嫉妬ですね…。
人間に興味を持つ妖の少年・昴は、逃亡中の人間の少女・ダルテを匿っていることが、まわりに、うっかりばれてしまい…?
人間との共存を夢見る妖の少年が、夢を抱いて黄塵の地を渡る。
異界が舞台に繰り広げられる、ラブロマンス
ダルテを匿ってから2日も経たないうちに、どうも、どこからか彼女の存在が知られてしまい、昴は始終、ダルテの傍に張りついていた。
「昴ってば、大丈夫よ…なんか恥ずかしいわ?」
「いーや!大丈夫じゃねぇ、見張ってないとまた、ひっかき傷が増えてるじゃねえか!どこのどいつだ…見つけ次第、ぶん殴ってやるっ」
「ちょっとちょっと…」
朝から、ずっとこの調子が続いているのだ。
心配してくれているのは分かるが、はっきり言って、邪魔くさい。
ダルテがお気に入りな昴は、激しく(それも、かなり)アピールするが、今のところの効果はゼロ。
鬼ごっこのような2人の関係は、昴の村の村人を和ませているが、その裏で、嫉妬があるのもまた事実で…。
昴がいない、僅かな時間を狙って現れる影は、ダルテを恐怖の中へとたたき込んだ。
それでも、ダルテは持ち前の気丈さで、平常を保っていた。
音もなく現れる影。
勿論、妖なので当然だが。
「ダルテって、あんただね?昴のお気に入りだか、なんだか知らないけど…あんまり調子乗ると、痛いめ見るよ。これは警告だ…さっさと人間どもの村に行っちまえ!」
風が動いて、鮮赤の雫を散らせた。
「痛っ!何よ、アンタこそ姿も見せないでっ、その方がよっぽど卑怯じゃない!」
怒鳴った瞬間、ダルテの視界が、勢いよく反転した。
突きとばされたのだ。
黄土色の、土煙が起こる。
背中に重みを感じてダルテは、煙の中の影を、きつく睨んだ。
背中を、踏まれている…。
「認めない…あたしは、アンタなんか認めないからね!横恋慕もいいところだ、この泥棒猫っ、お前なんか、役人どもに突きだしてやるんだからっ」
ダルテは凍った。
追っ手が、ここまで手を回してきている!?
「な…ぜ、まさかっ」
「アンタ、追われてるんだってね。アンタを見つけ次第、連れてこいと言ってたけどこの際…一気に楽にしてやろうか」
ニヤリと意地悪に笑うと、彼女は、ダルテの襟首を掴み上げた。
小柄なダルテは、地面から足が離れて、じたばたともがく。
楽…?
すなわち、死ぬということ。
ずっと、そうしたかったではないか。
願ってもない。
生まれ落ちた罪‐‐――‐‐生き残る罰に、ずっと苦しんできた。
もう、なにも苦しまず。
追っ手から逃げることもなくなる。
なのに。
そこに昴の顔が、ちらつくのは、なぜ?
生きたいと、思ってしまう。
ねえ、生きたいと思うのは…いけないこと?
「その、必要はないわ」
「その必要はねぇよ」
言葉が重なる。
ダルテの、首を締めあげていた手が離れ、ダルテは、気がつくとその場に座りこんでいた。
「やっぱりお前か、蒼牙!お前こそ大概にしねぇと…その首がなくなると思えっ」
ダルテは、別に怖かったわけでもないのに、喉が締めつけられて、声が出なかった。
「しっかりしろダルテ、ごめんな…怖い思いさせて」
昴は、蒼牙というらしい、少女をギロリと睨むと、ダルテを強く抱き締めた。
「ふんっ、せいぜい仲良くすることだねっ、お前たちなんか、絶っ対に、引き裂いてやるんだから!」
昴と同じ色の長い髪を、振り乱して走り去った蒼牙を見送りながら、ダルテは深い溜息をついた。
「ひどい目に遭わせてごめん、帰ったらすぐ、手当てしてやるからな?」
ダルテは、なにも言わずにきつく、血が滲むほど唇をかみしめた。
(どうしても、どこまで行っても、逃げ切れない!)
