ゆがんだ愛
遮る物のない、旱魃でひび割れた大地が広がる、数百年後の世界が舞台。
逃亡中だったダルテは、妖の少年・昴と出逢い、恋をする。玻渓の妨害を、共に乗りこえた二人はその末に結ばれ、ダルテは昴との子を懐妊。
人に惹かれる妖と、妖に惹かれる人間。
二人は、幸せになれるのだろうか?
昴は、風の中でぴたりと動きを止めた。
遠く、かすかに咆哮が聞こえたような気がする。
妖魔のものではない、人間の叫び声だ。
それも、鬨の声。
憎悪で大気が穢れていて、ひどい胸やけがする。
昴は鼻の頭に皺を寄せると、くるりと踵を返した。
青国、玄椿宮の一室。謁見の間の、玉座にて。
玻渓は、跪礼した官吏たちが一面を埋め尽くす中、大音声で言った。
「王妃を連れ去った妖を、一族郎党、全て殲滅させることを命ずっ、勅命だ!」
官吏たちは、一斉に是を唱えたのだった。
翌日早くに、討伐隊が組まれ、玄椿宮の禁門を数万の騎馬兵が出て行った。
「そうか……ご苦労さん」
ダルテの、足元に寝そべっていた月代が、ふいに呟いた。
どうやら、眷属からの使令らしい。
「月代?」
心配そうに覗き込んだダルテに、月代は『大事ない』と不敵に笑う。
「調子こきやがって、あのバカ(玻渓)……騎馬兵よこしたな」
「きっ、騎馬兵?!」
ダルテは、慌てて聞き返す。
騎馬兵は、大規模な戦でも起こらない限り、動くことがないからだ。
戦と言っても、たかが知れているが、戦となれば自国だけではなく、他国にまで無用な被害を出すことになる。
それだけは避けなければ。
止めなければ!
なんとしても……。
ダルテは、きつく唇を噛みしめた。
「さ〜すが暴君、やることが違うねぇ……けど、所詮若造だ。こっちにゃ、いくらでもテはあるんだぜ?妖怪ナメんじゃねぇ!」
すっくと、起きあがると同時に人型になり、月代は拳を握った。
「なぁ親父、アイツ(玻渓)噛み殺していいか?」
ぽろりと、えげつないことを言ったのは昴だ。
「やめとけ、んなバカ喰ったらバカが移る。これ以上バカになってどうするんだよ」
からからと笑う月代に、昴は、本気なのか戯れなのか曖昧に食ってかかる。
「バカって言ったヤツのが、もっとバカだ」
ころんと寝そべって、ダルテに甘える昴。
「もう……二人とも、戯けてられる状況なの?」
「問題なし、アイツら(眷属)に夜闇に乗じて数を減らせといっておいた」
さらりと言って、しなやかな尻尾をぱたつかせる昴。
「減らすって……」
(そこは聞かないけど……たぶん、絶対殺すのね。簡単に言える妖怪って、そこら辺がスゴイ)
‐‐―と、ダルテは、ふいに胎動を感じて『ほぅ』と安堵の溜息をついた。
「どした?ダルテ」
ふに、と首を傾げる昴に、ダルテはふんわりと微笑んだ。
「お腹の子……この子ね、最近よく蹴るの。ほら、分かるかしら?」
ダルテは、孟極姿の昴の頭を抱いて、まろい腹に耳をあてがった。
「すげぇ……ボコボコ言ってるなぁ」
一見、微笑ましい光景だが……。
あまりの糖度の高さに、月代は「うぇ〜っ」と顔をそむけて毒づいた。
「ねぇ、あれ……『暴君』のとこの騎馬兵じゃない?」
黄砂混じりの風が、はたはたと長い銀髪を嬲っていく。
青国の東寄りに位置する瀛国の崖の上、二つの影のうち一つが、広野を疾駆していく騎馬兵の群れを見送りながら言った。
「青国軍か、ダルテ……他の奴らの話だと、孟極の村にいるって言うが。このザマからして、ガセじゃあなさそうだ」
「行こう、鉄……あたし、早くあの子に会いたいっ」
鉄と呼ばれた短髪の男は、グイグイと袖を引っ張る双子の妹・セリンの頭を撫でた。
「ああ……行くぞっ、セリン」
こくんと頷いて、セリンは大きく人型を歪ませた。
鉄も同じく転変すると、狼のような、銀の獣が顔をもたげた。
二人は、猗即という妖魔で、日常においては、人間の姿で生活している。
妖魔の殆どは好んで人間の姿をとるのだ。
虫・爬虫類・魚類の一部を除いては、どの妖もそれだけは共通していた。
希少種の鉄とセリンは、兄妹でダルテの故郷の村に身を寄せていたが、皇帝軍が攻めてきた際、鉄達の命と引き替えに、ダルテは青国皇帝の下女として連れて行かれてしまった。
自分たちを、本当の兄妹のように慕ってくれたダルテ。
なんとしても助けたい、力になりたい。
二頭の大型の妖魔は、遁甲すると深闇の底の道を俊敏に駆けていった。
「昴……あたし、玻渓を止めなきゃいけない。手伝ってくれるかしら?」
庭で花を摘んでいたダルテは、その手を止めて、ひたと昴を見た。
「俺は……いつでも傍にいる、心配すんな」
昴は、やんわりとダルテの背を押すと、少し低めの切り株に座らせる。
「あんまり根つめるな?腹の子にもよくない」
そう言って、昴は眉尻を下げた。
「心配してくれるのは嬉しいけど、あたしだって……いざというときは、ちゃんと戦えるんだから」
不服そうに、頬を膨らませたダルテに、昴が笑いかけた瞬間、地面の下から固く緊迫した声が発せられた。
