プロローグ ~ひきこもり専属先生、現る~
窓の向こうでは制服姿の少年少女が太陽の陽射しをその身に浴びて、まるで自分達がこの世で一番幸せだとでもいうように汚れない笑みを浮かべている。
一方俺はというと、薄暗い部屋の中、上下長袖のスウェットを身に付け、死んだ魚のような目で彼らを眺めている。
眩しさで目を細めながら空を見る。
「雨降ればいいのに。モグモグ。あー、ふ菓子が美味しいなー。あむあむっ」
悪態を吐き、手に持っていたふ菓子を咥えることで空いた両手でふ菓子の袋とカーテンを閉じる。
せっかく歯を磨いたのに……。
軽く後悔をしながらも、俺は咥えたふ菓子を完食してから、ベッドに寝転びスマホをいじる。
画面の右上に表示されている時間は8時20分。高校生なら登校しているか既に学校についている時間だろう。かくいう俺も高校生なのだが、登校はしない。
徹夜でレベル上げをしたせいで眠いし、何を隠そう俺はひきこもりだからな。
「寝るか」
スマホを充電器に繋いで布団を被る。
暖かい。もうすぐ春とはいえまだ寒い。
分厚い毛布は欠かせないぜ。
ピンポーン。
気分良く眠りにつこうとしていると、インターホンのチャイムが鳴った。
降りるのもめんどくさいし、ここは居留守を使おう。
ピンポーン。……ピンポーン。
一定のリズムでのピンポン。なにビート刻んでやがる。
しつこいなぁ。そろそろ帰ってくれよ。
ピンポーン。ピンポーン。ピンポーン
本当にしつこいやつだ。
段々音のなる間隔も短くなってきてる。なんだよもう!
あまりの煩さに枕を被って耳を塞ぐ
ピンポピンポピンポピンポーン。
「ああもう、うるさいな!」
だがそれでも明らかにボタンを連打している音は聞こえてきて、さすがに我慢出来なくなって部屋を出る。
そして階段を駆け降り、リビングの受話器を手に取って、
「なんなんですか? 何回も何回も鳴らして」
たまりに溜まったイライラをぶつけるように少し語気を強めて言った
「なんだ。聞こえてるなら一回で出てよ」
女の人の声だ。
というかいきなりタメ口とは馴れ馴れしいな
あんたは俺の幼馴染か!
「それじゃあ、玄関の扉開けてくれる?」
画面の向こうにいるスーツ姿の女性が手を合わせてウィンクをしている。
スタイルがすごく良い。モデルみたいだ。出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。足もスラッとして長い。というかめちゃくちゃ可愛い。
なんか見覚えがある気もする。
「えっ、嫌ですけど」
まぁ、だからといって開けないけどな。
「えっ、なんで?」
俺が断ると女性は驚いたように目を見開いている。
「なんで? じゃありませんよ。誰かもわからない人を家に上げるわけないじゃないですか?」
ただでさえ人と会うのが嫌なのに、初対面のそれも馴れ馴れしい上にインターホンを連打する非常識な人なんて余計に家に上げたくない。
「ひっどいなぁ。私だよ。青だよ」
女性は長くサラサラと揺れる黒髪を耳にかけながら微笑む。
い、色っぽい仕草だからって別になんとも思わないしぃ。
「いや、青って言われてもわかりませんよ。パンツの色かなにかですか?」
彼女の、「私のことは知ってて当然でしょ?」みたいな話し方がムカついたので、俺はとりあえずセクハラっぽいことを言ってみることにした。
べ、別にさっきの仕草がちょっと可愛くて、こ、興奮したせいではないから。
「違うよぉ!」
彼女は可愛らしく怒る。
うーん。なんか見覚えはあるんだけどなぁ。
でも、こんなぶりっ子の人知らないんだよなぁ。
「いいから早く開けてよ~」
ドンドンという音が玄関の方から聞こえる。
扉を叩いているんだろうな。しかもわりと強い力で。これが夜ならホラー映画だよ。
「嫌です」
俺はその音を無視して彼女の頼みを拒絶した。
「開けてよぉ」
それでもなお、彼女は上目遣いになって画面越しに懇願してくる。こ、このぶりっ子。そ、そんなことで俺は……。
「はぁ……。わかりましたよ」
し、仕方ない。悪い人じゃなさそうだし開けるか。渋々リビングを出て玄関の方へ向かう。
た、ただ話を聞かないと帰ってくれなさそうだから開けるだけで、決して画面に映る人が可愛いかったからではないから! だ、断じて違うんからね!
