第20話 西園寺瑞樹とジュニアアイドルの帰宅
それでも、時間が過ぎるのは早い。気づけばあっという間に金曜日になってしまっていた。
優衣ちゃんは今日は学校が終われば後はフリーの日。一年、二年生はちょっとだけ受ける授業の項目が少ないために、今日は四限で終了する日だ。
だから給食を食べ終わって掃除が終わって、諸連絡が終わった今は放課後ということになる。
いつも通り、校門前まで移動する間のわずかなひと時を他愛もない話で過ごす私達。だが、雰囲気はどこかしら、そわそわしたものになっていた。
やがて校門に到達すると、私達は少し立ち止まって顔を見合わせる。
優衣ちゃんはちょっと寂しそうな顔をしている。
まあ、名残惜しい気持ちは分かる。門をくぐれば、もう優衣ちゃんは気分の帰るべき家に帰ることになるのだから。
「……はぁ。もう、着いちゃったね」
「着きましたね。校門に」
門をくぐると、見慣れた光景。優衣ちゃんがうちに寝泊まりしていたこの一週間でも、ほとんど変わることはなかった光景だ。
私を待っている護衛の北島さんと、優衣ちゃんを待っている優希さん。二人は私達が学校の敷地から出て来るのを認めると、そのままそれぞれのペースで近付いてきた。
「だだいま、北島さん」
「お帰りなさいませ瑞樹お嬢様」
「ただ今お母さん。えへへ~」
「おかえり、優衣。一週間、ごめんね……」
「ううん、大丈夫だよ! お母さんはお母さんで、頑張ってるもんね」
元気なやり取りをする優衣ちゃん達。対して、私達は必要最低限の言葉しか交わさない。まぁ、プライベートな空間ではいろいろと話すのだけど、こうした公共の場では護衛として周囲を警戒するためか、非常に淡白なやり取りしか行わない。私も、護衛の邪魔をしてはいけないとむやみには話しかけないけど。
簡潔ながらいつも通りの別れの挨拶が終わると、スッと優希さんが歩み出て来る。
「瑞樹ちゃん。この一週間、優衣と一緒にいてくれてありがとうね」
「いえ。困ったときはお互い様ですから。友達なら当然だと思います」
「まぁ。瑞樹ちゃんはしっかりしているのね」
うふふ、と照れを隠すように私は笑う。
「おまけに本当にお上品……まさに深窓のご令嬢みたいね」
「……、お上手ですね。えっと、お母様にも、お礼言っておきますね」
「えぇ、お願いしてもいいかしら」
「はい、かしこまりました。間違いなく、申し伝えます」
ありがとう、と再度お礼を言うと、そのまま一方後ろへと下がった。
「じゃあ、瑞樹ちゃん。いろいろありがとう。また来週、会おうね!」
「はい。またいつでも、来てくださいね。待っていますよ」
「うん。お菓子、おいしいしね」
お菓子が目当てか!
西園寺家で出しているお茶菓子は名家というだけあって高級品ぞろい。だから、ことあるごとに来たいと思うのはすごくわかるけど! ちょっといやしんぼっぽいよ!
