第3話 指名手配の勇者、商都の支配者アレン
泥水のような味がする安酒を飲み干し、勇者ライルはテーブルに突っ伏した。
場所は王都から遠く離れた、寂れた宿場町の酒場。
薄暗く、カビ臭い店内には、荒くれ者の冒険者たちの怒号と、安っぽい楽器の音が不協和音となって響いている。
かつて王都の高級店『金の獅子亭』で、ヴィンテージワインを傾けていた栄光の日々は、もはや遠い昔の夢のようだ。
「……おい、ライル。もう金がないわよ」
隣で頬杖をついている魔導師エリスが、不機嫌そうに呟いた。
彼女が着ている魔導衣はあちこちが擦り切れ、裾は泥で黒ずんでいる。
かつてその美貌と露出度の高さで王都の男たちを魅了していた「紅蓮の魔女」の面影は、疲労と汚れで完全にかき消されていた。
「うるさいな……わかってるよ」
ライルは掠れた声で返した。
彼が腰に差している聖剣は、刃こぼれが目立ち、輝きを失っている。
メンテナンスに必要な「聖油」も「研磨石」も高価すぎて買えず、ここ数週間、一度も手入れをしていないからだ。
聖女マリアに至っては、テーブルの隅で小さくなり、何やらブツブツと祈りの言葉を唱えているようだが、その目は虚ろだ。
「どうして……どうしてこんなことになりましたの? 私たちは選ばれし勇者パーティーですのに。なぜ、こんな汚い場所で、硬いパンと薄いスープしか食べられませんの?」
「全部、あのギルドの受付嬢が悪いのよ! アタシたちの実力を正当に評価しないから!」
「ああ、そうだ。あの武器屋の親父もだ。ツケくらい利かせろってんだ」
彼らは口々に不満を漏らすが、その声には以前のような覇気がない。
アレンを追放してから十日あまり。
彼らの転落ぶりは、まさに坂道を転げ落ちる石のようだった。
ギルドでの信用失墜、借金による装備の差し押さえ、そして高難易度クエストの失敗。
簡単なゴブリン退治の依頼ですら、ポーションの在庫管理ができずに苦戦し、報酬のほとんどを治療費で使い果たす始末だ。
「ねえ、ライル。お腹すいた……お肉が食べたい」
「俺だって食いたいよ! でも金がねえんだよ!」
「だったら、どうにかしてよ! あんた勇者でしょ!?」
エリスのヒステリックな叫び声が響く。
周囲の客たちが、冷ややかな視線を向けてくる。
「おい、あれ『光の剣』の連中じゃねえか?」「落ちぶれたもんだな」「関わらない方がいいぞ、疫病神だ」
ヒソヒソという嘲笑が、ライルのプライドを容赦なく削り取っていく。
「……くそっ、わかったよ! 調達してくりゃいいんだろ!」
ライルは乱暴に立ち上がると、店を飛び出した。
エリスとマリアも慌てて後に続く。
向かった先は、村外れにある農作地だった。
季節は収穫の秋。畑には丸々と太ったトマトやトウモロコシが実っている。
しかし、それは農民たちが汗水垂らして育てた、大切な商品だ。
「ライル、まさか……」
「うるさい! 俺たちは世界を救うために戦ってるんだぞ? つまり、この世界の全ての物は俺たちのためにあるようなもんだ。税金みたいなもんだろ」
歪んだ論理で自分を正当化し、ライルは畑に足を踏み入れた。
真っ赤に熟れたトマトをもぎ取り、そのままかぶりつく。
酸味と甘味が口いっぱいに広がり、空っぽの胃袋を刺激した。
「うめぇ……! おい、お前らも食え!」
「い、いいのかしら……でも、背に腹は代えられないわね」
「神よ、この恵みに感謝します……あむっ」
三人は夢中で作物を貪り食った。
泥がついたままの野菜を、野獣のように食い荒らす。
かつて最高級の料理に文句をつけていた彼らの姿は、そこにはなかった。
「こらぁーッ! おめぇら、何してやがる!」
怒号と共に現れたのは、クワを持った初老の農夫だった。
