第4話 牢の中のヒロイン
「どういうことなのよ。なんなのよ一体」
閉じ込められた一室でセシルは喚き散らした。癇癪を起こしありとあらゆるものに八つ当たりをしたい気分であるのに、この部屋には粗末なテーブルと椅子しか置かれていなかった。おまけに、テーブルの上には一冊の経典が置かれているのだ。わざとらしく開かれて置かれた経典にはこう書かれている。
――神のみ前で永遠を誓い生涯それを破ってはならない
その後に堅苦しい言葉が羅列されているが、セシルはその言葉を読む気にもならなかった。今更なんのつもりなのかとこの世界の神に文句を言いたい気持ちでいっぱいなのだ。
「まったく、淑女らしく振る舞うことも出来ないとは嘆かわしい限りだ」
白銀色の甲冑を脱いだ聖騎士が入口に立っていた。だが、セシルは近づくことが出来なかった。なぜならセシルのいる部屋は鉄格子で区切られているからだ。その鉄格子の向こう側にいる聖騎士は、見事な金髪を肩の辺りでバッサリと切りそろえ、化粧などしていなくても十分に美しい顔立ちをした女性だった。
「え?聖騎士が女?」
セシルの口から見たまんまの感想が漏れた。
「それが何か?」
聖騎士は侮蔑の感情がこもった目でセシルを見ていた。その優しさの欠けらもないどころか、心底残念なものを見るような下げずんだ眼差しは、今まで乙女ゲームのヒロインとして生きてきたセシルのプライドを傷つけた。
「なんで、私一人なのよっ、ジョゼジル様はどこ?あと、何よりこの待遇。私はジョゼジル様の恋人なのよ。未来の王太子妃を敬いなさいよ」
檻の中で吠え続ける獣の如く、セシルは聖騎士に向かって叫んだ。じゃまな鉄格子をしっかりと両手でつかみ、顔を隙間からしっかりと突き出して、それはもう、なんとも醜悪な顔をしていた。
「神の前で申し開きのできない行為をする女とはどのような者かと危惧していたが、想定の範囲を超えているな。これが男爵とは言え貴族令嬢なのかと思うと頭が痛い」
聖騎士はこめかみを少し抑えるような仕草をして、まったくないセシリアに取り合わなかった。それどころか、何か独り言のようにブツブツとつぶやくと、セシリアのいる牢の方を見ながら何かを確認していた。
「あの牢は、コレか?」
そう言いながら、壁際になん本が垂れ下がっている太めの紐を引っ張った。するとどうしたことか、セシリアのいる牢の壁から水が流れ出てきた。
「きゃあ、な、何コレ」
突然流れてきた水に驚いたセシリアが悲鳴を上げたが、聖騎士はまったくない気にしない様子でセシリアのいる牢の様子を確認する。
「ふむ、流れ出る量もちょうどいいようだ」
一人頷き納得をする聖騎士に、セシリアがものすごい形相で抗議した。
「ちょっとあんた!何してくれてんのよ!私ぬれちゃったじゃないのよ!」
突然壁から流れ出した水が、鉄格子に張り付いていたセシリアに頭から降り注いだのだ。とは言っても、滝のように降ってきた訳ではなく、天上から壁つたいに流れ出てきただけだから、出始めの水が少し髪にかかった程度で、どちらかと言うと問題なのは、流れ出てきた水がセシリアのいる牢の床を流れている事だろう。普通に立っているだけで、くるぶし近くまで水位があるのだ。ダンスパーティーだからヒールのあるくつを履いていたセシリアであったので、かかとの方はぬれてはいないが、その代わりつま先の方は完全に水に浸かってしまっていた。
「お前のような女を清めるための水なのだから、ぬれなくては意味が無いだろう」
聖騎士はどこか呆れたような声を出して、セシリアを頭のてっぺんからつま先まで確認した。
「上階の神の泉の水が正しく流れてきているな。この水に清められながら裁きの日を待つがいい」
そう言い残し、聖騎士はセシリアの前から居なくなってしまった。
「え?ちょっとぉ、水浸しの床でどぉしろって言うのよぉ」
セシリアが立ち去る聖騎士の背中に叫ぶけれど、その声がまるで聞こえていないかのように、聖騎士の背中が見えなくなった。しばらく聖騎士の居なくなった方角を見つめていたセシリアであったが、戻ってくる気配が感じられなかったため、諦めて鉄格子から手を離した。
「足がぬれてて気持ち悪い」
自分のいる牢の中を確認したけれど、ぬれていない床は見当たらなかった。それどころか壁から流れ出る水が止まる気配は無い。
「裁きの日まで待てって、正気じゃないわよ」
セシリアは毒づいてみたものの、誰も聞いてなどいないから、単なる大きなひとりごとである。
「ここに乗るしかないわけよね」
セシリアは靴を脱いで仕方なく簡素な寝台の上に乗った。そう、座ったのではなく乗ったのだ。だって、座っただけだと足に水がかかるからである。寝台のあるのとは反対側の壁から水が流れてくるため、寝台に座って足を床につけると、セシリアの足で水しぶきが起きてしまうのだ。
「足を拭く布……もしかして布団?」
感そな寝台の上にあるのは薄い枕とおぼしき小さなクッションと、大きな布にしか見えない掛布団だ。水が流れるこんな小さな牢では、夜は絶対に寒いだろう。それなのに、こんな布切れ一枚でどうやって寝ろと言うのだろう。
「足がぬれてて気持ちが悪いのよ」
セシリアは自分自身に言い訳をするように声に出し、粗末な一枚布の、端の辺りを使って足を拭いた。男爵家とは言えど、自分の身の回りの世話をしてくれるメイドぐらいはいた。だから、自分のことを自分でするだなんて、とてつもなく屈辱であった。
「なんなのよ、もう」
セシリアは粗末な寝台の上で膝を抱えて座り込んだ。ダンスパーティー用に王太子であるジョゼジルに仕立ててもらったドレスはやたらと布地が多くて、そのおかげで下半身が暖かいのが救いであった。