幸徳秋水、レバーを叩く。――大逆事件で処刑された俺、令和でパチスロ演者になる
生涯、権力に逆らってきた。
その俺が、いま、機械から命令されている。
『右打ちしてください』
「断る。打つ方向くらい俺が決める」
「決めていいですけど、左に打ってると損しますよ」
カメラの向こうで、白石ナツが言った。
俺はただちに右へ打った。
「服従ではない。合理的判断である」
「はい、そこ、今日のサムネにします」
幸徳秋水。
かつて新聞を作り、社会主義を説き、やがて無政府主義へと進んだ男。
その二度目の人生における職業は、パチンコ・パチスロ動画の演者だった。
*
一九一一年一月二十四日。
大逆事件で処刑され、俺の最初の生涯は終わった。
最後に何を考えたかは、うまく思い出せない。立派な言葉を残したかったような気もするし、ただ寒かったような気もする。
次に覚えているのは、女の人の泣き顔だった。
「生まれてきてくれて、ありがとう」
処刑された者にかける言葉としては、ずいぶん変わっている。
そう思って抗議しようとしたが、口からは赤ん坊の声しか出なかった。
一九九八年。俺は神田秋人という名で、もう一度生まれた。
前世の記憶は、幼いうちは夢と区別がつかなかった。図書館で幸徳秋水の写真を見つけた八歳のとき、ようやく名前と記憶がつながった。
見覚えのある髭。昔の仲間の名。新聞の題字。
そして、自分が死んだ日の記録。
閉館の音楽が鳴るまで、その本を閉じられなかった。
母には、怖い話を読んだのかと聞かれた。
「続きのない話だった」
そう答えると、母は俺の手を取った。
「じゃあ、今日はもう帰ろう。カレーだから」
帰る家があった。
それだけのことを飲み込むのに、ずいぶん時間がかかった。
現代で二十八年も育てば、電車にも乗れるし、スマートフォンも使える。自分の著作が古本屋で百円になっているのを見つけても、平静を保てる。
いや、最後の件では三冊買った。
買い占めではない。保護である。
大学を出てからは、記事を書いたり、原稿を直したりして暮らしていた。
しかし、どうにも商売が下手だった。
『読者の不安を煽る感じで』
そう依頼されると、読者の不安を煽ってはいけない理由を三千字で返してしまう。
当然ながら、三千字分の原稿料は出なかった。
ある晩、仕事仲間のナツに、ファミレスで愚痴をこぼした。
「こんな世の中、喋らずにおられるか」
「じゃあ、喋る仕事にしたら?」
ナツは動画の撮影と編集を請け負っていた。俺より一つ年下で、ドリンクバーの薄いコーヒーを三杯飲むあいだに、次の仕事の見積書を作る女だった。
彼女がスマートフォンで見せてくれたのは、パチンコ・パチスロの実戦動画だった。
スロパチステーション。日直島田。
画面の中の演者たちは、台の動きを見ながら喋り、喜び、悔しがる。その姿を見るために、大勢の人が動画を開いていた。
俺も、いつの間にか三本続けて見ていた。
「……この男、さっきまで偉そうだったのに、いま機械に頼み込んでいるぞ」
「そこが面白いんでしょ」
「威厳がない」
「秋人も、原稿料の振込日が近づくとなくなるよ」
反論には資料が必要だった。手元にはなかった。
「試しに一本、撮ってみる? 私、負けてる人がどうにか格好つける動画、撮りたいんだよね」
「なぜ負ける前提なのだ」
「もう面白い」
*
初収録は、ナツが撮影許可を取ってくれた郊外の店だった。
芸名は、秋水。
チャンネル名は、俺の提案で『平民実戦』になった。
「前世で作っていた新聞に、ちなんでいる」
「はいはい。本物の転生者なら、もっと有利なこと思い出してよ」
「新聞を発行すると金がなくなる」
「それは動画でも使える知識だね」
ナツは俺の前世について、信じているのかいないのか、いまだによく分からない。
開店前、俺はカメラに向かって胸を張った。
「万国の遊技者諸君!」
「今日は千葉県の一店舗です」
「本日の予算は一万円! 諸君とともに、華々しい一歩を――」
「入場される方、こちらへお願いしまーす」
「はい。ありがとうございます」
素早く列へ戻った。
「従順ですね」
「順番を守るのは当然であろう」
店内は、百台の楽隊が別々の国歌を演奏しているような騒ぎだった。
最初に座ったパチンコ台では、銀河を旅する料理人が巨大な鍋を振っていた。
