第6話 乙女ゲームをくつがえす裁判
翌朝ミランダは日の出とともに目が覚めた。なぜなら、泊まるように指示された部屋の窓にカーテンが付いていなかったからだ。今身に着けているのは昨日の女性の聖騎士から渡された簡素な寝巻である。国教会に仕える人たちが日常で身に着ける服なのだそうだ。
「お目覚めですか?」
そう声をかけて衝立の向こうから現れたのは昨日の女性の聖騎士だった。名前をアリシアというそうで、神に剣を捧げる聖乙女という立場らしい。よくはわからないが、一生独身だということなのは理解できたミランダなのであった。
「食事は男女別ですのでご安心ください」
アリシアは優しくミランダに接してくれた。そして、ミランダの着替えまで手伝ってくれたのだ。たまに、夫の浮気で逃げ出してきた女性を保護することがあるので、必然的にアリシアは覚えたのだそうだ。
黒を基調とした簡素なほぼワンピーズにしか見えないドレスを着て、なんだか落ち着かない気持ちでミランダは朝食を食べた。なんでも国王夫妻の申し出で、朝一番の宗教裁判を望んでいると聞かされたのだ。そんなことを聞けば、食欲も自然と衰えるというもので、パンが喉に通らなかったミランダは、果物とお茶だけの朝食になってしまったのだった。
「お母さまさえこないだなんて」
身支度を整えたミランダは深いため息をついた。これでは乙女ゲームの悪役令嬢のままである。ヒロインとの戦いに敗れ、宗教裁判にかけられた悪役令嬢ミランダは、実家の公爵家から見放されてしまったのだ。だからだれも擁護に来てくれなくて、ミランダは絶望しながら聖女を殺そうとした悪女として断罪された。
鏡に映る自分の姿を見て、ミランダは乙女ゲームで一人寂しく過ごす悪役令嬢ミランダを思い出してしまった。
「ミランダ様」
アリシアがミランダの手に何かを握らせてきた。冷たい金属でできた何かだ。
「これは」
それはミランダの母、アレクセリア公爵夫人が祈りの時間に必ず手にしていた国教会のシンボルマークであった。貴族令嬢が婚姻の際に母親から譲り受けるのが習わしで、いずれミランダも母から譲り受けるものだと信じていたものだ。
「今朝早く、届けられました」
誰から、と言われなくてもわかる。あえてこれだけを渡すことで、ミランダが弱者であることを位置付けたいのだ。だからこそ、ミランダも答えなくてはなるまい。
「ありがとう。私は一人ではないのですね」
乙女ゲームの悪役令嬢とは違い、ミランダは一人ではない。そう確信してミランダは宗教裁判に臨んだのだった。
「乙女ゲームのまんまだわ」
アリシアに護衛されながら宗教裁判が行われる部屋に入ったミランダは、思わずそんなことを口にしてしまった。
「何か?」
ミランダの声が聞き取れなかったらしいアリシアが聞き返してきた。
「なんでもないわ」
思わず首を左右に振って前言を撤回する。迂闊に前世の言葉を口にしてはならない。あの日以来ずっと自分を戒めてきたミランダである。あの日現れたヒロインセシリアが自分と同じ転生者であったのなら、乙女ゲームの知識がより豊富な方が勝利を得るだろう。だからミランダは、自分が転生者とバレないように、乙女ゲームの悪役令嬢らしく振舞った。そしてヒロインセシリアにバレないように国教会に通ったのだ。まさか相談相手が教皇になってしまうとは思いもよらなかったけれど。
(ラノベでよく見たのは、誰にも相談しなかった悪役令嬢が孤立無援のまま断罪されていくストーリーだったわ。自ら断罪されて自由に生きていくって言うのもあったけど)
アリシアにつけてもらった黒いレースのヘッドドレスのおかげでミランダの顔は隠されていた。だから考え事にふけってしまっても、周りから見れば憔悴しきった悲劇の令嬢と映るだろう。
(記憶を取り戻してからの期間が短すぎるのよね。まぁ24時間とかそんな短い時間で断罪を覆す話も読んだことはあるけれど)
ミランダはアリシアに促されるまま原告人の席についた。顔は隠しているけれど、この場に集まった人々は、アリシアだと知っている。だから囁くような声が聞こえてきてミランダは怯えるしか無かった。
そう、乙女ゲームにおいても傍聴席にいた人々の囁きが次第に大きくなり、最終的には悪役令嬢ミランダを断罪したのである。もしかするとこれからそのシーンが再現度されるかもしれない。そんな考えが頭を過り、ミランダは身震いした。
「ご心配なくミランダ様。神は良き隣人を見捨てたりなど致しません」
震えるミランダの肩にアリシアがそっと手を置いた。聖騎士の制服を着ているから、手には手袋をしている。それでも置かれた手からはしっかりと人の体温が伝わってきた。着慣れない簡素なワンピースのようなドレスは、はっきり言ってしまえば生地が薄いのだ。人の熱気に包まれた法廷内部とは言え、教会らしい簡素な椅子に、潔白を証明する証なのか、白い石でできた床はあまりにも寒かった。
「これより、神への申開きを行う」
いわゆる裁判官のポジションに立つのは神官だった。分厚い経典を開き、今回の宗教裁判において必要なページを開いている。
「ジョゼジル・オフマルト、その方、神の前に誓った婚約者がありながら他の女とふしだらな関係を持ったと聞く。間違いないか」
神官の声が響き渡り、アリシアはようやくそこにジョゼジルがたっていることに気がついた。
