第2話 勇者、宿屋で門前払い。アレン、荒野で高層ビル建築
朝日が差し込む窓辺で、勇者ライルは激しい頭痛と共に目を覚ました。
ガンガンと鳴り響く頭の中で、昨夜の祝勝会の記憶が断片的に蘇る。最高級のワイン、美味い肉、そして邪魔な雑用係を追い出した爽快感。
最高の夜だったはずだ。だが、喉の渇きと吐き気がそれを台無しにしている。
「おい、アレン。水だ。冷たい水をくれ」
ベッドから上半身だけを起こし、掠れた声で命令する。
いつもなら、すぐに冷えた水差しと濡れタオルが差し出されるはずだった。二日酔いに効く特製の薬湯もセットで。
しかし、今日は返事がない。部屋は静まり返っている。
「ちっ、あいつ、まだ寝てやがるのか? 気が利かねえな」
不機嫌になりながら、ライルは重い体を起こして部屋を見渡した。
散乱した酒瓶。食べ残しの料理。床に落ちたドレス。
隣のベッドでは聖女マリアと魔導師エリスが泥のように眠っている。
そして、部屋の隅にあるサイドテーブル――いつもアレンが寝袋を敷いて待機していた場所には、何もなかった。
「……あ、そうか。追い出したんだった」
ライルはぽりぽりと頭をかき、鼻で笑った。
「せいせいするぜ。あんな陰気な顔、朝から見たくねえからな」
テーブルに残っていたぬるいワインをラッパ飲みし、強引に渇きを癒やす。
口元を拭い、ライルはマリアとエリスを大声で叩き起こした。
「おい、起きろ! チェックアウトの時間だぞ!」
不満げな声を上げる二人を急かし、身支度を整えさせる。
と言っても、着替えの手伝いも、装備のメンテナンスも、荷造りも、これまでは全てアレンがやっていたことだ。
慣れない手つきで鎧の留め具を締め、皺になった聖衣を無理やり伸ばす。
「もう、なんなのよこれ。留め具が硬くて締まらないわ」
「髪がまとまりませんわ……アレンさんがいつも使っていた整髪料、どこにありますの?」
「知るかよ。適当でいいだろ、俺たちは勇者なんだから何を着てても様になる」
ライルは強引に二人を連れ出し、宿のロビーへと降りていった。
一階の受付カウンターには、恰幅の良い宿の主人が待ち構えていた。
いつもなら満面の笑みで送り出してくれるはずの主人が、今日はなぜか能面のように無表情だ。
「おはよう、マスター。昨夜はいい酒だった。また来るよ」
ライルは片手を上げて通り過ぎようとした。
しかし、主人の太い腕がカウンターを飛び越えんばかりに突き出され、ライルの行く手を遮った。
「お待ちください、ライル様。お会計がまだです」
「あん? 会計?」
ライルは眉をひそめた。
「ああ、そうか。アレンがいねえから手続きしてないのか。まあいい、いつものようにツケにしておいてくれ。来月まとめて払う」
「ツケ、ですか。申し訳ありませんが、当店では現金払いのみとなっております」
「はあ? 何を言ってるんだ。俺たちは『光の剣』だぞ? ずっとツケでやってきただろうが」
ライルの言葉に、主人は冷ややかな視線を向けたまま、一枚の書類を取り出した。
「これまでは、アレン様が個人の資産と信用を担保に、未払い分を保証してくださっていたからです。彼がいなくなった今、あなた方に信用貸しをする理由がございません」
「なっ……!?」
ライルは言葉を失った。
アレンが保証していた? あの雑用係が?
