第5話 お嬢様は母親と似る?
味わうように一口ずつごくん、と紅茶を飲む母さんの姿は、とても庶民とは思えない。前世でも良家の出身だったりしたのだろうか。笑う仕草にも口に手を当てて、あまり声を出さず静かに笑うなど品がある。
「私の前世が良家? クスクス、冗談にもほどがあるわよ。私のこれは、単純に努力の賜物。苦労したんだから、本当に……」
少し遠くを見るような目でそう言う母さん。どうやら相当苦労したようだ。
私にはとても予想がつかない。まぁ、生まれる前のことなので、当然といえば当然なのだが。一応、母さんは母さんで私は私、という意味では他人なのだし。
「奥様は前世では市井の出自だったのですね」
「そうよ? あー、安物のお菓子を貪っていたあの頃が今でも恋しいわ……」
「なにを言いますか。いつも常備しているではないですか」
「あまり大っぴらには食べれないのよ……」
体面とか、どうしても守らないといけないものはあるでしょう、といえば、確かにそうですねと菅野さん。どうやら、そういうものはきちんとあるらしい。
「まぁ、その辺り、西園寺の本宅は建物が建物だからねぇ。プライベートの時間はそれこそフリーダムに生活できるってものよ。うふふ……」
「うん、確かにそれは思った。本当に、すごい家に生まれたなあ、と思ったし」
「ふふ……確かに。私の今世での生れは西園寺ほどじゃないけど立派な大企業でね。豪邸といっても差し支えない邸宅に住んでいたけど、さすがにこの『西園寺の本宅』の様相には驚いたわ」
なにしろ、一人分の自室に5LDKが割り当てられるのだから。しかもそれとは別に、豪華なリビングや遊戯室、食堂に厨房まであるという事実(むろん、これ以外にも設備はいっぱいある)。さらに、それが一つだけではなく、一つの敷地内に複数棟建っているというのが驚きのポイントである。完全に、『家』という枠を超えているだろう。
「で、そういう瑞樹はどうだったの?」
「私?」
「正確にはお嬢様の前世についてかと」
「あら、わかってるじゃない菅野」
「話の流れからすればこれが最適かと思いまして」
それでどうなの、と二人から視線を向けられる私。
うーん……これは言ってしまってもいいのだろうか。
「えっと……言ってもいいんだけど、引かないでね?」
「引かないわよ。娘なんだもの当然でしょう?」
「よほどのことでもない限り、私はともかく奥様は大丈夫でしょうね」
菅野さんはちょっと不安あり、と。
まあ、母さんにだけでも引かれなければいいか。私は少し躊躇して、どういう風に話そうかと考えてから、口を開く。
「うーん……ありていに言えば、前世の私は、今の私よりちょっと前の年代、だったかなぁ」
「え? あらやだ、本当に?」
「うん、90年代の生れ。少なくとも、レン劇が発売された年には20代後半の社会人、アラサーだったよ。レン劇に関しては異性とは縁がなかったから、しかたなく二次元で心を癒そうと……」
「あ~、なるほど……」
「なんといいますか……哀れです……」
うわ、その憐れむような目つき。傷つくなぁ。
まあ、その辺は自業自得としか言いようがないけど。前世でも、友達からは『結婚しないのか』って言われてたし。
「で、実は男だったりした」
「え……?」
生まれた年代やレン劇をプレイしていた時の状況の軽い説明なら二人とも普通に反応したけど、やはり前世での性別はこうなるよなぁ。
とはいえ、露骨に驚いたのは菅野さんで、母さんは一瞬だけ戸惑ったものの、事情を察したような表情をしたのでわかったのだろう。
「あ~、レン劇なら確かにそれもありよねぇ」
「え、え……?」
「あの時代、恋愛ものといえば女性向けが多かったけど、レン劇は男女両方が楽しめる仕様だったしね」
「そうよねぇ」
「……あのぅ……?」
無視したわけではないのだが、タイミングを逃してしまったのでこうなっただけである。
菅野さんの戸惑いは何となくわかるから、説明は簡単だろう。
「えっと、お二人の言う、『学園レンアイ劇場』というのは、いわゆる……少女漫画、みたいなものなのですよね」
「うーん、ちょっと正解からは遠いわね。コンピュータゲームなのよ、レン劇は」
「コンピュータゲーム……。そう、でしたか…………」
菅野さんはなにか似つかわしくないものを見たような目つきで私達を見てきたが、仕方がない。西園寺家は娯楽系の本やテレビ番組などはOKだが、情操教育に多大な影響が出るということでコンピュータゲームについては全面NGなのだから。
もっとも、コンピュータゲームといっても、囲碁や将棋など、伝統のあるボードゲーム系の物ならかろうじてグレーゾーンになっているけど。
「言っておくけど前世での話だからね。私も嫁いでくるまでは娯楽の類についてかなり厳格な家だったし」
私の考えを読んだかのような母さんの言葉。まぁ、親子そろって似たような過去を持っているので示し合わせなくても同じ答えになるのは別におかしいことではないだろう。
とはいえ、やはり簡単に受け入れられるものではないものなのか、菅野さんはしばらくはらしくないものを見る目付きで私達を眺める。
