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後日談(勇者パーティ視点)

薄暗く、湿った空気が充満する地下坑道。

カァン、カァン、という乾いた音が、終わりのないリズムで響き渡っている。

ツルハシが硬い岩盤を叩く音だ。

その音は、まるで囚人たちの命を少しずつ削り取っていく秒針のように聞こえた。


「はぁ……はぁ……くそっ、なんだってんだよ……」


掠れた声で悪態をついたのは、かつて勇者と呼ばれた男、ライルだ。

だが今の彼に、その面影を見出すことは難しい。

自慢の金髪は泥と埃にまみれて灰色にくすみ、油でベタついている。

鍛え上げられた筋肉は過酷な労働と栄養失調でげっそりと削げ落ち、肋骨が浮き出ていた。

身に纏っているのは、聖なる鎧ではなく、囚人番号「404」と書かれた粗末な麻袋のような服だけだ。


「おい、手が止まってるぞ! さっさと掘れ!」


背後から飛んできた鞭が、ライルの背中を無慈悲に打ち据えた。

ビシッ! という鋭い音が響き、焼けるような激痛が走る。


「ぐあっ……!」

「ノルマが終わるまで水はやらんぞ。お前らの借金は、あと百年働いても返せない額なんだからな」


看守の冷酷な声。

ここは王国最北端に位置する「極寒監獄鉱山」。

重罪人や、返済不可能な借金を抱えた者が送り込まれる、生きては出られないと言われる地獄だ。

ライルたちは、あの日――アレンの都市「ネオ・アルカディア」の城門で捕らえられてから、直送でここへ送り込まれたのだった。


「くそ……俺は勇者だぞ……なんでこんな……」


ライルは血の滲む手で再びツルハシを握った。

手のひらのマメは潰れ、皮が剥け、膿んでいる。

かつて聖剣エクスカリバーを振るい、魔王軍の幹部を一撃で葬った手だ。

それが今では、ただの魔石の原石を掘り出すための道具に成り下がっている。


「ライル……助けて……重いの……」


隣の区画から、力ない声が聞こえた。

魔導師エリスだ。

彼女の姿もまた、見る影もなかった。

艶やかだった赤毛はボサボサになり、シラミがたかっているのか、時折頭を激しく掻きむしっている。

重いトロッコを押す彼女の腕は小枝のように細く、足元はふらついていた。

かつて「アタシの魔法で国ごと吹き飛ばしてあげる」と豪語していた高慢な魔女は、今やただのヒステリックな老婆のように老け込んで見えた。


「うるさいな! 自分の分くらい自分でやれよ!」


ライルは怒鳴り返した。

余裕などない。

他人を気遣う優しさなど、最初の三日で消え失せた。


「なんですって……!? あんたが勇者なら、なんとかしなさいよ! 魔法が封じられてるアタシに、こんな力仕事できるわけないでしょ!」

「俺だって剣がないんだよ! 文句があるなら、あの時もっとマシな魔法で逃げ道を作ればよかっただろ!」

「あんたが方向音痴だから捕まったんでしょ!?」


醜い言い争いが始まる。

だが、それも長くは続かない。

空腹と疲労で、声を張り上げる体力すらないからだ。


「……お腹、すきましたわ……」


坑道の隅で座り込んでいたのは、聖女マリアだ。

彼女は労働を拒否し、看守に殴られても、うつろな目で壁を見つめていることが多かった。


「神様……どうして試練をお与えになるのですか……私は聖女ですのよ……選ばれた存在ですのよ……」


ブツブツと呟くその言葉は、祈りというよりは呪詛に近い。

彼女はまだ、現実を受け入れられていなかった。

いつか白馬に乗った王子様が、あるいは神の使いが、自分をこの地獄から救い出してくれると信じている。

だが、そんな奇跡は起きない。

ここは神さえも見放した、地下深淵の牢獄なのだから。


   ***


「昼休憩だ! 総員、集合!」


鐘の音が鳴り響き、午前中の労働が終わった。

囚人たちがゾンビのように広場へと集まってくる。

楽しみな食事の時間ではない。

ただ、生命維持のための「給餌」の時間だ。


ライルたちは配給の列に並び、自分の番を待った。

配られたのは、石のように硬い黒パン一つと、具の入っていない薄い塩スープだけ。

泥水のような色をしたスープには、虫の死骸が浮いていることもある。

