第3話 悪役令嬢は回想する
(あの女、ヒロインって口にしたわ)
馬車の中でミランダは先程の出来事を思い出す。学園での最大行事である学生主催のダンスパーティーは、教職員や学園長からの監視のない自由なお祭りのようなものだ。予算は組まれているが、それをどう使うのかは学生が考え、色々な手配も学生がする。将来に向けての予行練習のようなものなのだ。貴族は将来自分がパーティーを主催する時のために、平民は貴族がどれほどのお金を使うのか、それがどのような経済効果となるのか、お金の流れを学ぶのだ。
そんなダンスパーティーで、ジョゼジルが何かするだろうことぐらいミランダは予測していた。いや、予測ではない、今年で学園を卒業するジョゼジルが、ミランダを断罪して婚約破棄を言い渡すことをミランダは知っていた。
(ヒロインなんて言葉はこの世界には無いわ。授業で習ったこともなければ辞書に載ってもいない言葉なのに、あの女はハッキリと私がヒロインって言ったわ)
ミランダは一言も言葉を発せずに考えに浸った。馬車にはミランダしか乗っては居ないけれど、万が一にも誰かに聞かれてはならないことなのだ。
(やっぱりこの世界は乙女ゲームの世界で間違いなかったんだわ)
ミランダは唐突に蘇る記憶の渦に飲まれた日のことを思い出していた。
学園の入学式の日、真新しい制服に身を包み馬車から降りたミランダは、淡いピンク色の花を咲かせる木々を見て懐かしさを覚えた。それがなんの記憶か分からないまま、入学式が行われる講堂に向かって歩いていると、まだまだ時間に余裕があるにもかかわらず、走っている女子生徒を見つけた。スカートを翻してなんてはしたないのだろう。とミランダが思っていると、その女子生徒は真っ直ぐに自分の婚約者である王太子ジョゼジルの胸を目掛けて突進して行ったのだ。
周りの生徒たちはまばらではあったから、講堂へ向かう道は十分に広く余裕があった。にもかかわらず、その女子生徒は真っ直ぐにジョゼジルに向かってはしっていったのだ。「きゃー遅刻しちゃう」と言うわざとらしい叫び声を上げながら。
ジョゼジルはもちろん、婚約者であるミランダを迎えにこちらに向かって歩いて来ていた。だからお互い認識しあっていたはずだ。何しろ見事な黒髪を腰の辺りまで伸ばしている令嬢はミランダしかいないからだ。遠目からでも揺れるミランダの見事な黒髪は、ジョゼジルの目に映っていたはずである。にもかかわらず、突進して行った女子生徒を抱きとめ、ジョゼジルはそのまま尻もちをついてしまい、優しくその女子生徒を諭したのだ。
その光景を見た瞬間、ミランダの頭の中に色々な記憶が流れ込んできた。そのあまりにも大量に流れ込んできた記憶でミランダが動けないでいると、目の前の二人はそのまま仲良く講堂にはいっていってしまったのだ。目の前に婚約者であるミランダがいるにもかかわら関わらず。
それを呆然と見送ってしまったミランダは、入学式には参加せず、そのまま帰宅してしまった。そしてその事を正直に公爵である父親とその夫人である母親に話をしたのだ。咎められることは無かったが、「学園では身分の格差のない行動を取らなくてはならない」と言うよく分からない話をされて、ミランダは困惑したのだ。その後一人自室で溢れ返った記憶を整理した。もちろん、訳の分からないことだから、人払いをしてゆっくりと日記帳に書き込んだ。そうして入学前に紹介された、婚約者であるジョゼジルの護衛を兼任していると言う学生の名前と肩書きを改めて書き記してみると、流れ込んできた記憶と恐ろしい程に合致したのだ。
それ以来、学園内でセシルとジョゼジルが遭遇している所を見つけては、記憶にある映像と合致していること確認した。王城で行われる王太子妃教育の場でセシルとの事を相談しようとすると、示し合わせるように「あなたの努力不足です」と言われた。
そうして季節が巡るごとに行われる行事で、ミランダは見覚えのある光景を何度も目にした。あれも知っている。これも知っている。そうして耳にしたのは聞き覚えのあるフレーズだった。
「大丈夫、その方があなたらしいわ」
これを耳にした時、ミランダは背筋が寒くなった。何度も何度も聞いたフレーズだ。乙女ゲームの主人公が、攻略対象者たちの心を溶かす呪文のようなフレーズ。悩みを抱えていたり、挫折しかける攻略対象者を勇気づける主人公の必殺フレーズだ。この言葉を聞いて攻略対象者たちは勇気付けられ一歩前に踏み出すことが出来、そして主人公に心を開くのだ。つまり、このフレーズが出れば攻略したも当然なのだ。あとは好感度を下げないように一日一回挨拶を忘れないようにするだけだった。
そのため、逆ハールートが簡単だと言われていたが、攻略対象者たちを出しすぎると、一日のコマンド数に限りがあるため、一日一回の挨拶がままならなくなるという障害が発生するのが厄介だった。だから、逆ハールートを攻略するためには、全員の好感度を同じようにあげて、ほぼ同時に「大丈夫、その方があなたらしいわ」というフレーズを出さなくてはならなかった。
だから、芸術祭の最中にそのフレーズを何度も耳にした時、ミランダは国教会に逃げ込んだのだ。もちろん、芸術祭で婚約者であるジョゼジルにエスコートされなかった。と言う理由を持って。それからは、ことある事に国教会に赴き、涙ながらに教皇に悩みを打ち明けることにしたミランダなのだった。
(とりあえず、私の対策は正しかった。のよね?)
ダンスパーティーでジョゼジルから断罪されれば、ミランダは右手を失う。と言う結末を迎えるはずだった。だが、ジョゼジルが腰の剣に手をかけると同時にミランダも動いたから、断罪されることも右手を失うこともなかった。
ミランダは改めて自分の右手を見つめた。