第27話 西園寺瑞樹の心が揺れる時
ウインターパーティーは冬休みシーズンの最初の日曜日に行われたため、その翌日にあたる本日は多くの学校がすでに冬休みに入っている。
かくいう私の学校や皐月の学校も冬休みに入っているが。
昨日いろいろあったものの、それでも時間は過ぎていくものである。一つの節目を通り越して、私の日常は再び平時の状態へと戻っていく。
どこか心の中にしこりのようなものができている感じがするのを意識しながら。
――母さんとはすぐに和解することができたけど、あの一件は私にとって簡単に忘れられるものではなかった。
植え付けられた疑念が、私の中ですでに芽吹き始めてしまっていることを裏付けるかのように。
あの時言われた、あの言葉の数々が。
今になって、私にとても重い圧力となって、のしかかっている。そんな感じがしてならない。
私は今、声まで支えにしてきたもののことごとくを、否定されたような気持になっていた。いや、今というわけではなく――おそらく、強く否定されて、『負け』を実感してしまった、その時から。
『今日も寒いね~』
『そうですね。今日は朝から撮影をおこなっているとか……。今は休憩中なのですか?』
優衣ちゃんから送られてくるメールに返信しながら、私はこれから先のことを茫然と考えていた。
これまで母さんに言われるがままにやってきたけど……。本当に、それだけで周囲から認められるんだろうか、と。
「はぁ~……」
でも、どれだけ悩んでいたとしても、答えはすでに出ていることには変わりない。
そう、変わりはないのだ。
あの女も言っていたではないか。
――どれだけ取り繕ったところで、中身庶民の私が上流階級のお嬢様になりきるなんて無理だったのだ。少なくとも、並大抵の努力では。
普通の公立学校に通っている状態でもどうにかなる。そう思っていた私が違っていたのかもしれない。
上流階級には上流階級の生活というものがある。それを痛感させられた形だ。
私は――本当に、お父様が認めてくれたように、西園寺の娘として名乗れるのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、私は優衣ちゃんから送られてきたメールに目を通す。
新しく送られてきたメールには、ちょっとだけ気を惹くような内容が書かれていた。
『ううん、次の撮影場所に移動中。次はね、瑞樹ちゃんの家の近くなんだ! えへへ。友達の家の近くで撮影っていうのも、なんか緊張しちゃうなぁ』
『そうなのですか? その……映画館へ行くのは禁止されているので見ることはかないませんが、頑張ってくださいね』
優衣ちゃんの張り切った顔が思い浮かぶ。
その間だけは、心が癒され、顔が自然とほころぶのを実感する。
ちなみに優衣ちゃんが今撮影しているのは、来年公開予定の映画だと本人の口からきいている。
『え! 映画館禁止されてたの!?』
『えぇ。他に、書店やレンタルビデオ店なども禁止されていますね』
『そうなんだぁ……思ったより窮屈だ~。私には真似できそうにないよ』
そういえば、娯楽番組云々が禁止されているとかは伝えたけど、そう言った話はしていなかった気がする。
とても驚いたっぽいなぁ……。ちょっとだけ、勝気になってしまう。これに加えて『実は○○も禁止されている』とか、『実は○○を強要されている』とかそう言った嘘情報を伝えたらどう帰されるのか、とちょっとだけいたずら心が生まれてくるあたり、からかい甲斐のある子だと思う。
そのあとは、数回メールのやり取りをしたところで次の撮影現場に到着したらしく、メールのやり取りはそこで終了となった。
――優衣ちゃんはこの近くで撮影中、か。会いに行きたいなぁ……。
そう思っているあたり、私は優衣ちゃんにとても心が引かれているのだと自覚する。
いつだったか言われたことを思い出す。
――他の子たちと違う毎日を送っているのに、瑞樹ちゃんと話してると、私も普通なんだって思えて、とても落ち着くから。
あれは、そう……確か、優衣ちゃんと出会って、その翌週の週末じゃなかっただろうか。
あの時は、まさかこれほど仲良くなれるとは思ってもいなかった。でもその言葉を思い出すと、ふっと納得してしまいそうになる。
私も、優衣ちゃんも普通ではない生活を送っているから。
私もまた、優衣ちゃんの『普通じゃない』部分を知って、そこはかとなく苦楽を分かち合っているような気分に浸っていたのかもしれない、と。
