幼いシェリアと記憶の底④(6/2文章追加しました)
一体、なにが起こったのか。
自身の身に起こったことに頭が追い付いていかないシェリアは、目を丸くして呆然と座りこんでいた。
そんなシェリアに駆け寄ってきた少年は、彼女の手首にあるものに気付いた。
「……なるほど、その葉に“まじない”がかかってるね 」
その言葉に、シェリアが手首に視線を落とすと、道中出逢った小さな生き物たちに貰った、蓮の葉を編んでつくられた腕輪があった。
どうやらこれには、持ち主を守る“おまじない”がかかっているらしい。
ちょっぴり発動が遅かったのは、つくり主がうっかりした性質を持ち合わせていることが原因なのだと、少年は説明する。
「……さっきの奇襲は、脅かしに来たんだと思う。人間がこの森に、それも日が沈んだあとにきたから」
この森は、場所こそシープリィヒルという領地にあるものの、人間が立ち入ることは好ましくない、妖精の森だ。
恐らく妖精たちの領域に、不用意に人間が侵入してきたから撃退しようとしたのだろう。
「……立てる?」
少年が差し出してくれた手をとり、シェリアは立ち上がった。
風が木々の葉を揺らし、掠れる音がする。ざわざわ、ざわざわ。
それは、シェリアの心を波立てるけれど、もしかしたら、森へ侵入者が来たのだと、同時に知らせてもいるのだろうか。
クラリスの言葉に動揺し、衝動的に屋敷を飛び出したシェリアだったが、次第に冷静さを取り戻し始めていた。
クラリスの話を聞いてから、幾らか時間が経ったからか。
先ほどの奇襲で衝撃を受け、我に返ったのか。
もしかしたら、少年の声とどこか冷たい手の感触が、シェリアの心を暗闇から引っ張りだしたのかもしれない。
「……ありがとう」
「どういたしまして……?」
シェリアが礼を言うと、少年は、不思議そうに返事をした。
とりあえず、帰ろう、とシェリアは思った。
お嫁に行くといっても、今すぐの話ではないのだ。
それがいつの話になるのか、このシープリィヒルからどれくらい遠いところになるのか。
全く分からないけれど、まだ時間はあるはずだ。
「──あのね、急に来ちゃって……」
急な訪問を謝ろうとしたシェリアだったが、その声は、風の吹きすさぶ音に掻き消されてしまった。
◇
「あめが、ふったら」
「われらの、でばん」
「あめの、ない日は」
「あまごいびよりー」
枝から枝へと、ぶら下がりながら移動する小さな生き物たち。
五人ほどいるこの小さな集団は、先ほど森の前でシェリアと別れたばかり。
今は、森の向こうにある丘へと向かっている最中だ。
「きょうは、すてきな、あめの日なのに」
「もりの中は、あめのけはいが、ない」
「心地いい、しめったかおりが」
「どこにもなくて、さみしい」
背中の羽根が、へたりと下を向く。
雨に属するこの小さな生き物たちにとって、雨の日は特別だ。
だが、残念ながらこの森は、外からの干渉を受けない。
その為、現在雨は降っていない。
因みに、雨乞いしてみたところで、残念なことに雨は全く降らない。
それは、この森の内でも、外でも。
幾度となく試してみたけれど、結果は変わらず。
だからこその、女王さまへの直談判である。
別に、なんとなく思い付いたから、ちょっとお願いしてみようかな、なんてわけではない。
とびっきりの名案であり、雨に属する者の悲願である。
思い付きなどでは、決してないのだ。
「あめふれ、あめふれ」
「どんどんどーん」
木の枝から枝へと、ぶら下がりながら移動していく。
あともう少しで、丘側の出口だ。
背中の羽根をひらひらとさせ、次の枝へと移ろうとした、その時──
「──あれ? “雨”がめずらしいね」
地上の方から声がして、小さな集団の動きは止まる。
「──“土”も、めずらしい」
いつもは丘の内部にある部屋にいることが多い、土に属する者がひとり、地上にいた。
赤褐色の髪色が特徴である。
「もうすぐ、宴だから」
「情報しゅうしゅう」
「ていさつ?」
「じんざい確保」
ひとりまたひとりと、ひょっこりと姿を現す。
