第73話:逃走開始
「……ッ、はぁ!」
俺はガバッと顔を上げた。 途切れていた意識が、強烈な振動と轟音によって暴力的に引き戻される。
「ジン様! 気がつかれましたか!?」
すぐ横で、リリの焦った声が聞こえた。 視界が明滅する。 俺は今、ソファに深々とめり込んでいた。いや、めり込んでいるのは俺だけじゃない。リリも、向かいの席のグレンたちも、強烈なGによって座席に押し付けられている。
「ここは……」
「馬車の中です! ヴォルグさんのブーストで飛び出してから、十分ほど経過しています!」
十分も気絶していたのか。 窓の外を見ると、景色が凄まじい速度で後方へと流れていく――いや、速すぎてただの色の帯にしか見えない。 ヴォルグが起動した『緊急離脱用・超加速術式』は、馬車という概念を遥かに超えた推力を生み出し続けているようだ。
「ヒャハハハ! 見ろよこの速度! 音速を超えたぞぉッ!」
運転席の方から、ヴォルグの狂喜の声が聞こえる。 どうやら、この鉄の棺桶はまだ制御不能な爆走を続けているらしい。
「吐く……! もう無理ですぅ……!」
ティアが目を回してグレンにしがみついている。 そのグレンも、顔色が悪い。先程の天使の一撃によるダメージと、この殺人的な加速のダブルパンチだ。
「……ジン様、追手が」
リリが窓の外、後方を指差す。 俺が【解析のモノクル】で拡大すると、遥か後方、土煙の向こうから白い光の点ご無数に迫ってくるのが見えた。 天使たちだ。 翼を広げ、滑るように空を飛び、こちらの爆走に平然とついてきている。
「しつこいな。……ヴォルグ、振り切れるか?」
「無理だ! こっちは燃料(魔力)を馬鹿スカ食ってんだぞ! あいつらは無尽蔵のスタミナで追ってきやがる!」
ヴォルグが毒づく。 さらに、後方の光点から、閃光が迸った。 熱線だ。
ジュッ!
馬車の装甲を掠め、溶断された装飾パーツが弾け飛ぶ。 正確無比な射撃。 距離はまだあるのに、この精度だ。
「迎撃する!」
カエデが窓に手をかけ、開けようとする。
「馬鹿野郎! やめろカエデ! この速度で窓を開けたら、風圧で中身(俺たち)がミンチになるぞ!」
「ぬうっ! ならばどうする! 座して死を待つか!」
「チッ、後部ハッチだ! あそこなら結界が張ってある! そこから撃て!」
ヴォルグが叫ぶ。 カエデはよろめきながら後部へ移動し、ハッチの隙間から渾身の斬撃を飛ばした。 剣閃が天使の一体に直撃するが、白い鎧に傷一つつかない。
「硬い……! ヒヒイロカネで鍛えた刃でも通じぬか!」
「防御力が桁違いだ。……まともにやり合うな!」
俺は叫んだ。 今の俺たちでは、あの軍勢には勝てない。 一体倒すのに全力が必要な相手が、数十体もいるのだ。 戦えば、物量と質の差ですり潰される。
「逃げることだけ考えろ! 今は生き残るのが勝利条件だ!」
俺は【確率操作】を発動する。 対象は、馬車の進行方向にある地形。
『岩盤の崩落』。 『間欠泉の噴出』。 『砂嵐の発生』。
パチン、パチン、パチン。
俺が指を鳴らすたびに、自然現象が牙を剥き、追手の進路を妨害する。 岩が崩れ、熱湯が吹き出し、視界が砂で遮られる。 天使たちはそれらを無感情に回避し、あるいは破壊して進んでくるが、僅かだが距離が開く。
「いいぞ! そのまま森へ突っ込め!」
前方に、鬱蒼とした密林が見えてきた。 あの中なら、上空からの射線は切れるし、馬車の機動力を活かした攪乱も可能だ。
「おっしゃあ! 森林浴といこうぜェ!」
ヴォルグがハンドルを切る。 『殲滅馬車』が森へと突入した。 巨木をなぎ倒し、枝葉を巻き上げながら、鉄の獣が突き進む。
ガガガガガッ!!
車体に枝が当たる音が響く中、俺たちは息を潜めた。 頭上を、白い影が高速で通過していく気配がする。 どうやら、密林の遮蔽効果で撒くことには成功したようだ。
「……ふぅ」
数十分後。 エンジンの出力を落とし、通常走行に戻った車内に、安堵の空気が流れた。 グレンが座席に深々と沈み込む。
「死ぬかと思ったぜ……。あんなデタラメな奴らがいるなんてな」
「天の使い、天使……。伝承には聞いていたが、あのような殺戮兵器だとは」
カエデも刀を抱きしめ、震えを抑えている。 武人として、圧倒的な「格」の差を見せつけられたショックは大きいだろう。
「ごめんなさい……。私のせいで……」
リリが膝の上で拳を握りしめている。 自分が「歪み」として狙われたことで、仲間を巻き込んでしまったという自責の念。
「謝るな、リリ」
俺は彼女の手を取り、強く握った。
「悪いのはお前じゃない。勝手に筋書きを押し付けて、気に入らなきゃ消そうとする『天』の方だ」
「でも、このままじゃ……」
「関係ない。世界中が敵に回ろうが、俺はお前の味方だ」
俺は全員を見渡した。
「それに、ここにいる連中は、もうとっくに共犯者だろ?」
俺の言葉に、グレンがニヤリと笑った。
「違げえねえ。神様に喧嘩売るなんて、最高の武勇伝だぜ」
「拙者もだ。あのような理不尽、武士として見過ごせん」
「俺はヒヒイロカネの研究ができれば場所はどこでもいいぜ!」
「わ、私も……ジン様についていきますぅ……」
カエデ、ヴォルグ、ティア。 誰一人として、降りようとはしなかった。
「みゅう!(おれもやるぞ!)」
ラクがリリの膝の上で立ち上がり、フンスと鼻を鳴らす。
「……ありがとうございます」
リリの目に涙が浮かぶ。 だが、それは絶望の涙ではない。
「さて、これからどうするかだが……」
俺は窓の外、広がる未知の森を見つめた。 王都には戻れない。ヤマトにもいられない。 俺たちは今、世界地図の上で孤立無援の点となった。
「まずは身を隠せる場所を探す。そして、反撃の準備だ」
逃げるだけでは終わらせない。 理不尽な天理をひっくり返し、俺たちの自由を勝ち取るまで。 世界を相手取った、大脱走劇の幕開けだ。
本日の更新はここまでです!
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
これにて【ヤマト編】完結、そして【世界逃亡編】の開幕です!
国も、神も、世界すべてが敵。
安住の地を失ったジンたちですが、その絆は最強です。
「共犯者」となった彼らの旅は、ここからさらに過酷に、そして賑やかになります。
次回からは、追っ手を撒きつつ、反撃の狼煙を上げるための「潜伏生活」が始まります。
新天地での冒険、そして新たな出会い(新ヒロイン?)もお楽しみに。
ヤマト編のクライマックスを楽しんでいただけた方は、
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(感想もお待ちしております!)
引き続き『薄幸の美少女』をよろしくお願いいたします!




