第34話 ****と『西園寺瑞樹』
この話より、人によって『期待外れ』『思っていたのと違う』『こじつけ・無理矢理設定だ』などと思う展開がしばらく続きます。
この話を読んであまりこういう展開は好ましくないと思った方は、その旨ご留意いただいた上でお読みいただきますようよろしくお願いいたします。
なお、本文中にて、とある疾患について触れる部分がありますが、作者自身の考え方ということではありません。併せてご留意いただきたく、前書きとして記載させていただきます。
考えて見れば、目の前の私が存在する可能性も、全く否定できないわけではないものだったかもしれない。
例えば、解離性障害の中には、人格の乖離のような現象が起きても乖離した人格と大元の人格の間で記憶の共有が行われているという特異なケースもあるというし、私達の場合――それに加えて、私という存在がその可能性を助長している。
私が入り込んだことで、もともとあった私はどうなったのか。考えられるケースは五通りあったはずだ。
すなわち、記憶も含めてすべて消滅するか、一部またはすべての記憶を残してそれ以外は消滅するか。あるいはその精神も含めてすべてが残るか、私が逆に私に吸収され消滅するか。はたまた、二つの統合されて第三の人格となるか。そのいずれかが考えられたはずだ。
そして――ついさっきまで、私は、私がこの体に入り込んだことで私がどうなったのか、ということについて、二つ目の可能性――記憶の継承がされて、それ以外のすべてが消滅していたと思い込んでいた。
でも。
そうではなくて。
――もし、その大前提が間違っていて、ずっと前から、知らない間に共存関係が続いてきていたとしたら。
私は、彼女からすれば本当に自分勝手に行動していたという自覚がある。だから、面と向かって話すのが正直、怖くもあった。
でも彼女が表に出てきた以上、向き合わないという選択肢は用意されていないだろう。あったとして、彼女自身によってかき消されていたかもしれない。
だって、こうして、私の目の前に姿を現しているのだから――。
思えば、彼女の意識の存在自体は少し前から感じられていたのかもしれない。
前にも似たようなことがあったのを思い出して、ふとそんなことを思った。
そう、確か晴香婆さん達が来る二日前のことだったと思う。あの時、脳裏によぎった、私の行動をいさめた『声』。私が結論に至ろうとする直前に語り掛けてきて、最終的には取ろうとしていた行動の真逆の結果に導いた謎の『存在』。
でも、今この時まで、その正体が彼女の意識であるなど、思いもしなかった。
『…………情けない格好ですね。自分でもそう思いませんか』
「……放っておいてください」
そんなこと言ったって、状況が状況なのだから仕方がない。
精神的に追い詰められているからか、こういう姿勢でいるのが一番落ち着くんだから。
私が考えていることは、そのまま相手に伝わってしまうらしく、私はわずかに苦笑を浮かべた。
『そうですね。確かに私も、水崎様に浴びせられた言葉には堪えられないものがありましたし、はた目から見ていても、お母様のあの掌返しにはくるものがありました。しかし――考えてみれば、名家とはそういうものでしょう。気にするほどのことではないはずです』
「それは…………でも――」
『むしろ、これまでが甘すぎたのです。あなたが私の中に入ってきて、私から体を奪った時に、あなたの記憶が流れ込んできたからわかることですが。あなたはすでに、私が上流階級向けの学園に通うことを知っていたはずです。どうやらお母様にもあなたと同じようなことが起きてしまっていて、いささかブレは生じたようですが……それでも、私が名家の娘として生まれた以上は、どのような形であれ既定路線というのは存在しているのです。そこから外れれば失敗しないはずがありません』
「…………、」
何も言い返せなかった。
私が言っていることは、紛れもない事実なのだから。
『それに、既定路線から外れてしまった以上、周囲に存在するほかのレールの上を走る、他家の方々からあれこれ言われるのは仕方がないことです。それくらい分かることでしょう? …………まさか、そうなることを予想しないで、後々のリスクを考えないで勝手に物事を推し進めた、などとは言いませんよね?』
「………………ッ!」
それも図星だった。いや、正確には今そう言われて、初めてこうなる可能性を考えていなかったと気づかされてしまった。
