幕間 淑女が感じた不安
本日はいつもよりちょっぴり長めです
寒さがいよいよ深まる、12月。
私はここ最近、一つ気になることができていた。
それは、愛娘の一人、瑞樹のことである。皐月のことも気にはかかるけど、不安定さでいえば瑞樹の方が圧倒的に心配だ。なにせ、抱えているものがあるのだから。
双子として生まれてきたのに、こうも違いが出てしまう。それも、ひとえにその抱え込んでいるもののせいだとしか言えない。私にとっても、彼女の『中の人』にとっても、なんという神のいたずらだろうかと、ことあるごとに思ってしまう。
瑞樹と皐月は、二卵性双生児だ。
私は生まれてくる子が二卵性双生児になりやすいような要因を持ち合わせていないからちょっと珍しい、と思ったけど、それでもそうなってしまったものはそうなってしまったのだ。
もともと『レン劇』では瑞樹と皐月は二卵性双生児という設定になっていた。『レン劇』における西園寺麗奈が何歳で二人を出産したのかは不明だったが、それを踏まえて考えると予定調和じみたナニカを感じてしまう。
その双子として生まれた二人のうちの片割れのことだが、その片割れ――瑞樹の、ここ最近ため息の回数が多くなっているのだ。
気になっているのは気になっているのだけど、その時の顔がとても表現できないようなものなので、聞けないでいる状態だ。
「本当に、なんなのかしらね……」
「なにがだ?」
家族共有スペースとして使用されている部屋の一室でふと言葉をこぼすと、傍らで一緒にくつろいでいたこの世界での夫――なにげに前世から通算しても初めての夫である――が聞き取ったのか、きょとんとした顔で聞いてくる。
「ん~? 瑞樹のことよ。ここ最近、妙にため息が増えたと思わない?」
「あぁ……。そういえば、そうだな……」
ん? なんだろう。瑛斗さんはなにか思い当たる節があるようだ。
気になって問いかけると、私こそ気付かないのか、と再びきょとんとした顔で言われてしまう。
なんだろうか、私が最初に気づくのが当たり前、と言われているような気さえしてくる。あるいは、私が一番答えに近い、と言っているのか。
とにかく、わからないものはわからないので詳しく聞こうとしてみるも、瑛斗さんは笑ってはぐらかすばかり。
「ははは。まったく、こういうのは灯台下暗しっていうのかね。俺としてはこれまでのことを振り替えれば、すぐにわかるものだと思うんだがな」
「はぁ……?」
「答えは瑞樹の中だけではなく、お前の中にもあるはずだ。それをよく考えてみるんだな」
「はい……?」
と、こんな感じである。
瑛斗さんはそれだけ言うと、あとは部屋に設置されているテレビのリモコンを手に取ると、そのままスイッチを入れて適当にチャンネルを回した。
その結果映し出されたのはこの時間帯に放映されているテレビドラマシリーズのうちの一つだった。割と面白い内容だったので夫婦水入らずの時間に仲良く見ている番組だ。
それを見て時計を見て、ようやっと自分がどれだけ考えに耽っていたかを思い知らされる。
なにしろこの番組は私たち二人にとって特別なものとなっているのだから。
「まぁ、考えすぎるのも体に悪い。今はこれを見て、ゆっくり頭を休めるといいさ」
「まったくもう……はい、そうさせてもらいます」
取り付く島もない、と言った感じでいう瑛斗さんに、少しは気にしてほしい、と愚痴を言いながらそれでもやっぱり従ってしまう。
こちらの世界に来て、いろいろ苦労して。その末に拾い上げてくれた彼に、私はすっかり虜にされてしまった。
「……あ、優衣ちゃんだ」
「だな。まったく、あの歳でよくここまでの演技ができる」
「ですねぇ。普段、うちで勉強をしたり、お茶をしたりしてる優衣ちゃんとは別人みたい」
そう。見ているドラマは瑞樹の友達の優衣ちゃんが出演するドラマなのだ。
娘の友達が出ているドラマとあって、気にならないはずがない。それは瑛斗さんも同じらしかった。
