涙華
昴とダルテの間に亀裂が!?
二人を引き裂く互い違いの歯車は、残酷にも始動を始める。
実は、ダルテは…
遮る物のない、ひび割れた大地を人間との共存を願う妖の少年・昴が夢を抱いて荒野を渡る。
ダルテは、妙な胸騒ぎを覚えて、ベッドの中で身を固くした。
いつもならまだ眠っている頃なのに、今日はなぜか、早くに目覚めてしまったのだ。
周りは、まだ僅かにうす青かったが、見あげた空は明けているようで、白く、無機質だった。
ダルテは窓を開けると、舞い込んできた、まだ冷たい朝風の中で目を瞑った。
「ついに、『この時』がきたのね…やっぱりあたしは、行くしかないんだわ」
ダルテは、感じ取っていたのだ。
平穏に見えた暮らしの中で、着実と迫りくる、追跡者の影を。
ついに来た…。
昴との、訣れの時が。
来てしまった。
ダルテは部屋を整えると、まだ眠っているだろう、昴の部屋に入っていった。
安らかな昴の寝顔に、涙をこらえて微笑み、ダルテはそっと頬寄せる。
「ずっと、素直になれなくて…ごめんね。大好きよ?昴…あたし、あなたを本当に愛してた」
昴を起こさないように口づけると、テーブルの上に手紙を置き、ダルテは去っていった。
ダルテが昴の村に行くと、顔見知りの村人達が、ダルテを囲んだ。
「ダルテ、本当に言いだしづらいんだが、昨夜にお役人が来てな」
「ホント、あんたにゃ悪いと思ってるんだが…」
囲んだ村人たちが、ぽつりぽつりと言い始める。
「すまんダルテ、これも…群れ存続のためなんだ。分かってくれるな?」
たくさんの、哀願の瞳に見つめられて、ダルテは一歩を踏み出した。
ダルテとて、昴や、その村人たちを、危険にさらしたくはない。
「分かったわ…あたし、行きます。ごめんなさい…今まで、どうも、ありがとう」
語尾が、掠れた。
ギュッと引き結んだ唇から、血が伝う。
深々と頭を下げた、ダルテの頬を、涙が伝っては散った。
「…迎えは、もう来ているだろう…尖梁に行きなさい」
ダルテは無言で頷くと、背を向けた。
尖梁は、白圭で唯一の高台である。
ダルテが滑落し、蒼牙と対峙した場所でもあった。
ダルテは走り出す。
決心が揺らぐ前に、ここから離れなければ。
きっと‐‐―――出逢ったのも罪、恋したのも罰だったんだろう。
だから、こんなにも痛い。
誰かの傍にいることが、こんなにも、心安らぐだなんて…。
初めて玄椿宮で、皇帝の前に引き出された時は、殺意さえ抱いたのに。
信じられなかった。
自分が、ここまで、人を愛せたことを。
昴は、ゆっくりとベッドから起き上がり、きょろきょろと周りを見まわした。
空気が、いつもと違うように感じたのだ。
いつもなら、こんなに早くに起きたりはしない。
けれど、たとえようのない、不安にかき立てられ、黙っていられなくなったのだ。
ふと目の端に、二つ折りの紙切れが映って、慌てて昴は飛びつく。
それは、短い文で書かれた、手紙だった。
【お願い、あたしを…忘れてちょうだい。これ以上、昴たちを困らせたくないの、だから、もうこれきりね…さよなら】
尖った文字は、所々震えていた。
「なに考えてんだよ…できるかよ、そんなの!」
握り潰した手紙を放り投げて、昴はすみかを飛び出した。
ダルテが、どこに行ったかなんて、見当もつかない。
けれど、とにかく走った。
離れたくない! 離したくないっ!
ただ、その一心で。
ダルテを待っていたのは、武装した兵士たちと、4頭の青い馬‐‐――三騅が繋がれた馬車だった。
「ずいぶん、強引なお迎えね?」
鼻白むダルテを気にもせず、人群れの奥から、青白い顔の優男が現れ、ダルテの足元に跪いた。
それと同時に、兵士たちも一斉に伏礼する。
青白い顔の優男は、青国の宰相で、年の頃はダルテと大して変わらない。
「畏れながら王妃様、村人には一切、危害は加えておりませぬ」
「フン!」
宰相の、飄々とした態度が、ダルテの神経を、さらに逆なでした。
「主上も、ひどく御心を砕いてらっしゃるご様子。さぁ、早くお戻りください」
「押さないでっ、自分でできるわよ!」
強く掴まれた腕を、振り払うダルテ。
自分から馬車に乗り込んだことを、ダルテは深く後悔した。
もう二度と、ここには戻れないだろう。
宮城の、奥深くに幽閉されて終える一生。
それが厭で逃げたのに、結局このありさまだ。
諦めかけたその時、ダルテは空耳を聞いた気がした。
昴の声だ。
それに混じって、兵士たちの怒号も聞こえてくる。
「ダルテ!ダルテ‐‐――‐っ、そこにいるんだな?!」
「村の小童がっ、さがれ!おのれなぞ、一目たりとも罷りならぬっ」
「そんなの、知ったことか!ダルテは、ダルテだろうがっ」
(いけない!このままではっ)
このままでは、兵を挑発してしまう!
ダルテは叫んだ。喉が、裂けんばかりの声を張り上げる。
しかし、兵の怒号や、馬の嘶きにかき消されて届かない。
「分からぬ奴だ…射士、構えっ!」
一瞬にして、空気が凍りついた。
殺気が、一つに集中しているのだ。
「やめてっ!その人を撃たないでっ、あたしを迎えにきたのでしょう?戻ります、だからやめて!その人は…あたしとは、なんの、関係もないわ」
車内からまろび出たダルテは、昴を背に庇い、周りに分からぬよう、小声で謝った。
「ごめんね、昴…関係ないなんて言って、でも…こうするしかないの。分かって」
「…ダルテ、俺、絶対お前を迎えに行くから、待っててくれっ」
ダルテは頷くと、諦めたように笑い、馬車の中に消えていった。
号令と共に動きだした、馬車が去っていくのを、昴は、ずっと見送っていたのだった。