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幸徳秋水、レバーを叩く。――大逆事件で処刑された俺、令和でパチスロ演者になる

掲載日:2026/09/05

 生涯、権力に逆らってきた。


 その俺が、いま、機械から命令されている。


『右打ちしてください』


「断る。打つ方向くらい俺が決める」


「決めていいですけど、左に打ってると損しますよ」


 カメラの向こうで、白石ナツが言った。


 俺はただちに右へ打った。


「服従ではない。合理的判断である」


「はい、そこ、今日のサムネにします」


 幸徳秋水。


 かつて新聞を作り、社会主義を説き、やがて無政府主義へと進んだ男。


 その二度目の人生における職業は、パチンコ・パチスロ動画の演者だった。


     *


 一九一一年一月二十四日。


 大逆事件で処刑され、俺の最初の生涯は終わった。


 最後に何を考えたかは、うまく思い出せない。立派な言葉を残したかったような気もするし、ただ寒かったような気もする。


 次に覚えているのは、女の人の泣き顔だった。


「生まれてきてくれて、ありがとう」


 処刑された者にかける言葉としては、ずいぶん変わっている。


 そう思って抗議しようとしたが、口からは赤ん坊の声しか出なかった。


 一九九八年。俺は神田秋人という名で、もう一度生まれた。


 前世の記憶は、幼いうちは夢と区別がつかなかった。図書館で幸徳秋水の写真を見つけた八歳のとき、ようやく名前と記憶がつながった。


 見覚えのある髭。昔の仲間の名。新聞の題字。


 そして、自分が死んだ日の記録。


 閉館の音楽が鳴るまで、その本を閉じられなかった。


 母には、怖い話を読んだのかと聞かれた。


「続きのない話だった」


 そう答えると、母は俺の手を取った。


「じゃあ、今日はもう帰ろう。カレーだから」


 帰る家があった。


 それだけのことを飲み込むのに、ずいぶん時間がかかった。


 現代で二十八年も育てば、電車にも乗れるし、スマートフォンも使える。自分の著作が古本屋で百円になっているのを見つけても、平静を保てる。


 いや、最後の件では三冊買った。


 買い占めではない。保護である。


 大学を出てからは、記事を書いたり、原稿を直したりして暮らしていた。


 しかし、どうにも商売が下手だった。


『読者の不安を煽る感じで』


 そう依頼されると、読者の不安を煽ってはいけない理由を三千字で返してしまう。


 当然ながら、三千字分の原稿料は出なかった。


 ある晩、仕事仲間のナツに、ファミレスで愚痴をこぼした。


「こんな世の中、喋らずにおられるか」


「じゃあ、喋る仕事にしたら?」


 ナツは動画の撮影と編集を請け負っていた。俺より一つ年下で、ドリンクバーの薄いコーヒーを三杯飲むあいだに、次の仕事の見積書を作る女だった。


 彼女がスマートフォンで見せてくれたのは、パチンコ・パチスロの実戦動画だった。


 スロパチステーション。日直島田。


 画面の中の演者たちは、台の動きを見ながら喋り、喜び、悔しがる。その姿を見るために、大勢の人が動画を開いていた。


 俺も、いつの間にか三本続けて見ていた。


「……この男、さっきまで偉そうだったのに、いま機械に頼み込んでいるぞ」


「そこが面白いんでしょ」


「威厳がない」


「秋人も、原稿料の振込日が近づくとなくなるよ」


 反論には資料が必要だった。手元にはなかった。


「試しに一本、撮ってみる? 私、負けてる人がどうにか格好つける動画、撮りたいんだよね」


「なぜ負ける前提なのだ」


「もう面白い」


     *


 初収録は、ナツが撮影許可を取ってくれた郊外の店だった。


 芸名は、秋水。


 チャンネル名は、俺の提案で『平民実戦』になった。


「前世で作っていた新聞に、ちなんでいる」


「はいはい。本物の転生者なら、もっと有利なこと思い出してよ」


「新聞を発行すると金がなくなる」


「それは動画でも使える知識だね」


 ナツは俺の前世について、信じているのかいないのか、いまだによく分からない。


 開店前、俺はカメラに向かって胸を張った。


「万国の遊技者諸君!」


「今日は千葉県の一店舗です」


「本日の予算は一万円! 諸君とともに、華々しい一歩を――」


「入場される方、こちらへお願いしまーす」


「はい。ありがとうございます」


 素早く列へ戻った。


「従順ですね」


「順番を守るのは当然であろう」


 店内は、百台の楽隊が別々の国歌を演奏しているような騒ぎだった。


 最初に座ったパチンコ台では、銀河を旅する料理人が巨大な鍋を振っていた。