私達二人は、私達の世界ではお互いに異端視されている。その方向性は別のものだけど、私が異端視されるきっかけとなったモノと瑛斗さんが異端視される原因そのものは、突き詰めていけば庶民と同じ価値観を『持っている』か『持ちたいと思っている』かの違いである。大きくもあり、小さくもあるソレは、私達夫婦にとっては一種の共通点。だからこそ、私たち二人はこうして、趣味を、娯楽を共有できる。できている。
とても素晴らしいことだと、いつも思う。
ドラマを見て、その展開に時に笑い時に驚き、ハラハラして。気づかないうちに、エンディングを迎える時間となってしまう。
楽しい時間というのはどうしてこうも速く過ぎてしまうのか。
しかし今週の回は、私達にとってとても考えさせられてしまう内容も含まれてはいたけど。
「今週も面白かったな」
「そうね。まさか、あそこで仲違いすることになるとは思ってなかったけど。……瑞樹と優衣ちゃんは大丈夫かしら」
「うーん……それはあの子達次第、としか言いようがないだろうな。しかし、周りの人も一緒に考える必要もあるけどな。特に瑞樹については俺たちがよく考えないといけないのは当然だ。様子を見て、設けている制限も緩和していかなければ、あの子はじき孤立する。どこの学校に通っているとしても、どれだけ精神が大人だったとしても、やはりそれだけは避けねばならないだろうな」
「そう……では、どうしますか?」
今の制限では確かに、同じ学校の子供と話題を共有するのは難しいだろう。
ではどうする? アニメなどの子供向け番組に対する制限を取りやめる? 本当にしてもいいんだろうか。ちょっと不安になってしまう。
「瑞樹が心配か?」
「えぇ……やっぱり、私たちには私たちなりの生活をしなければいけないと思います。そうじゃないと……浮いてしまいますから」
私みたいに。
そうは言わなかったものの、それは瑛斗さんに伝わってしまったようで。
そっと抱き寄せられる。優しく包み込むような温かさに、ついほおを緩めて、肩に顔を乗せてしまう。
「大丈夫だ。あれはきちんとメリハリをつけている。少なくとも俺にはそう見えるな。社交界に出たとして、おそらく最低限、周囲の顰蹙を買うようなことは――ないだろうな」
「そうですか……」
ほっと、安心する。
ようやっと、努力が認められたような気がしたからだ。
この世界に来てから私は大きな失敗をした。それが原因で、とても苦労させられて――生まれてきた子の一人が、私と似たような境遇であると気づいて。
慌てて歩き方を矯正したけど、私はこちらの世界に来てからというもの、英才教育は反発ばかりして真面目に受けてこなかった。だから、教えるにしてもかなり苦労したけど――でも、これで、やっと報われた。
決して今この時がゴールではないとわかっていても、不覚ながら、そう思ってしまった。
「…………む~、なんですかその顔は……」
「はっはっは。まったく、考えていることが筒抜けだ。淑女らしく、少しはポーカーフェイスをしたらどうだ?」
「失礼ですね。パーティーなんかではきちんとしてます!」
「本当か? 疑わしいなぁ……」
「ホントですよ!」
「くく、しかし、今の顔を見ているとなぁ。どうしても、そうは思えないんだよなぁ」
「むぅ……」
まったく、人のことをからかって。何が面白いんだか。
ジトっと睨んでやると、もうひとしきり笑ってから、ふと真顔になって私に語り掛けてきた。
「しかし、そう思っているならなんで気づかないんだ? もうわかってもいいと思うんだがな……」
「なにがですか……」
「はぁ……まったく。最初に気づいたのはお前だというのに……」
瑛斗さんが語る、ここ最近の瑞樹関連で気づいたこと。
すっかり抜け落ちてしまっていたそれを気付かされて、私は思わずハッとしてしまった。
――それは、彼女がこの世界で『目覚めて』から一年が経とうとしている節目を示す『合図』なのだと。
なんて大切なことを忘れていたんだ、私は。
そうだ。そう言われ見れば、確かに瑞樹は去年の今頃から、おかしくなった。だんだんとおかしくなったのではなく、本当に人が変わったかのように。
実際に中の人が変わっていたのだから当たり前なのだが――しかし、あぁそうか、と私はふと思ってしまう。
