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はなだまのうみなおし≪上≫

 はじめは10人がここで暮らす予定だったそうだ。

 だけど記憶にある限りここには八人の見知らぬ他人がいて、一堂に顔を合わせた日からずっと一緒。

 あともうひとり、このカイタイ館の管理人をしている『まおは』がいるだけの、とてもささやかな暮らしが続いていた。

 南向きの大きな窓から見える景色はぜんぶ灰青色の海。一階にはプールがあるけれど、窓の外から見えるあの海の水を引いてきていると最初に説明された。

 だからプールがあっても水がとても冷たいので、使う人はほとんどいない。よく晴れて暖かい夏の時期でもないと、とてもじゃないが『りん』は入る気にならなかった。




 ―― はなだまのうみなおし ――




 りん、――黒髪おかっぱ頭の少女は寒々しいプールサイドのベンチのひとつに毛布に(くる)まりながら、ぼうっと考えていた。

 同じ境遇ということもあり、他人が知り合いになり、知り合いが友人になるにはそれほど時間は掛からなかった。

 八人の友人たちの中でも、いちばん仲の良いのは、『いろは』と『まこと』。――この二人は冷たいプールがいちばん快適だと言って、雨でも曇でも、雪の降る真冬だろうが気にせず入っていた。

 さすがにそこまで付き合いきれないと、りんは水遊びに興じる二人をプールサイドのベンチから眺めていた。元気に跳ね回るように遊ぶ二人を眺めているだけでも、なんだか楽しくて幸せな気分になれるから、二人を見守ることはりんのさやかな日課でもあった。

 ガラス越しに伝わる太陽のかすかな温かさと、冬の寒さの残る空気の中、元気な二人は海の匂いがするプールでどちらが早く泳げるのかと競走していた。

 二人があまりにも楽しそうだから、今までも何度かつられてプールに手を入れてみたこともあるが、毎回冷たすぎて触れた手の先から一気に寒さが身体中を走るだけだった。

 どう考えても、水遊び出来る温度じゃない。なのに今日もあの二人は元気に水中から現れる。

「りんも来ればいいのに。水の中は外にいる時よりも、ずっと気分がいいよ」

 ばしゃりと、勢いよくこちらに近づいた拍子に足元に水が飛び散った。その勢いだけでも身体が冷えそうだ。

「やめとけ、いろは。誰にだって得意不得意はあるんだ」

 同じように近付くまことが水飛沫を飛ばしながらプールから上がり、すぐ隣にあるビニル製のプールサイドベッドへと寝っ転がった。

 この前の身体検査で170センチを超えたと言っていたが、まことはこのカイタイ館にいる人たちの中でも一番背が高く、身体が大きい。毎日水泳をしているからその影響だろうか。近くに座るりんと比べても、足の大きさから手の平、四肢や首の太さとなんだかすべての身体の厚みが違う。その厚みの差が活発さに影響を与えているとしか思えなかった。

 何度もこの潮水のプールに入るから、短いまことの髪はチリチリだ。顔を合わせた当初は枯れた葉っぱと同じ色をしていたが、今や色が抜け金髪だ。無造作に腕をこちらに伸ばすので、彼の大きな手に持ってきたバスタオルを載せた。

「そうは言っても、こうやって待ってるのは退屈じゃないの? りんも来たらいいのに」

「見てるだけでじゅーぶん。飽きもせず毎日夏でも冬でもプールで楽しそうな二人を観察するのも、面白いからね」

 ベンチの上に敷いた座布団の上で三角座りをし、水から上がるいろはを観察する。いろはは濡れてウェーブ掛かる癖のある黒髪をひとつ縛りにしており、垂れる水を絞りながらニヤリと笑った。

 二番目に背があるのはいろはだろう。160センチ台で身体つきも他の子たちに比べれば身体の凹凸がしっかりしている。やはり水泳が成長の肝なのかもしれない。薄い身体つきの自分と比べてみるが、同じ土俵にいないのだからこんな比較は意味はない。

 そんなことを考えながら、りんは肩上で切りそろえたまっすぐな黒髪を耳に掛けた。いろはの柔らかい髪と違って、コシのあるりんの髪は癖をつけられるのを嫌がるようにすぐに耳から外れた。

