(第二篇)スパイシーな旅人たち
郵便局はジョギバラ・ロードのゆるい坂道を下ったところにあった。首都デリーまでならともかく、そこからバスで十時間、標高一千七百メートルのダラムサラに、日本からの小包が無事に運ばれてくるのかどうか、彼はいささか心もとなく思っていた。初海外でインド滞在まだ一ヶ月にも満たない彼ではあったが、彼らインド人の事務手続きのルーズさはもう身に染みてわかっていた。けれど小包は受付の棚の上に、身内のだと一目ですぐに判る英字の宛名書きをこちらに向けて置いてあった。
郵便局の玄関前の道端には、野菜や果物を売る露店が並んでいた。彼が地元民とともに果物を物色していると、板の裏に小さな車輪を付けた台車に腹這いになった、中年とおぼしきインド人の男が通りかかった。板は男の身幅と、首下から太腿くらいの身丈が乗っかるだけのサイズだった。男には両足首の下がなかった。短パンから伸びるその足先には白い包帯が巻かれていた。男は両手に鍋つかみのようなミトンをはめて、サーファーが水を掻くようにして、ごくゆるい坂の傾斜に逆らって台車を転がし進めていた。人の行き交うこの通りの短い距離を、男はひたすらに行きつ戻りつしていた。
道の向こうに、さきほどから人待ち顔の背の高い欧米人らしき中年の女が立っていた。その彼女が足早にイザる男に駆け寄ってきて、一枚の紙幣を渡そうとした。男は両手の動きを止め、頭をもたげて少しえび反りになり、胸と台車に隙間を開けた。そして上目遣いに女を見た。彼女はすぐに察して腰を屈めた。そして、半袖シャツを着た男の褐色の胸と、台車の板との間に、白い指先につまんだ紙幣を素早くすべり込ませた。そこにはすでに何枚かの紙幣があった。男は紙幣の上に胸を落とすと、また両手を前に出して台車をせりあげる匍匐前進を始めた。女もすぐに踵を返して元の立ち位置に戻って行った。そのブルージーンズに白いTシャツを着た女を、「彼女はフランス人ではないか」と彼はなんの根拠もなくそう思った。
バス・ターミナル近くの、三畳ほどの店内スペースのその茶店は、コンクリの壁にトタンの屋根を葺き、店の面前はベニヤの板張り仕様、といったバラック小屋風の店構えだった。「ここではドラッグはやるな」との張り紙が、さしずめインド人親父の店主敬白といったおもむきで壁に貼ってあった。
二十日間の当地滞在中、三日も経つと、彼は朝な夕なに二キロほど先のバグスの村まで山沿いの道を散歩し、帰り来てはこの茶店でチャイを飲みながら、ゲストノートを読むことが日々のお務め、といったふうになった。その中で気に入った英語のコメントはメモ帳に書き写した。記述者たちの英語はおおむねシンプルな口語英語で綴られていた。で、想像をたくましくしてこちらの意訳を混えて読めば、英語初級者の彼にもどうにかコメントの要旨はつかめた。
「ダラムサラ・イズ・グレイト──ここでは時間がとても早く過ぎていきます。そろそろ出立しなければなりません。インドに三ヶ月もいようとは入国前には思ってもみないことでした。それにしても私は、インドで数え切れないほどの新たな人や物事との出会いに満ちた、グレイトな時を過ごしました。そして今ここを離れ行く時です。さらなるレッスンを始めるために。エンジョイ・ライフ、それが終る前に……。ドナ」
「ゲット・ア・ライフ──なぜ皆んなインドに来るとばかばかしいほどに夢心地になってしまうのか。ここに二週間もいてみな。イヤでも我に返るから。ヤツらの言うシャンティ(平和・至福)なんてどこにある。馬鹿げたポエムやブッディズムにイカレちゃダメだ。ルーズン・ナップ、いいか、お前さんの縛りを解け。そして目を覚ますんだ」
