第30話 お嬢様の秘密が再びばれる時
結局、なにもかける言葉が見つからず、私はそのまま食堂から自室に戻ることになった。
皐月にどうするか聞いてみたところ、一緒にいたいということだったので皐月も一緒だ。
さて、晴香婆さんの提案で開かれることになった茶会だが、それまでしばらく時間があるので、ちょっとだけ時間をつぶす必要がある。
それまでどうしようかと皐月と話し合った結果、私も皐月も冬休みの宿題にはほとんど手を付けていなかったので、この時間を使って少しでも宿題を消化してしまおうということに。しかし、精神的には大人である私にとって学校で出された宿題などさほど苦も無く終わってしまったため、最終的には一緒に宿題をすることになった皐月の面倒を見ることになった。
しばらく時間をつぶし、程よい時間になったのを見計らって母さんの部屋へ移動する。
そして母さんの部屋の前まで到着すると――部屋の中から、なにやら話し声が聞こえてきた。片方は母さん、片方は晴香婆さん。晴香婆さんの方は怒りをはらんだ喋り方をしている。
「……なにかしら。とても普通ではない感じがする…………」
「お婆様の声……? どうしたのでしょうか……」
昼食前の、そして昼食後の皐月の緊張具合から、良くない想像ばかりが浮かんでくる。
音をたてないように、そっとドアを開いて中の様子をうかがってみる。すると、聞こえてきたのは――。
考えてみれば、私の失敗はこの世界で前世の記憶と意識を取り戻すと同時に、ここがお気に入りの恋愛ゲームの世界だと知って浮かれてしまったことに起因するのだろう。
『レン劇』はかなり凝ったゲームだったからやりがいがあったし、私自身そこそこやりこんだ記憶がある。今でも、鮮明にとは言えないけど、瑞樹と皐月に関する部分であれば細部まで思い出せるはずだ。
でも、前世の記憶を持っていた私は、だからこそ浮かれてしまった。
最初こそ一条院麗奈という名前に覚えはなかったものの、西園寺という名を聞いて西園寺家の双子のことを思い出し、そこから連想して私自身の立ち位置をそこそこだけど理解するにいたることができた。できてしまった。
間違ったのはそこからだったのだろう。
西園寺皐月という悪役令嬢が起こす事件のせいで、西園寺家の富と名声は失墜の一途をたどることになる。
思い通りにならない世界、思い通りにならない人間関係。行き過ぎた利己的な考えは、敏感だったはずの他者の深層心理を見抜く目をも曇らせ、そして曇った目はやがて狂気をはらんだ目となって再起する。最終的に、世界史的シリアルキラーとなって大罪人として扱われるようになるという設定だ。
悪役令嬢としての皐月の断罪イベントに救いがないのも当然の話で、またハッピーエンド以外ではその関係者であり攻略対象であるはずの瑞希にも救いのない、後味の悪いエンドとなるのは当たり前の話だろう。
しかし逆を言えば、それさえ回避すれば。それさえしのげば、勝ち組の人生が待っている。
この世界に『生まれた』ばかりの私は、その時にそう思った。そう思ってしまった。
だから、間違いを犯した。
『皐月』に関する一件だけを気にしていれば後はすべてOK。そう思っていた私は、最初こそ浮かれた気持ちで恵まれた日常を享受していた。
一応、名家の令嬢らしい振る舞いをしてはいたものの、それはあくまでも最低限。食べたいもの、やりたいことが前世に引っ張られていた私は、親から見れば大層手のかかる子供に映っていただろう。どれもこれもが、周囲から悪い意味で浮いてしまうような庶民的な物事ばかり。親にそれはダメだとたしなめられても、従わずにいた。
次第に私に対する風当たりは強くなり、気づいたときには何をしても挽回がほぼ不可能な状態にまでなっていた。
――何を今さら躍起になっているのだろうか。そんなことをしても、もう誰もあなたに期待なんてしていないのに。
――無駄なことを。どうせあなたには何もできるはずがない。早くどっかの庶民と結びついてしまえばいいのに。
今日まで根強く続いている周囲のその風評は、今となっては私にとってトラウマ的なものになりかけていた。
なぜなら。ことあるごとに、こうして、こちらの世界でのお母様が――一条院晴香が現れて、私を激しく叱責するのだから。
あぁ、今日も始まるのか。最初は和やかな雰囲気を纏っていたから、今回は大丈夫だろうと思っていたのに。今は、ささやかな希望が砕け散ったのを悟り、なけなしの力を振り絞ってお母様と向かい合っているところだ。
実際のところ、最終的には思わぬところでお母様の『怒り』が別のことへの関心で塗り替えられてしまい、別の意味で疲れる羽目になってしまうのだが……この時の私はそうなるとは知らずに、ただ茶会が始まるまでの苦痛のひと時を耐え忍ぼうという一心でお母様の言葉を待っていた。
