幼いシェリアと記憶の底⑥
夏至。
一年の中で、最も一日が長いが長いとされる日。
この日、人間たちは親しい者たちと豊穣を祈ったり、踊ったり、死者に祈りを捧げたりと、思い思いに祝祭を楽しむ。
祝祭を祝うのは、人間たちだけではない。
シープリィヒルに棲む小さな生き物たちもまた、宴を楽しむのだ。
宴には、料理が必須。
だが、小さな生き物たちには、自分たちで用意することはできない。
各々持ち合わせている性質が違いすぎるからだ。
そこで必要なのが、人間のお菓子係である。
何度も交流を重ね、信頼できる人間をスカウトするわけだが、毎回見つかるわけでもなければ、残念なことに断られてしまうこともある。
そんな時の宴の料理は、とても寂しいことになる。
大きなきのこのテーブルに、参加妖精たちが持参した菓子以外が並んでいないのだ。
本来ならば、人間のお菓子係が用意した菓子と参加妖精が持参した菓子が、ところ狭しと並べられ、テーブルであるきのこの帽子が全く見えないはずなのに。
それが、まるできのこのテーブルが主役のようになってしまう。
出来ることなら、あんな思いはもうしたくないものだ。
今回も同じく残念なことになるかと思いきや、なんと雨に属する者たちが人間を連れてきた。
しかも、昼間に森にきた人間で、少々いびつだが、菓子をつくれるらしい。
おまけに、そこそこ無害そうだ。
厨房係のうちのひとりは、にんまりと口元に弧を描いた。
今回の宴は大成功に違いない。
昼間は不覚にも菓子に夢中で、うっかりスカウトしそびれたが、それも大した問題ではないだろう。
きっとこれも、女王さまの思し召しに違いない。
「…………じょうおう、さま」
赤褐色の髪を持つ小さな生き物は、焦がれるように、その名を呼んだ。
◆
「──大丈夫?」
呆然としていたシェリアに、少年が隣から問いかけてきた。
この森の住人たちに脅されたかと思えば、シェリアが森に来るときに出会った子たちが登場し、突如はじまった小さな集会が終わった。
目まぐるしく変化していった目の前の光景に、シェリアは、ただただ呆然と見守ることしか出来なかった。
声のした方を振り向けば、少年は心配そうな瞳でシェリアを見つめていて、瞳をそっと見つめ返せば、深い森に迷いこむような感覚を覚える。
ここにいるようで、ここにいないような、妙な感覚だった。
そのまま見つめあうこと、数秒後──
「──きょうのところは、ひとまず退散するが、これはせんりゃくてき撤退である!」
背後から聞こえた声に、シェリアは我に返った。
慌てて振り返れば、銀白色の髪を持つ小さな生き物がひとり、両手を腰にあてて立っていた。
「我々は、まだあきらめたわけでは──……」
そう言いかけた言葉は、途切れた。
銀白色の髪を持つ者は、目を丸くて少年を見ている。
まるで、初めて姿を認めたかのように。
ずっとそこに、いたはずなのに。
「──ばかな。我々の“まじない”は、植物や人間などにかけるものであって、同胞にかけるものではない。…………“変質”するぞ」
──“へんしつ”?
聞き慣れない言葉にシェリアは首を傾げると、横にいる少年の方を向いた。
だが、目が合った少年は、何故か視線を逸らしてしまった。
なにか、聞いたらまずいことなのだろうか。
シェリアの胸が、ざわざわと騒ぎはじめる。
知らなければならない、気がする。
シェリアは思わず銀白色の小さな生き物に問いかけようとしたのだが──
「──それじゃ、宴のおやつづくりに、しゅっぱーつ」
シェリアの疑問は、形になることはなかった。
突如現れた赤褐色の小さな生き物によって、その場は強制終了となり、銀白色の髪を持つ小さな生き物も、どこかへ姿を消してしまうのだった。
◆
カチャカチャと、ホイッパーの掻き回す音が響く。
軽快とは言い難い音だが、仕方あるまい。
まだ幼いシェリアは、菓子づくりに慣れてはいないのは勿論のこと、ボウルもホイッパーも台所も、幼いシェリアに合わせてつくられてはいないのだ。
動作が少々たどたどしいのは、致し方ないことだろう。
だが、残念なことに、宴のお菓子係である土に属する小さな生き物は、そうとは認識してくれなかったようだ。
「──もっと、しっかり混ぜるのだ!」
◆
丘の内部にある台所にシェリアを連れてきた赤褐色の髪を持つ小さな生き物たちは、シェリアの小さな身体と台所を見比べると、ちょっぴり戸惑った表情をした。