ナツに基本を教わり、玉を打つ。
千円。
二千円。
三千円。
料理人は何度も宇宙一の炒飯を作ろうとし、そのたびに失敗した。
「まず店で修業したまえ」
「主人公に厳しいな」
やがて画面が赤く染まり、厨房の扉が開いた。
星々が渦を巻く。黄金の米が舞う。料理人の亡き父が現れ、息子に中華鍋を託す。
「ここまで家族が出てきて、失敗するわけがない!」
炒飯が焦げた。
俺は無言で財布を開いた。
この映像にナツがつけた字幕は、たった四文字だった。
【追加徴収】
初日の収支は、マイナス一万円。
俺が書いた動画の題名は『偶然性による財貨移転と庶民生活の考察』だった。
公開時には『偉人、財布を確認』になっていた。
怒るべきかと思ったが、動画を見ると自分でも笑ってしまった。
大げさに始めた口上。行儀よく並ぶ後ろ姿。炒飯に託した根拠のない信頼。
俺が沈黙したところで、ナツはすぐ次の場面へ切らなかった。
間があった。
その間に、俺という人間がいた。
昔、推敲した原稿を仲間に読んでもらったときと似た気持ちになった。
公開翌日、動画にコメントがついた。
『思想は強いのに財布が弱い』
『料理人への説教で腹痛い』
『仕事で失敗した日に見ると、ちょっと助かる』
最後の一文を、俺は二度読んだ。
「ナツ」
「何?」
「次はパチスロというものを打ちたい」
「反省の方向、それで合ってる?」
*
どうせ喋るなら、知らずに喋るわけにはいかない。
機種の説明を読み、打ち方を覚え、実戦後には自分の発言を確認した。間違えた説明には訂正を入れた。
独学には慣れていた。
目押しには慣れていなかった。
「見えているのに止まらん!」
「指が遅れてます」
「思想と実践の乖離か……」
「そこは難しくしなくていい」
勉強すれば勝てるというほど、甘いものでもなかった。
負けると機械に文句を言い、勝つと機械を褒めた。
「君は実に優れた機械だ。以前からそう思っていた」
ナツは必ず、その少し前に俺が吐いた暴言を差し込んだ。
【八分前:こんな理不尽が許されるか】
俺の信用は失われていったが、視聴者は増えていった。
ある日、パチンコで大当たりが続いた。
音が鳴る。玉が増える。俺は笑いながら、ナツの方を振り向いた。
「出ているか!」
「出てます!」
「撮れているか!」
「撮れてます!」
「素晴らしい! この文明は素晴らしい!」
「先月は文明ごと否定してましたけど!」
我ながら現金だった。
だが、光る台を前に笑った時間は、本当に楽しかった。ナツもカメラを揺らして笑っていた。
俺はもう、庶民の娯楽を研究しているのだという言い訳をしなかった。
好きなのだ。
あの一瞬の静けさが。次の瞬間に何かが起こるかもしれないと思って、指を止める時間が。
何も起こらなければ、ナツがため息をつく。そのため息まで好きだった。
登録者が一万人を超えたころ、店から収録の依頼が来た。
条件を確認し、出演料をもらう仕事では、そのことを動画にも表示した。撮影、編集、出演。それぞれの費用を決めて、ようやく小さな商売になった。
俺は初めての出演料で、ナツを鰻屋へ連れていった。
「広告費を受け取る心境は?」
「労働への対価は正当に受け取る」
「鰻、特上でいい?」
「そこは並で十分ではないか」
「早くも分配に問題が」
特上になった。
*
失敗は、うまくいき始めてから起こった。
一本伸びると、次も伸ばしたくなった。
週に一本だった投稿を二本にした。さらに短い動画も出した。収録が終わってから、新しい企画を思いつくようになった。
「最後にこれも撮ろう。五分で済む」
「その前に、今日の締めを撮ろうよ」
「締めにも使える話だ」
五分で済んだことは、ほとんどなかった。
ある夜、ナツが送ってきた編集途中の動画から、俺が気に入っていた長い話が消えていた。
勝つことを煽られる社会について、熱を込めて語った部分だった。
『あの話を戻してほしい』
『ここに入れると流れが止まる。別の動画にしない?』
『俺の言葉を勝手に切らないでくれ』
送信してから、返事が来るのを待った。
時計は午前二時を回っていた。
翌朝、返事が来た。
『今回の納品はします。来月以降の仕事は、いったん引き受けません』
俺は、その短い文を何度も読み直した。
電話をかけると、ナツは昼なら会えると言った。
最初の企画を決めたファミレスで、彼女はコーヒーを頼まなかった。