「麗奈。風のうわさで聞いたのだけれど……あなた、この前藤崎様のお家が開くウインターパーティーに招かれたそうね」
開口一番。お母様は、前振りもなくいきなり本題を切り出してきた。
もうそろそろ50代という年齢にありながらとてもそうは見えない端麗な顔立ち。しかし、怒りに染まったその顔は『レン劇』において一番の悪役令嬢たる皐月の祖母にふさわしいものだと毎回思ってしまう。
「は、はい……」
「そう……で、どうだったのかしら?」
「どう、とは……」
「わからないのかしら。いつも聞いていることなのに」
「あ、いえ」
「なら答えられるわよね」
「はい……」
言うまでもなく、パーティー会場でどのような話をしたのか、という話である。
どういうわけか、最終的にはどう誤魔化しても隠しておきたいことを見抜かれてしまうので、正直にパーティー会場で何があったのかをすべて話す。話し終えると、お母様は一度目をつぶって、深い――それは深いため息を吐いた。
このため息のつき方は、総じて『期待外れ』『情けない』と言った感情が込められたものである。そしてその後に起こりうる出来事も、大抵は決まっている。
あぁ、今日もいつも通りになるのだろう、と落ち込んだところへ、お母様から辛らつな言葉の数々が投げかけられた。
「まったく……どうしてあなたはパーティーに呼ばれる度に、私を失望させるの? いったいどれだけ失望させれば済むのかしらね」
「……申し訳ありません」
「謝って済むような問題ではないでしょう。大勢の人が聞いているような公の場で子育てに不評をいただくなんて、どれだけの恥になると思っているのかしら……わかっているの?」
「は、はい……」
「そもそも、なぜ瑞樹ちゃんを公立の学校に通わせようと思ったの?」
「それは、その……」
あの頃は瑛斗さんもまだ私や瑞樹の事情を知らない時期で、急な変貌に不信感を抱いていた瑛斗さんの、ひとまず本人の望むようにして様子をうかがうという強い意思表明に逆らうことができず、流れに沿うような感じで公立小学校への入学が決まってしまった。というのが事の顛末だったと記憶している。
結果的に最悪の一歩手前まで行ってしまい、それから挽回のために私と瑞樹との間で秘密共有や、英才教育が始まったわけだけど……さすがに私と瑞樹の抱えている事情をすべて話す気にはなれず、ぼかした感じで説明せざるを得なかった。
「瑞樹が……あの子が、一時期別人のように変わってしまって……ハンガーストライキまで起こされてしまって…………」
「………………それ、本当なの?」
「は、はい……本当です……」
一応、本当のことを隠すための筋書きは考えていたのでそれを伝えると、お母様は一瞬『はぁ?』と声を上げたそうな顔をした後、訝しむような顔で何かを考え始めた。そして、真偽を疑うような確認の言葉。
なんだろう、いつもとは違う流れを感じる。
ちょっとだけ不安に思いながら、それが真であると、首を縦に振りながら肯定の意を示すと、再度深く考え込んで――やがて、ふぅ~……と、とても深いため息を吐いた。
なんだか、頭痛が痛いと言わんばかりにこめかみのあたりを揉んでいるが、なんだろう。本当に、いつもと違う気がする。
「……なぜかしらね。私にはとてもそうは思えないのだけど…………」
「なぜですか……?」
「あぁ~……答える前に一つだけ、教えてもらえるかしら。あの子……なんか、これくらいの、分厚い単行本の小説を読んでるみたいなのだけれど……それって、本当なのかしら」
「……え゛っ」
「あの歳で、あんな本を読む……なぜかしらね。私には、別の何かがあの子に宿っていて、それを隠しているように感じられるのだけど……」
「そ、そそ、そんなこと……ナイデスヨ……?」
あ、あわわわわ……どうしよう。お母様が、いつも以上に鋭くいらっしゃる。あまりの気迫と具体的な指摘に、思わず片言になってしまう。
瑞樹ったら、なんでお客様が泊まり込みで来ているときに、年相応の生活をしていてくれないのよ。おかげでこんなに不信感抱かれちゃってるじゃない。
そしてそれが失敗であることにすぐに気づくも、すでに遅い。お母様はとても――とても意地の悪い顔になって、私に質問を重ねてきた――
『ねえ、本当のところ、どうなのかしら。あの子――本当に、あの歳でハンガーストライキなんて起こしたのかしら』
『…………いえ。実は、本当は起こしてませんでした。そうするのではないかと疑う位にはいってしまいましたけど』
『……嘘ね』
『嘘ではありません』
『いいえ、嘘よ。だってあなた今、『隠し通そうとしている秘密がばれそうだ。まずい』って思っているでしょう』
『そっ! そんなわけ、ないです!』
『あるのよ。だって、あなた面白いくらいに動揺しているじゃない』
そして、傍らで私と同じく部屋の中で交わされている会話を盗み聞きしていた皐月は、ジト目で私を見つめて本当なのかと詰問してきた。
