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「えっなんでアタシが……?」
窓の外に夕陽が落ち、蝉の声がじわじわと聴こえていた。
畳に寝転ぶ弟は、Tシャツに半ズボン、夏そのもの。楓は気を遣っているのか、冷たい肉球だけを、弟の脹脛に預けていた。
「ち、ちょっと待ってよ、まだリュックも降ろして無いからさ……」
金曜の午後。図書館から帰宅したアタシは、弟の頼みに驚いていた。
図書館はエアコンが効いてるし、三叉路からワープだけど、道中の気温で充分に汗ダクだ……
狭いけど趣のある浴室で、黄色いプラバケツ一杯に張った水をざばざば浴びると暑くても、気持ちがスッとする……けど、いやいや、ソレはおかしいよね。
寝巻きのTシャツと、幸子に貰った短パンを履いて、ふわふわのタオルで髪を拭く。
ガラス木戸を開けると、和室の冷気がひんやりやって来て、気持ちが良かった。
ちゃぶ台に、さっきは無かった冷たい麦茶のグラスが置かれている。
「……ありがと」
でもシュウジの頼みは聞けない……
「あのさ、……なんでアタシなの?アンタ明日部活?」
「んーん。いいじゃん……姉行ってよ」
同じ姿勢で寝転んだまま、弟はそういうふうに甘えて……いるんだと思った。
「なんで?……疲れたの?」
地底湖から帰って、ライさんは回復したし、みんなそれぞれ日常に戻っていた。弟も。……そう思っていたけど、何か思うことがあるのかもしれない。
「別に……話すことがないだけ」
「嫌いになったってこと?」
愚問だ。……コイツはそういうヤツじゃない。
「いやほんと、今話しがないだけ。ゲームの続編発売されたらメッセージするねって言っておいてよ」
「アタシが???」
でもこういう風に寝転がる弟が頑固だということ、アタシはよく分かっていたのだった。
◯◯◯
「姉、ラーメン食べたい」
弟の言うラーメンは、温泉卵、ほうれん草の乗った袋麺のことだ。母がいない日、アタシが作る手抜き料理。弟のほうが料理は上手い。……のだけど、滅多にそうも言わないので、言われたら作ることにしているのだ。
温泉卵は簡単だ。沸騰したお湯に、冷蔵庫から出した卵を浸けておけば出来る。
ほうれん草は冷凍のを後のせする。
アタシが食べたい具を食べたいだけ乗せてるだけな気もするけど。
「ほらよ」
ラーメンを作ると、なぜか屋台の大将みたいな気持ちになってしまう。
弟はそれを黙って受け取り、黙々と麺を啜るのだ。
夏のラーメンは、なんで美味しいんだろ。
そういう夜が、静かに更けていく。