全くもって、いつからそこにいたのか、いつそこに立ったのか、ミランダは気が付きもしなかった。アリシアの付けてくれたヘッドドレスのお陰であるとも言える。黒いレースを使用しているので、相手からはもちろん、ミランダからもよく見えないのだ。そう、視界が悪いことこの上ないのである。本来なら目元あたりまでしか隠れないようにレースの長さを調整するのだろうけれど、哀れな立場の女性を守るためにレースは顎の辺りまであるのだ。お陰で足下まで見えにくい。だからミランダは、アリシアに手を引かれてここまで来たのである。
「ふしだらな関係ではありません。真実の愛です」
この期に及んでジョゼジルはそんなことを口にした。まったく見えてはいないけれど、擁護の為に来ている国王夫妻が青い顔をしていることだろう。法廷内の空気がなんとも言えずピリピリしたものに変わったのをミランダは感じ取った。
「あれはいけません。自分の罪と向き合ってなどいないでしょう」
聖騎士であるアリシアがそっとミランダに耳打ちをした。ミランダの婚約者である王太子ジョゼジルと、乙女ゲームのヒロインである男爵令嬢セシリアを捕らえたのは聖騎士たちである。いつからパーティー会場に控えていたのかは知らないが、断罪劇が始まった時には扉の影にスタンバっていたので、ミランダは安心して大立ち回りを演じることが出来たのだ。
「真実の愛とおっしゃるか」
裁判官の神官が凛とした声で問いただす。
「もちろんです。俺とセシリアは真実の愛で結ばれたのです」
宗教裁判とは言えど、法廷と言う場で熱く愛について語るのはいかがなものなのだろう。ミランダはそっと辺りの様子を伺ってみた。ミランダの座る位置は、傍聴席から随分と離れていた。万が一に備え、かよわき人は守られる立場にあるようだ。顔にかかるレースの隙間から見てみれば、一番手前に座っているのはどこかの貴族のご夫人たちだった。扇で顔を隠しながら、なにやら話し込んでいる。時折ミランダの方に視線が向けられているのがわかる。何を話しているのか分からないだけに、ミランダはそんな視線さえ恐ろしかった。
「……教皇の名のもとに婚約を誓った令嬢がいるにもかかわらず、真実の愛を語るとは不届きである。それは不義である。婚姻前の男女が愛を育む行為など言語道断」
ミランダが周囲の様子に気を取られているうちに、裁判は進んでいたらしい。神官の声でそちらに顔を向けたけれど、何か不穏な言葉が聞こえてきた気がする。
(愛を育むって、言ったわよね?)
ミランダはこの表現がなんとも理解できなかった。神官であるから直接的な表現は避けていのだろう。
「あまり、ミランダ様はお聞きにならない方がよろしいかと」
アリシアが耳元で助言をしたけれど、聞くなと言われて聞こえなくなる訳ではない。それどころか、そんなことを言われてしまえば余計に耳をそばだててしまうというものだ。
「ジョゼジル王太子付きの侍女にございます。フィアル伯爵家の三女ヘーゼルと申します」
神官の脇、とは言っても一段所か二段ぐらい下がったところに王城のお仕着せを着た侍女が現れた。手にしているのは国教会のシンボルマークだ。それを右手に持ち、天に掲げるようにして声高らかに宣誓をしたのだ。どうやらこの行為が宗教裁判における正しい発言の仕方のようである。
「週末になりますと、ジョゼジル王太子の寝室には特定の女性がよく泊まられていました。私たち侍女はジョゼジル王太子の部屋を整えるのが仕事でございます。週末になりますと、ジョゼジル王太子の部屋の寝台はいかがわしい匂いが必ず致しました」
ミランダはあまりの事に言葉を失った。てっきりジョゼジルの擁護に出てきたと思っていたのに、まさかの事実告白である。
「こちらはジョゼジル王太子宛に届いた仕立て屋の請求書にございます」
その伝票は、聖騎士が受けとり神官の前に置かれた。
「ドレス仕立て代金貨三十五枚。靴代金貨七枚……ミランダ・アレクセリア」
突然名を呼ばれ、ミランダの心臓が跳ね上がった。返事をしようにも驚きすぎて声が出ない。確か金貨一枚が十万円ぐらいだったと記憶している。つまり、三百五十万円のドレスと七十万円の靴だ。前世の記憶で考えてみても、そんなお互いドレスはオートクチュールのウェディングドレスぐらいしか知らないし、七十万円の靴と言ったら靴の裏が赤いと言う事で有名なあの靴ぐらいしか思い浮かばない。一日しか身につけないものに、そんな大金をつぎ込むなんて、ミランダには考えられない事だった。と、言うか、それは誰の物なのだろう?
「……はい」
アリシアに支えられながらミランダはゆっくりと立ち上がった。傍聴席からの視線が怖い。
「こちらの品を受け取りましたか?」
「いいえ」
「では、過去にジョゼジル・オフマルトからこのような贈り物をされたことは?」
「ありません」
短い、たった一言を口にするだけでミランダの心臓は早鐘を打つほどになり、呼吸が自然と早くなる。自分は知らない。自分はやってなどいない。どんなに弁明しても誰も聞いてくれなかった。切り落とされた右腕と、無くなったはずの重さよりも重たくなった体が傾いだ記憶。
周囲から音が消えた。視界が揺らぐ。誰かが何かを言っている。それでもミランダはたっていなくてはならなかった。自分に罪はなく、それでも断罪されかけた恐怖に打ち勝つために。握りしめる国教会のシンボルマークが、手のひらの中でミランダと同じ熱を帯びた。
「…………教皇ヴィクトル1世の名のもとに、この婚約の破棄を言い渡す。今後…………」
ミランダは無事、宗教裁判を終えたのだった。




