夜明けの月
昴と引き離され、ついに玄椿宮に連れ戻されてしまったダルテ。王妃という使命を押しつけられ、ダルテは使命と恋の狭間で揺れる。
遮る物のない、ひび割れた大地を、人間との共存を願う妖の少年・昴が夢を抱いて荒野を渡る。
異世界が舞台に繰り広げられる、ラブロマンス
玄椿宮に戻されたダルテは、自室に閉じこもると、声をあげて泣いた。
泣いたところで、今の状況が少しも変わらないのは、分かっている。
分かっているのに、吐き気がするほどに痛かった。
何もできない自分を、心底から呪った。
どれくらい、そうしていたのか。
ダルテは、月明かりの中で目を覚ました。
潮騒が室内に、軽やかに木霊している。
ダルテは、ゆっくりと起きあがると、静かに窓辺に近づいた。
夜明けが近いのだろう、どこまでも、うす青い海の上に、月が溶けていた。
けれど、なんの感情も浮かばない。
思い出すのは、必ず迎えに行くと言った、昴のことばかり。
ダルテの部屋に宛てられているのは、全面が玻璃で作られた温室だった。
海際の、崖に置かれているダルテの部屋は、本来ならば後宮にあるべきなのだが、ダルテに甘い皇帝が、贅を尽くして、作らせた物である。
美麗に着飾って、珍しい料理や、菓子を食べても、ダルテは少しも幸せではなかった。
このままではいけない。
何とかして、ここから逃れることを考えよう。
‐‐―‐―‐でも、どうやって逃げればいい?
「お帰りなさい、お姫様…今度はどちらまで行かれた?」
ダルテの後ろで声がする。
しかし声の主の姿は、どこにも見当たらない。
ただ、闇が横たわっているだけだ。
どこにいるかというと‐―‐‐―足元である。
足元の、ダルテの影の中に隠れている。
これを遁甲といい、妖の類ならば、なんであってもできる術だ。
「月代、ちゃんと顔見せてよ…久し振りなんだから」
はいはい、と返事が返ってくるとすぐに、影の中から、銀色の獣が躍り出た。
孟極である。
月代と呼ばれた孟極は、ダルテの従者として傍にいるが、実は斥候で、妖たちへの情報提供をしている。
ダルテとは志が合い、宮城からの、脱出を企てているのだった。
「あ‐‐―‐懐かしい匂いがする、白圭か。しかし随分と遠出したな?」
ぶるっと身震いすると、月代は、短髪の青年に変わった。
「遠くに、行きたかったの。楽しかったわ…全部が珍しくて」
ニヤニヤとしている月代に、ダルテはその柳眉を寄せた。
「いやね、笑ったりして…なぁに?」
「そんな顔、初めて見たよ…恋でもしたのか?」
「したわよ…」
「言ったな、しかも素直に」
ダルテは、疲れたような、泣きそうな顔をする。
触れたら、崩れてしまいそうなダルテに、月代は、ポリポリと頭を掻いて困った顔をした。
「昴だろ?そいつ」
「同族は、すぐ分かるのね…そうよ、彼の所にいたの」
(こいつ!?)
月代は、まじまじとダルテを見る。
「厄介だな、ひとヤマ起きるぜ?」
「ひとヤマって、昴…まさか!」
ダルテは、夜目にも青くなった。
向かってくる昴に向けられる、射士が放つ矢砲の雨。
そして斃れる昴。
「どうしよう月代!このままだと昴がっ、そんなのイヤよっ…ねぇどうにかして?」
「いくらかける?」
しがみついたダルテを見おろして、月代は、ニカッと笑った。
彼は、いつもそうなのだ。
いくらといっても、妖と人間の金銭感覚は違うので、それに相当する物で、やりとりするのである。
「…キス、したげる」
「は!?」
ダルテの爆弾発言に、月代は、目を丸くして身を乗り出してしまった。
「マジかよ…って違う!俺は横取りしねぇ主義だっ」
「じゃあ、なにがいいのよ」
ぶ−っと顔を膨らすダルテに、月代は首をすくめる。
「そうだなぁ…木天蓼一握りかな」
「ふうん…やっぱり猫なのねぇ」
しみじみと言うダルテに、月代はコケた。
「猫じゃねぇよ…これでも一応、妖怪なんだぞ?」
「分かったわよ、木天蓼ね…すぐ用意するわ」
ダルテは、ベッドの脇の棚から、黒檀の小箱を取り出した。
いつも傍に(宮城内では)いる月代のために、ダルテは木天蓼を部屋に常備しているのだ。
「サンキュ。なぁダルテ?キスってのは、俺たち妖の中では重要なことなんだ。もう…しかも、俺なんかに言うな」
「重要って、どうして?キスはキスじゃない」
可愛らしく首を傾げるダルテに、月代は、真っ赤になって頭を抱えた。
月代が言う重要性というのは、妖たちにとって、キスという行為自体が、プロポーズを意味するのである。
「どーしても!」
「ふーん、ねぇ月代…あたし、なんかもう疲れちゃった」
「どういう意味だ?」
孟極に戻って、木天蓼にじゃれていた月代は、緑黄の瞳を丸くした。
「死にたい…でも、それができないの」
死‐‐―‐―‐しかしそれは、一瞬のきらめきで、永遠の空白。
ぽそ…とベッドに倒れたダルテに、月代は、いたたまれなくなって頬を寄せた。
(哀れな…齢16で、王妃が務まろうか…こんなに細くて、震えているのに。必ず、昴の所に戻してやるからな!)
「ダルテ、俺に任せろ、策がある」
「策?」
ダルテは、ひょくっと首を傾げる。
月代は、そんなダルテの、頭を撫でてから笑った。