「それを言うなら、毎回泳ぐわけでもないのに付いてくるりんだって充分おかしいね」

 タオルを投げて渡せば、満足そうに身体を拭いながら隣にいろはが座った。近くで三人並べばいつも通りの日常に、寒かった空気もあっという間に穏やかなものに変わる。

「もうすぐで、ここの生活も終わりなんだよ。二人はなにやりたいことはないの?」

 生まれて五年、ここに来てから三年ほどの時が経つ――。山も谷もない緩やかな人生を振り返ってみるものの、穏やかな日々を気の合う友人たちとた過ごせることだけでも、充分幸せではないだろうか。

「うーん、やりたいことは毎日してるし、いろはとまことがいればそれで充分かな」

「そうそう、焦っても仕方ないさ。次の場所にもプールとかあればいいよなー」

「ふたりともぜんぜん夢がないなぁ。……私はふたりと離れたら寂しいよ」

「次も一緒だったらいいな。俺もそれだけが心配だ」

 曇るいろはをなだめるように、まことが優しく伝えていた。

「そうだね、わたしも――」

 ここでの暮らしも、今までの暮らしも、ずっと自分たちの意志とは関係なく行われる。

 過不足のない生活に、『務め』を果たすだけの日々。それ以上を望んだところで、ここの生活は今後も自分たちの意志の有無に関わらず無常に過ぎると誰もが感じていることだった。

 ガラス張りの天井の向こうは灰色、――海も灰色で、水平線には今日も何も現れない。

「知ってる? 人魚の肉を食べると不老不死になれるんだって。――私たちが自分たちの肉を分け合ったら、長生き出来るかな」

「えぇ……、気色悪いこと言わないでくれるか。……寒気してきた」

 イタズラっぽく笑ういろはの言葉に、気分を害したまことが身震いしていた。こんな空気の中濡れているだけでも寒いだろうに、今の話でまことの心が凍えたらしい。一方いろははご機嫌そうにバスタオルを被り直していた。


 人魚とは、文字通り身体の半分が魚で半分が人間の水性生物だ。不老不死の象徴で、海に住まう者。

 海の気候を操り、病める人を救う知恵を分け与えてくれる貴重な隣人――。遥か昔に人間と人魚が契約を交わし、人魚の血を分け与えて生まれたのがりんたちのような『真人(しんじん)』だった。

 三人とも魚らしい部分はどこにもないが、あえて言うならこの冷たい水に入っても元気なところが人魚の血を引いているという証明になるかもしれない。とはいえずっと水中にいられるということもなく、カイタイ館など特別な施設の中でなければ、皆呼吸をすることもままならなかった。

 そして成長が早い。ここに来てからずっと顔を合わせている管理人のまおははなにも変わらないけれど、みんな彼女が下ろした手の高さほどの背しかなかったのに、今では同じくらいの目線で物を見ることが出来るほど背が伸びた。

 まおはたちのような『普通の人』とは違うため、人魚の血を引くりんたちはずっと誰かに管理されながら生きている。活発ないろはとまことはたまに怪我をすることもあるが、体調を崩すものもなく、ここまで八人揃って元気にいられるのだから、これ以上を望むのは罰が当たってしまうのではないだろうか。

 

 頭からタオルを被り、両腕をさするまことの腹には一本筋の縫い跡がある。でもそれはまことだけにあるわけじゃない。

「わからないわよ。この検査の跡も、じつはすでに誰かに食べられた跡なのかもしれないじゃない」

 まおはが用意してくれたセパレートタイプの水着を着ているいろはは、お腹を出し同じ傷跡を見せた。同じ大きさのそれはりんの腹にも、ここにいる他五名の腹にもある跡だ。

 カイタイ館に到着する前に検査をしたときにつけられた跡で、これがあるということは施設を出られるという証になる。初めの頃は痛んだこともあったが、傷もとうに塞がり、短い線が伸びるだけだった。服の上からなぞってみると、浮いた線の感触が指に伝わった。

「……まおはにもあるのかな」

「さぁねぇ。まおはは『普通の人』だからないんじゃない? もくすぐ40歳になるんだっけ」

「そうそう、ろうそくの準備はもうバッチリだよ。――長生きすると、どんどんパンケーキの上に載せるものが増えるし、火も消しにくくて大変だね~」

 ここに来て一番最初にいろはがはじめたことだった。カイタイ館で共に生活するみんなの名前を聞き出し、誕生日を聞き、その日をお祝いするというイベント。九人居るうち春から夏の終わりまで毎月誰かの誕生日が連なるが、飛んで真冬にまおはの誕生日が来る。