店頭で、親父は湯気立つ鍋を前にしてチャイを煮出していた。その鍋の中には茶葉、砂糖、ミルクの他に、ジンジャー、シナモン、カルダモン──など、数種のスパイスがミックスされて入っていた。彼は、親父がチャイが沸騰するのを注意深く見守っているのに目をやりながら、ふとこう思った。鍋、あるいはグラスの中のチャイの成分は、多国籍のツーリストによるこのゲスト・ノートの記事や、異人種行き交うダラムサラの通りの光景、──さらに広げて、人や物のみならず、彼らの国をも物語る良き喩えになりはしないか、と。
試みにツーリストをスパイス例えてみると、シナモンの甘い香りは、さきほど路上で見かけた施しのフランス(仮に)女にでも例えられるか。またジンジャーの苦さは、先日バスターミナルで見かけた、べらぼうな運賃をふっかけられでもしたのか、タクシー・ドライバーを叱り飛ばしていたガタイのいい屈強そうなアメリカ(たぶん)男にでも似合いそうだ。では、我ら日本人とピッタリと釣り合うスパイスとは何か……、と彼は暇にあかせて、さほど意味があるとも思えぬことを考え続けた。
彼はチャイのおかわりを親父にたのんだ。グラスを運んできた親父は彼の対面の長椅子に腰掛けた。彼は英語の達者な親父に、質問内容の前振りを述べた後、「あんたはインド人としてどう思う。日本人はなんのスパイスとマッチするかな」と聞いてみた。
「さあな、あんたらをスパイスに例えるなんて考えてみたこともないが……」と親父は言って、いつものように彼のタバコを一本抜きとり火をつけて吸った。が、思案げな顔をして煙を細く吐き出しながら、ふと何かごとか思いついたようで、
「ところでな。ジャパンは、モノマネの国だってゲスト聞いたことがあるが、そうなのか」といささか話の脇道にそれて、しかも無遠慮にポツリと言った。
「なんだそれは……、どこの国のやつがそんなこと言ったのか」
「いや、まあそうエキサイトするな。やつも単なるジョークで言ったんだろう」
「いや、それは聞き捨てならんな。そいつは間違ってる。日本はイミテーションの国なんかじゃない……」と彼はいちおう虚勢を張って言った。が、親父に不意を突かれた気がして先の言葉を継げなかった。そのおり、あるいは外国人にはそんなふうに取られることもあるかもしれないな、とそうとっさに彼が思ったのは、他でもない目の前のゲスト・ノートの中の漢字で書かれた一ページがすばやく脳裏をよぎったからだった。
そのコメントの漢字はすべて繁体字だったから、若い記述者ならばたぶん台湾人なのだろう。が、古老ならば中国人ということもあり得るな、と彼は推しはかった。ノートには、日本人にとってはいわゆる旧字体の文字が、ボールペンで巧みに墨書ふうに書かれていた。紙面一ページ分をビッシリと埋める長文だった。日本人も借用して漢字を使うとはいえ、コメントの文意はたやすくは判読できなかった。が、それでも字面をたどると、「西天」と、「西遊記」この二つの語が文中に何回か繰り返えし記されているのが判った。あるいはその記述者は、自らのインド旅行をその物語になぞらえでもして、古きに想いを馳せながらこの一文を草したのかもしれなかった。もしそうなら、なかなかのロマンティストな旅人だな、と彼は思った。
彼は残りのチャイを飲み干し、それから通りを見た。この茶店は、土産物店の連なるメインエリアの端っこにあった。いま店前のバクスの村へと向かう田舎道を、臙脂色の僧衣を着た若いチベット僧数人が、談笑しながら通り過ぎて行った。メインエリアには彼ら難民の拠点としての、ダライラマを法王とするチベット寺院があった。
一服し終わった親父が立ち上がりかけた。そのとき彼は、手元のチャイグラスの横に立つ自分のミネラルウォーターにふと目を止めた。そして、「親父、まあ座ってくれ」と言って親父を引き留めた。「なんだ」と親父がまた腰を下ろすと、「さっきの話なんだが」と彼は口火を切って、先ほどの尻切れトンボになった親父との話の先を続けた。
