第1話:追放された軍師と、運の尽きた勇者
「――おい、ジン。単刀直入に言うが、お前クビな」
王都でも指折りの高級酒場の個室。 最高級の葡萄酒が注がれたグラスを傾けながら、勇者アルスはそう言った。
まるで「今日のランチはパスタにしよう」とでも言うような軽さだった。 あるいは、道端の小石を蹴飛ばすような気軽さと言ってもいい。
俺、ジン・クラウゼルは、目の前の整いすぎた顔面を眺めながら、ゆっくりと手元のエールを飲み干した。 ぬるい。安酒場ならともかく、このクラスの店で出す温度じゃない。
「……クビ、ですか。理由は?」
努めて冷静に問い返す。 感情を荒立てても無駄だ。こいつの脳みそは、筋肉と自己愛でできているのだから。
アルスは整髪料でカチカチに固めた金髪をかき上げ、大仰にため息をついた。
「理由? そんなの決まってるだろ。お前、地味なんだよ」
「地味」
「ああ、地味だ。俺たち『光の勇者パーティ』は、いまや王国の希望の星だ。聖女のマリア、剣聖のガイル、大魔導士のカレア。華やかで強くて美しい、選ばれた存在だ」
アルスが視線を巡らせると、同席していた仲間たちが嘲笑を浮かべた。 聖女マリアはクスクスと口元を隠し、大男のガイルは「違げえねえ」と骨付き肉を齧り付いている。
「そこへいくと、お前はどうだ? 黒髪に黒目、装備も安物のローブ。戦闘じゃ後ろの方でポケットに手を突っ込んで突っ立ってるだけ。剣も振らなきゃ派手な魔法も撃たない。ハッキリ言って絵面が汚いんだよ」
「……俺は軍師兼、デバッファーです。戦況を操作し、敵を自滅させるのが仕事ですが」
「その『自滅』ってのも怪しいもんだ」
アルスは不愉快そうに鼻を鳴らす。
「お前がいると、なんかこう……空気が淀むんだよな。縁起が悪いっていうかさ。先日のドラゴン戦だってそうだ。俺が華麗にトドメを刺した瞬間に、お前、転んで泥だらけになってただろ? 感動のフィナーレが台無しだ」
「あれはドラゴンの死に際の尻尾攻撃が、アルス様の背後へ飛んできたのを――」
「あー、うるさいうるさい! 言い訳はいいんだよ!」
アルスがテーブルを叩く。 グラスがカチャリと音を立てた。
「とにかく、俺の『強運』にお前の『陰気』さが水を差してる気がしてならないんだ。お前といると運気が下がる。これは勇者としての勘だ」
勘、か。 俺は口元だけで笑った。
(……なるほど。運気が下がる、か。これほど正確で、これほど間抜けな勘もないな)
笑いを堪えるのに必死だった。 こいつは何もわかっていない。
俺の固有スキルは【不運付与】。 対象の運(LUK)を強制的に引き下げる能力だ。
だが、このスキルの真価は単なる「運が悪くなる」程度のものではない。 運をマイナス極限まで振り切らせることで、「0.001%の確率でしか起きない事故」を「100%の必然」へと置換する――いわば『因果律への干渉』だ。
敵の心臓発作、武器の自壊、足元の崩落。 俺はポケットの中で指を鳴らすだけで、それらを必然として引き起こしてきた。
そして同時に、この三年間、俺はずっとパーティ全体の「致死性の不運」を一身に吸い上げ続けてきたのだ。 アルスが「天性の強運」で無双できたのは、俺がこいつに降りかかるはずだった死の運命を、すべて俺自身の「小さな不幸」に変換して処理していたからに過ぎない。
それを「縁起が悪い」とは。 英雄なんてものは、ただ運が良かっただけの生存者に過ぎないというのに。
「……わかりました。パーティを抜けます」
俺は席を立った。 これ以上、恩を仇で返す連中に付き合ってやる義理はない。 正直なところ、俺も限界だったのだ。 他人の排泄物を処理するようなこの仕事に。
「おお、話が早くて助かるぜ! 手切れ金代わりだ、この間の報酬は全部やるよ」
アルスが革袋を放り投げてきた。 中身を確認せずとも、金貨の重みでわかる。相場の半分も入っていない。
「随分と安い手切れ金ですね」
「文句があるなら置いていけ。路地裏で野垂れ死ぬよりはマシだろ?」
聖女マリアが冷ややかな目で見下ろしてくる。
「ジンさん、今まで寄生させてあげた恩を忘れないでくださいね。アルス様の慈悲に感謝なさい」
寄生していたのはどっちだ、と言い返してやりたい喉元の言葉を飲み込む。 ここで事実を告げても、彼らは理解しないだろう。 失って初めて気づく愚か者たちだ。
「感謝しますよ。これでようやく、肩の荷が下りる」
俺は革袋を拾い上げ、踵を返した。 背後から「負け惜しみを」と嘲笑う声が聞こえたが、振り返らなかった。
ドアノブに手をかける。 その瞬間、俺は自分にかけていた【不運付与】の対象指定を解除した。
『対象:勇者パーティ』への『不運吸収』を停止。 『幸運保持』を停止。
俺の中で張り詰めていた見えない糸が、プツンと切れる感覚があった。
「あばよ、勇者様。道中、気をつけて」
俺はそう言い残し、個室を出た。
◇
廊下を歩き出した俺の背後で、すぐに「異変」は起きた。
「おい、祝杯だ! もっと高い酒を持ってこ――うわっ!?」
ガシャン! 派手な破砕音が響く。 どうやら、給仕が持ってきた最高級ヴィンテージワインのボトルが、コルクを抜いた瞬間に暴発したらしい。
「つめたっ!? なんだこれ、瓶の底が抜けたぞ!?」
「きゃああっ! 私のドレスにシミが!」
「熱っ! 蝋燭が倒れて俺の髭に!」
「うぐっ、骨付き肉が喉に……!」
個室の中から、怒号と悲鳴が聞こえてくる。 今までは「たまたま」俺が肩代わりしていた、日常に潜む小さな確率の牙。 それが今、堰を切ったように彼らに襲いかかっているのだ。
「……ま、せいぜい頑張れよ」
ワインまみれになった勇者の間抜けな顔を想像し、俺は鼻を鳴らした。 あれはほんの序章に過ぎない。 これから彼らは知ることになるだろう。 自分たちが歩いてきた道が、どれだけ薄氷の上だったのかを。
俺は店を出て、夜の王都の雑踏へと紛れ込んだ。 冷たい夜風が心地いい。 久しぶりに味わう、本当の意味での自由だった。
「さて……まずは寝床の確保だな」
手元のなけなしの金貨を見つめる。 高級宿には泊まれないが、馬小屋よりはマシな場所が借りられるだろう。
俺は表通りの喧騒を避け、人気の少ない路地裏へと足を向けた。 この選択が、俺の、いや――世界の運命を変える出会いに繋がっているとは知らずに。
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