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[転] 三回目のきのう

   [転] 三回目のきのう



「どこ行っちゃったのかと思ったわ」

 ぼくの上から声がする。見上げると、ミナがいた。

「さっ、散歩行くわよ」

 ぼくの首からひもがぶら下がっている。ミナはそれを取ってぼくを引っぱった。ミナが先に行く。ぼくはミナに引かれてあとをついていった。なんかとても屈辱的。ぼくは「クーン」と泣いた。

 ぼくはまだ、頭の中が整理できていなかった。犬になっちゃったってどういうこと。このあと、ぼくどうなっちゃうの。あのメモっていったいなんだったの。疑問はいっぱいあったけど、結局なにもわからなかった。ともかく、いまのぼくは犬。理由とかそんなことを考える前に犬。その現実をちゃんと見なくっちゃ。

 どうやら、この犬はタロらしい。ミナはタロを散歩に連れて行く途中だったのだろう。学校のそばまでやってきたところで、タロははぐれて、校舎のうらまで来てしまった。そのとき、ぼくがタロに乗り移った、ということのようだ。

 タロの目から見る世の中はちがって見えた。人々を足もとから見ている。小三で小柄なぼくだから、もともと下から見上げることが多かったけど、いまは、それよりもっと低い位置から世界を見ている。目に映るのは、マンホールとか植え込みのレンガとか、靴とかサンダルとかハイヒールとか。なんか、けとばされそうだし、自転車の大きな車輪が横をすり抜けていくと、うわっ、ひかれる! なんて思ってしまう。

 それに、四本足で歩くなんて、ぼくにはもちろんはじめてのこと。なんとなくぎこちない感じがしたけど、歩き方に不自然はなかったと思う。たぶんタロがからだで覚えていたためだ。

 電気屋さんの前を通った。幼稚園ぐらいの男の子がしゃがんで店の中をのぞいている。男の子はチラッとぼくの方を見た。ぼくと目があった。目線の高さはぼくとほぼ同じ。

 あれ、この子――、確かきのうも見たような。そうだ、あのときも電気屋さんの前だった。店の奥にテレビが映っている。えっ? ハリキリレンジャー? あれって、日曜日に放送してる番組じゃないの。確かきょうは、月曜日だったはず――。

 店の奥にかけ時計が見えた。短針が1を指している。ぼくは空を見上げた。そういや、太陽が高い。いま、お昼? 手紙のとおり行動していたのは、放課後だったはず。こんなに日が高いはずがない。犬になったこと自体信じられないことだけど、時間まで変わっている。これっていったい――、どういうこと?


 ここまで話を聞いてくれた人は、いまがいつなのか、もちろんわかっているだろう。

 いまは「きのう」。

 ぼくはきのうに戻ってしまったのだ。それも三回目のきのう。一回目はぼくがトラックにはねられて骨折したきのう。二回目はぼくが間一髪でトラックから逃れたきのう。そして、タロに乗り移っているいまが三回目のきのう、ということになる。

 ややこしいけど、ぼくはいまの状況が少しずつ飲み込めてきた。手紙を書いたぼくは、ぼくがトラックにはねられるのを防ごうとした。ぼくを過去に戻らせ、タロに乗り移らせて、ぼく自身が車にはねられるのを食い止めようとして、あの手紙を書いたのだ。そうだ、タロになったぼくは、ぼく自身の交通事故を防がなければならないのだ。

 それにしてもわからないことは、手紙を書いたぼくが、どうして過去に戻る方法を知ったのか、どうしてあのややこしい手順を書いた古めかしい紙を手に入れたのか、どうしてあの紙のとおりにするとタロに乗り移ってきのうに戻れるってわかったのか、ということ。

 手紙を受け取ったぼくは、あの紙の存在を知っているし、現にいま、タロになってきのうに戻っている。だから、ぼくはいま、過去に戻る方法を知っている、ということになる。すると、いまのぼくは、過去に戻ったことのないもうひとりのぼくに、過去に戻る方法を教えてやることはできる。あしたの一時間目、国語のノートにこのことを書いてげた箱に入れておけばいいんだから。そうすると、過去に戻る方法なんて知らなかったぼくは、過去に戻る方法を知っているぼくに、手紙を通じて、はじめて過去に戻る方法を教えてもらうわけで、そのぼくは、またノートに手紙を書いて過去に戻る方法を知らないぼくに教える――、と、こんなことを繰り返していくことになる。つまり、知らないぼくは、知ったぼくに教えてもらうことで、知ったぼくになって、その知ったぼくは、また知らないぼくに教えて、すると、知らないぼくは知ったぼくになって……。ああ、いったい、どのぼくが、一番はじめに、過去に戻れることを知ったんだろう――。もう、こんがらがっちゃって、わけがわからなくなってくる。