 ナツに基本を教わり、玉を打つ。


 千円。


 二千円。


 三千円。


 料理人は何度も宇宙一の炒飯を作ろうとし、そのたびに失敗した。


「まず店で修業したまえ」


「主人公に厳しいな」


 やがて画面が赤く染まり、厨房の扉が開いた。


 星々が渦を巻く。黄金の米が舞う。料理人の亡き父が現れ、息子に中華鍋を託す。


「ここまで家族が出てきて、失敗するわけがない!」


 炒飯が焦げた。


 俺は無言で財布を開いた。


 この映像にナツがつけた字幕は、たった四文字だった。


【追加徴収】


 初日の収支は、マイナス一万円。


 俺が書いた動画の題名は『偶然性による財貨移転と庶民生活の考察』だった。


 公開時には『偉人、財布を確認』になっていた。


 怒るべきかと思ったが、動画を見ると自分でも笑ってしまった。


 大げさに始めた口上。行儀よく並ぶ後ろ姿。炒飯に託した根拠のない信頼。


 俺が沈黙したところで、ナツはすぐ次の場面へ切らなかった。


 間があった。


 その間に、俺という人間がいた。


 昔、推敲した原稿を仲間に読んでもらったときと似た気持ちになった。


 公開翌日、動画にコメントがついた。


『思想は強いのに財布が弱い』


『料理人への説教で腹痛い』


『仕事で失敗した日に見ると、ちょっと助かる』


 最後の一文を、俺は二度読んだ。


「ナツ」


「何?」


「次はパチスロというものを打ちたい」


「反省の方向、それで合ってる?」


     *


 どうせ喋るなら、知らずに喋るわけにはいかない。


 機種の説明を読み、打ち方を覚え、実戦後には自分の発言を確認した。間違えた説明には訂正を入れた。


 独学には慣れていた。


 目押しには慣れていなかった。


「見えているのに止まらん!」


「指が遅れてます」


「思想と実践の乖離か……」


「そこは難しくしなくていい」


 勉強すれば勝てるというほど、甘いものでもなかった。


 負けると機械に文句を言い、勝つと機械を褒めた。


「君は実に優れた機械だ。以前からそう思っていた」


 ナツは必ず、その少し前に俺が吐いた暴言を差し込んだ。


【八分前:こんな理不尽が許されるか】


 俺の信用は失われていったが、視聴者は増えていった。


 ある日、パチンコで大当たりが続いた。


 音が鳴る。玉が増える。俺は笑いながら、ナツの方を振り向いた。


「出ているか!」


「出てます!」


「撮れているか!」


「撮れてます!」


「素晴らしい! この文明は素晴らしい!」


「先月は文明ごと否定してましたけど!」


 我ながら現金だった。


 だが、光る台を前に笑った時間は、本当に楽しかった。ナツもカメラを揺らして笑っていた。


 俺はもう、庶民の娯楽を研究しているのだという言い訳をしなかった。


 好きなのだ。


 あの一瞬の静けさが。次の瞬間に何かが起こるかもしれないと思って、指を止める時間が。


 何も起こらなければ、ナツがため息をつく。そのため息まで好きだった。


 登録者が一万人を超えたころ、店から収録の依頼が来た。


 条件を確認し、出演料をもらう仕事では、そのことを動画にも表示した。撮影、編集、出演。それぞれの費用を決めて、ようやく小さな商売になった。


 俺は初めての出演料で、ナツを鰻屋へ連れていった。


「広告費を受け取る心境は?」


「労働への対価は正当に受け取る」


「鰻、特上でいい?」


「そこは並で十分ではないか」


「早くも分配に問題が」


 特上になった。


     *


 失敗は、うまくいき始めてから起こった。


 一本伸びると、次も伸ばしたくなった。


 週に一本だった投稿を二本にした。さらに短い動画も出した。収録が終わってから、新しい企画を思いつくようになった。


「最後にこれも撮ろう。五分で済む」


「その前に、今日の締めを撮ろうよ」


「締めにも使える話だ」


 五分で済んだことは、ほとんどなかった。


 ある夜、ナツが送ってきた編集途中の動画から、俺が気に入っていた長い話が消えていた。


 勝つことを煽られる社会について、熱を込めて語った部分だった。


『あの話を戻してほしい』


『ここに入れると流れが止まる。別の動画にしない?』


『俺の言葉を勝手に切らないでくれ』


 送信してから、返事が来るのを待った。


 時計は午前二時を回っていた。


 翌朝、返事が来た。


『今回の納品はします。来月以降の仕事は、いったん引き受けません』


 俺は、その短い文を何度も読み直した。


 電話をかけると、ナツは昼なら会えると言った。


 最初の企画を決めたファミレスで、彼女はコーヒーを頼まなかった。