「多種属の妖が二頭、近づいて参りますっ、いかがなさいますか!?」
「種族はっ?」
鋭く聞く昴に、眷属はややしばらく戸惑ってから、やっとおずおずと言った。
「……猗即です」
「なに!?なんで猗即なんかがっ」
おろおろとし始めた昴は、ダルテを庇うように抱き締めた。
「す、昴……苦しいわ?どうしたの?」
「猗即がくるっ」
「え?」
首を傾げるダルテに、昴はしがみついて震えだした。
ダルテは、ぱちんと一つ瞠目をする。
猗即という名に、覚えがあったのだ。
「昴、あたしの話を聞いて?猗即、彼らは敵じゃないわ?なぜ向かってくるかは分からないけれど、あたしのよく知ってるヒトたちなの」
「なっ、なんで知ってるんだよ〜っ」
まるで、子猫のようにぶるぶると震えながら尋ねる昴に、ダルテはにっこりと微笑んだ。
「それは、二人に直接聞くといいわ?」
どうっと、強い風が黄砂を巻き上げる。
風がすっかり止んで、顔を庇っていた腕を降ろすと、昴とダルテの前には、銀髪の少女と少年が佇んでいた。
「ダルテ!」
走ってきた少女と、ダルテはひとしきり抱き合って、再会を喜んだ。
「セリン! 元気だったのね、よかったぁっ」
「あたしだけじゃないわよぉ、ね?鉄っ」
「おう、元気そうで安心したぜ……一悶着あってから心配でな」
セリンの後ろから、ぬっと顔を出した鉄に、ダルテはにっこりと笑みを咲かせた。
「あたしも元気よ、彼が力を貸してくれたの」
ダルテは、ぎゅうっと昴を抱き締める。
ぽかんとしていた昴は、視線が集まって、一つ瞠目をした。
「この子を、助けてくれてありがとう、あたし…ダルテと同郷のセリンっていうの、こっちは兄の鉄。あなたは?」
新緑の瞳をしばたかせて、セリンは愛嬌たっぷりに、ひょくっと首を傾げた。
「す、昴」
「そっ、よろしくね〜」
やや後じさった昴を気にしたふうもなく、切れ長の目元を和ませてセリンは笑う。
居心地悪そうに、昴は、するりと人型に戻った。
(よろしくっていわれても、なぁ?)
「ダルテ〜……お前、なんか太ったんじゃねぇか?腹とか、出過ぎだろ」
からからと笑いつつ、ダルテをからかう鉄だが、一人だけ見解がずれている。
いち早く気づいたセリンは、一瞬にして赤面した。
「鉄ったら、もうおバカっ!」
セリンに背中を叩かれ、がしがしと頭を掻きながら毒づく鉄。
「ってーなァ、なんだよセリンっ」
「鉄らしいといえば、らしいわね。あたし……いま赤ちゃんがいるの」
くすくすと笑いながら、ダルテはまろやかな腹部をなで上げた。
「はぁっ!? だ、誰のだ――‐‐―っっ、まさかあの男(皇帝)のじゃないだろうなっ」
あの男殺す! と構える鉄を、ダルテは慌ててなだめた。
「ああ、違うのよ……あたしのダンナはこっち、昴なのよ」
「……ぼうず、昴だっけか?」
ずい、と身を乗り出した鉄に、昴は一瞬にして石化してしまった。
「あっ……ああ」
鋭い眼光に、昴はぎくしゃくと身じろぐ。
(睨むなよ〜……寿命が縮む――‐‐!)
「ありがとな」
「え?」
鉄の、鋭い眼光の強面が、柔和にほころぶ。
あまりのギャップに、昴はまたも瞠目した。
「ダルテを、救ってくれてありがと名……心から礼を言う」
「礼なんて、別にっ……俺は、自分のしたいようにしただけだ」
「ダルテを、頼むぞ」
そこで言葉をとぎらせて、鉄は鼻の頭に皺を寄せて、風の匂いを嗅いだ。
「殺気に、風が穢れている……早く、ダルテを連れて中へ入れ」
「あんたは?」
「俺は、ここで見張ってるさ、早く行け」
「わ、分かった、行こう、ダルテ」
昴が、ダルテの手を引いた瞬間。
それに一瞬遅れて、びんっ、と大気が震える音。
バッ、と鮮血が舞う。
腕を引かれたままのダルテが、宙を躍った。
昴は一瞬、なにが起きたのか理解できなかった。
ダルテの背中を貫く、一本の矢。大量の、赤い水たまり。
「ダルテ……ダルテ‐―‐――‐っ!?」
昴は、血まみれのダルテをそっと抱き起こす。
「バカ野郎が! 動かすンじゃねぇっ」
飛び出してきた月代は、自失している昴からダルテを取り上げると、刺さっている矢を握りしめる。
すると、矢は跡形もなく溶け失せた。
「大丈夫……中身は無事だ、だが失血がひどい。どうする、手段は一つ‐―‐―血を分ける。それで、同属になるしか方法はねぇ。人間を、やめることになる、それでもいいか?」
「お願いよ……お腹の子、助けて」
ダルテが頷いたのを見届けると、月代は、ダルテの傷口にそっと手首を宛てた。
傷口から、血を飲ませるのだ。
「月……代」
ぱたりと、ダルテの手が、力なく大地に墜ちる。
と同時に、ダルテを青白い光の膜が包み込んだ。
「ここを頼む、俺は……アイツを殺しに行く!」
月代は、セリンにダルテを託すと、崖の上に佇む玻渓を昂然と睨んだ。
どうも、維月です。
更新が遅れてしまい、申し訳ありません。
ここまで読んでくださった読者様方には感謝感謝です。
次回、最終話(になる予定)です、乞うご期待ください。