「飲むと、帰ってから眠れなくなるから」
テーブルに、一週間の作業記録が置かれた。
映像の取り込み。音の調整。字幕。映り込んだ客の顔を隠す処理。俺が追加を頼んだ箇所の再編集。
日付が変わってからの作業が、いくつもあった。
「追加の分も払う」
「それは請求する。今日は、次の仕事の話をしに来たの」
ナツは、手帳の土曜日を指した。
映画、と書いてあった。
二重線で消されていた。
「これ、自分で撮った短編が、小さい上映会に出た日。行くつもりだったんだよね」
「……知らなかった」
「言ったよ。収録の帰りに」
その車内で、俺は何を話していただろう。
次の企画だ。再生回数が伸びた理由を、得意になって話していた。
「私、秋人が喋るのを止めたいわけじゃない。面白くしたくて編集してる。でも、仕事を全部終わらせたあとにも、私の時間が欲しい」
言葉を切られるのが怖かった。
自分の言葉が届かなくなるとき、俺は、ときどき昔の暗い場所に戻った。
しかし、その怖さを、ナツに背負わせていた。
彼女は俺を黙らせるために、夜中まで起きていたのではなかった。
「俺は、君の話を聞いていなかった」
「うん」
「すまなかった」
もっと言えそうだった。
言わなかった。
ナツは水を飲んだ。
「……今日、短いね」
「続きを、君が喋るところだからな」
*
来月の初めには、初めて県外から呼ばれた収録が一件だけ入っていた。
俺はナツに条件を出し直した。
約束した時間に収録を終える。変更は撮影前に相談する。今回は撮影だけを頼み、編集は俺がやる。
「私が編集しないと、相当きついよ」
「やってから判断したい」
「あと、カメラの後ろから普通に突っ込むからね。それも使うなら、私にも見せて」
「もちろんだ」
彼女はその一件を引き受けた。
撮影の日、入場前に二人の客から声をかけられた。
「秋水さん、今日こそ爆出し期待してます!」
「任せたまえ!」
勢いで答えた。
すぐ隣で、ナツがカメラを回していた。
「言いましたね」
「今のは、人間関係を円滑にするための――」
「撮れてます」
その日の台は、巨大な武者が宇宙で戦うパチスロだった。
鎧の男が敗れた。
助けに来た鎧の女も敗れた。
二人の師匠らしき老人は、勇ましく出てきて、誰より早く敗れた。
「この軍、指揮系統を一度見直したほうがよい」
ナツが小さく笑った。
笑い声にほっとして、俺はまたレバーを叩いた。
その後も、武者たちは負け続けた。
俺の方は、さらにひどかった。
朝に決めた三万円の予算が尽きかけていた。派手な見せ場は、ほとんどない。
ようやく来た好機で、台の両脇が赤く光った。
中央には巨大な門。
押せ、と画面が告げる。
俺はボタンに手を置いた。
「諸君。長かった冬が、いま終わろうとしている」
押した。
門は開かなかった。
春も来なかった。
残った遊技分を使い切って、画面の数字がゼロになった。
時計を見る。約束した終了時間まで、あと十分。
財布には、まだ金があった。
ここでやめたら、何を撮りに来たのか分からない。
初めて呼んでくれた店だ。遠征だ。視聴者も期待している。あと一万円だけ使えば、さっきの門くらい――。
財布へ伸ばした手を、俺は膝に戻した。
「ナツ」
「うん」
「何も起きなかったな」
「いろいろ喋ってたよ」
「当たりがない」
「そうだね」
ナツは、慰めもしなかった。
次なら当たるとも、負けても立派だったとも言わなかった。
ただ、俺の方にカメラを向けていた。
「……では、本日の実戦は、ここまで」
ひどく言いにくい台詞だった。
自分の判断で負けを確定させるというのは、想像していたより苦い。
店の外へ出ると、夕方の風が汗の乾いた首筋に触れた。
壁を背に、締めの撮影を始めた。
「本日は三万円の負けである」
「敗因は?」
「軍の編制に問題があった」
「台を選んだ理由を、朝、何て言いました?」
「……己の自由意志である、と」
「はい」
「自由には、ずいぶん費用がかかる」
ナツが吹き出した。
俺も笑った。
笑ったところで、三万円は戻らない。
戻らないまま、もう少し喋った。
*
編集には、五日かかった。
初日は、自分の「ええと」を消すだけで終わった。
二日目には、声を張った瞬間だけ音が割れていることを知った。
三日目、俺は自分の七分間の演説を、四十秒に縮めた。
