第98話:天の楔、破壊
頭上から降り注ぐ光と瓦礫の中を、俺はリリを抱いて駆けた。
「行かせねぇぞッ!」 「ジン殿、振り返るな! 前だけを見ろ!」
左右から殺到する天使の群れを、グレンの大剣とカエデの刀がなぎ払う。 ヴォルグがガトリング砲を乱射し、ティアが滅茶苦茶な動き(転んで杖を投げる等)で敵の陣形を崩す。 仲間たちが、俺たちのために血路を切り開いてくれている。
『警告。重要保安対象への接近を検知。排除行動を最優先へ移行』
無機質なアナウンスと共に、残存する全ての天使が俺たちに標的を絞った。 数百の殺意が背中に突き刺さる。
「ジン様……っ」
腕の中のリリが、苦しげに息を吐く。 彼女の身体は、もう輪郭さえ曖昧になり始めていた。 この先に待つ『楔』を壊せば、彼女を現世に繋ぎ止めている最後の理が消える。 それは、彼女の死を意味する。
だが、壊さなければ、天理による『削除』が完遂され、リリだけでなく世界ごとリセットされる。 どちらに転んでも絶望。 そんなふざけた二択を、俺はずっと突きつけられてきた。
「……だからどうした」
俺は歯を食いしばり、さらに足を速めた。 二択? 知ったことか。 俺は軍師だ。用意された選択肢の中から選ぶなんて真似はしない。 盤面ごとひっくり返して、俺だけの『正解』を叩きつけてやる。
「どきやがれぇぇぇッ!!」
最後の壁となっていた上位天使を、グレンが捨て身のタックルで突き飛ばした。 道が開く。 目の前に、光り輝く純白の柱――最後の『天の楔』が鎮座していた。
「……着いた」
俺はリリを抱いたまま、楔の前に立った。 圧倒的な魔力の奔流。世界を管理し、縛り付けるためのシステムの中枢。 これを折れば、全てが終わる。そして、全てが始まる。
「ジン様……」
リリが俺の服を掴む。 その手は透けていて、力を感じない。
「お願いします……。私のことは気にせず……世界を……」
「馬鹿を言うな」
俺はリリの言葉を遮った。
「世界のためじゃない。お前のためだ」
「え……?」
「俺は、お前との未来を手に入れるためにここに来た。……そのためなら、世界の理ごとき、何度だって書き換えてやる」
俺は片手を楔にかざした。 モノクルが激しく明滅し、警告アラートで視界が埋め尽くされる。
【警告:対象の破壊は『器』の崩壊を招きます】 【警告:因果律の崩壊を確認】
うるさい。 そんな計算は、百も承知だ。
天の楔は、リリをこの世界に縛り付ける「鎖」であり、同時に存在を固定する「命綱」だ。 だから破壊すればリリは消える。それが天理の定めたルールだ。 だが、そのルールには抜け穴がある。
楔が破壊される瞬間、そこに込められていた「存在固定の権限」は、行き場を失って空中に霧散する。 その刹那を狙い、俺の【確率操作】で権限を掌握し――固定先を「天の楔」から「ジン・クラウゼル」へと書き換える。 リリを縛る鎖の持ち主を、神から俺へとすり替えるのだ。
成功すれば、リリは天理から切り離され、俺とのパスを通じて現世に留まることができる。
「リリ。俺を信じろ」
「……はい。信じています、ずっと」
リリが微笑む。 その笑顔を守るために、俺は全神経を集中させた。
イメージしろ。 ただ破壊するだけではない。 破壊と同時に、その機能を奪い取る。 成功率は0.0000001%。 限りなくゼロに近い奇跡。だが、理論上は可能だ。 ゼロじゃないなら、引ける。
「ラク! 全力でサポートしろ!」
「みゅうッ!!」
俺の肩から飛び降りたラクが、楔にしがみついた。 不運エネルギーを逆流させ、楔の防御障壁にノイズを走らせる。
「ヴォルグ、起爆術式、解放! ありったけの魔力を注ぎ込め!」
「ヒャハハ! 了解だ! 派手にブチかましてやるぜェ!」
ヴォルグが設置していた爆弾が一斉に作動を開始する。
そして、俺は発動した。 俺がこの世界で積み上げてきた、全ての因果と執念を込めて。
【確率操作】――対象:天の楔
事象確定:『完全崩壊』および『存在固定権限の強制奪取』
パチン。
指を鳴らした瞬間。 世界が静止した。
カッッッ――――――!!!!!!
音が消え、視界が白に染まる。 爆発。 いや、それは物理的な破壊現象を超えた、概念の崩壊だった。 純白の柱に亀裂が走り、無数の光の粒子となって砕け散っていく。
ズズズズズズズ……!!
王都の地下が、いや、世界そのものが揺れた。 楔が消滅したことで、地上を覆っていた結界がガラスのように砕け散る。 リエルが開けた天井の大穴から、真っ青な空が見えた。
だが、その空は普通ではなかった。 結界が消えたその先、遥か上空に――巨大な『城』が浮かび上がっていたのだ。 神々しくも、どこか無機質な白亜の浮遊城。 天理の本拠地、『天空城』。
「……道は、開いた」
俺は呟いた。 権限の移行プロセスも完了したはずだ。 これで、リリは俺のものになる。
「……ジン、様……」
腕の中で、リリの声がした。 俺は慌てて視線を落とす。
「リリ!?」
そこにいたのは、今にも消え入りそうなほどに薄くなった、半透明の少女だった。 楔というアンカーを失い、彼女の存在そのものが世界から剥離しようとしている。
「温かい……です……」
リリが俺の頬に手を伸ばす。 だが、その指先は俺の肌をすり抜け、空しく空を切った。
「待て。行くな」
俺は必死に彼女を抱きしめようとした。 だが、腕ごたえがない。 霞を掴むように、彼女の体がすり抜けていく。
「嫌だ……。こんな結末、俺は認めないぞ……ッ!」
権限の奪取は成功したはずだ。 だが、リリの身体にかかっていた負荷が大きすぎたのか、それとも天理の修正力が俺の計算を上回ったのか。 全て計算通りに進めたはずだったのに、一番大切なものが、指の隙間から零れ落ちていく。
俺の絶叫が、崩壊する地下遺跡に虚しく響き渡った。
お読みいただきありがとうございます。
「世界か、愛する女か」。
ジンは迷わずリリを選び、楔を破壊しました。
しかし、その代償はあまりにも大きく……。
計算通りにいかない現実。
消えゆくリリ。
次回、絶望の淵で、あの「小さな家族」が奇跡を起こします。




