第1話 断罪回避はお約束
「ミランダ・アレクセリア、今ここにおいてお前との婚約を破棄する」
声高々にそう宣言したのはこの国の王太子ジョゼジル・オフマルト。その隣にはフワフワとしたドレスに身を包んだ小柄な令嬢が立っていた。もちろん、ジョゼシルの片手はその令嬢セシル・アルマートの腰に回されていて、セシリアはジョゼジルにしがみつくような体勢をとっていた。
「………………」
向かい合うようにたっている令嬢ミランダは、微動だにせず黙って立っていた。長い黒髪はハーフアップにされ光沢のあるリボンで飾られており、かたちよく整った眉の下にある双眸は新緑を思わせる緑色、少し上向きの鼻はやや小さめで、唇はふっくらとして淡い紅色をしていた。その口元を隠すように手にした扇を顎に当て、考え事をするような仕草をしてみせる。
「聞こえていなかったのか、ミランダ!お前との婚約を破棄する。お前のような意地の悪い女が国母になどなっていいわけが無い」
そう言ってジョゼジルは隣に立つセシリアに目線を落とす。
「みろ、セシリアが小さな肩を震わせて怯えている。お前は何度セシルを怯えさせた?どれほどセシリアを虐めた?男爵令嬢だからとセシリアを何度も馬鹿にしたそうだな。学園内では身分の区別なく過ごすこと定められているというのに、お前は公爵令嬢と言う肩書きを振りかざしセシリアを虐めた。学園の規則に反するあるまじき行為だ」
ジョゼジルがそう言い切ると、扇に隠されたミランダの口元が軽く上がった。
「学園の規則、ですか」
ミランダがそう呟くと、セシリアが口を開いた。
「そうです。学園においては身分に隔たりなく貴族も平民も公平に過ごさなくてはならないのに、ミランダ様は私のことをいつも男爵令嬢ごときといつも虐めていたのです」
そう言ってわっと泣き崩れると、すぐさまジョゼジルがセシリアを抱きしめた。
「なんと可哀想なセシリア。ミランダ、お前は学園の規則を破ったのだ。今ここで断罪されろ」
ジョゼジルがそう言って腰の剣を抜こうとした時、ミランダがカツカツとヒールの音を響かせてジョゼジルに歩み寄り、手にした扇でジョゼジルの手をたたき、次にセシリアの顔面を殴打した。
あまりの早業に誰も動けないでいると、ミランダは睨みつけるような目をし、扇を自分の顎に当てややふんぞり返った姿勢で仁王立ちをした。
「痴れ者が」
ジョゼジルとセシリアの背後に立っていた取り巻きたちが動こうとした途端、ミランダの居丈高な声が響いた。
「婚約破棄?ジョゼジル様、あなた……そんな簡単に婚約破棄ができるとお思いですの?貴族の婚約は婚姻と同列です。国教会の教皇様立ち会いの元婚約証明書を作成するのですよ?まさか、お忘れではありませんよね?」
ミランダがゆっくりとした口調で問うと、ジョゼジルはそれがどうした。というような顔をした。
「例え王太子であろうとも、教皇様立ち会いの元作成した婚約証明書をこんなところで宣言したからと言って破棄など出来るわけありません。きちんと国教会で手続きをせねばなりません。お分かりですね?」
ミランダがそう言うと、ジョゼジルは傍らに倒れ込んだセシリアのことを抱き上げた。ミランダに扇で顔面を叩かれたから、頬が腫れている。
「そんなことはどうでもいい。お前は今、なんの罪もないセシリアを殴ったのだぞ。暴力行為だ」
ジョゼジルがそう言って、後ろに控える取り巻き、つまりは宰相の息子だったり、近衛騎士団の団長の息子だったり、国一番の商人の息子だったり、学園長の息子だったり、ちょっとヤンチャな辺境伯の息子だったりに目線を送ろうとした時、またもやミランダの居丈高な声が響いた。
「痴れ者が」
その声を聞いて、その場にいた誰もが動くのをやめてしまった。それだけミランダの声には圧があったのだ。ミランダは屈むような姿勢をとっているジョゼジルの頬に手にした扇をポンポンと言う風に軽く当ててきた。そうして口の端をゆっくりと上げてからその薄い紅色の唇を開いた。