 ともかく、いまのぼくは、手紙を書いたぼくに方法を教えてもらって過去に戻った。これだけは事実なのだ。


 ここまで考えて、ぼくは、きのうのこと、二回目のきのうのことを思い出した。タロが突然おそいかかってきたときのこと。そうだ、タロがぼくにおそいかかってきたのは、ぼく自身を守るためだったのだ。あのときのタロはぼく自身だったってこと。きのうからずっと不思議に思っていたことが、いまになってようやく解決した。

 タロになってから、ぼくはいろんなことを知った。時間移動とか犬に乗り移ったこととか、そういう不思議な現象のこと。それもあるけど、そんなこととはまったく関係のない、タロ自身にとってものすごく重要な事実も判明したのだ。このことを知ったとき、ぼくは開いた口がふさがらなかったね。とにかくおどろくべき事実だったんだから。でもいまは、これがなにかってことは説明しないでおこう。お楽しみにってことで、話の最後にとっておくことにしよう。

 ぼくの目の前には、いつもミナのスカートがはためいている。たまにというか、ときどきというか、しょっちゅうというか、ミナのパンツがチラチラ見えるのだ。もちろんぼくは、わざとスカートの中をのぞくなんてことはしない。でも、見えちゃうんだからしかたがないじゃないか。ぼくが、こうやって下からのぞいているってことを、もしミナが知ったら、なんてことを想像すると、ぼくはとてもおそろしくなった。だってミナが怒ったときって、ライオンににらまれるくらいこわいことなんだから。


 ぼくはミナに連れられて、例のごちゃごちゃした道を歩いていた。自動車やバイクがビュンビュンと横を通り抜けていく。人間のときもこわかったけど、犬の姿になってみると、もっとこわい。

 いまは、きのうの昼すぎ。歩道を歩いているミナに、もうすぐ、人間のぼくが声をかけてくるはずだ。人間のぼくは「ミナちゃーん」と言いながらミナに駆け寄ってくる。そのとき、タロになったぼくがなにもしなければ、車道を走っていたトラックが歩道に乗り上げてきて、人間のぼくをはねてしまうのだ。タロのぼくは、人間のぼくをこっちに来させないようにしなければならない。人間のぼくに向かって、ほえてうなってこわがらせて、とにかく引き返させるのだ。そうすれば人間のぼくは、間一髪で交通事故から逃れることができる。そう、二回目のきのうのように。


 でも――。なんかちょっと引っかかる。本当にそれでいいんだろうか。タロのぼくが人間のぼくをおそえば、確かに人間のぼくはトラックにはねられずにすむ。でもそのせいで、ミナがはねられちゃったじゃないか。

 手紙を書いたぼくは、ミナがはねられることまではわからなかったのだろう。そりゃそうだ。手紙は自動車にはねられた方のぼくが書いたんだから。

 タロのぼくははたと悩んだ。ぼくがぼくをおそわなければ、ぼくがはねられる。ぼくがぼくをおそえばミナがはねられる。なんか禅問答のよう。ぼくは、超難解な問題に立ち向かわなければならなくなったのだ。


(いったい、どうすればいいんだ)


 確か、マンガで読んだことがある。もし、タイムマシンで過去の世界に行けたとしても、その時代のできごとに手を加えてはいけない。本来起こるできごとを止めてしまったりすると、その後の歴史が狂ってしまうからだ。

 世界中のすべてのできごとは、どこかで必ずつながっている。だから、どんな些細なできごとでも、変更してしまうと、世界のどこかでその影響が出てしまうというのだ。「風が吹くと桶屋がもうかる」ということわざ知ってるだろ。まさにそんな感じ。たとえば、算数のテストがあったとして、答えを全部知っている未来の自分がやってきて満点を取ってしまったとする。本当なら六十点くらいしか取れない問題なのにね。満点を取れば、先生にもおかあさんにもほめてもらえる。でも、そのことがきっかけで、回り回って、たとえば、オリンピックの体操競技で日本は金メダルがひとつも取れない、なんてことにつながるかもしれないのだ。