「飲むと、帰ってから眠れなくなるから」


 テーブルに、一週間の作業記録が置かれた。


 映像の取り込み。音の調整。字幕。映り込んだ客の顔を隠す処理。俺が追加を頼んだ箇所の再編集。


 日付が変わってからの作業が、いくつもあった。


「追加の分も払う」


「それは請求する。今日は、次の仕事の話をしに来たの」


 ナツは、手帳の土曜日を指した。


 映画、と書いてあった。


 二重線で消されていた。


「これ、自分で撮った短編が、小さい上映会に出た日。行くつもりだったんだよね」


「……知らなかった」


「言ったよ。収録の帰りに」


 その車内で、俺は何を話していただろう。


 次の企画だ。再生回数が伸びた理由を、得意になって話していた。


「私、秋人が喋るのを止めたいわけじゃない。面白くしたくて編集してる。でも、仕事を全部終わらせたあとにも、私の時間が欲しい」


 言葉を切られるのが怖かった。


 自分の言葉が届かなくなるとき、俺は、ときどき昔の暗い場所に戻った。


 しかし、その怖さを、ナツに背負わせていた。


 彼女は俺を黙らせるために、夜中まで起きていたのではなかった。


「俺は、君の話を聞いていなかった」


「うん」


「すまなかった」


 もっと言えそうだった。


 言わなかった。


 ナツは水を飲んだ。


「……今日、短いね」


「続きを、君が喋るところだからな」


     *


 来月の初めには、初めて県外から呼ばれた収録が一件だけ入っていた。


 俺はナツに条件を出し直した。


 約束した時間に収録を終える。変更は撮影前に相談する。今回は撮影だけを頼み、編集は俺がやる。


「私が編集しないと、相当きついよ」


「やってから判断したい」


「あと、カメラの後ろから普通に突っ込むからね。それも使うなら、私にも見せて」


「もちろんだ」


 彼女はその一件を引き受けた。


 撮影の日、入場前に二人の客から声をかけられた。


「秋水さん、今日こそ爆出し期待してます!」


「任せたまえ!」


 勢いで答えた。


 すぐ隣で、ナツがカメラを回していた。


「言いましたね」


「今のは、人間関係を円滑にするための――」


「撮れてます」


 その日の台は、巨大な武者が宇宙で戦うパチスロだった。


 鎧の男が敗れた。


 助けに来た鎧の女も敗れた。


 二人の師匠らしき老人は、勇ましく出てきて、誰より早く敗れた。


「この軍、指揮系統を一度見直したほうがよい」


 ナツが小さく笑った。


 笑い声にほっとして、俺はまたレバーを叩いた。


 その後も、武者たちは負け続けた。


 俺の方は、さらにひどかった。


 朝に決めた三万円の予算が尽きかけていた。派手な見せ場は、ほとんどない。


 ようやく来た好機で、台の両脇が赤く光った。


 中央には巨大な門。


 押せ、と画面が告げる。


 俺はボタンに手を置いた。


「諸君。長かった冬が、いま終わろうとしている」


 押した。


 門は開かなかった。


 春も来なかった。


 残った遊技分を使い切って、画面の数字がゼロになった。


 時計を見る。約束した終了時間まで、あと十分。


 財布には、まだ金があった。


 ここでやめたら、何を撮りに来たのか分からない。


 初めて呼んでくれた店だ。遠征だ。視聴者も期待している。あと一万円だけ使えば、さっきの門くらい――。


 財布へ伸ばした手を、俺は膝に戻した。


「ナツ」


「うん」


「何も起きなかったな」


「いろいろ喋ってたよ」


「当たりがない」


「そうだね」


 ナツは、慰めもしなかった。


 次なら当たるとも、負けても立派だったとも言わなかった。


 ただ、俺の方にカメラを向けていた。


「……では、本日の実戦は、ここまで」


 ひどく言いにくい台詞だった。


 自分の判断で負けを確定させるというのは、想像していたより苦い。


 店の外へ出ると、夕方の風が汗の乾いた首筋に触れた。


 壁を背に、締めの撮影を始めた。


「本日は三万円の負けである」


「敗因は?」


「軍の編制に問題があった」


「台を選んだ理由を、朝、何て言いました?」


「……己の自由意志である、と」


「はい」


「自由には、ずいぶん費用がかかる」


 ナツが吹き出した。


 俺も笑った。


 笑ったところで、三万円は戻らない。


 戻らないまま、もう少し喋った。


     *


 編集には、五日かかった。


 初日は、自分の「ええと」を消すだけで終わった。


 二日目には、声を張った瞬間だけ音が割れていることを知った。


 三日目、俺は自分の七分間の演説を、四十秒に縮めた。