都合のいいことばかり考えてしまって、すっかりそれに付きまとうリスクのことを考えていなかった。……いや、それに気づけるだけの情報は、最初から母さんからもらっていたはずだ。それをもとに考えていれば、こうなるリスクだって考えられたはずだ。
もし最初から、そうなること前提で過ごしていれば、まだもう少し違った結果を見いだせていたかもしれないのに……。
『気づいたようですね。あなたが、どれだけ愚かしいことをしてしまったのか。前提条件の段階で用意された道を外れてしまった。そのためにただでさえ上流階級の社交の場で周囲から白い目で見られやすい条件がそろっていたのに、公立の学校なんかに入ってしまうからそれが確定されてしまった。晴香お婆様も言っていたことですけれどね』
もし、そうなっていたとしても、周囲と明確に距離を置いていれば、あるいはまだどうにかなっていたかもしれない。
あるいは、下手をすれば今のような状況になることを理解した上で、確固たる覚悟を持って行動していれば、あのウインターパーティーの時でも、踏みとどまることができていたかもしれない。迷いを抱えることもなく、晴香婆さんにも認められていたかもしれない。
でも、それらはできていなかった。周囲と距離を置くことなんか考えてもいなかったし、西園寺の娘たるものが公立小学校に通うことで生じるリスクのマネジメントも考えていなかった。
あははっ、なんだこれ。頑張っていたように見えて、結局全然頑張っていなかったじゃん。付け入られる隙ばかりだったじゃない。
私がやっていたのは――自滅の道を突き進んでいただけだった。そしてそんな私に突き付けられた選択も、言い換えれば周囲から孤立して完全な人形になるか、おとなしく『西園寺家』という家から放逐されろ、と言われているようなものだった。
『そうですね。その通りです。あなたはお母様に頑張ると言っておきながらその当初の期待を裏切って怠けていただけです。終いには、自分はきちんと上流階級の娘らしい生活ができている、周囲にも認められていると自惚れて自堕落になっていただけ――。あなたが選んだ最初の選択肢についてとがめることはしませんが……それだけです。あなたはそれを道化師と思ったようですが、私からすればそれにも及ばない。一笑にもできない、道化師とすらいえない、ただの愚者。それがあなたです』
「…………、」
もはや、私は何も言葉を返す気にはなれなかった。
自分がやっていたことが、こうすればいいと思ってやってきたことが、そのすべてが無駄だったと思い知って。
今までやってきたあれこれが、すべて無意味なものだったと理解させられて。そして、それらのことだけで満足してしまい。ごく限られた数人に認められただけで、万人に受け入れられたと勘違いして舞い上がって。
それのなんと――愚かしいことだったのか。
『そう。あなたは愚か者。先ほど自分で気づいたように――頑張りでもなんでもない、ただの『おままごと』しかできていなかったあなたは道化師にもなり得ない、本当の意味でただの遊び人』
「…………」
『ねぇ。結局のところ、あなたは一体――何をしたかったの? これからどう生きていくの?』
そんなこと言われたって――私には、わからない。もう、何をどうしていいのか、まったくわからないよ。
でも、このままこの家に居続けることだけは、耐えられない。私みたいな『贋物』なんて、いていいわけがないんだから。
『…………そうですか』
私は、なにかを言いたげにじっと私を睨んでいた。
でも、結局何を言うでもなく――ふっと、目の前に現れた時と同様に、何の前触れもなく忽然と消えてしまう。
直後に頭の中で語り掛けてきた声により、私の『中』に戻ったのだと理解する。
――まぁ、確かに。今のあなたにしてみれば、潮時なのかもしれませんね。あなたにとっては。
わかってくれたんだ。
その通りだよ。もう、私には無理。何をしても、状況が良くなることなんて、良くすることなんて――できそうにないから。
だから、――勝手に入ってきて、本当に申し訳ないけど……ごめん。私は、家を出ることを選ぶよ。
再び私の中に戻ったらしい私に対してそう返すと――私の中の私は、これまでの『静かに怒る』ような印象から打って変わって、文字通りの『激情』を私に対してぶつけてきた。
投げかけられた言葉は、ただ一言。それだけで、その激情は私に伝わった。
――……ふざけないで、ください。
そして――それが、私が西園寺瑞樹として『私』から聞いた、最後の言葉だった。