつけて歩いたことがあるのです。そしてそれは、卵でした。長じてからどれだけ苦しんだことか。それに比べたらあれほどのこと、なんの罪があるでしょう。
それなのに“今のタイミング”で叱ったら、根は素直な二人です。回りまわって、この私に負い目を感じてしまう結果にもなりかねません。それは私も辛い。どうか私に免じて、堪えてはもらえないでしょうか――」
「――」一瞬、トノの“洞窟の底”が見えた気がしたのだった。が、彼はすぐに余裕のベールを身にまとう。
「それに、本当に罪はないのかもしれませんよ。見てください。ミラ君が、躊躇しつつもマーチ君のサポートを受け入れている。マーチ君はともかく、あのミラ君が、いくら理由があるとはいえパンを踏みつけるものでしょうか?
あれは、融合の狂い度合いが高すぎて、食べられない何かに変質してしまったモノなのではないでしょうか? だとしたら、それはもはやパンではありません。すなわち、まるで問題ないことになります」
「――」
俺は今一度、視線をもどす。その何かの、踏みつけられた弾力性を推し量る。――粘土を連想したのだった。
自分の負けだった。
冷静になってみれば、こんなとき即座に助言をくれるエマが沈黙したままだ。それどころか、どこからか彼女の「クスッ」という笑いの気配が伝わってくるような。ということは、言われた通り、あれは、もうパンではない何かなのだろう。
「――受け入れます」
思い切って付け加える。
「あなたにはリーダーの資質があるようだ」
トノはにっこりと笑んだのだった。
「唆したってダメですから。その手は食いませんよ」そして付け加える。
「食べ物じゃありませんからね」
笑う。
気分がほぐれた。なんとなく。今回の旅は成功しそうな気がした――




