324.5 手記⑥
コーヒーの匂いがした。
拓海の淹れるコーヒーの匂い。
初めはエネルギーゼリーを飲んでるところしか見なかったけど、副艦長室で寝泊まりを始めて、拓海は毎日コーヒーを丁寧に淹れている。
俺が起きれない朝は、ハムエッグとバターロール付き。
ニンジンのラペは仁花の味だ。
「これ、食べたく無いんですけど」
レーズンとアーモンドが入ったキャロットラペ。
のそのそと布団から出て、ちゃぶ台につっぷしてラペの皿から目を逸らす。
まだだ。
まだ俺は仁花がいないことを受け入れられない。
「うまいぞ」
知ってる。
拓海は意に介さないように新聞を読みながらコーヒーを飲む。
「食べながら読むなよ」
「まだ食べてない」
……この男は……!!!
結局俺は少しだけラペを食べる。
毎日少しずつ、少しずつ。
悲しい気持ちを飲み込んでいく。
拓海が仁花のラペを作るのは俺のためなのか、自分のためなのか分からない。
それが重要なことなのかさえも。
もやもやする気持ちを、ブラックコーヒーの苦味で流していく。
「食べたら着替えろ」
「……えっ。何で?」
今日はブレイズレイダーの試作品の解析と製図を進める予定だった。
「上官命令だ」
「……辞めたんでしょ?機関」
「小賢しいな……」
でも俺は知っている。……というか、この時点で俺は拓海を信頼していた。
ブレイズレイダー製作において、拓海のひとつひとつの意見は確実に成功に導いている。
ハムエッグを食べてコーヒーを飲み干して、久しぶりに鏡の前に立った俺は少し驚いた。
「このヒゲよ……」
漂流生活でもしたようなぼさぼさの髪とヒゲが、愛用のサングラスと相まって不審者でしかない。
俺は久しぶりにヒゲを剃り、髪を結んでインディゴブルーのシャツとジーンズに着替えた。
拓海はいつもの白シャツだったけど、下はジーンズでいつもよりラフな感じだった。
「こっちだ」
久しぶりに、部屋を出る。
「なんか眩しい……」
通路のガラス窓から燦々《さんさん》と注ぐ朝日が、いやにキラキラと眩しかった。
拓海に続いて梯子を登り、甲板に出ると、目の前一杯に青い大海原が広がる。
「キレー……」
爽やかな海風が心地良かった。
「三島、何してる?こっちだ」
「えっ拓海?エッ?」
甲板に作られたドッグアンカーみたいなペグに頼りなく結ばれたロープの先に、俺が乗ってきたベニヤでコーティングされたみたいな歪な円盤が頼りなく佇んでいる。
「いくぞ、日本に」
「へっ!?」
突貫工事の円盤で!?
「多少、直した」
た、確かに拓海は部屋から居なくなることがあったけども!
旗めく拓海のシャツが太陽を浴びて、いやに不敵にばさばさと揺れた。