「こら。まったく、優衣ったら……ごめんなさい、瑞樹ちゃん」
「いえ……むしろ、満足していただけたかどうか不安でしたから。気に入っていただけたなら満足です」
「……そう。でも、その……高いんでしょう? 優衣がいただいたっていうお菓子」
「いつも家族そろって食べているものですから、それほどでもありません。大丈夫です」
「そう? じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわね」
「はい。お気になさらないでください」
まぁ、私はここ最近、そればかりを食べてきたから当然、舌は肥えてしまっているのだけど……やっぱり、ポテトチップスとか、スナック菓子とかがおいしく感じられることはある。
書店とか映画館とか、そう言った『娯楽』施設への入店や入場は禁止されているけど、普通の小売店とかは世情を知るための社会勉強の一環になるとして許可されているので問題なく入店できるから、食べる機会はいつでもあるし。
まぁ、それでポテチやスナックを買って帰ったときは呆れた顔をされるけど、母さんはあまり公には知られないようにしてはいるものの、食べている手前強く言えないようだし。父さんも父さんで、周りから変わり者気質と言われる所以が庶民派としての一面なので、スーパーやコンビニなどに寄ってそれらを買うことについてはいささか寛容なようである。
でも、優衣ちゃんからすればそんな一面を見れば、抱いていた想像が一気に崩れ去ることだろう。それはそれで面白そうではあるが、母さん達からは外には見せないように、と厳命されているために見せることができないのは残念だ。
優衣ちゃん達と優衣ちゃんの母さんを見送った後。私は車の中で、そんなことを考えていると、何を思ったのか門脇さんが話しかけてきた。
「……お嬢様。今日はこの後、珍しく特に予定が入っていませんが、いかがいたしますか?」
「そういえばそうでしたね……。では、いつも通り、スーパーへ行きましょう」
「はい、かしこまりました」
少し考えて、答える。
門脇さんはにっこりと笑って、このあたりの地域の客を狙いにおさめている地元スーパーへと向かった。
向かっているスーパーは皐月が学園で仲良くなったご令嬢の親御さんが経営しているスーパーだと皐月が言っていた。インストアベーカリーのパンがとてもおいしいのだが、こういう機会ではあまり食べることができないのがとても残念だ。休日で時間があるときなどに気分転換で昼食代わりに買うことがある程度である。
まぁ、その時には母さんや父さんもよく同行して、一緒にパンを買って文字通り『貪る』のだけど。
『は、はしたなくありませんか……? もっと周りからの見え方を気にしたほうが……』
という皐月は根っからのお嬢様として育ちつつあるだろう。
閑話休題、そう言った事情があるため、スーパーに到着して入店すると、髪を引っ張られるような思いに駆られながらも私はインストアベーカリーの付近を素通りして、そのままお菓子売り場へ。ここ最近はポテチもいろいろあるから迷う。
でも子供の私の舌にはまだわさび系のフレーバーは早いらしく、先月少し食べたらツーンとし過ぎてとても食べられたものではなかった。残りはもったいないからと父さんの胃袋に消えていったけど、前世ではお気に入りのフレーバーだっただけにちょっとがっかりだったりする。
ふと、視線を転じて目に留まったそれを見て、そういえば、と思考を巡らせる。
――あ。トリプルチーズかぁ。そういえばこっち系はまだ攻めたことがなかったなぁ。
今日はそれ以外にパッとする者がなかったのでそれに決定して、レジでお会計をして店を後にした。
ちなみにお嬢様だからと言って財布に万券が束になって入っている、ということはない。公立の小学校に通うとあって、そんな不用心な真似は許されるはずもなく(そもそも私自身する気もなかったが)、ちっちゃい子供用の財布を持たされていて、入っているのは硬貨だけ。それも、一番大きいのは百円硬貨という念の入れようだ。
そうさせたのは前世では普通の一般家庭に生まれたという母さん――ではなく、父さんだったりする。危険云々ではなく、会計時にどういう目で見られるかという懸念材料でそうするあたり、一般市民の生活をよく理解していらっしゃるようだ。世間の評価は伊達ではない。
家に帰ると荷物を置いて、早速と言わんばかりに皿を用意してそこにポテトチップスを出す。とはいえ、子供が一人で、一つの機会に食べることができる量などわかり切っているから、内容量全てを出したわけではないが。
「お嬢様。ポテトチップスだけでは喉が渇きます。こちらもどうぞ」
「ありがとう」
菅野さんに飲み物を用意してもらい、金曜日の放課後という、完全なフリータイムとなるこの時間を使って至福のひと時を迎えた。
そして、とりあえずこれくらい、と袋から出したポテトチップスの最期の一枚を口に放り込んで、用意されたお茶をゴクリ。何気なくそこでカレンダーを見た。
――今は11月の、下旬だ。
来月は自分にとって大きな意味のある月となる。そのことを考えて、私はふぅ、とため息を吐く。
季節は巡る。少しずつ、――少しずつ。
この翌日以降、私は胸中に複雑な気持ちが生じているのを自覚しながら、それでも続くこの世界での日常生活を送ることになるのであった。