大切な作物を荒らされ、顔を真っ赤にして激怒している。
「泥棒だ! 泥棒が出たぞーッ!」
「ちっ、見つかったか」
ライルは悪びれる様子もなく、口元のトマト汁を拭った。
「おい親父、人聞きの悪いことを言うな。俺は勇者ライルだ。魔王を倒すためのエネルギー補給をしてやってるんだぞ。むしろ光栄に思え」
「勇者だか何だか知らねえが、人の物を盗む奴は泥棒だ! 衛兵! 衛兵さーん!」
農夫が叫び続けるため、ライルは舌打ちをして剣の柄に手をかけた。
「うるさいな! 黙れって言ってるだろ!」
威嚇のつもりで抜いた剣が、西日に反射してギラリと光る。
その殺気に、農夫は腰を抜かして悲鳴を上げた。
それが決定打となった。
駆けつけたのは村の自警団だけではない。たまたま巡回に来ていた、領主直属の騎士団だったのだ。
「貴様ら! 民に剣を向けるとは何事か!」
「え? いや、これは……」
「問答無用! その特徴的な金髪と装備……手配書にあった『無銭飲食および詐欺容疑』の勇者崩れだな? 捕らえろ!」
騎士たちが一斉に襲いかかってくる。
腐っても勇者パーティー、実力はあるはずだったが、空腹と整備不良の装備では本来の力の半分も出せない。
「くそっ、逃げるぞ!」
ライルは煙幕玉(エリスのポケットに残っていた最後の一個)を地面に叩きつけ、視界を奪った隙に逃走を図った。
背後から「逃がすな!」「全国指名手配に切り替えろ!」という怒号が聞こえる。
彼らはもはや、落ちぶれた冒険者ですらなかった。
お尋ね者の犯罪者集団。
それが、今の彼らの肩書きだった。
***
一方その頃。
勇者たちが泥にまみれて逃げ惑っている「嘆きの荒野」。
そこは今、大陸中の商人や冒険者たちの間で、もっともホットな話題の中心地となっていた。
『荒野に突如現れた黄金の都』
『不夜城ネオ・アルカディア』
そんな二つ名で呼ばれる都市の正体こそ、俺、アレンが作り上げた拠点だ。
スキル【等価交換】と、前世の現代知識、そしてこの土地の豊富な資源を組み合わせた結果、俺の家はわずか十日で「都市」へと進化していた。
「ようこそ、アレン様。本日の収支報告です」
執務室に入ってきたのは、メイド服に身を包んだ自動人形だ。
俺が魔石とミスリルから生成した彼女たちは、疲れを知らず、感情に左右されず、完璧な事務処理を行ってくれる。
「ああ、ありがとう。……うん、順調だな」
報告書に目を通す。
現在、この都市には三つの巨大商会が支店を出しており、Sランク冒険者を含めた数百人が滞在している。
彼らの目当ては、俺が提供する「未知のサービス」だ。
窓の外を見下ろせば、そこには異世界とは思えない光景が広がっている。
魔導アスファルトで舗装された清潔な道路。
夜になれば魔石灯(LEDのような輝きを持つ)が街を昼間のように照らし出す。
路面には自動清掃ゴーレムが巡回し、ゴミ一つ落ちていない。
商人たちは、俺が作り出した「冷蔵倉庫」で新鮮なまま保存された食材を買い求め、冒険者たちは、傷を一瞬で癒やす「高濃度ポーション風呂」や、冷えたエールと熱々の料理が出てくる「自動販売機」に群がっている。
通貨として流通しているのは、俺が発行した「アレン・クレジット」。
この街では金貨よりも価値がある、絶対的な信用通貨だ。
「アレン様、ギルド『黒竜の牙』のマスターが、ダンジョン産のレア素材を持参して面会を求めています。当市の永住権と交換したいとのことですが」
「ああ、あのSランク素材か。いいよ、通してくれ。ただし、この街のルール(治安維持法)を守れるなら、と念を押してな」
「畏まりました」
俺は革張りの回転椅子に深く腰掛け、窓ガラスに映る自分を見た。