「でも賑やかで楽しいじゃん。上に載せられなくても、やり方はなんだってあるさ」

「たとえば?」

「……横にぶっさすとか、ろうそくだけ別の皿に載せて火をつけるとか」

「ろうそくを横にするのは危ないし、ろうそくだけ別盛りにしたらただのろうそくじゃない。そんなのつまらない」

 まことの適当なアイディアにりんといろはが呆れて笑っていると、

「三人とも、またここにいたのね」

 後ろからくすりと笑う声と一緒に、噂の人物がやってきた。

「おやつが出来たわよ。あなたたちも上にいらっしゃい」

 外の景色に馴染むような落ち着いた色をした丈の長いワンピースに、長い黒髪を後ろでまとめている清潔感のある女性。みんなに比べて顔や手の皺が大きいこの人がまおはだ。

「はーい。今日はなに、まおは」

「いろはは今日も元気ね。おはぎを作ったの。たくさんあるから、みんなで仲良くね」

「おはぎか〜。こし餡、つぶ餡?」

「心配しなくても両方あるし、数もたくさんあるわ。――まことがいつもうるさいからって、みんなが頑張ってくれたのよ」

「一番の大喰らいだもんね。手のかかるやつだからな〜、まことは」

 三人ともまおはに促されて立ち上がると、いろはがまことの脇腹を小突いた。

「『もこ』と『あい』、『せん』と『ばく』の四人が手伝ってくれたの。作ってる途中に何度も味見してたから、あの子たちはもうお腹いっぱいになってしまったみたいだけど」

 ここに居ない四人の名に、彼らが手伝う光景が浮かんだ。まおはを手伝えば好きなものを作れるし、誰よりも先に味見が出来るのである意味ご褒美のようなものだ。味見と言いつつ、なんだかんだ普通に四人は食べていたんだろうなと容易に想像がついた。

 みんな、いろはとまことよりは小柄だけど、よく食べることからりんよりも大きい。

「なら四人で残りをもらっちゃお。りんもたくさん食べなよっ。そしたらもっと大きくなれるかも」

 肩にいろはの手が載ると、まことを置いて行こうと二人で駆けだした。

「三人とも、『じん』を見なかったかしら」

 まおはの声に、つんのめりながらもうひとりの名にまおはを振り返りみた。

「見てないわ。……またどこかいい隠れ場所でも見つけたのかな」

「そう……。また悩んでいるのかしら」

「じんは――、ひとりになれる時間が好きなだけさ。俺たちも一緒に探そうか?」

「ありがとう。そうね、どうしても見つからなかったらみんなに手伝ってもらおうかしら。それまで休んでいて」

 にこりと笑みを送ると、廊下を分かれてまおはがじんを探しに行った。

「……たぶんまた屋根裏ね。まおはに見つかる前に声を掛けに行きましょう」

 離れたまおはに届かないよういろはが小声で提案すれば、りんとまことも頷いた。


 日々、検査と管理される生活。――それは多くの人を助けるためのもので、人魚の血が混じる真人だからこその日常だ。

 同時に、それ以外に費やせる時間もない。『真人』の寿命は長くて十数年と言われているが、ほとんどは五年から八年で終わるものらしい。

 だからまおはのような大人になることも、年輪のように刻まれたしわを持つ手になることもないのだろう。

 カイタイ館の前にいた場所はもっとシステマチックで、少しも自由がなかった。同じ場所で生まれた仲間たちはいたが、深く関わる時間がもらえず、ここに来て初めて他人とコミュニケーションを取ることが許されたのだ。

 三人で並んで歩く廊下に連なる窓をりんは目で追った。窓の外に広がる灰色の世界も、いつだったかまおはが開けてみせてくれた。ガラス一枚で隔たれた世界は、呼吸も出来ないほど苦しくて、ここの誰の居場所ではないのだと思い知ったのだった。

 手にできるものが少ない以上、この世界や自分たちの在り方とどう向き合えばいいのか、いろはやじんのように何かを考えてしまうこともあるだろう。

 りんやまことのように、この先に希望なんて持たず、できれば死ぬときはあの時よりもつらくなければいいと、思うだけの者もいる。

 ここでの暮らしは、ただそれだけだった。




 ある日のことだった。

「今日の鑑賞会は『この人』について、みんなに見てもらいたいの」

 いろは、まこと、りんの他、もこ、あい、せん、ばく、じんと全員が鑑賞部屋に散らばるクッションの上で、各々自由に座り、寝転がりながらまおはがいくつかの冊子を何人かで見るように配った。

