264.5 手記①
心が千切れるくらいに泣いた。
朝も夜も、分からないくらいに……——。
意味が分からなかった。
自分に訪れた出来ごとが、嘘か本当かも。
——三人で暮らしたアパートが、知らない家のように落ちつかない。
虚しさから逃れるように、仕事にのめり込んだ。
しばらく、家には帰らなかった。
——しばらくして、同僚の顔が見えるようになってきた。
「三島君にしてもらったこと、沢山あるよ」
そう言って微笑ってくれた人もまた、大切な人を失っていた。
——久しぶりに帰ったアパートには、仁花とハジメ兄の温もりが在った……としか思えなかった。
——嘘であることを確かめるように、ひたすら調べた。
——そして、絶望する。
——繰り返しては霞のように虚ろう、生きる意味。
——甦る声と、枯れない涙……。
——必死で繋ぎ合わせて前を向く。
けれど人は笑えるようになるのだ——
「サブロー君……!」
暖かく抱きしめてくれる温もりに、ハジメ兄と仁花の生きた意味を思い出す。
絶望の狭間で集めたピースを繋ぎ合わせて、俺は太平洋のエリアBに辿り着いた。
「連絡出来なくてごめんね……私自身、まだ辛くて」
瞳を潤ませるボブヘアの女性は、当時、仁花の部下だった、今はエリアBの特務機関所長をしている小松さんだ。
「まだ一年も経っていませんから……」
あの出来事から、まだ8ヶ月……。
「雰囲気が三島主任に似てるね。サブロー君」
そう言われたのが嬉しかった。
「ここはね、あの日、月で試運転をしていたスタッフで運営しているの」
あの日から情報が錯綜し、特務機関も散り散りになった。
誰がどこで何をしているのか……調べる気持ちになるのに8ヶ月……。
でも俺はどうしても探さなければいけない人がいた。
「姉の恋人を探しています」
今更だと思った。
——それでも。
「艦長は特務機関を辞めたわ」
「生きているんですね!?」
「危険よ……」
——それでも。
ブリリア・オブ・ノアの副艦。
仁花が赴任した特務機関電子工学科学研究所第二課が製作した薄暗いジオラマルーム。
「篠坂拓海さんですか?」
太平洋に虚に空いたブルーホールを見つめて、その男は佇んでいた。
消えてしまった大世界の人工島を見つめて……。
「……どうやってここに来た」
仁花の最愛の男—— 特務機関電子工学科学研究所元所長——ブリリア・オブ・ノア元艦長、篠坂拓海。
「室内でも外さないのか」
仁花に貰ったサングラスを俺は外したことが無い。
「……強化シリコンを合成して……磁場を遮断してここに来ました」
「……三島仁花の遺産か」
「……三島三朗です」
「お前が……」
驚いたようにこちらを見たその瞳は、仁花の好みのタイプに思った。
「三島仁花には似ていないな……ハジメさんにも」
二人と俺は同じDNAを継いでいるけれど、直接の血のつながりが無い。
でも、篠坂拓海のその言葉は、そのままの意味ではなく拒絶のように思った。
「恨みごとを言いに来たのか」
そうかもしれない。
仁花を愛していたなら何故、救ってくれなかったのか。そう思ったことも在った。
「違います。これを」
俺が贈ったターコイズのペンダント。
肌身離さず付けてくれていたと、仁花の仲間に聞いた。
こうするのが正しい気がして、俺は篠坂拓海を探し出した……。
こいつが悪いわけでは無いこともどこかで感じていた。
……仁花の背中を押したのは……IOPに送り出したのは、寧ろ自分だった。
「何故、お前がこれを……」
「姉の形見です。俺が贈りました」
「弟……が……」
篠坂拓海が驚いている理由も分からないし、知りたくも無かった。
俺はただ知りたかっただけなのかもしれない。姉が本当に幸せだったということを。
「今更だ……」
許されたかった。姉が幸せだったことを知って。これを届けることで。
「三島、何故お前が泣く?」
「えっ……?」
涙が止まらなかった。
許されない罪を背負って、俺は何故ここにいる。
「それはお前が持っていろ、三島。三島仁花の心には、どちらにしろずっとお前が居た」
誰かにそう言って欲しかった。
許されたかった。
「何故、アンタはここに居るんだよ!」
……こいつが悪いわけじゃない。
「一人で!」
誰が悪いわけじゃない……
「……一人じゃない……」
でも涙が止まらなかった。
「副艦を作ったのは三島仁花だ」
「……ッ」
「三島、お前が成すことは何だ……三島仁花の願いは……」
「……ホーリーチェリーの殲滅だ……」
「逃げろ、コロニーに」
「意味が無い。AIdに勝たなければ……だから篠坂さんはここに居るんだろう、たった一人で……」
「……」
「特務機関は、誰も諦めていませんよ。あなただけが仁花を愛していたんですか?……手伝ってください……仁花の願いを」
目の前の男は、確かに仁花が愛した男だと分かった。
「お前が弟だなんて……知りたく無かった……似すぎている……彼女に……」
張り詰めた糸が切れるように、篠坂さんは泣いた。
自分を見つめるように俺はただそこに居て、夜が来て、朝が来る。
言葉が無いままに、ピースを集める。
大切な人の残火も。
——そして……。