かつて雑用係としてこき使われていた男は、今や一国の王以上の権力と富を手にしている。
だが、俺が求めているのは権力ではない。
あくまで「快適な生活」だ。
この都市のシステムは、全て俺がストレスなく暮らすために構築されたもの。
他人が集まってくるのは、その「おこぼれ」にあずかっているに過ぎない。
「……さて、そろそろ夕食の時間か。今日は誰かと食べたい気分だな」
そう思った矢先、執務室のインターホンが鳴った。
モニターには、都市の防衛隊長を務める女性の姿が映し出されていた。
凛とした銀髪に、鋭い眼光。しかし、その頬は少し紅潮している。
「アレン様、警備隊長のシルヴィアです。……その、報告がありまして」
「入りたまえ」
ドアが開き、カツカツと足音を立てて入ってきたのは、かつて「氷の戦乙女」と呼ばれた亡国の姫騎士、シルヴィア・ヴァーミリオンだ。
数日前、荒野で行き倒れていた彼女を俺が拾ったのだ。
祖国を帝国に滅ぼされ、復讐のために彷徨っていた彼女は、魔獣に襲われ瀕死の状態だった。
俺は彼女を助け、治療し、温かい食事を与えた。
そして彼女は、この街の文明レベルと、俺の「計算高いが、理不尽ではない」性格に惹かれ、剣を捧げてくれたのだ。
「どうした、シルヴィア。何かトラブルか?」
「いえ、治安は極めて良好です。……あの、報告というのは口実でして」
シルヴィアはもじもじと指を組んだ。
歴戦の騎士とは思えない、少女のような反応だ。
「開発区に新しくできた『ハンバーガーショップ』という店……アレン様が監修されたと聞きました。その、もしよろしければ、試食にご一緒できないかと」
俺は思わず吹き出しそうになった。
彼女はこの世界の堅苦しい食事しか知らなかったため、俺が再現したジャンクフードの虜になってしまったのだ。
特に、コーラとハンバーガーの組み合わせは、彼女にとって「神々の聖餐」らしい。
「いいよ。ちょうど俺も腹が減っていたんだ。行こうか」
「! ありがとうございます!」
シルヴィアの顔がパッと輝いた。
俺たちは並んで街へと繰り出した。
通りを歩けば、すれ違う人々が俺たちに気づき、深々と頭を下げる。
「領主様!」「アレン様、この街は最高です!」「一生ついていきます!」
尊敬と感謝の眼差し。
勇者パーティーにいた頃の、蔑みと嘲笑の視線とは正反対だ。
俺は軽く手を振り返しながら、シルヴィアと共に店に入った。
「いらっしゃいませー! アレン様、シルヴィア様!」
店員の元気な声。
清潔な店内には、香ばしい肉の焼ける匂いと、フライドポテトの油の匂いが充満している。
俺たちは特等席に座り、「ダブルチーズバーガーセット」を二つ注文した。
ほどなくして運ばれてきたトレーには、バンズからはみ出るほどのジューシーなパティ、とろけるチーズ、そして氷が入ったグラスに注がれた黒褐色の炭酸飲料。
「いただきます……!」
シルヴィアは両手でバーガーを持ち、大きな口を開けてかぶりついた。
サクッ、ジュワッ。
肉汁が溢れ出し、彼女の口元を汚す。
「んん~っ! おいひいです!」
「はは、慌てなくていいぞ。逃げやしない」
「だって、何度食べても信じられないんです。こんな荒野の真ん中で、こんなに美味しくて、温かいものが食べられるなんて……」
彼女は瞳を潤ませながら、コーラを喉に流し込んだ。
シュワシュワとした刺激に、ぷはぁ、と息を吐く。
「祖国にいた頃でさえ、こんな贅沢はできませんでした。アレン様、貴方は本当に魔法使いなのですか? それとも神の使いなのですか?」
「ただの元・雑用係だよ。効率よく生きるために工夫してるだけさ」
俺はポテトをつまみながら答えた。
シルヴィアは真剣な表情で俺を見つめた。