俺は心の中で気持ちの悪いツンデレをしながら玄関の扉を開けた。
「鈴君!」
「ちょっ、いっ、いきなりなんなんですか!?」
扉を開けた途端、いきなり飛びつかれた。
「鈴君鈴君鈴君!」
彼女は俺の肩に顔を置き、耳元で俺の名前を繰り返す。
耳に息が当たってゾワゾワした。
な、なんか良い匂いもするし、胸とか色々柔らかいし、こ、これ以上ひっつかれ続けたら理性が……。
「と、とりあえず離れて下さい!」
彼女を引き剥がし、慌てて距離を取る。
だ、大丈夫。ま、まだ色々大丈夫だ。
「なんで離れるのぉ!」
綺麗に整った顔で頬を膨らませて睨むのはやめて欲しい。ぶりっ子とはわかっていても可愛くて直視出来ないじゃないか。
「そ、それより! どうして俺の名前を知ってるんですか?」
このままじゃまずいと判断して話を切り替える。
「ん? それは私が鈴君の先生で、さっきも言った通り青だからだよ?」
彼女はつぶら瞳で俺を見つめ、どうしてそんな当たり前のことを聞くの? といった様子で首を傾げている。
「先生? 青?」
高校にこんな美人の先生居たっけ?
いやいないよ。これだけ美人でスタイルの良い人が居たら絶対覚えてるもん。
中学校にも小学校にもこんな先生はいなかった。
「嘘吐かないで下さい! 俺はあなたのことなんて知りませんよ!」
念の為にこれまでに出会った先生を記憶の中から呼び起こしても該当者は見つからなかった。
なので俺は自身を持って断言する。
「酷い! 昔はいつも私の後ろについて来て、可愛かったのにぃ!」
女性は瞳を潤ませて俺を非難した。
「昔ってなにを言って……ん?」
んー? 昔後ろをついて行った?
やっぱりどこかで会った気が……。
喉の奥まで出かかった答えを求めて、彼女の顔を凝視する。
「あ、あんまり見つめられると恥ずかしいよぉ」
見つめられた彼女は頬を赤く染めてもじもじと悶えている。
大きな瞳は長い睫毛に守られ、綺麗に澄んでいる。
鼻筋は通っていて、唇にはぷるぷるして柔らかそうだ。
瞳の黒とは対照的に肌は雪のように白い。その白い肌が、サラサラとして艶やかな黒髪の美しさを際立たせていた。
やっぱりこの人どこかで……。
青、青……あっ!
「も、もも、もしかして青姉!?」
浮かんできたまさかの人物に自分でも驚き、つい声が大きくなってしまう。
「そう! そうだよ! 青姉だよ! 思い出してくれたんだね!」
嬉しそうに手を叩き、青姉は笑顔を浮かべる。
「で、でも。そんな馬鹿な。う、嘘だ。だって青姉はもっと」
「もっと?」
「も、もっとやんちゃだったし、ピアスも開けてギラギラした金髪だったじゃないか! それにいつも持ち歩いてた竹刀は? ポケットに忍ばせていたメリケンサックは? あの人を射殺すような鋭い眼光の青姉はどこに行ったの?」
驚いた俺は混乱しながら矢継ぎ早に質問する。
スケバンのイメージをそのまま具現化したようだった青姉がどうしてこんな天然ぽわぽわ系になってるんだ!
「私、鈴君の先生になるために変わったんだよ! そ、そもそもいつもなんて持ち歩いてなかったよ! 持ち歩いてたのは時々だけだよ!」
ふ、普通は持ち歩かないのよ。剣道部員じゃあるまいし。
「ってそんなことより先生!? あの青姉が? も、もしかして高校の先生になったの? あの青姉が?」
「ううん。違うよ」
青姉は首を左右に振って否定する。
サラサラした黒髪が揺れてふんわり甘い匂いがした。
「それじゃあ一体なんの先生になったの?」
「もう、言ってるでしょ! 鈴君の先生になったの! 鈴君だけの専属先生に!」
「専属先生?」
聞いたこともない言葉だ。
「そうだよ! ほら、これ見て!」
スーツの胸ポケットから黒い手帳を取り出す青姉。
「ん?」
そこにはこう書かれていた。
『ひきこもり専属先生登録証』
と。
「はぁぁぁぁあ!?」