温もりを…。
決して幸せにはなれないと、分かっていても望んでしまうの。
生まれ落ちた罪、生き残る罰が…いつもついてまわる。
もういい、もうたくさんだ。
不幸になるのは、あたし一人でいい。
なにも、無関係な、昴を巻き込むことはないのだから。
このまま、ここを去ろう。
あの女・蒼牙だかの、言いなりになるみたいで嫌だけど。
昴が傷つくより、幾分かはマシだ。
「帰るぞ、来いダルテ」
肩を抱かれ、押されるまま、ダルテは歩いた。
辺りが、深闇に包まれた頃。
ダルテの部屋のドアが、せわしなくノックされていた。
「ダルテ、ダルテ!出てきてくれ、少しだけでもいいから、なんか食わねぇとっ」
昴は、ダルテの部屋のドアの前に張りついて、必死にダルテを説得していた。
「食べたくない…具合が悪いのよっ」
しばらく間をおいて、弱々しい返事が返ってくる。
「お前が心配なんだ、出てきてくれ、頼むよ!」
「……」
それからまた少しした頃、ドアが開いて、ダルテがやつれた顔を出した。
「じゃあ…少しだけ、もらうわ」
夕食の、雑炊さえ喉を通らないほど、ダルテは塞ぎこんでしまった。
一口をすくっては、さじを戻してしまう。
「気にするなよ、あんなヤツの言葉なんて…それより、ちゃんと食わないと、また弱っちまうぞ?」
ついててやるから食え、と諭す昴の優しさに、ダルテは再びさじを取り、一口ずつだが、ゆっくりと食べ始めた。
「おいしい…」
「そう、その調子だ」
嬉しそうに微笑む昴に、ダルテも笑い返す。
鍋に残っていた雑炊を平らげて、ダルテは椀を台所に戻した。
けじめは、つけなければいけない。
分かっているのに、なんだろう?
この胸の、つかえが取れないのは、なぜ?
「っきゃ!」
「おっとっ」
よろめいて、皿を落としそうになったダルテを、昴は慌てて、胸板で受け止めた。
目が合い、ダルテはあたふたと目をそらす。
「ごめん、ぼぅっとして…」
「いや、別にいいさ」
形容しがたい雰囲気が漂い始め、ダルテはさらに慌てた。
昴の目が、心なしか熱っぽい気がするのは、気のせいだろうか?
「昴、あの…離して、くれる?」
顔から火が出るとは、まさにこれを言うんじゃないだろうか?
目が、そらせない!
「いやだって、言ったら?」
コロコロ、と椀が、ダルテの手から転がり落ちた。
言いかえす間も与えずに、ダルテの唇は奪われていた。
「んっ、んんっ…や、ん…」
始めは、触れるだけのキスをして、それから愛惜しむように深く口づけ、舌を絡める。
(だっ、ダメ!後ろにはソファがっ、倒れ…)
杞憂するが、既に遅く…。
細いように見えて、案外たくましい腕に抱かれて、ダルテは酔った。
昴の傍にいると、とても落ちつく。
欲してくれる、彼が嬉しかった。
けど、ダメなものはダメ。
けじめはつけないと…。
まだ夜も明けきらない頃、ダルテはそっと、昴の腕から抜けた。
壁に掛けてあった外套を羽織って、静かに昴の家を後にした。
ダルテの頬を、いく筋も涙が伝いおちる。
立ち止まりそうになる自分を何度も叱咤して、ダルテは歯を食いしばって歩き続けた。
そうしてダルテは、いつか滑落した、断崖に来ていた。
「へぇ…あんた、出てくつもりなんだ?正しい判断だね、昴だって…ただ言わないだけで、絶対アンタみたいな女に困ってるんだ」
ダルテのすぐ真後ろに、蒼牙が腕を組んで立っていた。
