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第42話:リリの傷

 リリとアルスの攻防は、さらに激しさを増していた。


 キィンッ! ガギィッ!


 金属音が連続して響く。 リリは両手の短剣――右手に使い古された鉄の短剣、左手にミスリルの短剣を構え、踊るように舞っていた。 【AGI:SSS】の速度で死角へ回り込み、斬撃を放つ。 だが、その全てが防がれる。


「無駄だと言っている」


 アルスは最小限の動きで右腕を振るい、リリの攻撃を弾き返していた。 魔剣の『思考解析』。 リリの筋肉の収縮、視線、呼吸。それら全てを読み取り、攻撃が届く前に防御を置く。 まるで、チェスの名人が素人をあしらっているかのようだ。


「くっ……!」


 リリの額に汗が滲む。 攻めているのはリリだが、消耗しているのもリリだ。 アルスの右腕は変幻自在。剣のように鋭く、鞭のようにしなり、盾のように硬い。 さらに、一度でも掠れば『因果喰らい』によって防御を無視して肉を削られる。 ミスなしの綱渡りを強いられているのは彼女の方だった。


「どうした、動きが鈍いぞ? 愛するご主人様が見ているんだ、もっと楽しませろよ」


 アルスが挑発する。 その視線が、一瞬だけ後方にいる俺に向けられた。


「……よそ見をしないでくださいッ!」


 リリが激昂し、踏み込む。 右手の鉄の短剣で突きを放つ――と見せかけ、左手のミスリル短剣を下から斬り上げるフェイント。 今までで一番鋭い、渾身の一撃。


 だが、それすらも読まれていた。


「単純だ」


 アルスの右腕が蛇のように伸び、リリの左手首を正確に打ち払った。


 ガシャンッ!


 ミスリルの短剣が弾き飛ばされ、地面に転がる。 リリの体勢が崩れた。


「がら空きだ」


 アルスが追撃の刃を振るう――その切っ先は、リリではなく、その後方にいる俺を向いていた。


「え?」


 リリが息を呑む。 アルスの狙いは最初からリリではなかった。 リリを崩し、カバーに入れない状況を作った上で、本命である「無防備な軍師」を殺すこと。


「死ね、ジンッ!!」


 アルスの右腕が急伸する。 黒い刃が一直線に俺の心臓を貫こうと迫る。 俺の立ち位置からでは、回避は間に合わない。


「させませんッ!!」


 叫びと共に、銀色の影が俺の前に飛び込んできた。 体勢を崩していたリリが、強引に体をねじ込み、俺と刃の間に割って入ったのだ。 防御など間に合わない。彼女は自身の体を盾にするつもりだ。


 ――ザシュッ。


 肉が裂ける嫌な音が響いた。


「……あ」


 リリの動きが止まる。 黒い刃の先端が、彼女の美しい白磁のような頬を、浅く、しかし鮮やかに切り裂いていた。 一拍置いて、赤い珠が滲み出し、白い頬を伝って顎から滴り落ちる。


 ポタ、リ。


 血が地面に落ちた音は、戦場の喧騒の中でも、俺の耳には雷鳴のように大きく響いた。


「ちっ、浅いか。……まあいい、女の顔に傷がついたな。これでお前の価値も下がったろう」


 アルスが舌打ちをして右腕を引き戻す。 リリは頬を押さえることもせず、ただ俺の無事を確認するように振り返った。


「ジン様……ご無事、ですか……?」


 その顔には、自分の傷への痛みよりも、俺を守れたという安堵が浮かんでいた。 頬の傷から流れる血が、彼女の笑顔を痛々しく染める。


「みぎゃああああああああッ!!」


 俺の懐から、ラクが飛び出した。 白い毛玉が真っ赤に染まり(怒りで変色している)、アルスに向かって牙を剥く。 リリが傷ついたことへの、原初的な怒りだ。


 だが、俺は声を出さなかった。 叫びもしなかった。 ただ、体中の血液が急速に冷えていくのを感じていた。


「……リリ」


「は、はい」


「下がっていろ」


 俺の声は、自分でも驚くほど平坦だった。 感情の波がない。怒りも、焦りも、恐怖もない。 あるのは、目の前の「処理すべき対象」を、いかにして最も残酷かつ確実に破棄するかという、冷徹な計算式だけだ。


「で、でも……」


「いいから下がれ。グレン、リリを頼む」


 俺は一歩前に出た。 回復したグレンが慌ててリリを引き寄せ、止血を始める。


「なんだ、ようやくご出勤か? 震えて声も出ないかと思ったが」


 アルスがニヤニヤと笑いながら右腕を振る。 俺は無言で彼を見つめ返した。 そして、静かに告げた。


「よくやったな、元勇者」


 俺の目を見たアルスの笑みが、ピクリと引きつった。 俺の瞳には、一切の光が宿っていなかったからだ。


「お前は今、俺の『心臓』に傷をつけた」


 リリは俺のパートナーであり、俺にその不運を預ける共犯者であり、そして……俺がこの世界で唯一、手放したくないと思った存在だ。 それを傷つけた。 それは、俺自身の心臓を抉られたことと同義だ。


「覚悟はできているんだろうな?」


 俺は懐から、数個の黒い球体を取り出した。 ヴォルグに作らせた、対人制圧用の特殊魔導爆弾だ。 だが、これからやるのは爆撃ではない。 俺という軍師が本気になった時、この屋敷そのものがどういう「兵器」になるかを教えてやる時間だ。


「ここからは『戦争』だ。一方的な、な」


 俺が指を鳴らした瞬間、屋敷の周囲に張り巡らされた魔力回路が一斉に起動した。 【確率操作】と【物理トラップ】の複合術式。 それは、英雄を殺すための処刑台のスイッチだった。


最後までお読みいただきありがとうございます!


リリの献身、そして頬の傷。

ジンにとって、それは「自分の心臓」を傷つけられたのと同じことでした。


普段は冷静なジンですが、今回ばかりは「容赦」の二文字が辞書から消えたようです。

軍師が本気でキレて、準備万端の自陣ホームで戦うとどうなるか。


次回、一方的な「蹂躙(物理)」が始まります。

本日のラスト夜更新をお楽しみに!

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