先ほどまで、ひとりだったはずの土に属する者だったが、会話の最中に土の中から続々と姿を現し始め、気付けば雨に属する者たちと同じ人数になった。
「女王さまに、おねがいするの」
「まいにち、あめにしてって」
「きっと、たのしい」
雨に属する者たちもまた、自分たちの用件を話す。
その間にも、赤褐色の髪を持つ者たちが増えていく。
「……まいにちが雨になったら」
「おやつなくなるかも?」
土に属する者たちがふと口にした疑問はとても衝撃的で、雨に属する者たちは思わず固まってしまった。
「あめの日は、人間たちは、であるかない……」
このシープリィヒルに住む人間たちは、時折、大げさに嘆きながら、おやつが入った箱や瓶などをうっかり落としていく。
それらのおやつは、落下の衝撃があったにも関わらず、全く崩れておらず、仲間内で分けられるくらいのそこそこの量が入っているのだ。
可愛くラッピングされていることも珍しくない。
その奇妙な現象は、決まって晴天の日に起こる。
雨の日には、人間はあまり出歩かないのだ。
雨に属する者たちは、おやつはお裾分けされることが多かった為に、その出所は知らなかった。
雷にうたれた気分だ。
毎日の雨をとり、おやつを諦めるか。
毎日の雨を諦め、おやつをとるか。
雨に属する小さな生き物たちは逡巡した後、ひとつの結論を出した。
「まいにちのあめは、諦めよう……」
これは、仕方のないことであり、苦渋の決断である。
毎日の雨を諦めることは、決して自分たちが属している雨をないがしろにしているわけではないのだ。
自分たちでつくることが出来ないおやつの供給は、妖精という種族の在り方に関わる話なのだから。
美味しいおやつを想像した雨に属する者たちは、ぐう、とお腹が鳴った気がした。
別に食い意地が張っているわけではない。
自然現象である。多分。
ふいに、風がざあっと、吹きすさぶ音がした。
「──侵入者だ」
土に属する者たちが呟いた。
警告音だ。
森に、妖精ではない存在──恐らく人間がやってきたのだと、住人たちに知らせているのだ。
音の発生源に向かい、確認しなければ。
土に属する者たちは、土の中からひょいっと飛び出し、土の上に立つ。
雨に属する者たちも、身体の向きを反転させ、警告音がした先へと向かおうとするのだが──なにかを忘れている気がして、一様に首を傾げた。
とても大切なことだった気がするが、忘れているということは案外大切なことではないのかもしれない。
枝からぶらさがっている雨に属する者たちの目線の高さまで、いつのまにかやってきていた土に属する者たちは訊ねた。
「──ところで」
「きみたちから、」
「ずっと匂いがする」
それは、今訊ねる必要があるのだろうか。
森に侵入者が現れた、この一大事に。
雨に属する者たちが、疑問に思っていると。
「その、人間のにおいは」
「この音と、かんけいがあったり?」
「なかったり?」
──“人間の匂い”?
「あっ」
雨に属する者たちのひとりが、思い出した。
森へ向かう途中に自分たちを運んでくれた、亜麻色の髪の人間の少女のことを。
その呟かれた声に、土に属する者たちはぴくりと反応するや否や、なぜか雨に属する者たちを取り囲んだ。
「その人間について、」
「たずねたい」
「かくにんせねば」
「われわれは」
「森ついほうのきき」
雨に属する者たちは、突然周りを囲まれてぶるぶると震えた。
急に囲まれて怯えない妖精がいるだろうか。
おまけに恐ろしいほどの気迫が伝わってくるのだ。
あの無害そうな少女が、同胞の森追放に関わっているようにも見えないし、なにがなんだかわからない。
今日は素敵な雨の日のはずだったのに。
土に属する者たちは、口を開いた。
これはとても大切なことなので、絶対に訊ねなければならない。
宴の運営に関わる大切なことなのだ。
「その人間は、」
「おやつは、」
「つくれそう?」
「ひゃう?」
思いがけない質問に、雨に属する者たち一同は、間の抜けた声を出してしまった。




