540.5 手記24
「あぁ……日本の風呂というものはいいもんだ」
台詞めいたことを呟いて、涙が溢れていたことに気づいた。
「……あれ?」
銭湯の湯舟に、改めて肩まで浸かる。
ざば、……とお湯が溢れるけれど、まさか温泉なのか……わからないけれど、大理石のようなつるつるの石の隙間から、かけ流しのようにお湯が流れていた。
涙をごまかすように、ちょうど良い温度の湯に深く浸かって、大きく呼吸する。
「循環してるんだな……」
わけのわからないことを言っても、誰も聞いてはいなかった。
それぞれが、背中を洗ったり、水風呂に入って宙を眺めたり、電気風呂で足を伸ばしたり、自分を見ている人は居ない。
風呂の湯気にでもなったみたいに、そこに自由に揺蕩ってサングラスの下で涙を流す。
……誰かに訊かれたら、汗だと言えばいい。
ステンレスサッシの上に掛けられた丸時計は18時31分を指していた。
……いつのまにか、時が過ぎている。
前を向いてきたつもりで、俺が為したものはなんだろう——。
何度も、ハジメ兄と寄りかかった青いタイルが嵌められた石の湯舟。ひとりでここに来られるほどに、時は循環している。
気持ちも、辛さも——。
……——悲しいわけじゃなかった。
……笑顔も思い出せる。
——安堵なのか、惜別なのか、涙が止まらなかった。
「ハァ……もうちょっと早い時間に行くつもりだったのにな……もう夕飯食っちまったかな……」
涙を、止める努力はやめてもいい。
そう思ったら、目が熱くなってきたけれど、次第に頭が楽になってきた。
息をどこまでも吐いた。
…………………
…………
……
……
……
……
カラカラとサッシが開く音が、どこかでしている。
子どもの歓声。
……銭湯が嬉しいのだろう。
湯煙の中で涙は、いつの間にかすっかり止まっていた。