そんな馬鹿な話があるか。あいつはただの荷物持ちで、金なんて持っていないはずだ。
「ふん、適当なことを言うな。俺たちの名声を利用してアレンが勝手なことをしていただけだろ。まあいい、いくらだ? 手持ちの金で払ってやるよ」
ライルは腰の巾着袋を探った。中には昨日の報酬の残りが入っているはずだ。
主人は長い請求書をライルの目の前に突きつけた。
「昨夜の宴会費用、貸し切り料金、最高級ヴィンテージワイン五本、特別料理コース三人前。それに加えて、備品の破損代(エリス様が魔法で焦がした絨毯)、クリーニング代を含めまして……金貨三十五枚になります」
「さ、三十五枚!?」
後ろで聞いていたエリスが素っ頓狂な声を上げた。
「ぼったくりじゃないの!? 高すぎるわよ!」
「正規の価格です。これまではアレン様が交渉し、市場価格の変動を見越して食材を持ち込むなどしてコストを抑えておられましたが、昨夜は『一番高いものを全部持ってこい』と仰いましたよね?」
ぐうの音も出ない正論だった。
ライルは震える手で巾着の中身を確認した。
金貨……五枚。銀貨が十数枚。
昨夜の報酬はもっとあったはずだが、装備の強化や、マリアの宝石の衝動買いでほとんど使い果たしていた。
足りない。圧倒的に足りない。
「……おい、エリス、マリア。金を持ってるか?」
「持ってるわけないでしょ! 次の報酬までアタシの財布は空よ!」
「私もですわ。そもそもお金の管理はアレンさんの仕事でしたのに……どうしてこんなことに」
三人の顔が青ざめていく。
ロビーにいた他の客たちが、ひそひそと噂話を始めた。
「おい、あれ勇者パーティーだよな?」「金が払えないのか?」「無銭飲食かよ、ダセェ」
屈辱的な視線が突き刺さる。
ライルのプライドが音を立てて崩れ去り、代わりに逆ギレに近い怒りが湧き上がった。
「う、うるさい! 俺は勇者だぞ! 国のために戦っているんだ! これくらいの金、王宮に請求すれば……」
「王宮からの通達で『勇者パーティーの私的な遊興費は補助の対象外』とされています。それも、これまではアレン様が自腹で補填していたようですが」
主人は溜息をつき、屈強な用心棒たちに合図を送った。
奥から現れた筋肉隆々の男たちが、ライルたちを取り囲む。
「お支払いがいただけないのなら、装備品を置いていっていただきましょうか。質草として預からせていただきます」
「ふ、ふざけるな! この聖剣は……!」
「なら、今すぐ払ってください」
問答無用の圧力。
結局、ライルたちは身に着けていた予備の短剣や、マリアのアクセサリー、エリスの魔導書の一部を没収され、ほうほうの体で宿を追い出されることになった。
大通りの真ん中で、宿の扉がバタンと閉ざされる。
「二度と来ないでください!」
主人の怒声と共に、手荷物が路上に放り出された。
道行く人々が、哀れなものを見る目で彼らを遠巻きに眺めていく。
「くそっ、くそっ、くそっ!」
ライルは地面を蹴りつけた。
腹の虫がグウと鳴る。朝食すら食べていない。
「どうするのよライル! アタシの魔導書、返してよ!」
「うるさいな! ギルドに行けばなんとかなる! 依頼を受けて前借りすればいいんだ!」
彼らは空腹を抱え、ふらふらと冒険者ギルドへと向かった。
だが、彼らはまだ知らない。
ギルドに行けば、さらなる地獄が待っていることを。
アレンが毎日提出していた「活動報告書」や「被害弁済申請書」が未提出であるため、彼らのランクが一時凍結されているという事実を。
***
同時刻。王都から北へ三百キロ。
人間が生存不可能とされる「嘆きの荒野」。
吹きすさぶ砂嵐の中で、俺、アレンは優雅にコーヒーを飲んでいた。