だが、今の彼らにとって、それはご馳走だった。


「……食うぞ」


ライルは震える手でパンをスープに浸し、少しでも柔らかくしてから口に運んだ。

ジャリッ、という砂の感触。

酸っぱい味が口の中に広がる。


「オエッ……まずい……」


エリスが涙目になりながら飲み込む。


「ねえ、覚えてる? アレンが作ってくれたシチュー……」


不意に、エリスが禁断の話題を口にした。

それは、この地獄において最も精神を削る拷問だ。


「やめろ」

「あのお肉……柔らかくて、口の中でとろけて……野菜も甘くて……隠し味にワインを使ってたっけ……」

「やめろって言ってるだろ!」


ライルが叫んだ。

脳裏に鮮明に蘇る記憶。

冒険の野営地で、焚き火を囲んで食べた料理。

アレンはいつも、限られた食材と道具で、魔法のように美味い飯を作ってくれた。

『今日は寒いから、生姜を多めに入れておきました』

『ライルは肉が好きだから、ステーキを一枚多くしておいたよ』

あの時のアレンの、少し困ったような、でも優しげな笑顔。

それを思い出すだけで、胃袋が強烈な飢餓感で収縮し、吐き気を催す。


「どうして……どうしてあんなことしちゃったのかしら……」


エリスがポロポロと涙を流した。


「アレンがいれば……今頃、ふかふかのベッドで寝てたはずなのに……」

「私……アレンさんに『飽きた』なんて言いましたわ……本当は、世界で一番おいしかったですのに……」


マリアもパンを握りしめたまま泣いている。

後悔。

圧倒的な後悔。

失って初めて気づく、なんて陳腐な言葉では表現できない。

彼らは自分たちの手で、最高の日々をドブに捨て、自ら地獄への扉を開いたのだ。


「……俺は悪くない」


ライルはギリッと奥歯を噛み締めた。

まだ認められない。

認めてしまえば、自分の心が壊れてしまうからだ。


「あいつが……アレンが悪いんだ。あいつが金を隠してたから。あいつが俺たちを見捨てたから。全部あいつのせいだ……!」


責任転嫁することでしか、自我を保てない。

だが、その言葉に同意する者は、もう誰もいなかった。

周囲の囚人たちでさえ、「元勇者」の哀れな末路を嘲笑の目で見ている。


その時だった。

看守たちの詰め所の方から、風に乗って信じられないほど良い匂いが漂ってきたのは。

香ばしいスパイスの香り。

焼けた肉の脂の匂い。

それは、ライルたちの記憶にある「アレンの料理」の香りに酷似していた。


「な、なんだ……この匂いは……!?」


囚人たちがざわめき立つ。

ライルは鼻をヒクヒクさせ、匂いの元へと視線を向けた。

そこでは、看守長と数名の看守が、机を囲んで昼食をとっていた。

いつもなら彼らも堅いパンをかじっているはずだが、今日は違った。

彼らの手には、色鮮やかな弁当箱が握られている。

中には、照り焼きにされた鶏肉、色とりどりの温野菜、そして白く輝く米。


「お、おい! あれを見ろ!」


ライルが叫んだ。

看守長が食べている弁当の包み紙。

そこに描かれていた紋章を、ライルは見逃さなかった。

双頭の鷲と、歯車を組み合わせたデザイン。

それは、あの日「ネオ・アルカディア」の城壁で見た、アレンの都市の紋章だった。


「なんで……なんであいつの弁当がここに!?」


ライルは思わず立ち上がり、鉄格子越しに叫んだ。

看守長がその声に気づき、ニヤリと笑って近づいてきた。

手には、食べかけの鶏肉を持ったままだ。


「おや、404番。鼻が利くな」

「そ、それはなんだ!? どこで手に入れた!?」

「これか? これは今、王都で大流行中の『特製デリバリー弁当』だよ」


看守長は見せびらかすように、ジューシーな肉を口に放り込んだ。


「ネオ・アルカディアの技術で作られた『瞬間転移ボックス』を使えば、遠く離れたこの極寒の地でも、出来立ての弁当が届くってわけだ。開発者はあのアレン・ロジスティクス卿。いやぁ、天才だよな」

「アレンが……これを……?」

「ああ。しかも、この鉱山で採れる魔石、実はそのほとんどがネオ・アルカディアに輸出されているんだ。お前たちが必死に掘った石が、アレン卿の都市を輝かせ、その対価として俺たちはこの美味い弁当を食える。素晴らしい経済循環だろ?」