「ハンガーストライキって、あれですよね。いうこと聞いてくれないと、ご飯食べませんっていう。本当にやったのですか……?」
「…………」
「…………やっていないのですね。少し、ほっとしました」
「どうしてわかるのかしら」
「どうといわれましても……なんとなく、ですが。本当はその一歩手前で終わることができたと思っている、そう思いまして……」
相も変わらず、察しのいい子だ。これがゲームでは、狂気をはらんだような悪役令嬢ぶりをみせるから不思議なものだった。いや、むしろ心が読めるからこそ、あんな苛烈な、どうすれば相手の心を崩せるのかを見抜いたような行動を起こせるのだろうけど。
お母様は誤魔化し続けることしかできないといった感じで嘘を重ねている。けれど。
『私は、私の感じたことを疑う気はないわ。なぜなら私の血族――氷川家は、総じて共感能力が高いのですから。私のお母様もそうでしたし――あなたはなぜか氷川の血を引いているにしてはあり得ない共感能力の低さですけど、皐月ちゃんにはしっかりとその特徴が根付いているようですしね』
『なぁっ!? そ、そんなこと突然言われても……信じることなどできません! そうです、そんなこと突然言い出すなど、本当はお母様、ご自分でいったことがあてずっぽうだと自覚しているのではないですか!?』
『私は嘘を言ってはいないわ。それに、皐月ちゃんの件についてはあなたも心当たりがあるのではなくて?』
『それは……はい、確かにあります、けど……』
ここで驚きのカミングアウト。というか、皐月のこの察しの良さのルーツって、そんなにスケールが大きかったんかい。
驚きを隠せずに皐月を見つめていると、皐月は自分のことなのによくわかっていないような顔で、首をかしげて『なんでしょうか』と私に視線で問い返してきた。
盗み聞きを続けながら、何でもないと首を振って皐月に返答をする。
『実はね。午前中に瑞樹ちゃんの部屋にお邪魔させてもらったのよ。でも、本人は絵本をといっていたけど目が完全に泳いでいたし、書棚を覗かせてもらえばとても六歳の子供が読むとは思えない本の数々。それに、ね。私も母親やってた時期があるのよ? 名家といえど普通の子供が、どのような時期にどのような本を読むのかなんて、わからないはずがないでしょう』
『…………』
『パッと見た感じ、三十歳くらいの女性が無理矢理六歳児を演じているような感じで、見ていて違和感ありすぎて気分が悪いの。いい加減、白状したらどうなのよ。あの子……瑞樹ちゃんに何が起こっているの?』
おぉう、ニアピンだ。でも惜しい! 女性じゃなくて男性なんですよ、宿ったのは! 女性らしくなったのは訓練の賜物です! 内心でちょっとだけ得意げにそう暴露する。無論、内心でそう思っているだけなので伝わるわけもないが。
あと、そこまで察せられてしまっていたのならやはり、諦めたほうが良いという読みは当たっていたののだろう。氷川家、おそらくは晴香婆さんの実家のことだろうけど、とにかく晴香婆さんの一族は総じて共感能力が高い、というのも気になるし。
ここは正直にすべて話してしまっておいた方がよさそうだろう。少なくとも私はそう思う。
それはどうやら母さんも思ったらしく――今は茶会を優先させてもらうことを条件に、泣く泣く秘密を打ち明ける約束を取り交わされたようであった。
『……それにしても、気がつけばもう三十分も過ぎてるじゃない。……まったく、どういう教育しているのよあなたは』
『も、申し訳ありません……』
『まったく……あなた、瑞樹ちゃんと皐月ちゃんを呼んできなさい。お茶会のこと、もしかしたら忘れているのかもしれないわ』
『あ、はい……えっと、それが、その……』
『どうかしたのかしら?』
『瑞樹お嬢様も皐月お嬢様も、ご両名ともすでに部屋の前まで来ています。その……お二人のお話を部屋の外で聞いていたみたいで、部屋に入るタイミングをうかがっていたようです……』
そうなのだ。実は二人の話を聞いている最中に一回だけ母さん付きのメイドさんが部屋から出てきて、その時に部屋の前で盗み聞きをしていた私達と鉢合わせたのだ。
メイドさんのなんとも気まずそうな顔がとても印象的だったとだけ言っておこう。
この後メイドさんが起こしうる行動を予期して、あらかじめ一歩だけ扉から離れる。ほどなくして、メイドさんが部屋の扉を開けて、私達を部屋の中へ招いた。
「………………その、お邪魔いたします、お母様」
「お招きいただき、ありがとうございます……? その、もうお話は大丈夫なのですか?」
「「…………」」
そして、盗み聞きをしてしまったことへの罪悪感から、ぎこちないながらも挨拶をする。
母さん達はしばし、顔を見合わせて。やがて、どちらからともなく、ため息をついて、とても微妙な面持ちになりながらも、私達に謝罪をしてきたのであった。