第27話:リリの奥様修行
新居での朝は、衝撃音で幕を開けた。
「きゃあああああっ!?」
ガシャーン!
という派手な破壊音と、リリの悲鳴。
俺はベッドから飛び起き、音のした方角――一階のキッチンへと走った。
「敵襲か!?」
「ち、違いますぅ……!」
キッチンに駆け込むと、そこには涙目で立ち尽くすリリの姿があった。
彼女は新調したばかりのフリルのついたエプロンを身に着け、手にはスポンジと皿の破片を持っていた。足元には、無惨に砕け散った陶器の山。
「あ、あの……朝ごはんを作ろうと思って、お皿を洗おうとしたら……」
「……割れたのか?」
「な、撫でただけなんです! 優しく、こう、キュッて……!」
リリが身振りを交えて説明する。彼女がスポンジを持った手を「シュッ」と動かした瞬間、風切り音が鳴り、残圧でキッチンの窓ガラスがビリビリと震えた。
「……なるほど」
俺は額を押さえた。忘れていた。こいつのステータスは【AGI(敏捷):SSS】。反応速度と瞬発力がカンストしている超人だ。戦場ではその速度が最強の武器になるが、平和なキッチンにおいて、音速で皿を磨けばどうなるか。摩擦熱と衝撃波で、皿が爆散するのは自明の理だ。
「も、申し訳ありません……! せっかくのジン様との新生活なのに、私、お皿一枚も洗えないなんて……!」
リリがその場に崩れ落ちる。
彼女にとって、この屋敷での暮らしは「血生臭い暗殺者」から「普通の女の子(というか新妻)」へと生まれ変わるための重要なステップだったらしい。その第一歩で躓いたショックは大きいようだ。
「……はぁ。気にするな。ステータスの調整ができていないだけだ」
俺は散らばった破片を片付けようと歩み寄った。その時だ。
「みゅ〜」
リリの足元から、白い毛玉――ラクが顔を出した。ラクは床に散乱した鋭利な陶器の破片を見ると、目を輝かせて「パクッ」と一口で食べた。
「おい、それは食い物じゃ……」
「みゅう! みゅっ、みゅっ!」
止める間もなかった。ラクは猛スピードで破片を咀嚼し、飲み込んでいく。怪我をする様子はない。むしろ、美味そうに頬張っている。
そうか。こいつは元々「不運のエネルギー体」だ。「皿が割れる」という事象や、「破片で指を切るかもしれない」というリスク(不運)そのものを捕食しているのか。
さらに、ラクの快進撃は止まらない。破片を食べ尽くすと、今度は汚れた床の上で、自分の体をボールのように丸めて高速回転を始めた。
キュルルルルルッ!!
白い毛並みがモップのように回転し、床の汚れを根こそぎ絡め取っていく。数秒後。そこには、鏡のようにピカピカに磨き上げられたフローリングが広がっていた。
「みゅヘン!」
ラクが得意げにポーズを決める(手足が短いのでよくわからないが)。
ホコリ一つない。破片も残っていない。完璧な掃除だ。
「……ほう」
俺は感心して唸った。不運を喰らい、汚れを吸着する性質。これはただの毛玉じゃない。
「高性能な自律駆動型の掃除用ゴーレムだな」
「か、家族です!」
リリがラクを抱き上げ、頬ずりをした。
「すごいですラクちゃん! 私の失敗をなかったことにしてくれたんですね! なんていい子なんでしょう!」
「みゅ〜(照)」
リリの失敗(不運)をラクが処理し、リリがそれを愛でる。奇妙な共生関係が成立していた。
「……ですが、やはり悔しいです」
リリがラクを抱きながら、しょんぼりと肩を落とす。
「掃除はラクちゃんがやってくれますけど……私、ジン様の身の回りのお世話をしたくて……。でも、窓を拭こうとしたら窓枠ごと外れましたし、洗濯物を絞ったら布が粉砕しましたし……」
AGI特化の弊害は深刻だ。力の加減というものを、彼女の筋肉が覚えていない。
「……待てよ。これまではどうしてたんだ?」
ふと疑問が浮かぶ。旅の間、彼女が備品を壊すことはなかった。安宿のベッドも、ボロい食器も無事だったはずだ。
「あの時は……『いつ襲われるかわからない』って、ずっと気を張っていましたから……。壊さないように、息を止めて、全神経を集中させて触れていました」
「なるほどな」
これまでは『死の緊張感』が、無意識のリミッターとして機能していたわけだ。 だが今は違う。ここは彼女にとって絶対の安全圏。俺という守護者がいて、敵もいない。
完全にリラックスし、心から安心しきった結果――リミッターが外れ、スペックが暴走しているのだ。
「平和ボケが物理破壊を招くとはな……」
皮肉な話だが、それだけ彼女がここを『安らげる場所』だと認識している証拠でもある。叱る気にはなれなかった。
「リリ。お前は戦うために最適化されすぎている」
俺は彼女の頭に手を置いた。
「無理に型にはまろうとするな。お前はお前のままでいい」
「でも……」
「それに、家事なんぞ俺がやればいい。軍師ってのは、兵站管理から雑用まで何でも屋なんだよ」
俺がそう言うと、リリはブンブンと首を横に振った。
「いけません! ジン様の手を煩わせるわけには……あ!」
リリが何かを思いついたように顔を上げた。
「そうです! 道具です! 私の力が強すぎるなら、それに耐えられる『丈夫な道具』があればいいんです!」
「丈夫な道具、だあ?」
「はい! ミスリルのフライパンとか、オリハルコンの洗濯板とか!」
……発想が脳筋になりつつあるな。
だが、一理ある。彼女の規格外のパワーを受け止めるには、一般家庭用の用品では強度が足りない。
「悪くない提案だ。ちょうど、本格的な装備の新調も必要だと思っていたところだしな」
昨日の古竜討伐で金はある。
王都の表通りにある店じゃ、リリのスペックに見合う品は手に入らないだろう。となれば、行くべき場所は一つだ。
「着替えろ、リリ。裏通りへ行くぞ」
「はいっ! ……あ、その前に、このエプロンを脱がなきゃ……んっ、あれっ? 紐が、固くて……」
ブチィッ!!
リリが背中の紐を解こうとして少し力を入れた瞬間、エプロンが爆散した。
布切れが雪のように舞い散る中、リリが真っ赤な顔で固まる。その足元で、ラクが「みゅう(やれやれ)」と鳴きながら、散らばった布切れを食べ始めた。
……前途多難だが、退屈はしなさそうだ。
最後までお読みいただきありがとうございます!
皿を音速で洗ってはいけません。
リリのポンコツ奥様修行と、ラクの便利すぎる掃除能力でした。
普通の道具では耐えられないので、特注品を作るしかありません。
次回、変人鍛冶師を訪ねます。
「古竜の素材でフライパンを作る」という暴挙に出ます。