「しかし、だとすると私がお嬢様の部屋に伺った際、たまに聞こえてくるあの楽曲は……?」
「とあるゲームで使用されていたBGMだよ。タイトルは確か……障壁を打ち破れ、だったかな……?」
「なるほど……。あの楽曲は勇ましい感じですけど、聞いていて飽きない曲ですよね。私は好きですよ」
「ふ~ん……どんな曲なのか聞いてみたいなぁ……」
聞かせることができたらどんなけうれしいことか。
今なお、あの曲は私の中で一番の神曲なのは間違いない。まぁ、原曲聞くのが無理なのはわかってるからあれだけど。
「……さて。楽しい話はここまで。ここからは少し、真剣な話をしましょう」
「真剣な話?」
「そう。真剣な話。瑞樹の今後、主に中学校以降についての話よ」
あぁ、そういえば中学校は名門の私立中学を受けてもらうことが公立の小学校に通う条件だったんだ。
すっかり忘れてた。できれば行きたくないなぁ。
もうさぁ、ずっと公立でいいじゃん、と思ってたりするんだよね、最初から。でも母さんも転生者だったのは確かだけど、それでもこちらの世界では伊達に『お嬢様』をやってきたわけではない。西園寺という家に生まれた私が辿らなければならない運命など、いずれは訪れる。私に先んじて『お嬢様』生活をこなしてきた母さんだから、私にはわからないその辛さというのが分かって、それで通う学校を指定しているのだろう。
「正直、瑞樹の気持ち、わからないでもない。お嬢様学校って、規律が厳格そうな響きだし、実際窮屈だった。私だって、最初は不服ばかりだったわ。憧れのお嬢様生活、ちょっと思ってたのとは違うけど恵まれた生活。贅沢尽くしの楽な生活なんだろうなぁって、始まる直前まではそう思ってたけど、結局は予想を裏切る窮屈さ。前世の私に引っ張られるまま行動すれば、あれはダメこれはダメ、あそこの店はふさわしくない、この店のこういったものを買いなさい。誘拐されたらどうするの、我儘は慎みなさい。そんなことばかり、言われて育てられてきた」
「それは……本当に窮屈だね」
したいこと、やってみたいこと、全部だめって言われちゃ、鬱屈しちゃうよ。
「うん、窮屈だった。でもね。反発は許されなかったし、なによりいざ社交の場に連れていかれた時、とても苦労させられた」
それは……名家に生まれた者にとって避けられない道だ。
思い出すように母さんは目をつぶって続きを話す。
「テーブルマナーはまぁ、叩き込まれていたからなんとかなったけど、相手の話についていけなかったからまともに話せなかったし、ダンスパーティーに参加したときも真面目に練習しなかったのが祟って相手の足を引っ張るばかり」
「親の言うとおりに、しなかったから?」
「そう。全部が全部、言うとおりにしていれば、とは言いたくはないけど、でも少なくともあの時ああしていれば、と思うことはかなりあるわね」
それがどう転んだのか、パーティーで壁の花となりかけていたところをたまたま当時の西園寺の次期当主――つまり、私の父さんの目に留まって、面白がられた末に恋愛結婚。当時は奇跡扱いされたらしかったが、そういったことがあって以降、母さんは身を粉にして、名家の者としての立ち振る舞いを身につけていったそうだ。
「できれば、瑞樹には小学校からゆっくりと、着実にお嬢様らしさっていうのを身につけてもらいたかったの。私みたいにはなってほしくなかったから」
「でも、私は公立学校を選んでしまった……」
「なかにはそういうことを許される家もあるわよ? でも、うちは、西園寺はそうじゃない。少なくとも基本的には、男の子なら共学だけど著名な人を輩出している学園に。女の子なら、淑女のたしなみを身につけてもらうために女学園へ通うのが習わしだって聞いてる。いずれも小学校からの一貫校で、高校か大学までエスカレーター式で上がっていける学校よ」
「…………、」
正直、真剣な話といわれてどういう話が来てもいい様にと構えていたけど、本当に何を言われるのか、何を言われているのかわからなくなってきた。なまじ、直前まで和気あいあいとしていた雰囲気で話をしていたから脈絡が感じられず、余計にそう感じてしまう。
ただ、このままではいけない、みたいなことを言われているのは確かなのだろう。この世界での人生の先輩たる母さんの言葉を、黙って聞いているくらいしか私にできそうなことはない。
「一つ、問わせてもらうわ。今後に関わる重要な質問だから、嘘偽りなく、はっきりと答えて。瑞樹……いいえ。瑞樹の中の『あなた』。あなたは、今……まだ、この世界が夢か何かだと、思ってはいないかしら? 好き勝手に生きて、いざ問題が浮き彫りになってもやり直しがきく。そういう状況にある、そう思ってはいないかしら」
発せられたのは、思いのほか、辛辣な問いかけ。そして、それは母さんのこれまでを聞いた直後だからこそ感じる、この上ない重みを伴っての言葉だった。
――それはまさに、母さんと同じ轍を踏もうとしていないか、という問いかけに他ならなかった。