たいへん分かりやすくなった。
認めたくなかったので、いったん保存して散歩に出た。
四日目には、ナツが教えてくれた確認項目を潰し、五日目に、ようやく一本の動画になった。
俺はそれを彼女に送った。
電話が来た。
「秋人、なんで私の笑い声、こんなに残したの」
「そこが面白かった」
「私の顔、映ってないよ」
「声がいる」
電話の向こうが、しばらく静かになった。
「十三分のところ、十秒だけ詰めて。そこ、同じこと二回言ってる」
「承知した」
「あと、最後は好き」
俺は机の上で、静かに拳を握った。
動画の題名は、二人で決めた。
『【当たりなし】三万円払って、自由意志について考えた男』
その動画が、いきなり何百万回も見られたわけではない。
最初の一日は、いつもより静かだった。
俺は何度も数字を確認し、そのたびに携帯を裏返した。
それでも、コメントは少しずつ増えた。
『朝の任せたまえを、最後にもう一回流すのずるい』
『後ろの人が笑うと、こっちまで笑う』
『大当たりも見たいけど、この人ら、何もなくても喋れるな』
一週間後には、その前に出した勝ち動画を追い越していた。
店からも、次の収録について連絡が来た。
俺は返事を書く前に、ナツへ予定を聞いた。
彼女が空けられる日から、候補を選んだ。
*
それから一年。
『平民実戦』の登録者は、十五万人になった。
俺たちは各地の店へ出かけ、ときには勝ち、よく負けた。遊技の収支が赤字の月にも、出演と動画制作の仕事を合わせれば、暮らせるようになった。
新しく頼むようになった編集者には、ナツがまず見積もりの作り方を教えた。
「この人の『最後に一個だけ』は、追加作業だからね」
「最近は言っていないだろう」
「昨日、言ったよ」
言っていた。
ナツの短編映画が上映される日には、二人とも収録を入れなかった。
映画は、古い商店街で働く人たちの一日を撮ったものだった。終わったあと、俺は感想をいくらでも話せたが、まず、本人がどう撮ったのかを聞いた。
ナツはビールを飲みながら、長く喋った。
途中で自分から笑った。
「これ、編集したほうがいい?」
「今日は尺が決まっておらん」
そう言うと、もう一杯頼んだ。
ある収録の帰り、駅前で、作業着の男に声をかけられた。
「秋水さんですよね。いつも見てます」
「ありがとう」
「俺、パチスロは打たないんですけど」
「それなのに?」
「帰って飯食いながら見ると、ちょうどいいんですよ。今日もこの人、偉そうなこと言って負けてるなって」
男はそう言って、照れたように笑った。
「……すみません。褒めたつもりで」
「分かる。十分伝わった」
俺は握手をした。
かつて新聞を作っていたころ、その向こうにいる読者の夕飯を、どれほど思い浮かべたことがあっただろう。
男はコンビニの袋を下げていた。
あの袋の中身を机に並べ、箸を持ち、俺たちの動画を開く。
その続きを、俺はもう少し見たかった。
次の収録日。
久しぶりに、銀河の料理人がいるパチンコ台に座った。
相変わらず、やたらと炒飯を焦がす男だった。
ところが、その日は違った。
金色の米が舞った。
炎が天井まで立ち上った。
宇宙一の炒飯が、皿の上に着地した。
「できた!」
俺は思わず手を叩いた。
「やればできるではないか、君!」
「保護者みたいになってる」
祝福の音が店内に響き、画面の数字が揃った。
俺はカメラを振り返る。
「撮れているか!」
「撮れてる!」
それが返ってくれば、もう一度、喋れた。
百年以上前の続きを、今日も、俺たちは撮っていた。
『右打ちしてください』
「承知した!」
「今日は素直ですね」
「人の話を聞くようになったからな」
「今の、機械ですけど」
俺たちの笑い声も、ちゃんと入っていた。
※本作は、実在の人物・幸徳秋水を題材としたフィクションです。転生後の人物・チャンネル・店舗・機種・出来事、および幸徳秋水の心情・台詞は創作です。実在する番組・演者との提携や、実際の共演を示すものではありません。
※幸徳秋水の経歴、『平民新聞』の発刊、1911年1月24日の没日など、史実の基礎事項は国立国会図書館「近代日本人の肖像:幸徳秋水」を参照しました。現代の動画文化を構想する際には、スロパチステーション公式サイトおよび日直島田の優等生台TVを参考にしています。