 そうだ、マンガにはこんなことも書いてあった。時間の流れには修復機能があるんだって。もし、未来から来た人が、歴史を狂わせてしまったとしても、時間の流れそのものが、もとの状態に戻そうという力が働くというのだ。

 たとえば、ぼくが、おとうさんとおかあさんがはじめて出会った日まで戻ったとする。そこで、もしぼくが、ふたりが出会えないように細工したとする。たとえば、そのときのおかあさんに出会いの場所に行けないよう妨害するとかしてね。すると、ふたりは出会わないので、ぼくが生まれいことになってしまう。ぼくの存在そのものがなくなってしまう。それだと都合が悪いので、つじつまを合わそうとする力が必ず働くんだって。かりにぼくがふたりを引き合わせなかったとしても、おとうさんとおかあさんは、別の機会に必ず出会って、結婚までして、ちゃんとぼくが生まれることになるらしいのだ。

 別のたとえをしよう。たとえば、地震とか台風とか、なにかとても大きな災害に見舞われて、何人もの人が死んでしまう、というできごとがあったとする。こんなとき、タイムマシンがあれば災害が起こる前に戻って人々を避難させることができて、大勢の人を助けることができる、そんなふうに思うよね。でも、そうやって避難させても、結局は亡くなる人の数は同じになっちゃうんだって。だれかを助けると、ほかのだれかが不幸にも死んでしまう。それが時間の流れというものなのだ。時間の流れは曲げられない――、とても悲しいことだけどね。

 いまの場合、ぼくが自動車にはねられるってことは、曲げられないできごとで、もし曲げてしまうと、ほかのだれかがはねられて、骨折するってことになってしまうのだ。二回目のきのう、タロになったぼくが人間のぼくをおそって、事故にあわないようにしたのはいいんだけど、代わりにミナが事故にあってしまった。時間の流れのもとに戻すって力が、こんなふうに働いちゃったんだ。


(じゃ、どうすればいいんだよ)

 タロになったぼくは、ミナに連れられながら、そのことばかり考えていた。

 ぼくが骨折するのを回避すれば、ミナが骨折する、もし、ぼくもミナも骨折しないようにできたとしても、ほかのだれかが足の骨を折ってしまう。結局、だれも骨折しないなんてことはできない。それが時間というものの宿命だって。

 でも、でも、このままほっとけないじゃないか。どうしよう、どうしよう。どうすればいいんだ……。

 そんなことを思っていたとき、ミナは例の洋服店の前までやってきた。ミナがショーウィンドウの中をのぞき込んだ。

「ねっ、タロ。見て見て。あのスカート、ひらひらのとこ、とってもかわいいと思わない。わたし、あんなのはいて、学校に行きたいな。クラスの女子に自慢できるし、ひょっとして、となりのケンちゃん、いいじゃん、って言ってくれるかもわかんないし……」

 ショーウィンドウの中で、小さい女の子のマネキンが、にこっと笑ってこっちを見ている。へえ、あんなスカートがね、かわいい――、のかなあ。スカートのことなんか、男のぼくには、よくわからない。もし、ミナがあのスカートはいて登校してきたら、ぼくは、いいじゃん、と言ってやんなきゃいけないみたい――。ああ、女の子って、面倒だね。