それも当然かもしれない。
台所というものは、本来大人の身体の大きさに合わせてつくられているものだ。
それは、丘の内部にある台所も同じだった。
大人用の大きさの台所に対して、幼いシェリアの身体はあまりにも小さい。
背伸びして、なんとか物をおけるくらいの高さだ。
赤褐色の髪を持つ者たちは、ふいに、どこかから見覚えのあるいびつなクッキーを取り出して、シェリアと交互に見比べると、こくりと頷いた。
なにやら結論が出たらしい。
そんな宴のお菓子係たちの横では、雨のように透き通った髪や菫色の髪を持つ小さな生き物たちが、木で出来た小さな台をシェリアの元に持ってきてくれた。
促されて足を乗せてみれば、シェリアの小さな身体が台所の高さに僅かに近付き、試しに手を伸ばしてみると、背伸びせずとも触ることが出来た。
思わず目を丸くしているシェリアに、台を持ってきてくれた小さな生き物たちは満足そうに、うんうんと頷いた。
「──なぜ、お菓子係いがいが、ここにいる?!」
赤褐色の髪を持つ者のひとりの叫び声が聞こえた。
どうやら、シェリアに台を持ってきてくれた小さな生き物たちは、関係者ではなかったらしい。
「…………心配だから?」
雨のように透き通った髪を持つ者たちも、菫色の髪を持つ少女も、一様に首を傾げて答えた。
「なぜに疑問けい……?」
何故だろうか。世の中不思議なことばかりである。
「…………と、とにかく、お菓子係いがいは、たいしゅつ!」
一緒になって、横に首を傾けていた赤褐色の髪を持つ者たちだったが、ふいに我に返ると、シェリアに台を用意してくれた小さな生き物たちを台所から追い出してしまった。
「──さて、宴のおやつ、だけど」
「たりないものは、」
「われわれが、」
「頑張ることで、いっちした!」
シェリアは、仁王立ちした赤褐色の髪を持つ小さな生き物たちに取り囲まれ、そう告げられた。
ざっと、二十人以上はいるお菓子係。
シェリアの手のひらより少しばかり大きい背丈の小さな生き物たちだが、有無を言わさぬ迫力を纏っている。
───そうして始まった、宴のお菓子づくり。
シェリアがお菓子づくりの初心者であることを考慮されたのか、指定されたのはシンプルなバタークッキー。
味は、なにも入れないシンプルなものから、木の実を入れたもの、チョコチップを入れたものなど。
それらの生地づくりから、オーブンに入れて焼き、出来上がりを確かめるまでがシェリアの仕事。
焼き上がったクッキーを宴の期間まで保管し、会場まで運ぶのが宴のお菓子係の仕事。
肝心の『シェリアの足りないものは、宴のお菓子係が頑張る』だが──
「──もっと混ぜないと、ダマになるのー」
「だま?」
「たま?」
「…………まるいクッキーが、たべたい」
どうやら、シェリアの遥か後方から指導してくれるようだ。
妖精たちのおやつというものは特別で、自然に実っている果実や、人間の手によってつくられたものでなければならない。
自分たちでつくってしまうと、“おまじない”が混じってしまうのだとか。
この“おまじない”というのは、属性のこと。
“理”とか“土”とか“雨”とか。
これらが混ざらない為にも、お菓子をつくりはじめたら、その作業が終わるまで近寄ることができない。
どれくらい離れればいいのかは、当の妖精たちにも正確にはわからないらしく、『だいたいざっくり』離れることにしているらしい。
そんなわけで、シェリアは孤立無援で奮闘している。正確には、背後からの声援つきだが。
目の前に積み上げられた材料が消費する度に補充されているように見えるが、きっと気のせいだろう。
あまりの菓子の製作量の多さに、きっと疲れているのだ。
「がんばれー」
「うたげのために!」
「女王さまのために!」
「ほじゅうぐみ、たいき」
一番最後の言葉も、聞き間違いに違いない。
台所の入口から感じる視線も、きっと気のせいだろう。
シェリアは、赤褐色の髪を持つ小さな生き物たちの近くに壁にもたれるように立っている少年にちらりと視線を向けた。
だが、こちらを見ていた少年は、視線が合うと逸らしてしまった。
あの言葉は、どういう意味だったのだろう。
“理”に属するという小さな生き物の、あの言葉は。
──『変質するぞ』
変質とは、どのような意味なのか。
ホイッパーで生地をかき混ぜながら、シェリアの頭の中は、答えの出ない問いがぐるぐると渦巻いていた。