 カイタイ館では午前に勉強会、午後には鑑賞会と呼ばれる時間がある。まおはが先生となり、勉強会では普通の人の暮らしについて教わる。彼らがいかに真人たちに助けられ暮らしているか、長い人類史の中で様々な困難を乗り越えてきたかなどの話が中心だ。

 鑑賞会ではこの世に出回っている本や映像、音楽や詩、様々な表現を学び、勉強会で得た知識から、感受性や情動を高めるために行われる時間だった。――真人が泣くと、空気に触れ肌から落ちる涙が形を持つ。白や黒の塊になるのだが、どうやらそれが人々の薬になるらしい。その材料を得るために鑑賞会が行われ、涙を流すことがここで求められるものだった。

 午後の授業について最初は何をしても意味が分からなかったが、徐々に心が動かされるという感覚を理解していけば、『普通の人』はなんとも忙しなく生きているんだなとりんは思った。

「今日もお涙ちょうだいなお話しなのかな」

 小さな声で茶化すいろはにくすりと二人で笑うと、聞こえていたのか聞こえていないのかちょうど横をまおはが通って行った。こっそり様子を伺うが、特に気付いた様子もなくこの部屋全体を見回していた。

「……これって誰の写真?」

 まことが特にタイトルも作者の名もない本をめくると、小さな子どもの写真が何枚も出て来た。背景は施設とは違うが、小さい子どもが二人の大人に代わる代わる抱かれて、いろんな場所で撮られているようだった。

「これは『おりのすけさん』の写真よ。――もう亡くなってしまった方だけど、あなた達に知ってもらいたくて今日紹介するの」

「……おりのすけさん?」

 聞きなれない名前に三人で顔を合わせるが、その名前に記憶がなかった。他の友人たちを見てみると、同じような反応をしている。

「このカイタイ館を長年支援して下さっていた方で、あなたたち真人を大切に保護するために長年尽力して下さった方でもあるわ」

「ふぅん、こんな人がいたんだ」

「知らなかったね」

 この写真に写る大人たちは笑顔をこちらに向けているが、中央に写る少年は笑顔だったり、真面目だったり大泣きをしていたりと、いろんな表情をしていた。――施設ではない場所ではこういう日常を送っているのかと、りんにはどうでもいい感想が浮かんだ。

 きっと、何度も写っている大人はこの少年の親なのだろう。なんだか似ている顔立ちに、『親』というものに対し知識があっても、それがどういう意味を持つのかピンとこなかった。

「……もしかして、この人が亡くなったから、ここを出なきゃいけないのか?」

「そうじゃないわ。あなたたち真人が関わる施設を支援して下さってる方は、世の中にたくさんいるのよ。だけど、次のお役目があるからあなたたちはここを出なきゃいけないと言うだけ。何も不安に思うことはないわ」

「次の役目ってなあに?」

「あなた達がいてくれるだけで、喜んでくれる人たちがたくさんいるの。――その方たちに会いに行くことよ」

 まことといろはの質問に応えてくれるが、曖昧な言い方でみんなを包もうとしているような笑顔だった。

「……つまり、俺たちは見世物ってことだろ。死ぬまであんたたちの好き勝手にされる――。もううんざりだ……!」

 せんとばくと一緒にいたじんが、不快感をあらわにしながら本を投げた。飛んできた本がりんの傍に落ち、広がるページにりんたちの手元にある写真よりもずっと大きくなった『おりのすけさん』が、同じ服を身に着け、同い年くらいの男子だろうか、――たくさん集まって各々ポーズを決めて写真に納まっていた。

「この先を不安に思うのは仕方ないわ。真人であるあなた達は外に出ることは難しく、何かを成すには短すぎる時間しか与えられていない。……不公平よね」

 じんの傍でしゃがむまおはの気遣いを避けるように、顔を背け距離を取っていた。せんとばくも荒れるじんを、どうしたらいいものかと対応に困っている。

「俺たちを勝手に哀れむな」

「そんなつもりはないわ。……そう言っても聞き入れてくれないわよね。少しわたしとお話しをしましょうか」

 背を向け心を閉ざすじんが気がかりだが、もことあいがこの空気に耐えられず部屋を静かに出て行った。

「私たちも行きましょう。せんとばくも外で待ってようよ」

 いろはに名を呼ばれた二人も諦めるように、まおはとじんの傍を離れた。ドアを閉める前、部屋に残るじんとまおはを見たが、お互いに納得できる話し合いが出来るとはりんは思えなかった。