「でもたぶん、おかあさん、買ってくれないわよね。だって、あんなに高いもん。タロがおかあさんに言ってくれたらなあ」

 ミナは、そう言ってぼくを見た。ぼくは、退屈そうに、おおあくびしてやった。

 ふと、来た道の方を見た。少し先に人間のぼくがやってくるのが見えた。

 そうだ。こんなこと、考えてる暇ないんだよ。もうすぐ、ぼくがやってくるじゃないか。ああ、どうしよう。どうしよう。なんとかしなくっちゃ……。


「ミナちゃーん」

 人間のぼくがミナを呼んだ。ミナが振り向く。

 ああ、どうしよう。ぼくは、ぼくにほえるべきか、ほえないでおくべきか……。

 このあと、ぼくがとった行動、タロとしてのぼくの行動のことだけど、それは、いまでもぼくの記憶の中にはっきり残っている。


 トラックが近づいてきた。かなりスピードが出ている。運転手は携帯電話を見ていた。前を見ていない。

 ぼくは、近づいてくるトラックに向かって、思い切りほえた。

「ウーッ、ワワワワワーーン、ワワワーン、ワン、ワン……」

 ミナは、びっくりしてぼくを見た。人間のぼくもびっくりして立ち止まった。だが、運転手の方は、気づいてくれていない。

 ぼくは、ミナの手をガブッとかんだ。

「キャッ」

 ミナはそう叫んで、首ひもから手を離した。ぼくは首ひもを垂らしたまま、駆けだした。

「タロ、あぶない!」

 トラックが向かってくる。ぼくは思い切りジャンプした。からだがフロントガラスにぶち当たった。ゴツンと音がした。

「キャン」

 ぼくは叫んだ。人間だと「痛っ」と叫んだんだと思う。運転手がぼくに気がついた。おそろしい形相でぼくを見た。口を大きくあけて、なにか叫んだ。「どけーっ」とかなんとか、そんな言葉。ぼくも必死だった。ワイパーに足を引っかけて、フロントガラス越しにぼくは、運転手にほえた。

「ワワワーン、ワン、ワン、ワワワン」

 トラックが歩道に乗り上げる。車体が大きく揺れた。キキキーッ、急ブレーキがかかる。反動でフロントガラスに頭がぶち当たった。トラックは、洋服店に突っ込んでいく。

 一瞬のことだったけど、ぼくは思った。なぜか、急に冷静になって。

 たぶんぼくは吹き飛ばされるんだ。そして、どこかに右の後ろ足をぶつけて、骨を折ることになってしまうんだ。骨折するのはぼく、タロのぼく。タロだって生き物だ。骨を折れば痛いに決まってる。でも、でも、人間のぼくは骨折したくないし、ミナにけがさせるのもいやだし、ほかの人にけがを負わせるのもいや。タロにすれば、勝手にぼくに乗り移られてけがを負わされて……。人間って、勝手だと思う。ごめん、タロ。でも、でも、でも……。

 トラックが洋服店のショーウィンドウに突っ込んだ。その衝撃でぼくも、ショーウィンドウにぶち当たった。「キャイーン」とほえた。そのあとぼくは、三、四回、空中で回転して、なんと、歩道のわきにふわりと着地したのだった。両足ならぬ四本足で、ストンって感じで。ぼくにこんな運動神経が備わっていたなんて。まるで猫が着地するようだった。


「タローッ」

 ミナがぼくに駆け寄ってくる。しゃがみ込んで「大丈夫、けがしてない」と言ってぼくのからだをさすった。

 ぼくは自分の足を確かめた。ジャンプしてみる。四本とも異常がない。来た道の方を見た。人間のぼくが、おどろいた様子で立っている。事故に巻き込まれた様子はなかった。ミナの方もなにもなかったみたい。トラックが洋服店に突っ込んだとき、回りに人はだれもいなかった。つまり、ほかにけがした人もいない。ぼくもけがしてない。

(あれっ、どういうこと? だれもけがしないですんだってこと?)

ショーウィンドウの前で、運転手が洋服店のおじさんに何度も頭を下げている。

「ほんとにもうっ、困るんだよね。気をつけてくれなきゃ」

「はっ、はい。すみません。でも、あの……、犬が……」

「犬のせいにするっての。あなた、携帯見てたじゃない」

「あっ、はい、そうです。すみません……」

 ショーウィンドウの中で、小さな女の子のマネキンが倒れていた。見ると右足が折れて空洞の足がむき出しになっている。マネキンは、痛そうな素振りも見せず、にこっと笑っていた。ひらひらのスカートをはいて。そうか、このマネキンが代わりに骨折してくれたのだ。

 ぼくは思った。やったねって感じ。ぼくはジャンプして、ミナのスカートに飛びついた。スカートがひらりと舞って、また中のパンツが見えた。


 このあと、ぼくらは緑の森公園に行った。ミナがフライングディスクを投げる。ぼくは思い切り走って地面に落ちる直前、それを口でキャッチする。犬になって駆け回る、こんなおもしろいことはじめてだ。タロのからだって、ものすごく身軽で走りやすいんだぜ。首ひもをはずしてもらっているぼくは、広い原っぱを全力で駆け巡った。

「ケンちゃんもやってみる?」

「うん」

 ミナにうながされて人間のぼくがフライングディスクを投げる。タロのぼくは走る構えをして待った。けど、人間のぼく、投げ方がまずくて、フライングディスクは全然ちがう方向に飛んでいった。そうなんだよな。だいたいぼく、足は速いけどこういうの苦手なんだよ。

 タロのぼくは人間のぼくに言ってやった。「エンワーウオーン」ってね。えっ、どういう意味かって? 「へったーくそー」ってことだよ。


(つづく)


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