276.5 手記②
篠坂拓海は、穏やかな表情で、ただ海を見つめていた——
——もう何日そうしているだろう。
——何をやっている風ではなく、ジオラマルームの窓を全開にして、眼下のブルーホールを見つめている。
「篠坂さん、飯、作ったんで食べて下さい」
自炊も、一年もすれば慣れてくる。
すごく旨いかと言えばそうではないかもしれないが、トーストにベーコンエッグ、きゅうりの塩昆布和えと冷たい牛乳。これがあれば大抵さあやってやろうと思えるのだ。
仁花は和食をよく作ってくれたけど……今はまだ挑戦する気にはなれない。
「あー!カロリーゼリーなんか飲んで!味気ないじゃないですか!」
現代のカロリーゼリーは忙しい時の味方では、あるけれど……やっぱりたまには咀嚼したほうが気持ち的にはいい気がする。
食った感じがするしさ!
「テーブルと椅子、出しますね!」
ジオラマルームにはicomが完備されていた筈。どうせなら、リゾートチックな素敵なテーブルセットを出してやろう。
青と白のパラソルが付いた、海辺のテーブルセットに、俺特製モーニングベーコンエッグプレートを置く。部屋一面の窓辺に、青い空、青い海……あー、これならビールも必要かもなぁ……
「ビールでも飲みたい気分だな……」
篠坂さんはぽつりとそう言って、意外な程スムーズに俺が作った朝食を食べた。
初めからこうしていれば良かったのかもしれない。
同じ痛みをもつもの同士、なんて声をかければいいのか分からなかったけれど。
篠坂さんが苦しそうにしているのも、穏やかな顔で失った過去を見つめているのも、なんだか辛かった。
俺の出来ることは結局無い気がして、帰ろうとも思った。
けど俺は、仁花に託された未来を諦めることは出来ない。
「——飲むか」
「そうします?」
篠坂さんは冷蔵庫から、キンキンに冷えた金色のガラスビンとライムを取り出した。
手の中で器用にライムをカットする手つきは手慣れていたけど、白衣と鋭い目線が科学実験をしているように見える……
フルーツナイフがメスのように見えた。
「あ、ありがとうございます」
爽やかなライムの香りを、金色のボトルに押し込むと、シュワシュワと泡が立ち上った。
海にはこれだよ……
「篠坂さん、お疲れ様さまです!」
カチン!とビンを合わせて金の雫を喉で感じる。
いつぶりだろう、こんな風に乾杯をするのは。
涙が……思いがけず涙が溢れた。
「……敬語はいらない。三島と俺は同じ歳だ。たぶんな」
「え……?」
篠坂さんは俺の涙など胃に介さないように、ベーコンをつまみに飲んでいた。
「やはり合うな」
「……ずっ……篠坂さんも、21歳なんですか?」
「まだ20だ。2月に21になる」
「年下じゃんッ」
年齢はキャリアとは無関係だ。それに、篠坂さんは特務機関の功労者で尊敬している。……けれど、篠坂さんなりの優しさだと思った。
「……同学年だ」
篠坂さんは学位を何段もスキップしているけれど、俺の涙は止まっていた。
「ありがとう、拓海!」
「そこまで気を許した訳では無いが」
拓海はそう言いながらも、どこかからハニーローストピーナッツの缶と(これは金色のビールに良く合う!)アーモンドじゃこの袋をテーブルに出した。
そして……
バサバサバサ……と無機質な幾枚の紙切れをテーブルに重ねた。
——作成者:NIKA MISHIMA
これはブリリア・オブ・ノア副艦の仕様書だ——