 結局、諦める方が楽なのだ。それが受け入れられないから、じんは苦しんでいる。

 そんな簡単なことに気付かないから、心が乱れてつらい気持ちが続く。

 ただそれだけの話だ。


「……じんの気持ちは分かるわ。いつ自分が終わるかと思うと怖いもの」

 ウェーブのかかるくせ毛を指先で弄びながら、いろはが窓の傍でそんなことを口にした。

 ここは遊戯室。――本や盤上遊戯にピアノの他、撞球(ビリヤード)台が置かれている部屋で、みんなが集まる場所だった。

「でもそんなことばかり考えてると、気も滅入るだけだ。俺たちが真人ある以上、短い生であることは変わらないからな」

「私も……、怖いものをわざわざ考えることないと思う」

 撞球棒(キュー・スティック)にチョークをつけるまことの言葉にりんが同調すれば、あいがホットレモンを作って持って来た。甘い香りに暖かな温度がいまの空気を変えてくれるようだった。

「そうだよ、いろは。残り少ない時間は、楽しいことに費やした方がずっと建設的だと思う」

「もこまで……」

「だってそうでしょ? 毎日みんなに不安をあたり散らすじんを見てると、あんな気持ちで最後までいたくないと思うもの」

「あぁなると誰も手を付けられない。こっちも気を遣うからやめて欲しいよなぁ」

 部屋のソファにだらりと座るせんが、撞球棒を選ぶばくへとため息をこぼした。よく傍にいるからこそ出てしまう悪態だ。

「真人として生まれた以上、私たちには自由もなくて、どこにも居場所なんてないの。施設から出ても、自分たちの力で呼吸すらできない出来損ないの種族なんだから」

 もこが撞球台の(ふち)に座り白色の球に狙いをつけ、静かに撞いた。もこの強い自虐と共に突かれた白い玉はカツンと高い音を鳴らし、九色ある玉を散らした。激しく盤上で散る玉同士がぶつかり、壁に当たり四隅の穴に三色玉が落ちて行った。このままもこの順番が続くが、あまりにも都合の良い場所に黄色いラインが入る玉が止まり、勝負がすぐに終わる気配にまことが呆れていた。

「さっさと落として次はエイトボールにしよう。ばく、一緒にもこを倒すぞ」

「いいけど、足を引っ張らないでよ。まことって力はあるけど、コントロールは下手だからなぁ」

「……せんってそんな風に俺のこと思ってたんだ。ひどい」

「ドンマイまこと。台から落とさなければいいのよ」

「あいも俺のこと馬鹿にしてるだろ」

「そんなことないわ。純粋に応援しているのよ」

 くすくすと三人のやり取りを笑い、せんの近くに座るあいがエールを送っていた。カツンと玉がぶつかる音が響くと、次の遊戯の準備をしようと、三角の枠を手にしたばくと、ライン入りの玉を取り出すまことに、台の上の球をかき集めるもこの三人が忙しなく準備していた。

「いろは、大丈夫?」

 心ここにあらずといった様子で、窓の外を眺めていたいろはの視線を追った。同じように窓を見てみるが灰色の空と海が広がるだけの景色に、いろはの心を誘うなにかがあるとは思えなかった。

「私は……、出来たらここから出て、みんなで海の向こうとかに行ってみたいな」

 先攻後攻を決めるために順番に撞いた玉の位置を比べ賑わうみんなを背に、いろははずっと遠くを見ている。

「誰かの手を借りることなく、自分の力で生活してみたり、鑑賞会で見た映画みたいに自由に生きてみたいって。……りんは考えたことはないの?」

「……どちらかと言えば、いつもこんなものを見せるなんて、まおはもひどいなって思ってた」

 先程渡されたアルバムにあった『おりのすけさん』とやらの写真を思い出した。

「世の中のものは全て流転し、変化と消滅を繰り返すだけ。形のないことの連続で、なにごとも囚われないことの大事さを教えてくれるのに、――私たちの手の届かない場所で暮らす人たちのことなんて、知りたくなんてなかった」

 日頃良くしてくれるとはいえ、まおはもただの管理人だ。真人ではない。素直に彼女の話は聞くけれど、それがどういう意味を持つのか理解すれば、じんのように抵抗する気持ちが湧かない訳ではない。