――優衣ちゃんは、強い子だ。
学校生活と、子役女優というハードな職業の二足草鞋。とても辛いだろうに、それをこなす優衣ちゃんはとても強い。私はその姿に、知らずのうちに励まされていた。
だからなのだろうか。今、無性に優衣ちゃんに会いたい、と思ってしまうのは。
メールが送られてくることがなくなった携帯電話を握りしめていると、急に廊下へと続く扉が開かれた。
驚いてそちらへ振り向くと、皐月が開きかかった扉からこちらを覗いて室内の様子をうかがっているのが見えた。
「お姉様……いらっしゃいますか? ……いらっしゃるのですね」
「皐月……?」
「ノックしてもお返事がありませんでしたから、いないのかと思いました……。………………?」
皐月は私を視界におさめるや、一瞬驚いたような顔をした後、怪訝そうな顔をして私の顔を覗き込んできた。
今は可能な限り、誰にも顔を見られたくなかった。
今日は午後から夕食の少し前までは家庭教師やバイオリンのレッスンがあるからそれは叶わないけれど……それでも、皐月だけには見られたくはなかったから。
「……泣いて、いるのですか?」
「…………泣いていません。泣いてなど、いません……」
そう言うも歯切れの悪い言葉になってしまう。
はっきりと言えないくらいに弱っている自分を気づかされるようで、その事実がなおのこと、皐月に会いたくなかったと思ってしまう。
「…………申し訳ありません、入ってきてしまって……」
「いえ……。大丈夫です……気遣ってくれてありがとう、皐月……」
そう言って、微笑む……うまく、笑えているだろうか。とても不安である。
とりあえず家庭教師の人が来るまでもう少し時間があるので、それまでの間皐月とお茶を飲むことになった。
ブザーを鳴らし、菅野さんにお茶を入れてもらうと、皐月はちょっと迷いながらも私の対面に座った。
紅茶を一口だけ飲んで、そのままお茶菓子として用意されたスコーンを口に運ぶ。
ここ一年で洗練されつつあるこの動きも、今の私には一昨日までの私とは違うように見えてしまう。感じてしまう。
――そう、まるでテレビの映像を見ているかのような、実感のなさ。
自分が自分ではないような感じがして、それがとてつもなく気持ち悪い。
どうして、そんなように思ってしまうのかが、そう感じてしまうのかがわからなかった。
「お姉様……? 大丈夫ですか?」
「え、えぇ……大丈夫ですよ。急にどうしましたか?」
「いえ……なんでもありません……」
一体、何が大丈夫だというのだろう。
今の精神状態が、ちょっと普通ではなくなりつつあるのは自分でもわかってしまう。その原因が一体何なのかも、わかってはいる。少なくとも、わかっているつもりではある。
でも、それを一体どうすれば解決できるのか、私にはとても分からない。
「はぁ~…………」
本日、何度目になるかもわからないため息を吐く。
12月に入ってから増えてきたけど、この前のパーティーをきっかけに、そのため息の原因は全く別のものに替わっていた。
そしてもう一口紅茶を飲もうとして――いつの間にか、カップが空になっていることに気づく。
どうやら長い間、私は茫然自失としていたようだ。
「……もうそろそろ、家庭教師の先生が来る頃ですね……準備を、しなくては…………」
「そう、ですね……お姉様、今日は確かにその予定のようですが……本当に、大丈夫なのですか?」
「大丈夫です。心配は無用です」
確かにこの状態の私が大丈夫と言っても、説得力に欠けるのは確かだろう。皐月は大丈夫だという私の顔を何度も見直して、とても心配そうな顔をしながら、それでも私の言葉を尊重してくれた。
最後の一口となった紅茶を仰いで、
「お姉様。私は、瑞樹お姉様を信じています…………」
そう、労わるような言葉を残して、退室していった。
まるで私が、西園寺瑞樹が今はここにいないかのように。
――そっか。皐月にとって、今の私は――
そのことに気づけば、それは言い得て妙だった。確かに今の私は――西園寺瑞樹を名乗れるのかどうか、正直迷っている状態に近いのかもしれない。
信じていたモノ。支えにしていたモノ。貫こうとしていたモノ。それらがすべて、否定されてしまったわたしは――一体、ダレナノダロウ――。
――どこかで、なにかにヒビが入る音が、聞こえた気がした。