第31話 西園寺瑞樹と一条院晴香の言葉
時間が押してしまったために、それほど時間を取ることはできなくなってしまったものの、それでも予定通りに茶会はおこなわれた。
急ごしらえなので自家製ではなく使用人に店で購入してきてもらったお菓子類が並んでしまっているものの、体裁はそれなりに整っている感じだ。
「…………ほぅ。おいしいわね、このお茶」
「ありがとうございます」
晴香婆さんは紅茶を一口飲んで、まずはそう言った。
お茶会での話はまず、晴香婆さんの近況にまつわる話題から始まった。
日本では滅茶苦茶に評判の悪い母さんだったが、西園寺家というつながりはそれだけで強力だ。一条院家が経営する財閥と傘下の企業は年々業績を伸ばしており、もともと日本国内の経済界というステージにおいてそれなりには強い発言力を有していた一条院家だった。しかしここ最近は西園寺家やそれに準ずるような例外的な資本家を除けば一、二を争う権威に至っているという話だ。
無論、ライバルとなりうる存在もそれなりに入るが――四十代後半、まだまだ現役でバリバリ頑張っている様子。
ただ、ぼちぼちと息子さん――母さんの兄にあたる人物――に引き継ぎをし始めているというので、老後に備える計画でも立てているのかもしれない。
それが終われば、今度はこちらの近況報告となる。
母さんは先ほど幾分か話してしまったようだが、改めて話すことにしたようだ。
「――といった感じですわね」
「そう……。まぁ、昔と比べれば大分マシになったわね」
「そうですか」
「でも、まだまだね。それに……先ほども言ったけど、水崎綺奈に侮られるなんて、西園寺家の名折れよ? まして、瑞樹ちゃんや皐月ちゃんのことまで」
「そ、それは……」
そのことに関しては何も言い返せない様子の母さん。
同時にそれの叱責は私にも及ぶ。
「それは瑞樹ちゃん。あなたにも言えることよ? あなたはね、西園寺の娘なの。いい、親の、私達『大人』の言うことは絶対なのよ。それに逆らって、挙句家の名を落とすような真似をするなんて……。瑛斗さんはあなたを跡継ぎに、と考えているようだけれど、私からすれば皐月ちゃんの方がよっぽどふさわしいと思うわね。純粋に瑛斗さんや麗奈の言うことを聞いているみたいだし」
「…………はい」
「お姉様……」
悔しいけど、言い返すことはできない。
後ろ向きな考えで公立小学校に通うことを選択してしまったのは私なのだし。
「時間は未だ十二分にあるのだし、頃合いを見計らって皐月ちゃんに跡継ぎを前提とした教育をするのも一つの手だと思いなさい」
「…………わかりました」
そう言って、母さんは俯いてしまった。
わかっていたことだし、仕方がないことだと割り切ってはいたけど、身内にまでこうも否定されると、やはり、来るものがある。
私はこのまま、後継ぎという肩書きを背負っていてもいいのか。それとも、皐月に任せるべきなのか。その葛藤に答えを出すことができず、母さんと同様ただ俯くことしかできない。
そんな私の心情を見抜いてか、晴香婆さんはこんなことを言ってきた。
「瑞樹ちゃん。本当に西園寺家を継ぎたいと思っているのならね。少なくとも、一線は超えないようにしなさい」
「…………え?」
「庶民の子供とは一定の距離を置いて接しなさいと言っているの。まぁ、表向きの友達付き合いだけなら問題ないでしょうけど……これで、その『庶民』を家に上げていると知られれば――西園寺を敵視している家に隙を見せることになるのよ? ねぇ、麗奈」
「…………っ! は、はぃ……」
「あなたには思い当たる節があるものね。そんなこと……させてないわよねぇ?」
「………………」
なんだろう。晴香婆さんが母さんに話を振った瞬間、母さんはビクッと体を震えさせた。
母さんは学生時代、両親の教育方針に反発気味で、自由奔放に生活していたと聞いているがなにかあったんだろうか。
晴香婆さんはしばらく母さんをじっと見据えて観察していた様子だったが、やがてふぅ、と大きくゆっくりはくと、
「…………そう……。なら、私からは何も言うことはないわね。野暮だったかしらね」
と何も言わなかったかのように母さんから視線を外して、紅茶を一口。
それが、カップに入っていた最後の一口分だったらしく、ごちそうさまでした、と言いながらカップをソーサーに戻して、席を立った。
どうやら、晴香婆さん的にはもう十分話をしたという意味らしい。
「……いずれにしても。あなたたちが今するべきことは、自分にとって何が一番大事なのかを考えることだと私は思うわ。後継者云々、その辺りも含めて、一度考え直す必要があるのは確かね」
「どういうことですか……?」
「簡単なことよ。自分を取るか……家を取るか……。周囲の人間関係もひっくるめてになるけど、突き詰めればその二つのどちらを選択するのか。それだけよ」
それだけ言うと、晴香婆さんは母さんの部屋から退室していった。
残された私達はその後しばらく、沈痛な面持ちで、晴香婆さんが出ていったその扉を眺めることしかできなかった。
――自分を取るか、家を取るか。
その言葉は、不思議と私の頭の中で、いつまでも木魂し続けていた。
それは、私の中で起きている葛藤に、色が付けられた瞬間、だったのかもしれない。
晴香婆さんに言われたことを、自室に戻って反芻しているうちに時間は過ぎ、夕食の時間帯になった。
父さんと爺さんの二人もチェス以外にここ近日の近況についての話題が上がり、大いに盛り上がった様子が見受けられる。
和気藹々とした雰囲気で食堂に入ってきたのを見て、ちょっとだけギクシャクとしている私達四人とは正反対だ。
「どうしたのかね、四人そろってそんな気まずい顔をして。アフタヌーンティーはどうだったんだね」
「え、えぇ……十分に、楽しませていただきましたわ」
「いつも通り、おいしい紅茶とお菓子をいただきました。そうそう、麗奈、今日はありがとうね。さりげなくわたしに合わせてくれていたでしょう?」
「……さすがはお母様。お分かりになられましたか……」
おや、母さん、何もしていないと思いきや実はやることはやっていたらしい。どういう風に合わせたのかは不明だけど。
好みのお菓子でも出したんだろうか。
ともあれ、この話をきっかけに渡したい女性グループの空気も軽いものになり、食事が終わった後もしばらくは話題が尽きることがなかった。
――嵐の前の静けさという言葉はまさにこのことなのだろう。私を取り巻く諸々の事態は、その翌朝に急転した。