「さっきのアルバムみたいに何か記録が残されて、誰かにその記録を見せて語り継がれる人とは違ってさ、……ここで暮らすみんなのことを、一体誰が思い出してくれているのかなって、いつも考えてる」

「りん……」

 きっと同じ痛みをいろはも感じたのだろう。傷付くいろはの瞳に、空っぽな胸が苦しくなった。

 こんな思いをしても、憧れは決して目の前に現れない。いろはもそのことは重々承知しているだけに、目を逸らし窓の外に何かを求めた。

「……どうして、人魚は人間と契約をしたのかしら」

「人を助けるために、知恵を授けたんだってまおはも言ってたじゃない。――誰かの役に立つために、きっと私たちは生まれて来たんだ。だからそれ以外の役割を貰えないんだって、思うな」

 『真人(まことのひと)』と名付けられたのは、何十年も長く生きる『人間』が妄執と偏執と忘我で道を失う人と区別するため。短くも潔く生きる様に敬意を示し『真人(しんじん)』と名付けられたのだと、ここに来てから何度も教わって来た。

「何度もそう言われてきたから強く思うんだ。――諦めることこそ、どんなことがあってもこの先不安すら飲み込んで生きていけるって」

 カツンと玉と玉がぶつかる音が響き、勝負の始まりを告げる。台の周り三人が値踏みするように周り、台の上を彷徨う16個の玉たちの姿を追っていた。

「私たちが生まれた理由を探さず、憧れを手放し、あるがままを受け入れること。――次また生まれ変わって、新しく自分をやり直せるなら、その時の自分に託すの」

 人が苦しいと、つらいと感じるのは、理想があり、憧れに届かず、ちっぽけな自分を認められないことから起こる現象だ。窓の外はずっと広く、灰色以外を映さないが、きっと自分たち以上に不幸な人もいる。

「私たちの知らないところで日々何かが誕生している。同時に誰の元にも死は平等に来て、それは誰にもコントロールできない。――だけど生死が巡るものであれば、少しでも功徳(くどく)を積むことで、きっとこの次は別の機会をもらえるんじゃないかって、私は信じたい」

「……それってオカルトでしょう? 前世の記憶なんて誰も持ってないじゃない」

「全部やり直すんだから、記憶を持ってないのは当たり前じゃない。……でもきっとまたいろはやまこと、あいやもこ、せんにばく、じんともまた別の形で出会えるかもしれない」

「……、素敵な考えね」

「そうしたらさ、今度はみんな『普通の人』になって、何十回もお互いの誕生日を祝うの」

 たった二回しか祝うことが出来なかったみんなの誕生日。三回目のお祝いをやる前にここを出なければならないことが、りんの中にある後悔のひとつだったと、口にしてから気付いた。

 なんでも諦めたつもりでいたけれど、まだ捨てきれないものがここにあったのかと、いろはに気付かれないように顔を背けた。

「……その時はさ、――映画で見たような何段もある大きなスポンジを作って、みんなで飾り付けるのはどう? クリームも何色も色を付けて、フルーツやお菓子を飾ったり――。そうだ、ケーキの中から陶器のおもちゃが出て来るのもやってみたいね」

 背けるりんの頭をつつくいろはは、りんの話に乗り窓をの外を見るのをやめていた。

「いいね。――でもあれって、うっかり噛んぢゃいそうで怖いけど」

「まことは気付かずにかじりそうよね。くすっ、――なら口に入らないくらい大きなおもちゃに変えた方がいいかも」

「ケーキを分けたら、すぐにバレちゃいそうだけど」

「なら分けずに、みんなフォークとお皿を持って一気に食べればいいじゃない」

「行儀が悪いなぁ」

「だってお祝いだよ? おめでたい席は無礼講っていうじゃない。――もう一度出会えたら、毎回一生忘れられないくらい楽しい誕生日会を開こうね、りん」

 いろはが遠くへ想いを送るような笑顔を浮かべ、りんを見つめていた。

「うん、――絶対約束だよ、いろは」

 短い人生も、今の境遇も全て受け入れるので、どうかせめて――。

 カツンと白い玉がもこに撞かれ、ラインの入った玉が穴へと落ちた。既に勝負の行方が見えて来そうな空気に、引き留めるようにまことが叫んだ。りんといろはは窓辺から離れ、情けなく肩を落とす友人の応援に加わる。

 どうかせめて、いろはとの約束だけは来世まで一緒に持っていけますようにと願いを込めて、りんはいろはと指切りした指の感触を忘れないように記憶した。

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