 たいへん分かりやすくなった。


 認めたくなかったので、いったん保存して散歩に出た。


 四日目には、ナツが教えてくれた確認項目を潰し、五日目に、ようやく一本の動画になった。


 俺はそれを彼女に送った。


 電話が来た。


「秋人、なんで私の笑い声、こんなに残したの」


「そこが面白かった」


「私の顔、映ってないよ」


「声がいる」


 電話の向こうが、しばらく静かになった。


「十三分のところ、十秒だけ詰めて。そこ、同じこと二回言ってる」


「承知した」


「あと、最後は好き」


 俺は机の上で、静かに拳を握った。


 動画の題名は、二人で決めた。


『【当たりなし】三万円払って、自由意志について考えた男』


 その動画が、いきなり何百万回も見られたわけではない。


 最初の一日は、いつもより静かだった。


 俺は何度も数字を確認し、そのたびに携帯を裏返した。


 それでも、コメントは少しずつ増えた。


『朝の任せたまえを、最後にもう一回流すのずるい』


『後ろの人が笑うと、こっちまで笑う』


『大当たりも見たいけど、この人ら、何もなくても喋れるな』


 一週間後には、その前に出した勝ち動画を追い越していた。


 店からも、次の収録について連絡が来た。


 俺は返事を書く前に、ナツへ予定を聞いた。


 彼女が空けられる日から、候補を選んだ。


     *


 それから一年。


 『平民実戦』の登録者は、十五万人になった。


 俺たちは各地の店へ出かけ、ときには勝ち、よく負けた。遊技の収支が赤字の月にも、出演と動画制作の仕事を合わせれば、暮らせるようになった。


 新しく頼むようになった編集者には、ナツがまず見積もりの作り方を教えた。


「この人の『最後に一個だけ』は、追加作業だからね」


「最近は言っていないだろう」


「昨日、言ったよ」


 言っていた。


 ナツの短編映画が上映される日には、二人とも収録を入れなかった。


 映画は、古い商店街で働く人たちの一日を撮ったものだった。終わったあと、俺は感想をいくらでも話せたが、まず、本人がどう撮ったのかを聞いた。


 ナツはビールを飲みながら、長く喋った。


 途中で自分から笑った。


「これ、編集したほうがいい?」


「今日は尺が決まっておらん」


 そう言うと、もう一杯頼んだ。


 ある収録の帰り、駅前で、作業着の男に声をかけられた。


「秋水さんですよね。いつも見てます」


「ありがとう」


「俺、パチスロは打たないんですけど」


「それなのに?」


「帰って飯食いながら見ると、ちょうどいいんですよ。今日もこの人、偉そうなこと言って負けてるなって」


 男はそう言って、照れたように笑った。


「……すみません。褒めたつもりで」


「分かる。十分伝わった」


 俺は握手をした。


 かつて新聞を作っていたころ、その向こうにいる読者の夕飯を、どれほど思い浮かべたことがあっただろう。


 男はコンビニの袋を下げていた。


 あの袋の中身を机に並べ、箸を持ち、俺たちの動画を開く。


 その続きを、俺はもう少し見たかった。


 次の収録日。


 久しぶりに、銀河の料理人がいるパチンコ台に座った。


 相変わらず、やたらと炒飯を焦がす男だった。


 ところが、その日は違った。


 金色の米が舞った。


 炎が天井まで立ち上った。


 宇宙一の炒飯が、皿の上に着地した。


「できた!」


 俺は思わず手を叩いた。


「やればできるではないか、君!」


「保護者みたいになってる」


 祝福の音が店内に響き、画面の数字が揃った。


 俺はカメラを振り返る。


「撮れているか!」


「撮れてる!」


 それが返ってくれば、もう一度、喋れた。


 百年以上前の続きを、今日も、俺たちは撮っていた。


『右打ちしてください』


「承知した!」


「今日は素直ですね」


「人の話を聞くようになったからな」


「今の、機械ですけど」


 俺たちの笑い声も、ちゃんと入っていた。

※本作は、実在の人物・幸徳秋水を題材としたフィクションです。転生後の人物・チャンネル・店舗・機種・出来事、および幸徳秋水の心情・台詞は創作です。実在する番組・演者との提携や、実際の共演を示すものではありません。


※幸徳秋水の経歴、『平民新聞』の発刊、1911年1月24日の没日など、史実の基礎事項は国立国会図書館「近代日本人の肖像:幸徳秋水」を参照しました。現代の動画文化を構想する際には、スロパチステーション公式サイトおよび日直島田の優等生台TVを参考にしています。

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