「うん、豆の焙煎具合も完璧だ」
俺がいるのは、昨日スキルで作り上げたシェルターのリビングだ。
防弾ガラスの向こうでは猛烈な砂嵐が吹き荒れているが、室内は室温二十四度に保たれ、静寂そのもの。
システムキッチンから漂う香ばしいコーヒーの香りが、白い壁紙に馴染んでいる。
座り心地の良い革張りのソファ(牛型魔獣の皮を【等価交換】でなめし革に変換し、加工したもの)に深く腰掛け、俺は空中に表示されたステータス画面を操作していた。
【現在地:嘆きの荒野・中央部】
【拠点レベル:2】
【防衛システム:稼働中】
【水・食料:十分】
「さて、今日の予定は……周辺の掃除と、ライフラインの強化だな」
カップを置き、俺は立ち上がった。
自動ドアが滑らかに開き、俺は外のテラスへと出る。
一瞬にして熱風が肌を叩くが、俺が展開した薄い魔力障壁が砂粒を弾き飛ばす。
目の前には、見渡す限りの荒野。
だが、俺の拠点の周囲半径五十メートルだけは、すでに異質な空間となっていた。
整地された地面。規則正しく並べられた魔導灯。
そして、拠点を囲むように設置された四機の「自律型防衛ゴーレム」だ。
「グルルルゥ……」
唸り声が聞こえる。
荒野の主とも呼ばれる、体長三メートルの「赤熱熊」が三頭、こちらの様子を伺っていた。
その爪は岩を砕き、吐息は鉄を溶かすというSランク相当の魔物だ。
普通の冒険者パーティーなら、全滅を覚悟して逃げ出す相手。
だが、俺はあくびを噛み殺しながら指をパチンと鳴らした。
「迎撃開始」
その合図と共に、防衛ゴーレムたちの眼が赤く明滅した。
彼らの腕には、俺が前世の知識(映画で見たガトリングガン)をイメージして【等価交換】で作り出した、魔石式連射砲が装着されている。
『ターゲット確認。排除シマス』
無機質な機械音声と共に、砲身が回転を始める。
ズダダダダダダダッ!
乾いた破裂音が荒野に響き渡った。
弾丸として発射されているのは、ただの石礫だ。だが、風魔法で加速され、硬化魔法で強化されたそれは、鋼鉄すら貫通する威力を持っていた。
赤熱熊たちは悲鳴を上げる間もなく、ハチの巣にされて崩れ落ちた。
戦闘時間、わずか五秒。
「……やっぱり、戦闘は自動化に限るな」
俺は熊の死体に近づき、手をかざした。
「【等価交換】。対象:赤熱熊の死体。変換:魔石エネルギー、及び食肉、毛皮」
光が熊を包み込み、次の瞬間にはきれいに解体されたブロック肉と、上質な毛皮、そして高純度の魔石がアイテムボックスに収納された。
血の一滴すら残らない。完璧な処理だ。
勇者パーティーにいた頃は、倒した魔物の解体も俺の仕事だった。
「臭い」「汚い」と文句を言う彼らの横で、ナイフ一本で泥まみれになって作業していたのが嘘のようだ。
「この魔石があれば、風呂の湯沸かしシステムを二十四時間稼働させてもお釣りがくるな」
俺は満足げに頷いた。
この荒野は、俺にとって宝の山だ。
襲ってくる魔物は全て「資源」であり、誰の目も気にせずスキルを使い放題。
素材さえあれば、何でも作れる。
俺は拠点の裏手に回り、地面に手を触れた。
「次は水源の確保だ。昨日は簡易ポンプだったけど、もっと大規模な浄水プラントを作る」
地下深くを流れる水脈を魔力で探知する。
この荒野の地下には、かつての古代文明が残した水路が眠っていることを、俺は古文書の知識で知っていた。
勇者ライルたちは「歴史の勉強なんて戦いの役に立たない」と馬鹿にしていたが、知識こそが最大の武器だ。
「スキル発動。地下水脈へのアクセスルート構築。配管生成。ろ過装置設置」
地面がボコボコと波打ち、銀色のパイプが組み上がっていく。