「いいえ。貴方は私に居場所をくれました。温かいベッドと、安全な壁と、美味しい食事。私が失ったもの、いえ、それ以上のものを全て与えてくれた。……この街は、私の新しい祖国です。この楽園を脅かす者がいれば、私の剣にかけて排除します」
彼女の言葉には、鋼のような意志が宿っていた。
Sランク相当の実力を持つ彼女が本気になれば、ドラゴンだろうが単身で狩れるだろう。
頼もしい限りだ。
「ありがとう、シルヴィア。期待してるよ」
俺たちは穏やかな時間を過ごした。
窓の外では、魔法のネオンサインが瞬き、豊かな街の夜景が広がっている。
ここには、飢えも寒さも、理不尽な搾取もない。
俺が作った、俺のための楽園。
そして、それを共有できる仲間たち。
「あ、そうだアレン様。一つだけ気になる情報が」
食べ終えたシルヴィアが、ナプキンで口を拭いながら表情を引き締めた。
「南の街道沿いで、質の悪い盗賊団が出没しているそうです。農作物を盗み、食い逃げを繰り返す小汚い連中だとか。自称『勇者』を名乗っているらしく、手配書も回ってきています」
「……へえ」
俺はストローを回しながら、口の端を吊り上げた。
予想通りだ。いや、予想以上の落ちぶれ方だな。
「被害額は大したことないそうですが、この街を目指して移動しているという噂もあります。『荒野に黄金の都がある』という話を嗅ぎつけたんでしょう」
「なるほどね。寄生虫が新しい宿主を探しに来たってわけか」
俺は冷ややかに笑った。
かつて俺を追放した彼らが、今度は俺が作ったこの街に縋りつこうとしている。
滑稽な話だ。
だが、ここは俺の城だ。
誰を入れるか、誰を排除するかは、全て俺が決める。
「シルヴィア、警備レベルを上げておけ。不審者は街に入れるな」
「了解しました。……もし、その自称勇者たちが現れたら?」
「その時は……」
俺は窓の外、広大な荒野の闇を見据えた。
かつて仲間だった者たち。
だが、今の彼らは、ただの「招かれざる客」でしかない。
「俺が直々に出迎えてやるよ。最高の『絶望』と共にな」
俺の言葉に、シルヴィアは深く頷いた。
彼女もまた、アレンを裏切った勇者たちの話を聞き、静かな怒りを燃やしている一人だったからだ。
遠くで雷鳴が轟いた。
嵐が近づいている。
それは天候の話であり、そして、運命の再会の予兆でもあった。
***
数日後。
ボロボロの服を纏い、足を引きずりながら荒野を歩く三つの影があった。
唇は乾ききり、目は落ち窪み、かつての英雄の威光など欠片もない。
「はぁ、はぁ……本当に、こんな所に街があるのかよ……」
ライルが呻くように言った。
背中には錆びついた剣。
胃袋は空っぽで、幻覚すら見え始めている。
「あるって……酒場の噂で聞いたわ。水が湧き出て、食べ物が溢れている楽園が……」
「もう歩けませんわ……ライル様、おんぶ……」
「ふざけんな! 俺だって限界なんだよ!」
罵り合いながら、彼らは丘を越えた。
その瞬間。
彼らの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
夜の闇を切り裂く、眩いばかりの光の洪水。
天を突く摩天楼。整然と並ぶ街灯。
巨大な城壁の向こうから漂ってくる、肉が焼ける匂いと、人々の笑い声。
「な、なんだあれは……!?」
「す、すごい……王都より明るいじゃない!」
「あそこなら……あそこなら、温かいご飯とベッドが……!」
希望の光を見た彼らは、最後の力を振り絞って走り出した。
そこが誰の持ち物であるかも知らず。
ただ、目の前の快楽にすがりつく蛾のように。
彼らが目指す城門の上で、グラスを傾ける俺の姿があることに、彼らはまだ気づいていなかった。