「先程私の話を聞いていらして?ジョゼジル様、あなたは私の婚約者なのですよ。貴族の婚約は婚姻と同列と、私、言いましたわよね?我が国は一夫一婦制です。不貞は殺人に次ぐ重罪なのはご存知ですわよね?」
ミランダがそう質問を投げかけると、ジョゼジルは眉間に皺を寄せた。
「何を言っている?不貞?全くお前とは話が噛み合わん!」
ジョゼジルがそう言って背後に控える取り巻きたちに指示を出そうとした時、またもやミランダの居丈高な声が響いた。
「痴れ者が、そう言いましたわよね?私。聞こえませんでしたの?あなたは私の婚約者なのですよ?ジョゼジル様。公衆の面前で、婚約者以外の女の腰を抱くなんて破廉恥極まりない行為ですのよ。まして、ジョゼジル様、あなた『真実の愛を見つけた』なんて堂々と口にされましたわよね。つまり、堂々と不貞を宣言された。と、解釈させて頂いてよろしくて?」
ミランダが殊更ゆっくりと言葉を紡ぐのを、セシリアは青ざめた顔で見つめていた。言うならば『信じられないものを見た』そう言う表情をして。
「不貞を働いたものを捕らえよ」
ミランダがそう告げると、白銀色の甲冑を身につけた騎士たちが現れて、ジョゼジルとセシリアを後ろ手に縛り上げた。
「お前たち、何をする。俺は王太子だぞ」
だが、白銀色の甲冑を身につけた騎士たちは誰も答えない。無言のまま二人を繋ぐ縄を引くのだ。
「不貞を働けば例え国王であろうとも罪人です。と言うことはこの国の人間なら誰しも知っていることです」
ミランダがこの場にいる誰にも聞こえるようにはっきりと告げた。この発声方法は王太子妃教育で一番最初に覚えさせられたことだった。公衆の面前で発言をする立場となる者である。その時に声が小さくて聞こえなかったなどと言うことがあってはならないのである。それと、有事の際、誰よりも己の声を遠くに聞こえさせなくてはならないという義務があるからだ。だから、ただ大きな声を出すのではなく、誰もが聞き取りやすくより遠くまで届くように話すことを教えられたのだ。
そのため、会場に集まっていた人々は、ジョゼジルの怒鳴りつけるような声よりも、居丈高ではあるが活舌よくはっきりと言葉を話したミランダの声の方がよりよく聞き取られた。それはつまり、この学園のダンスパーティーの会場に集まった学生のみならず、教職員や演奏のために来場していた管弦楽団員、そして警備をしていた兵士や騎士たちまでもがミランダの言葉をより多く記憶したのである。
「どおして、私はヒロインなのに」
白銀色の甲冑を身に着けた騎士に引っ張られるように立たされたセシリアが聞きなれない言葉を口にした。それを聞いたミランダの眉根がほんの少し寄る。
「静かにしろ」
白銀の甲冑を身につけた騎士が、セシリアの顔に何かを取り付けた。顔半分を覆い隠すような金属製のマスクだ。
「んっんんん」
セシリアが目を見開き何かを訴えてきた。たが、白銀の甲冑を着た騎士の反応はなんとも素っ気ない。
「罪人の素性を隠すためのものだ。ありがたく思え」
そう言ってセシリアをグイグイと引っ張り歩かせ始めた。それを見て思わず手を伸ばそうとする者がいたのだが、甲冑に刻み込まれた紋章を見て思わず後ずさる。
「国教会よりお越しいただきました聖騎士様方でいらっしゃいますわよ。くれぐれも粗相のないようにお願い致しますわね」
ジョゼジルの取り巻きたちである男子生徒たちが、ようやく相手の身分を理解したところでミランダは扇で口元を隠しながらそう告げた。誰よりも何よりも、国教会の聖騎士に楯突いてはならないのだ。一夫一婦制であるこの国の基礎は国教会での神の教えである。政教分離ではあるものの、不貞の罪で裁かれるのなら国の裁判の方がまだマシである。と思われるほど、国教会の宗教裁判は重いのだ。
そう、不貞が殺人に次ぐ重罪と言われるのは、つまりこういうことなのである。