数分後、蛇口をひねると、クリスタルのように透き通った冷水が勢いよく噴き出した。
俺はその水をコップに汲み、一気に飲み干す。
「美味い!」
王都の水道水より遥かに美味い。ミネラル豊富で、魔力も含んでいる。
これを農業用水に使えば、どんな作物も爆発的な速度で育つだろう。
俺の脳裏に、青々とした野菜畑と、果樹園のイメージが浮かぶ。
荒野の真ん中に現れたオアシス。
いや、もっとすごいものになる。
「よし、次は居住区の拡張だ。一人じゃ広すぎるけど、そのうち人手が必要になるかもしれないしな」
俺は再びスキルを発動させ、コンクリートの壁を延伸させていく。
今度は二階建てだ。展望デッキも作ろう。
作業をしている間、俺の心はかつてないほどの充実感で満たされていた。
誰かのために無理をする必要はない。
自分の作りたいものを、自分のペースで作る。
「ありがとう」の一言すらなかったあいつらとは大違いだ。
拠点のAI(ゴーレムの簡易知能)は、俺が命令するたびに『了解シマシタ、マスター』と忠実に動いてくれる。
「ああ……自由って、こういうことか」
夕暮れ時。
俺は完成した展望デッキに立ち、沈みゆく太陽を眺めていた。
手には、赤熱熊のステーキ。
ミディアムレアに焼かれた肉は、口の中でとろけるほど柔らかく、溢れ出る肉汁が舌を喜ばせる。
最高級ワインはないが、自分でろ過した水が最高に美味い。
ふと、王都の方角を見る。
今頃、彼らはどうしているだろうか。
宿を追い出され、まともな食事もできず、野宿でもしている頃か。
それとも、プライドを捨てて安い酒場で管を巻いているか。
「……まあ、どうでもいいか」
俺はステーキの最後の一切れを口に放り込み、肩をすくめた。
彼らの不幸を願うわけではない。
ただ、因果応報という言葉が現実になっただけのこと。
俺にはもう、関係のない話だ。
「明日は、地下に大浴場を作ろう。サウナ付きのやつを」
新しい目標を口にして、俺は笑った。
かつて「雑用係」と呼ばれた男は今、この荒野の王となろうとしていた。
***
その頃、王都の下町。
安宿街の路地裏で、勇者ライルたちは地面にへたり込んでいた。
お腹が減った。足が痛い。喉が渇いた。
だが、手持ちの金は底をつきかけている。
「なんなんだよ……どいつもこいつも!」
ライルが叫んだ。
ギルドに行ったら、受付嬢に冷たくあしらわれた。
「アレン様が提出されていた書類がありませんので、報酬の前借りは不可能です」
「装備の破損が激しいので、高難易度の依頼は紹介できません」
「先日壊された森の賠償金請求書が届いています」
矢継ぎ早に突きつけられた現実に、ライルたちは逃げ出したのだ。
「ねえ、ライル。お腹すいた……なんか買ってきてよ」
「うるさい! 俺だって腹減ってんだよ!」
「アレンさんがいれば、こんなことには……」
マリアがぽつりと呟いた言葉に、ライルとエリスが鋭く反応した。
「あいつの名前を出すな! あんな役立たず、いなくても俺たちはやれる!」
「そうよ! 明日になれば、きっと運が向いてくるわ。アタシたち勇者パーティーよ? 特別なのよ?」
根拠のない自信にしがみつくしかない彼らの背後から、冷たい視線を感じることも知らずに。
路地裏の影から、賞金稼ぎたちが彼らの手配書を見つめていた。
「おい、あれ『光の剣』だよな?」
「ああ、借金未払いで指名手配が出てるぞ」
「勇者狩りといこうぜ。懸賞金はデカい」
落ちぶれた英雄たちの運命の歯車は、確実に破滅へと回り始めていた。
一方、アレンの拠点では、最新式のジャグジー風呂が完成し、彼が鼻歌交じりに湯船に浸かっている頃だった。