「いまあんたらの宗教のマスターたちのお知恵を拝借する。それを踏まえて言えばこうなる。──水に、茶葉やミルク、さらにスパイスを加えればチャイになるし、コーヒー豆ならコーヒーになる。が、味付けをする前はただの無味無臭の水に過ぎない。だが、それだからこそ、どんな味にでも変われる。──煎じ詰めればそやつの言う日本のモノマネとはそういうことだ。ならば言ったやつの国だって、あんたらのインドだってエッセンスはおんなじじゃあないのか」と彼は言い終えて、「この水みたいにな」と言ってペットボトルをテーブルから浮かせて親父に示した。
「ほう、そうかい」と親父は言って、彼の話をどう曲解したのか不機嫌な顔付きになった。あるいは「このジャパニ、ナマいうじゃないか」とか、「ご高説を垂れてくれるじゃないか。受け売りのくせによ」とでも受け取ったのか、と彼は一人合点して親父を見た。じっさいそのとおりには違いない、とは思えた。が彼はいささかムキになって話を継いだ。
「じゃあ、あんたらのインドは何だ。さしあたり、チャイに使う茶葉みたいなもんか」と親父に問うた。もともとチャイの始まりは、イギリス統治時代に、英国人がインド人に栽培させた茶葉のおこぼれのクズを使ったもの、と聞いたことがあった。
「ノー、そんなこたあない。おれたちの国は……」と親父は言って、いったん口をつぐみ間をおいたが、おもむろに彼のチャイのグラスを指差して、
「インディア・イズ・ザット・グラス(インドは、そのグラスだ)」と言った。
「…………」
「そうだろう。考えてもみな。インドは、あんたたち外国人──つまりスパイスや、ミルク、さらにはあんたの言う水をだな、──これらすべてを一つにしていまウェルカムで受け入れてるじゃないか。そのグラスのようにな」とこの頭の冴えたチャイ屋の親父はしたり顔で言った。
「……一枚上手だな、このインド人親父は」と彼は苦笑しながら、親父にタバコをすすめた。親父は機嫌良く二本目を箱から抜き出した。
「やっぱり、あんたは根っからのインド人だな。ユー・アー・ア・ベリー・ベリー・ロジカル・マン(あんたって、ほんと口達者なやつだな、のつもり)」と彼が言うと、親父はそれを皮肉とも受け取らず、お上手言いやがって、といったふうに満足気にニヤリと一笑して、
「そっちだって、そうさ……、まあ、ありていに言って、あんたはいわゆるジャパニってことさ。そうだろ。イッツ・オーケー」と言って、禁煙中なのにうまそうにタバコの煙をくゆらせた。
「なあジャパニ、そんなに小難しく考えずとも、インドはインドで、インド人はインド人。日本は日本で、日本人は日本人。それでいいじゃないか」とそんなふうにでも意訳できそうな親父の言いっぷりだった。
彼は茶店を出てバスターミナルのそばのチベット難民が経営する旅行代理店へ向った。いったんデリーに戻ってから、彼は次の行き先を決めるつもりだった。が、店内の貼り紙でダラムサラからデリー経由で、ネパールのカトマンズまでバスで行けることを知った。ならばと、彼は迷っていた南インド方面への選択は捨て、当初の予定どおりカトマンズに行くことにした。で、さしあたって明日当地出発の、デリーのマジュヌカティラ地区のチベッタン・コロニー行きのバスチケットをそこで買った。
宿へと帰る夜道に街灯らしきものはなかった。小商いの店先からお裾分けといったふうの明かりが、雨に泥濘んだ未舗装の道に鈍く反映していた。下方の山肌に群れ集う民家の灯火が、人息に煽られる火鉢の中の炭火のように小さく瞬いて見えていた。