雷に打たれたような衝撃だった。

自分たちが血反吐を吐いて掘り出した魔石。

それが、憎きアレンの元へ送られ、彼の富となり、そのおこぼれを看守たちが楽しんでいる。

そして自分たちは、その残りカスのパンをかじっている。

搾取。

完璧なまでの搾取構造。

アレンは手を汚すことなく、かつての仲間たちを「資源」として使い潰しているのだ。


「嘘だ……嘘だァァッ!!」


ライルは鉄格子を掴んで絶叫した。


「俺は勇者だぞ! なんであいつのために働かなきゃならないんだ! おかしいだろ! 俺が食べるべきなんだ! その肉をよこせェェッ!」

「往生際の悪い奴だな」


看守長は冷めた目でライルを見下ろした。

そして、懐から一枚の新聞を取り出し、ライルの目の前に広げて見せた。


「ほら、見ろ。今日の朝刊だ」


一面トップに掲載されていたのは、華やかな写真だった。

『ネオ・アルカディア、王国と正式に国交樹立』

『新国王、アレン総帥に最高位勲章を授与』

『隣には、麗しの剣聖シルヴィア妃の姿も』


写真の中のアレンは、今まで見たこともないほど堂々とし、自信に満ち溢れていた。

その隣で微笑むシルヴィアの美しさは、泥まみれのエリスとは雲泥の差だ。

そして記事の隅に、小さくこう書かれていた。


『尚、行方不明となっていた元勇者ライル及びその一行については、重大な詐欺罪により勇者の称号を剥奪。公式に記録から抹消された』


「きろくから……まっしょう……?」


ライルの口から、力が抜けたように言葉が漏れた。

剥奪。抹消。

それはつまり、社会的な死を意味していた。

もう誰も、ライルを勇者とは呼ばない。

彼はただの犯罪者であり、歴史の汚点として処理されたのだ。


「わかったか? お前はもう勇者じゃない。ただの借金まみれの囚人だ」


看守長は新聞を丸め、ゴミ箱へと放り投げた。


「アレン卿からの伝言もあるぞ。『しっかり働いて、少しでも世の中の役に立ってくれ。それがせめてもの償いだ』とな」

「ア、アァ……アァァ……」


ライルは膝から崩れ落ちた。

償い。

アレンは自分たちを殺さなかった。

だが、それは慈悲ではなかった。

生かして、搾り取り、自分がいかに愚かだったかを死ぬまで自覚させ続ける。

これは、死よりも重い罰だ。


「いやぁぁぁ! 嫌よ! 出して! ここから出して!」


エリスが狂乱したように叫び出し、自分の髪を引きちぎり始めた。

「アレン! アレンごめんなさい! 愛してるわ! だから助けて! アタシ、なんでもするから!」

幻覚のアレンに向かって許しを乞うその姿は、あまりにも惨めだった。


「神様……神様ぁ……」


マリアは幼児退行を起こしたように、指をしゃぶりながら体を揺らしている。

彼女の聖女としてのプライドは、完全に崩壊していた。


「さあ、休憩終わりだ! 午後の作業に戻れ!」


無慈悲な鐘の音が鳴る。

看守が鞭を振り上げる。


「立て! 立つんだよクズども!」

「ひぃッ!」


ライルは悲鳴を上げ、這いつくばるようにして立ち上がった。

ツルハシを握る手が震える。

涙と鼻水が混ざり合い、汚れた顔をさらに汚していく。


掘らなければならない。

アレンのために。

憎き元雑用係のために。

死ぬまで、この暗い地下で。


「……なんで……なんで俺は……」


ツルハシを振り下ろす。

カァン!

硬い岩の反動が、骨まで響く。


あの日、宿屋で彼を追い出さなければ。

いや、もっと前から、彼に「ありがとう」と言っていれば。

彼の作るスープに、「美味い」と言っていれば。

未来は変わっていたのだろうか。

隣でアレンが笑い、エリスが魔法を使い、マリアが祈る。

そんな未来もあったのかもしれない。


だが、すべては遅すぎた。

「等価交換」。

アレンのスキル名が、皮肉にも今の彼らの状況を表していた。

彼らは「アレンへの裏切り」という対価を支払い、「破滅」という商品を受け取ったのだ。

返品はきかない。

クーリングオフも存在しない。


カァン、カァン、カァン……。


地下坑道に、再び絶望のリズムが刻まれ始める。

その音は、地上の繁栄とは無縁の場所で、彼らの命が尽きるその日まで、永遠に続いていくのだった。

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