「…またあなたなの、なんの用?」
睨みつけて言うダルテに、蒼牙は鼻を鳴らす。
「どこまでも憎たらしいったら、アンタを殺せば、昴はあたしのものになるんだ」
(あたしを殺すつもりなのは知ってたけど…執念深いわね)
「そんな事しても、どうにもならないわよ?」
「なるさ!役人にお前を渡して、褒賞金をふんだくる。金も昴も、あたしの思うがままだっ」
胸を張って言う蒼牙に、ダルテは溜息をつく。
「人の心ってのはねぇ!他人が好きにできないのよっ、あんた、バッカじゃないっ?」
しかし、急に重心が崩れた。
「バカはどっち?自分の状況、考えてもの言いなよ」
蒼牙に足払いをされて、ダルテは、崖の斜面にぶら下がる形になった。
「ほぉら、どうした…さっきの元気はどこ行った?」
乾燥して、粒の粗い砂でできた岩盤は脆く、ダルテが掴んでいる岩は、今にも崩れてしまいそうだ。
「この、卑怯者!」
「なんとでも言えばいいよ、お前はせいぜい、死んで笑いものになるがいい!」
足を振りあげた蒼牙は、砂塵を上げて、突然に吹き飛んだ。
殴りとばされたのだ、昴に。
「ダルテっ、掴まれ!早くっ」
「昴…?」
伸ばされた手と手が、しっかりと、きつく握り合わさった。
「いま引きあげるっ、手…離すなよ!?」
ぶんぶん、と頷いたダルテに苦笑いして、昴は力を込めた。
「まったく、急にいなくなるんだもんなぁ…そういうの、やめろ」
「ごめん、なさい…迷惑、かけたくなかったのよ」
引きあげたダルテを、昴はきつく抱き締めて叱った。
「こ、の…泥棒猫!あたしが先に昴を好きになったのにっ、人間の分際で昴を誑かして…お前なんか、殺してやる!」
「いい加減にしろっ!」
「ぎゃあ!」
ダルテに飛びかかろうとした蒼牙を、昴は蹴りあげた。
「貴様だけは許さん!身を以て、罪を味わえばいい。お前の力は奪わせてもらうぞ」
昴は、蒼牙の頭をわし掴んだ。
「なん、で…昴」
縮んでいきながら、蒼牙のしわがれた声が尋ねた。
「土遁…封っ!」
子猫サイズに縮んだ蒼牙を、昴は、岩の中に押し込めて封印したのだった。
「お前みたいな下種には一生、分かるわけねぇよ」
(仮にも、女に手ぇあげちまった…嫌われた、かな?)
「すまねぇ、ダルテ…お前を危ない目に遭わせてばっかりだな」
へたり込んでいるダルテに、昴は、同じ高さに目線を合わせて苦笑いした。
「お前が行きたいなら、俺には止める権利はねぇ。ただ…力になってやりたかった」
ダルテは、じっと昴を見つめた。
昴は、包み込むように笑ってくれるけど。
時々、すごく悲しい目をする。
安心させようとしてるのは、ちゃんと分かってるのよ…。
「あたしだって、ホントは…出て行きたくなんかないわ。だけど、迷惑かけてしまうもの。あたしの行く先々、不運がつきまとう」
「来い、ダルテ…どうしていいか分からないときは、なにも考えるな。いいじゃねえか、互いが必要とするんだから、このままだって」
「え?」
昴はダルテを引き寄せると、くしゃくしゃと髪を弄んでから微笑んだ。
「帰るぞ、ウチに」
「…うん」
しっかりと握りしめた手から、優しさが伝わってくる。
暖かい、ふわふわした気持ちになるのは、そのせいだったんだ。
この出逢いが、たとえ偶然でも必然でも…。
出逢えてよかったと、いま…本当にそう思えた。
余談。
石猫になった蒼牙は、魔よけとして村の入り口に置かれたらしい。