中の人が変わったというのなら、きっと、その新しい中の人にとって、その日はきっと――。
そのことを瑛斗さんに伝えると、そう言われれば確かに、そうなるのかもしれないな、と何の気なしに笑って同意してくれた。
そして、それならこういうのはどうか、という瑛斗さんの提案に、私は一瞬びっくりしてしまったが、いい案だと思い一緒に準備することにした。
期間は一週間しかないけど、それくらいあれば十二分。参加するのは――私と、瑛斗さんと瑞樹。あとは――瑞樹の面倒を見てもらっている菅野さん。この四人でいいだろう。
そう伝えると苦笑して確かにそれくらいが妥当か、と同意してくれた。苦笑なのは、皐月を仲間外れにしてしまうことへの罪悪感があるからだろう。
「それにしても……あなたも変わりましたよね…………。変わってくれました……」
「あぁ……まぁ、な…………。あそこまで真剣に打ち込まれて、それで心が動かされない方がどうかしてる……」
そう。瑛斗さんは変わってくれた。瑞樹に対する視線の向け方を。
それがとてもうれしくて、私は自然と笑いをこぼしてしまう。
このプチ企画は今突発的に決めたことだから、もう時間がない。早速手配を始めないといけないだろう。
ささやかなパーティーの準備を始めながら、私は冬の夜空をふと見上げた。
雲の多い、星を見つけることの難しい空。直前まで瑛斗さんと話していた内容はとても好ましいことだったというのに――どうしてだろうか。この暗黒の空を見上げて来ると、合間から覗いていた三日月が流れる雲によって隠れるその様を見つめていると、それがとてつもなく嫌な未来を暗示しているかのような気になってしまうのは。
ずっと見ていたくなくて、テーブルにもどり、ふとその机上に視線を移すと。
――そこには、昼間に届けられたある便箋が無造作に置かれていた。
この便箋の内容は藤崎家主催のウインターパーティーへの招待状だ。
予定日は……確か、先ほどこっそりと企画したささやかな『パーティー』の二日後だった気がする。
――今となっては見慣れた招待状。だけれど、目に入れたそれが、不幸の手紙のように思えてならない。
なにもなければ、今年も皐月はともかくとして、瑞樹には家で待機していてもらう予定だった。でも――同じ学園の同じ教室で学校生活を送ることになった皐月はもちろんのこと、皐月を介して瑞樹も藤崎家のご令嬢と良い仲を築き始めてしまっている。そうなれば、西園寺の体面を保つために、出席してもらわなければならなくなる。特に関わり合いを持ってこなかった、去年までとは大いに違う点で、仲良くなっておきながらホームパーティーのお誘いに応えないなど、こちらの世界の、私たちの『世界』では考えられないこと。
とても強くて、致し方のない『しがらみ』だけど、御呼ばれされたからにはまっとうな理由がない限り行かないといけないのが、この世界の、ハイソサエティに属する人たちが守らねばならない鉄則のマナーなのだ。
しかし、しかしである。
――あの子は確かに瑛斗さんが認めるくらいには、西園寺家にふさわしくなってくれた。でも……まだ、ちょっと不安定さが残っている気がする。そんなあの子にパーティーは……。
一か月くらい前に参加した企業パーティーでの記憶がよみがえる。私を名指しして、明らかに当人に聞こえる『蔭口』で後ろ指を指す連中の敵意を含む視線と、その言葉の内容。その人数は淘汰されつつあり、今はもうかなり減ってきてはいるものの、やはり毎回挨拶回りをしているとそう言った声は聞こえてしまう。
思い出すだけで陰鬱な気持ちになってくる。過去が過去だけに、言い返せないのが苦痛だ。
瑞樹は――大丈夫、なんだろうか。参加させてしまっても。
藤崎家のウインターパーティーは高級ホテルの一室を借りて開かれる。集まる人員はいつもそうそうたる面子ばかりで、しかも人数もそれなりだ。
嫌な予感は、次第に不安へと移り変わる。
その一抹の不安を無理やり振り払いながら、私は間近に迫ったウインターパーティーと、その翌日に行う宴の準備に執りかかるのであった。