光の射し込む先は
シェリアは、アンディを探していた。
柔らかな陽が射し込む昼下がりの屋敷の中を、バスケットを片手にぱたぱたと駆けずりまわる。
バスケットの中身は、先ほどオーブンから取り出したばかりの焼きたてのアップルパイだ。
是非ともあたたかいうちに食べて欲しいのに、肝心のアンディは見つからない。
アンディの部屋も訪ねてみたけれど、不在だった。
執事のジェームズに訊けば、なんと一日姿を見ていないと言う。
食堂にも現れていないらしい。
因みに、シェリアは、厨房で延々とアップルパイとクッキーを焼いていた為に昼食を食べ忘れてしまっていた。
これはもしや、姉弟揃ってお昼に御飯を食べていないのでないだろうか。
それは、とても大問題である。
歳の割に聡いといっても、アンディはまだ十歳なのだ。
本来ならば、六歳上であるシェリアが手本とならなくてはならないのに。
廊下を小走りで移動しながら、ああ、ミートパイも焼けば良かった、とシェリアは心の中で後悔した。
アップルパイはお菓子であって、昼食の代わりにはなり得ない。
厨房に戻って焼くということも考えたが、それでは約束のおやつがすっかり冷めてしまうだろう。
それに、夜が近付いているのだ。
そう、“かれら”の時間が。
集会場所になりやすい場所からは、離れた方が懸命だ。
昼にゆるされることであっても、夜となると話は違ってくる。
シェリアは、屋敷の中を見て回ったけれど、アンディは見つからなかった。
どこか、見落としているのだろうか。
このまま闇雲に探したとしても、探し出せないかもしれない。
はたと立ち止まり、思案したシェリアは、バスケットにかけてあったチェック柄の布巾を手に取り、その上に切り分けたアップルパイを一切れをのせると、窓辺にそっと置いた。
ついでに、クッキーも二枚添えて、目を閉じて両手を顔の前で合わせた。
「このお菓子と交換で、アンディの居場所を教えてください……!」
今はまだ、夜ではない。
いつもの儀式の時間でもない。
それでも、王都から帰ってきたシェリアは、確かに“かれら”の存在を感じられるようになっていた。
だから、もしかしたら……なんて何の確証もないことを試してみたくなったのかもしれない。
しばらくの間、シェリアは瞼を閉じたまま、姿勢もそのままで動かずにいた。
“かれら”は、人間に姿を見られることを極端に嫌う。
警戒されない為にも、シェリアはぎゅっと瞼を閉じて開かないようにした。
もしかしたら、今目を開いたなら、“かれら”の姿を見られるかもしれない。
シェリアの長年の夢が叶うかもしれない。
それは、とても魅力的かもしれなかった。
だが、確かに、シェリアは、“かれら”の姿を見たかったけれど、それは不意打ちではなく、自らの意思を持って現れてくれなければ意味はない。
このシープリイヒルは、妖精と人間が共存する土地で、シーリティ伯爵家の当主は領主であり、“かれら”の代弁者でもある。
シェリアは、先祖代々“かれら”と共存する家の娘であって、会える時は正々堂々と会いたいのだ。
……かなり、いや、だいぶしつこく追い掛け回しているかもしれないが。
そのまま、どれくらい経っただろうか。
瞼の向こうから、光の射す気配がして、シェリアは出来るだけゆっくりと目を開いた。
すると、廊下の向こうの裏口へと、光が射し込んでいるのが見える。まるで導くかのように。
驚いたシェリアがぱっと窓辺の方を向けば、そこには、チェック柄の布巾だけが残されていた。
「ありがとう……!」
シェリアは、窓辺に手を合わせると、光の導く方へと歩き始めた。
◆
光に導かれるままに歩いていけば、屋敷の建物の裏に聳え立つ大きな樹に辿り着いた。 その樹の枝のひとつに腰掛けて、アンディが気持ちよさそうに眠っている。
屋敷の外、それも樹の上など、シェリアひとりでは間違いなく見つけられなかっただろう。
慎重に近づいたシェリアが、お昼寝中のアンディを見上げると、さあっと風が吹いた。
その瞬間、脳裏にエレンの言葉が甦る。
『樹木妖精ってやつは、高いところが好きなんです』
何故、今思い出したのだろうか。
シェリアが首を傾げていると、頭上から声が降ってきた。
「…………それって、もしかしておやつ?」
シェリアが振り向くより先にアンディは着地すると、きらきらとした瞳でバスケットの中を覗いたのだが──
「……欠けてる」
そこにあるものの無残な状態を目にして、しょんぼりと肩を落とした。なんと、四等分に切り分けられたアップルパイの一部が欠けていたのだ。
落ち込むアンディに、シェリアは慌てて説明した。
「ごめんなさい。自分でアンディの居場所を見つけられなくて……パイと交換で教えて貰ったの」
「……そっか」
力なく返事したアンディが「食べてもいい?」と訊ねてきたので、シェリアがこくりと頷いた。
アンディはバスケットからアップルパイを一個つまみ上げると、ぱくりと齧りつく。
瞠目して一瞬固まったかと思えば、黙々と食べ進めて、ぺろりと平らげてしまった。
視線は再びバスケットの中へ。
どうやら、もう一個口にしようか迷っているようだ。
「……その、アンディのリクエストって、林檎で良かったかしら」
そわそわとしているアンディにバスケットを手渡しながら、シェリアは気になっていたことを訊ねた。
アンディの希望は“あかくてまるくて樹に実っているもの”だった。
聞いた瞬間、シェリアは真っ先に林檎が浮かんだものの、よく考えると似た条件のものは幾つもあったのだ。
「うん。これで合ってると思う。……人間が嬉しそうに拾ったり、もぎっていく姿をよく見たから、気になってたんだ」
バスケットを大切そうに抱え、アンディはどこか寂しげな表情で、伏し目がちに話している。
どこか深い森に迷いこんだような、このままどこか遠くへ行ってしまうような。
アンディのエメラルドグリーンの瞳は、シェリアを昨夜の時のようにそんな錯覚に陥らせる。
「……林檎のお菓子くらい、またいつでもつくるわ」
膝を曲げて視線を合わせたシェリアが、アンディの頭をくしゃりと撫でると、アンディはバスケットを抱える手にぎゅっと力を込めた。
やはり、何かを見落としているのだろうか。
シェリアは、妙な胸騒ぎがしてならなかった。